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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


嘘と愛とミステリー

 本日、2連投、二本目。


 犯人ヤスが用いるのは、“嘘”を核とするトリックだ。
 私は正直、つまらないと感じる。
 知ってしまえば、もはや何の価値もない。
 それで解ける謎を新しく出されても、何も楽しめないだろう。

 それは“嘘”がその場しのぎのものでしかないからだ。
 一時だけ通用すれば良い、という熱意のなさがつまらなさの原因だろう。


 犯人ヤスのトリックは、真犯人のトリックと表裏を合わせることで輝く。
 表裏を合わせるトリックは、“愛”を核としているからだ。

 一時だけの“嘘”と比べ、永遠に留めようとする“愛”は込められた熱量の桁が違う。
 だからだろう、辻褄の合わせ方が毎回違う。
 トリックを知っても、次はどのように辻褄を合わせるのか期待してしまう。

 愛は尽きず、故に無限の方法を生み出す。
 これが無限の魔法が無限である所以。


 嘘と愛、どちらも幻想を生み出すものではあれど、対比してしまえば月とスッポン。
 嘘はその場限りだから拡張性が低く、真実+幻想は1+1=2が最大。
 それに比べると愛は拡張性が高い。

 真犯人が自身に覆い被せる幻想としてヤスを生み出したように、ダブルミーニングとして、ヤスは自身を覆い隠す幻想として魔女幻想を生み出した。
 1+1=3。
 その3人の集合として一人の魔女が生まれた。
 そのダブルミーニングとして、ヤスは紗音・嘉音・ベアトの三位一体の設定になった。
 瞬く間に1+1が6に膨れ上がる。
 相互作用で話がどんどん膨れ上がっていく。

 設定は生えるもの。
 長く続ければ相応に。

 それが愛し合う二人によって生み出される世界だ。



 ミステリーを愛するもののトリックはやはり違う。
 ミステリーの犯人には、時折ミステリーを愛するあまり殺人を犯す者がいる。
 普通の犯人は、殺すことが目的で、手段としてトリックを用いる。
 だが彼らは、トリックが目的で、殺人はその手段なのだ。

 殺せれば十分というトリックではない。
 生み出されたトリックは、ミステリーに対する愛の結晶。
 愛を表現した芸術。
 ミステリーについての思想や心情などが見て取れる。
 殺せば十分というトリックにはそれはない、当然ではあるが。

 しかし、彼らが目指すのはだいたい完全犯罪である。
 つまり、その芸術は自分だけが知っていればいい、という自己完結したもの。

 それに対して、うみねこの真犯人の愛は、対話を基調とした見てもらい考えてもらうもの。
 見る者がいて初めて、話が膨らみ、世界が広がる。
 だからミステリーを愛する者同士、ミステリーについて語り合うことができる。

 この愉悦は何物にも代え難い。
 読者が犯人とミステリーについて語り合えるミステリーはうみねこだけ。
 きっと唯一無二だ。
 愛に乾杯。


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  1. 2019/05/11(土) 20:53:34|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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