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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


うみねこは芸術である

 本日、5連投、4本目。


 芸術のこともミステリーのことも全く知らない私が、うみねこを芸術的だなと思ったところを書きたい。


 竜騎士さんはインタビューで度々、考えた人にはわかり、考えなかった人にはわからないように作ったと仰っている。
 その考えなかった人とはどういう人なのか?
 インタビューを繰り返し読んで私が考えたところ、狭義では、考えないのに答えを得ようとする人のことではないかと。

 つまり。
 負けたくないから負けない状況になってから参戦する人。
 推理を外したくないから情報が全て揃わなければ推理を始めない人。

 そんな人に答えを与えないためにはどうすればいいのか?

 作中のようにチェスで例えよう。

 負けたくない人が参戦する様は、さながら盤上に全ての情報、即ち味方の駒が揃い、敵のキングが詰みを待つ状況になって初めてプレイヤー、つまりキングが盤上に現れるようなもの。

 遅れてくるプレイヤーのキングを打ち取るには、まずそのキングが現れざるを得ない状況を作る必要がある。
 そして現れたキングをすかさず打ち取ればいい。

 つまり、情報が出揃ったと思わせ、出てきたところを味方のふりをした駒全てで囲い込んで確殺する。

 誘引、包囲、殲滅。
 これが、戦争芸術……!
 考えずに答えを得ようとする人を殺すことに特化した合理性の極み!

 あまりにも完璧に決まりすぎて、殺されたことにも気づかせない。
 暗殺の極み…!
 殺しの芸術…!


 さらにさらに、そこまで状況を整えるやり方に目を見張るものがある。

 考えない人が、情報が全て揃わなければ推理を始めない人であるならば。
 考える人は、情報が揃わない状況からでも推理し始める人である。

 よって、後から幻想の混じった情報を少しずつ少しずつ毒のように混ぜていけば、前者は濃くなった毒を一気に飲んでしまい、後者は少しずつ毒を摂取して耐性を付けて毒が毒にならない。

 これは後から出た推理で真相が引っ繰り返されることがあるから、全ての情報が揃わない間は推理は不可能である、とする後期クイーン問題を逆手に取ったトリックである。
 言うなれば、ミステリー史を使ったトリック!

 ミステリーでミステリーをする実にミステリー的なミステリー!
 あまりにもミステリー過ぎる……。


 それからそれから、作品に使ったモチーフも良い。

 一つの作品の中で、真実と幻想を同居させる。
 数多の芸術家たちが挑んだだろう芸術的すぎるモチーフ。

 同居できないもの同士を同居させるファンタジー。
 それをミステリーを用いて表現している。

 片方だけでは未完成、片翼しかない。
 両方揃って完成。二人揃って一つの魂。

 さらに、この作品は観る者がいて初めて完成する。
 ミロのビーナスの欠けた腕を想像することで、理想のビーナス像が完成するように。
 現実にはいない理想の女性ベアトリーチェ、二人で一つの魂を視る。

 完璧、あまりにも完璧。
 圧倒的芸術…!

 しかも、それは犯人像。
 各々が思い描く理想の犯人。
 完璧な犯人…!
 ミステリーの本懐…!

 さらに、その芸術作品を、視る者の心の中に飾れる。
 感謝…! 圧倒的感謝…!


 止めに、それらを組み合わせることで起こる殺人。

 心の中に入り込んだ理想の犯人像の片割れが、推理する者を殺す…!
 思考を殺し、停止させる。
 芸術が思考を殺す。
 ミステリーはミステリーをするものがいて、初めてミステリー足り得る。
 ミステリーしたことで生まれたミステリーが、そのミステリーする者を殺す…!
 あぁ、何て美しくも倒錯した構図…!
 あまりにも芸術的過ぎるアンチミステリー…!

 愛がなければ視えない。
 愛が私を殺す。
 愛に、芸術に包まれて死ぬ…!
 作品との一体化…!
 あまりにも芸術的過ぎる死…!


 しかし、それでもまだ片手落ち。
 今のは片方のベアトリーチェが順手でナイフを持ち殺しただけ。
 裏ではもう片方のベアトリーチェがナイフを逆手でもって殺している。

 推理は山に登ることに似ている。
 頂上にまで至ったとしても、そこまで至る別の順路があることは否定できない。
 山の裏側の道。
 それは考えぬ者が至る答えと考える者が至る答えが別であることから導き出される。

 煉獄山の二つの道。
 それに至れば山を空から俯瞰すべく、天国への道が開かれる。

 作品という密室の中で、一人の理想の犯人に殺された私と、別の理想の犯人に殺された別の私、その2つが重なり合っている。
 それをさらに、ベアトリーチェによって天へと導かれた別の私が見下ろしているという構図。
 それが作品の真の姿。

 片側の真実だけを推理すれば、それで思考停止してもう片側の真実は視えない、というアンチミステリー。
 両側とも推理すれば真実は2つとなり、それもまたアンチミステリー。

 しかし、思考停止した二人の私の死体が並んでいるが、天にいる私は思考をしている。
 何故真実は並びえるのか。
 それを謎として推理しようと思考すれば、アンチミステリーもまたミステリーとなる。

『ミステリーする者がミステリーする限り、それはミステリーである。
 人の子よ、ミステリーをせよ。
 ミステリーすることでミステリーは生まれる。
 生めよ、増やせよ、地に満ちよ。
 お前たちの愛によって世界を満たすのだ。

 P.S.
 面白き物語を見つけたならば、我が元へ届けよ。
 我が退屈を癒すのだ。』

 それが神の啓示である。
 ああ、なんて神々しすぎるミステリー…!



 うみねこは芸術…!
 最後は爆発…!
 爆発は芸術…!
 何もかもが芸術的過ぎる…!
 語彙が死ぬ…!
 芸術的過ぎて死ぬ…!

 評論家の方は今すぐうみねこをやって、真相に至って、的確な表現で評価して…!
 お願い…、お願い…。


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  1. 2019/04/20(土) 21:24:17|
  2. うみねこ咲へ向けて
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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