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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


痛みを伴う成長

 真犯人は、可能性が分岐した並行世界や黄金の魔法による裏の世界、真里亜視点を借りた魔法世界など、新たな視点を得ることによる世界の拡張を志向している。
 それは逆説的に、小さな世界に住んでいたことを示している。

 そんな人物が、戦人の心の推理という視点と出会って何を得たのかを考えてみたい。


 人の心が人を殺す。
 心を推理するということは、その心を認めるということ。
 ならば、存在しなベアトリーチェの心が認められたなら、それは人であると認められたということになる。
 ベアトを生み出した真犯人は、心を推理するという戦人の台詞を聞いてそれを目指したのではないだろうか。

 それに伴い、心の推理、ホワイダニットを取り入れた。

 それまでは、イタズラをすることでヤスの居える場所を作っていた。
 それはトリック、ハウダニットを重視していたということ。
 そこにホワイダニットが新たに加わることで、世界は奥行きを得たのではないか?

 つまり、真犯人の心の裏側にあるヤスの心を生み出す。
 ベアトリーチェに心を与えることができるということ。


 だが、心を与えるということは、その心に応えなければいけないということ。
 それは真犯人の行動、運命を縛る鎖となることでもある。

 さらには、心を推理してもらうには、これまでのやりかたであるトリックの実演だけでは不足だ。
 トリックの実演は、一人でする人形劇のようなもの。
 例えるなら、真里亜がぬいぐるみを動かしながらしゃべらせることで、さくたろうをその場に生み出しているように。

 だから、心を表現するために、物語を記す作家の道に進むことになる。

 一人遊びから、大勢に己の世界を広める作家へ。
 子供から大人への成長。
 作家寿縁が歩んだ道に仮託されたように。

 それを戦人が促したと見ることもできる。



 というわけで、今回は真犯人とベアトの関係性の変化についてをやりたい。


 真犯人にとって、現実世界とヤスのいる裏の世界は、触れることができない観測するしかない世界という意味で同等である。
 離れた場所から観測する、それが真犯人の原点。
 最終的に辿り着く、数多の真実を俯瞰する境地に至るまでの道の始まり。

 現実世界と触れ合うことができない小さな世界に住む真犯人にとって、ヤス―ーベアト――は初めて世界を広げてくれた人であり、観測しなくとも存在する現実とは違い、観測しなくては消えてしまう、守らなければならない者でもある。

 戦人の心の推理によって、いつかヤスの心が認められる時がやってくる。
 心を持つ一人の人間として、現在に至る過去が与えられ、未来に至る夢が与えられる。
 それは人としての成長。

 成長は痛みを伴い、関係性を変化させる。
 真犯人が人形劇を卒業し、作家の道を歩むように。
 その道が定まった、ベアトを殺し猫箱を出るより以前、その時までは子供と大人が入り混じった成長の過渡期であったと言えるだろう。


 子供で表されるのは、一人での人形劇。
 自分の肉体を用いたトリックの実演。
 それによってベアトの居える場所を作ること。

 それはベアトを自分に縛り付ける行為と言い換えることができる。
 常に一緒であるという、独占欲の発露。
 それがベアトを猫箱に閉じ込めることに繋がっている。

 決して離さない。
 どこにも逃がさない。
 引き離されるくらいなら、共に死ぬ。
 そして蘇り、同じ日を無限に繰り返す。
 何もかもを閉じ込める牢獄の中で。


 大人で表されるのは、作家となって綴った物語。
 大勢の人に“心”を届ける仕事。
 それによって人々の心の中にベアトの居場所を作ること。

 それはベアトを自分より解放する行為と言い換えることができる。
 別の道を歩むという、成長の証。
 それがベアトを猫箱から出すことに繋がっている。

 決して消させない。
 どこへでも行ける。
 共に夢を叶えるために、今は別離を。


 関係性は変化する。
 トリックの実演により隣にいたものが、物語に記すことで上から下に見下ろすことに。
 心を重視するミステリーを描くということは、犠牲者の心も重視することを意味する。
 作家はキャラクター達を、ある種平等に扱うのだ。

 真犯人にとって、犠牲者の真実を得るということは、異なる視点を得て世界を広げることに繋がる。
 だからきっと、島の外へ出てもっと色々な真実を知りたいと願ったことだろう。
 願いの原点が、小さな世界を抜け出して広い世界に行きたいというものだから。

 作家になる道は、真犯人ひとりの幸せのためだけではない。
 ベアトの幸せも考えている。
 真犯人がベアトに縛られているように、ベアトも真犯人に縛られている。
 真犯人の心の中で、どこにも辿り着けないボトルメールがベアトなのだ。
 ベアトの未来も無限の可能性がある。
 だから真犯人から解放され、ベアトが広い世界へと旅立っていけるように願って物語を作った。

 そして、死んだベアトに戦人と結ばれる物語を届けた様は、まるで独身の子供に死後嫁を宛がって結婚させてから冥府に送り出す冥婚のよう。

 これは死んだベアトに届ける葬送の物語であり、新たな世界に飛び立つベアトを祝福する送別の物語なのだ。



 成長には痛みが伴う。
 別れが人を大人にする。
 だからうみねこはビター。

 しかし、どちらの選択も全力投入すぎる。
 どちらの選択が選ばれても後悔しないためだろう。

 愛する人(幻想)のために世界の全て(現実)を敵に回す覚悟、か。



 EP8のエンディングで2人はどうなったのだろうか?


 ベアトを殺し大人になった真犯人は、永遠を誓った幼き日の真犯人とはもはや別人。
 だからベアトと一緒になれるのは、幼き日の真犯人だけ。

 戦人がベアトを島から連れ出そうとしたシーンは、真犯人とベアトの姿に重なる。

 ベアトとしては外に連れ出そうとしてくれただけで満足。
 島を生きて出られないから死を選ぶベアト。
 そのベアトと共にするのは、大人となる真犯人から分かれた幼き日の真犯人。

 大人となった真犯人の心の海の底、そこに2人は眠っている。

 あるいは、真相に至った読者の心の海の底で2人は眠っている。

 それだけのお話。


 ベアトと共にいるのが真の真犯人。
 だから、ここにいる大人となった自分は、かつての自分と同じだとは認めない。
 それが十八の葛藤に仮託されているのだろう。

 幼き日の自分は、果たせなかった約束への未練。
 それを果たすために筆を執った。

 そして未練は果たされ、幼き日の自分は天国、黄金郷に迎え入れられ、ベアトと再会を果たした。
 それは大人となった真犯人にとっては完全なる決別。
 だからそこはきっと、真相に至った読者の心の中。
 2人が共に居ても良い場所。


 そこを見つけることが大人となった真犯人、執筆者の目的だった。
 それが一番胸にストンと落ちる。

 これは大変なものを受け取ってしまったな。
 大事にしなくては。

 しかし、旅の終着点が読者自身の心の中だとはなぁ。
 まるで青い鳥のようなオチだ。


 やっぱ、綺麗に終わっているよな。
 咲、どうするんだろう。


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  1. 2019/04/13(土) 20:19:28|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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