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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


真実と信頼の作り方/咲の予想

 心の中に駒である対戦者を作り出して戦う具体的なやりかたを簡単に説明したい。
 その前に、まずは前提とおさらい。


 真実とは多くの人たちに認められられることで、その人たちの間で共有される真実となる。
 逆を言えば、誰にも認められないものは真実として扱われない。
 私ひとりが何を言おうと、それはただの主張でしかない。
 それを誰かが認めてくれることで、両者の間において共有される真実となる。
 真実を共有することで世界は生み出される。
 それを構成する最少人数は2人。
 信じあう2人が生み出した真実は、それ以外の誰にも否定できない。
 逆を言えば、真実を構成するメンバーだけがそれを否定できる。


 真犯人は心の中に、自分とは異なる主張をするもう一人の自分を生み出すことで、世界を生み出す最小構成数である2人を満たした。
 一つの結果から異なる過程を主張する二者が、互いの主張を認め合うことで2つの真実が並び立つゲーム盤を生み出す。
 2人が揃っている限り、その真実を誰にも否定できない。
 その片方が失われ、その代わりとなる者を求めて謎を出題した。


 図らずも私は同様の手法で真実を作り出していたらしい。
 自分の中に、プレイヤーの私と対戦席に座る出題者を生み出し、その二者が私の真実を作った。

 現実では私ひとりだが、その下層にはゲームをする二者がいて、さらに下層では真実が作られる。
 これは現実、メタ世界、ゲーム盤世界の構図そのまま。

 心の中に対戦者がいて真実を認めてくれている限り、私は他の誰かに認められなくても構わない。
 逆を言えば、心の中の対戦者が失われれば、私は私の真実を守ることはできなくなるだろう。

 その考え方でいけば、推理したにも関わらずEP8で見限った人たちは、心の中に対戦者を生み出せなかったか、失ってしまったかしたのかもしれない。





 では例をあげて具体的にやってみる。


 EP2の朱志香の部屋の密室。
 個別の鍵と嘉音のマスターキーが閉じ込められていたことから、マスターキーを所持する使用人にしか不可能な犯行であると見做された。
 この時戦人が考えたように、使用人が犯人ならそんな密室は作るはずがない。

 この状況を作りプレイヤーに見せた“出題者”は、どんな“主張”をしているのか?

 私は“使用人が犯人である”と主張しているように感じた。
 そしてそれが“出題者”の“主張”であると“認めた”。
 そこで駒“出題者”に“プレイヤーを使用人が犯人であると信じさせる”という“目的”を与える。
 そうすると“出題者”は使用人犯人説に誘導しようと“語りだす”。

「マスターキーを使用できる使用人にしか鍵は施錠できないだろう?」

 そんな感じで色々“主張”してくるので、それに反論する形でプレイヤー側の真実を作っていく。
 最終的に、未来の真実を上書きした方が勝ち。

『朱志香の部屋の鍵と違い、嘉音のマスターキーは源次が証言しただけ。犯人がマスターキーを所持していれば以降の犯行も可能』
「源次が共犯なら、それは使用人犯人説の変形にすぎぬ。使用人が犯人であることは否定できぬよなぁ?」
『源次は犯人を咄嗟に庇っただけ。源次はベアトを金蔵と同格に扱う。金蔵に絶対の忠誠を捧げている源次であれば、嘉音の遺体から貴賓室の鍵が出てきたら、嘘を吐いてベアトを庇うだろう』
「ぐぬぬ」

 簡単に言えばこんな感じ。魔法解釈的には。
 普通に二つの視点を交互に使って推理を突き詰めているだけなのであるが。

 とりあえず推理する時、暗闇の中でどこを狙ったらいいかわからないのであれば、まずは敵の狙いを探ればいい。
 その見当がつけば、どこを狙えばいいのかの見当もつくだろう。

 「ほうらこっちを狙え」と敵が言ってくるのなら、私はその逆を狙う。
 つまり、敵を信頼するからこそ構築できる推理。
 その末に、至極納得できる推理ができたならば。
 その手応えを確信できれば、それはそなわち敵の狙いを認めることに繋がる。
 そうしてゲームを続けていけば、二者によって二つの並び立つ真実が作られていく。
 前のゲームを前提として次のゲームが行われるので、両者の前の“主張”を前提とした“主張”がなされていくので、深みや幅が感じられてそれが信頼になっていく。





 解く者を前提とした謎を出す者と、謎を出す者を前提として解く者。
 両者は互いを必要とし合い、片方だけでは成立しない関係。
 その関係より作り出される真実は、一枚のコインの裏表。
 互いを必要とし合う2つの真実は、表裏が繋がり合った構造をした真実を生み出す。

 真実は一つであると信じるニンゲンには片側しか見えない。
 両側を俯瞰できる魔女にしかこのコインは見えない。
 ニンゲンには平面的な絵。
 魔女には立体的なコイン。
 それがうみねこ的な真実の形なのだろう。

 互いを必要とし合う2つの真実の関係性からすれば、2人のみで関係が完結しているがゆえにその他は有象無象でしかない。
 つまり、揺るぎない真実として完成する。


 まあこれは信頼の最終段階。
 最初は魔女の主張など認めてなるものかー! ということだけで戦っていたものが、いくつものゲームを繰り返していくと、“出題者”の主張に一貫性があることに気付く。
 まるで一つの真実に基づいて主張しているかのように。
 だからEP6で自分とは異なる真実を構築されても、“私”が構築した真実はこうだが“出題者”の構築した真実はそうだったのかと、互いの真実を認め合うことができるようにまでなる。
 さらに進めば、互いの存在なしにはいられないよね、みたいな気にもなってくる。
 表裏を繋げ合う真実の構造にまで理解が及べば、分かち難い関係になっていたことに気付くだろう。

 異なる二つの視点より二つの主張を戦わせることは、二つの並び立つ真実を作り上げるということ。
 相手の主張を前提として自分の主張を広げ合うことは、絡み合い分かち難くなるということ。
 行き着く果てには、他の干渉を許さない完成された世界がある。
 逆を言えば、片方が失われれば容易く瓦解する世界でもあるが。


 心の中にイエスマンを作っても、議論は進まず発展はない。
 異なる意見だからこそ話は発展していく。
 ゲームの最中は、“相手”すなわち“出題者”の主張に反論する形で話が進む。
 つまり後出しの形。

 これを“私”の主張から始め、“相手”が主張を返す形は、真実の上に結果を同じくする異なる過程を修飾するもの。
 新しいゲームを生み出す手法となるだろう。
 そうなれば新しい黄金の魔女の誕生、と思われる。


 ゲームを作るのにこうしているので、解く側もそうして欲しいということか。
 同じような経験をしていないと理解できないことがある。
 だから同じような経験をしてもらえばいい。
 そんな感じか。
 それが理解する早道なのかもしれない。

 真実のコインを作ること、そのコインを引っ繰り返しあうこと、それが魔女の遊び。
 ニンゲンはどちらが表を見せているのかで一喜一憂するが、魔女からすればそれは些細なこと。
 ふむ、私も魔女の感覚がわかってきたのではないかな。





 ゲームが進むほどに幻想が広がるのは、“出題者”が様々な角度から“主張”を行うからだ。
 それぞれの“真実”の差異から、私は世界の広がりを感じる。

 ゲームの度に異なる共犯者の有無。
 金蔵の死亡の有無。
 19人目の存在の有無。
 嘉音の肉体の有無。
 果ては、執筆者が誰か。

 最後は、幻想が作中作から飛び出し作中の作者にまで範囲を拡大した。
 実に「うみねこ」らしいラストを飾ったわけであるが。
 次の「咲」でもしゲームが行われたら、また幻想が拡大することになるだろう。
 作者が幻想に飲まれたのだから、次は読者が飲み込まれる可能性がある。

 つまりだ。
 読者と作者の間で、真実の読者はこうである、いいや真実の読者はこうなのである、なんてやりとりをすることになるかもしれない。

 魔法解釈された魔女の読者。
 黄金の真実より生まれる幻想の読者。
 隠された真実の読者。
 そんな読者を巡る物語だったりするのだろうか。
 どんな物語のなるのか今から楽しみだ。


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  1. 2018/10/20(土) 20:13:35|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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