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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


ミステリーをするということ

 本日、一本目。

 考えた人と考えなかった人に同じ答えを与えない、の仕組みについてやったので、根本の“考える”とはどのようなことなのか考えてみたい。

 いつから考えたのかで考えてみよう。

 オチだけ人から教えてもらい読むこともしなかった人。
 オチを知ってから読んだ人。
 オチまで読んでから考え始めた人。
 読んでいる途中から考え始めた人。
 最初から考えながら読んでいた人。

 こんな感じか。
 しかし、一番の下の最初から考えていた人でも、ヤスに引っかかってしまっている。
 ならばさらにその上があると想定できる。

 何が足りないのか?
 失礼だが、KEIYAさんを例にしたい。



 皆さんご存知と思うが、KEIYAさんはなく頃にシリーズの考察第一人者である。
 作品内で使われたモチーフや物語の構成などからの考察はたいへん参考になるもので、「最終考察」は私も愛読させてもらっている。
 KEIYAさんの考察に対する姿勢は素晴らしく、自らが考察するだけでなく、考察の楽しみを広げようという趣旨で考察しているのが節々から感じられる尊敬に値する御仁だ。

 そのKEIYAさんのうみねこ考察であるが、仕事として引き受けたことが枷になっていた印象を受けた。

 月一連載で割かれる紙面も限られている、そのことからまず分量が少なかったのではないかと思う。
 限られた分量でまとめなければならない。
 それは何を重視し、何を軽視するかの選択をしなければならないということ。
 そして、それは回を重ねるごとに積み上げられ、思考を偏らせることとなる。


 それで何を重視したかというと、それは読者である。
 それが仕事なので当然なのだが。

 読者に分かり易く、読者が理解できるものを、読者がついてこれるように。
 万人が理解できる推理。
 それを極端に突き詰めると、考えない人にも答えが解るものになる。

 方向性の問題だ。
 うみねこは、万人に理解できるものとは逆に振っている。
 ならば、万人向けの推理は相性が悪いことだろう。


 さらに、読者が考察する時の参考になるように作ったこともまずかったと思う。
 いや、そのこと自体は賞賛すべきことなのだが。

 これを参考に戦って欲しい。
 それは戦いを読者に委ねるということ。

 本気で戦うということは、完膚なきまでに徹底的に、他人に委ねる余地など一切残さずに勝利することではないのか?

 つまり、本気で推理したのなら、私はこれでぶっ倒した、みたいな武勇伝となることだろう。



 たぶん、これが本気で考えた者とそこまでではなかった者の差ではないかと思う。
 私は枷が付いていなかったKEIYAさんの推理が見てみたかった。
 でも、この皆も共にというのがKEIYAさんなのだよなぁ。

 真実が2つ並び立った場合の愛の話とかを、KEIYAさんがどう考えるのかとか知りたかったんだよなぁ。
 咲の後、考察を書いてくれたりするのかな?



 話を戻そう。

 つまり、推理をする、ミステリーをする、には二種類ある。
 ミステリーをしている、という現在進行形。
 ミステリーをした、という完了形。

 ベアトは膨大なリスクと引き換えの奇跡を願った。
 ならば、対戦相手であるこちらにもそれは求められる。
 リスクを前にして二の足を踏むなら、勝利を得ることはできない。
 リスクを踏み越えてこそ、勝利の目が出てくる。
 リスクとは、即ち、情報が全て揃っているかわからない状態だ。
 であるにも関わらず、これで勝利できる、とか、勝利したのだ、とか豪語できる。

 完了形の人がネットに参加する際は、私はこうぶっ倒したけど皆はどんな感じでぶっ倒した? などと言って現れることだろう。
 完了形の人たちは、そこから議論が始まる。


 そして、そうであるのなら、『Land of the golden witch』がどんなものだったか予想できる。
 竜騎士さんが期待していたのがそういう奴らがたくさんいる状況なら、推理したと豪語する王者の傲慢を持つ者たちに対し、それが本物であるかどうかを試すものとなったことだろう。

 LandがEP4~6までがまとめて襲い掛かってくるものという情報からそれは裏付けられる。
 EP6で行われたのは、並び立つ真実による決闘。
 EP4と5もその流れにあった。

 幻想対真実なら、真実を貫ける。
 では、真実対真実だったなら?
 それでも自分の真実を貫けるだろうか。
 それを試されたはず。

 たぶん、EP2の幻想対真実で幻想に屈していた人が多数出たから取り止めたのだろう。

 そんなレベルのがEP3の時点できたら悪夢だ。
 提示された真実を真実だと信じて思考停止する者が続出する、死屍累々の状況となっていただろう。
 死んだことにも気付かないゾンビたちが犇めく中をサバイバル。

 でも、王者の傲慢を持つ、金蔵レベルの猛者たちだから。
 金蔵さんたちならやりかねませんな。
 みたいな感じだったかも。
 むしろ金蔵が団体でいる方が悪夢だ。
 金蔵たちがヒャッハーしてるとか、いよいよ世紀末感が溢れるアポカリプスナウな状況。
 中には蘇生する者も現れたりする、希望溢れる光景が見られるかもしれない。

 で、以降のゲームではさらに振るい落としにかかると。


 でもまあ、王者の傲慢を試してやろうというのは、いかにもベアトらしくて好きだな。





 真実対真実の戦いについては、EP6の第一の晩の描写を参考にできるだろう。

 譲治はだいぶ前から戦う準備をしてきたプレイヤー。
 朱志香は戦う決意ができたばかりのプレイヤー。

 譲治に対応するプレイヤーと戦った絵羽は、プレイヤーに戦い方や考え方を教えてきた出題者、執筆者である。
 つまり、執筆者は思い通りにプレイヤーを教育してきており、その最後に相応しい嫁、即ち、答えまで与えようとしている。
 読者の推理を一から十まで全て自分が与え、読者の自立を阻止しようとする作者の姿だ。
 それに対して、このプレイヤーは自分が決めた答えと生涯を共にすると答えた。
 これが真実対真実。

 朱志香に対応するプレイヤーが殺した霧江は、真実の正妻戦争に負けて愛人として居座っている真実である。
 準備が足らずに負けた。
 負けた結果、今はその真実を正妻だと認めるしかない。
 だが、自身が真実であることを諦めきれない。
 いつの日か奇跡が起こったなら、自身が正妻になれるかもしれない。
 その日まで嫉妬し続けることになる。
 だから、戦いの日がいつ来てもいいように、準備と覚悟を怠ってはならない。

 楼座は、戦うべき時に戦わなかった者の末路。
 後になってあの時に戦うべきだったと知る。
 戦っていれば、自身が得た真実を失わなくて良かったと。

 最後に雛ベアトの戦い。
 他人から聞いたもっともらしい真実で戦い、その他人の手によって戦いに勝った。
 そんなプレイヤーの姿が重ねられている。



 竜騎士さんはインタビューでEP3を差し替えた際、戦い方がわからない方が多かったから戦い方を教えた、本来ならその戦い方も自力で学んでほしかった、みたいなことをおっしゃっていた。
 つまり、熱心な教育を施されながらも自立のために戦う譲治タイプのプレイヤーよりも上に、自力で学び取っていくプレイヤーが想定されていたことがわかる。
 それが竜騎士さんの理想のプレイヤー、理想の読者、理想のミステリーをする人、なのだろう。


 理想。
 理想の読者。理想の犯人。理想の探偵。
 ミステリー好きは、理想というものがよほど好きなのか。

 理想である、ミステリーをする人。
 そんな人物が現実に居ないから、作品内で探偵がその理想を体現した姿で描かれているのだ。

 皆がそれぞれ異なる真実を信じているように。
 皆がそれぞれ異なる理想のミステリーを抱いている。
 だから、これはミステリー、これはミステリーではない、などと言いたがる。
 ただ、自分の好みのタイプではなかったというだけ。

 推理は恋愛に似ている。
 皆それぞれ好みがあり、理想がある。
 故に、えり好みをする。
 そして、相性というものが出る。

 理想を追求すればするほど、それはとがったものになる。
 万人に理解できるミステリーは相手を問わない。
 皆に愛される、皆を愛する、偶像のアイドル。
 それはそれで素晴らしいだろう。

 万人が愛してくれるものではないのかもしれない。
 しかし、「これこそが竜騎士の理想とするミステリーである」と堂々と描いてみせたのではないか?


 では、これは理想だけを追求した作品だったのかというと、それは違う。
 これが連載でなかったら自慰的な作品になっていたことだろう。
 だがうみねこは連載で、竜騎士さんが相手していたのは理想の読者ではなく、現実の読者。
 コミュニケーションを取り、難易度を調整してきた。

 理想のミステリーを題材に、現実で読者とゲームをする。

 それこそが竜騎士さんの、ミステリーをする、ということだったのではないだろうか。


 なんだか普通の結論になってしまったな。
 でもまあ、これこそが本質だろう。
 ミステリーかどうかではない。
 ミステリーをしたかどうかだ。

 答えは見るものではなく、触れるものである。
 だから、見ているだけじゃなく、やってみよう。
 読み物であるが、同時に、そしてそれ以上にゲームなのだ。


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  1. 2019/04/27(土) 19:34:37|
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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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