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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


金蔵語録/存在しないということ

 EP4を少し見直してみたが、金蔵はやはり面白いことを言うなあ。

『これは何も、当主だけのことではない。カネについても言える! 金持ちというのは、カネを持っているヤツのことではない。自分よりカネを持っているヤツ全てを叩き潰し、そして誰よりもカネを掻き集められるヤツのことを言うのだ。』
『才能も同じ。天才とは才能に秀でたヤツのことではない! 自分より秀でたヤツ全てを叩き潰し! 自分を天才と全ての人間に呼ばせることを力とカリスマで強要できるヤツを指して言う!! お前はその全てにおいて勘違いしているのだよ。』

 その言に倣うなら、真実についても同様に言えるだろう。
 真実というのは、証明されなくても真実であるヤツのことではない。
 自分より真実だと信じられているヤツ全てを叩き潰し、そして何よりも信憑性を掻き集められるヤツのことを言うのだ。
 あるいは、力とカリスマで強要できるヤツを指して言う。
 魔女についても同様なのだろう。


『右代宮家など、あの震災の時にとっくに滅んでおるわ。今の右代宮家など、私が束の間だけ見ている黄金の幻想に過ぎぬのだ。……私が夢より覚めれば、終わる程度のもの。ふっふっふ! この世など全ては夢、幻。…生など、死という目覚めの前には白昼夢と同じよ。あぁ、そうだ、元よりそうだったのだ!! 私が死ぬ時に全てを失うのが、ベアトリーチェとの契約、そして呪い!』

 本当の金蔵は死亡している。
 今いる金蔵は、金蔵の幻想を被った「誰か」。
 本名は「嘉音」であるもよう。

 そこから解釈すると。

 “金蔵”が束の間見る黄金の幻想とは、自身が“金蔵”であるというもの。
 “金蔵”が存在したから“右代宮家”は震災の後も存続した。
 だから“金蔵”が幻想なら、今ある“右代宮家”も幻想。
 “金蔵”の生など、“金蔵”の死という“本当の自分”の目覚めの前には白昼夢と同じ。
 “金蔵”が死ぬ時に“金蔵”が持つ全てを失うのが、ベアトリーチェとの契約。


『この世の全てはカネとして結晶しているのだ。それが掴めぬということは、この世を掴んでおらぬということ! 魂がこの世をしっかり掴んでおらぬということは、生きるに値せぬということだッ!! 消えろ!! 我が生と現実から消え去ってしまえ!!』

 カネを愛と言い換えてみる。

 この世の全ては愛として結晶している。
 真実とは愛されることによって、その人の内面世界に存在することを許される。
 つまり、真実とは愛の結晶なのである。
 愛が掴めないということは、その世界を掴んでいないということ。
 魂がその世界をしっかり掴んでいないということは、生きるに値しないということ。

 つまり、その世界において、死に値するということ。
 即ち、“存在しない”。
 だから、その世界で生きるためには、魂を人ひとり分に満たさなければならない。


『私が稼ぎ上げた数百億という財産の代わりに、息子たちは1人ずつ孫を儲けたというわけか!!
 はっはははははははははは!! それは素晴らしい! つまりは百億を投じて命をひとつ生み出したと! そういうわけだ! これは面白い、錬金術的に考えて実に面白い例えではなかァ…?!』

 カネを投じることを、犠牲と言い換えよう。
 18人の命を数多の世界で犠牲に捧げ、命をひとつ生み出す。
 ベアトリーチェ復活の儀式とは、つまりそれを目的としたもの。

 錬金術的に考えて実に面白い。
 ……命の収支が全く合わないけど。
 ヤスは愛されて生まれてきたんだなぁ。
 そして、同様に真犯人19人目のXも復活できる。



 ん~、やはり動機もちゃんと出題編で推理できるように作られている。
 本当、うみねこは丁寧に作られているといつも感心してしまう。
 読み返すと愛が見つかるとか、仮にも殺人事件なのになぁ。



 続いてEP1の金蔵の台詞も見てみよう。

『………奇跡の成就が先か、愚か者どもが黄金を暴くのが先か。…実に見物ではないか。……愚か者どもが我が謎を解き明かしたなら、その時は私の全ての敗北だ。我が屍を骨の一欠けらまでしゃぶり尽くすがいい。愚か者どもの貪欲さが偉大なる魔法に奇跡を宿らせるのだ。……だがもし!!
 奇跡の成就が先だったなら…、先だったなら!
 ベアトリーチェは再び蘇る!! 私が半生をかけて追い求めたあの微笑が蘇るのだ…!』

 “奇跡の成就”を恋の決闘における“魔法の奇跡”の成就、“黄金”を真実の上に飾られる“黄金の真実”と読み解く。
 “我が謎”とは“儀式殺人の謎”。

 “黄金の真実”を暴き、“儀式殺人の謎”を解き明かしたなら、向こうの敗北。
 金蔵の真実をしゃぶり尽くせる。
 それより先に“魔法の奇跡”が成就し、“黄金の真実”が蘇る。


『………魔法とはつまりゲームなのだよ。優れている者が勝者になるのではない。勝者には魔法が与えられ優れるのだ。わかるか? 生命の奇跡が数億分の一という神々しい確立に勝利するからこそ与えられるようにな。』

 わかる。
 ゲームの勝者には魔法の奇跡が与えられ、錬金術的な生命の奇跡を得るのだ。


『無論だ。難解に作った。…だが、お前も挑め。それが我が魔法の奇跡を呼ぶ糧となる。誰もが挑み、誰にも至れなかったなら、その時はその時。だが、奇跡が集い魔法の力が生まれたなら、その時こそ! ベアトリーチェが蘇るのだ。だからお前も挑め。誰もが挑め。そして我が魔法に力を捧げるのだ!! わかるな?!』

 わかる!
 本当、このゲームは難解だった。
 謎を解こうとする者を集めるというリスクをとることで、奇跡が成就する時、その数多の者たちの“信じる力”、即ち“魔法の力”を集積し、結果一人の“ニンゲン”が誕生する。
 金蔵から見れば、それは復活。

 真実を求めるということは、信じるべきものを求めるということ。
 それを求める大勢の人たちがここにはいる。
 金バヤシ「この大勢の人の信じる力が魔法の奇跡を起こすんだよ!」
 Ω ΩΩ「「「な、なんだってー!」」」

 だからもし推理する人が誰もいなかったら、魔法の奇跡など起きなかった。


 EP1ですでにゲームの核心部分が書かれていたのだな。
 ゲームの目的。勝利条件。
 プレイヤーはゲームで何をやりとりしているのか。

 実に壮大なゲームだ。
 生命の奇跡を見ることになるとはなぁ。

「やつを追う前に言っておくッ!
 おれは今やつの魔法をほんのちょっぴりだが体験した
 い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが……

 あ…ありのまま今起こったことを話すぜ!

『おれは人が殺されるところを見ていたと
 思ったら人が生まれるところを見ていた』

 な…何を言っているのかわからねーと思うが
 おれも何をされたのかわからなかった…
 頭がどうにかなりそうだった…
 手品だとかトリックだとかそんなチャチなものじゃあ断じてねえ
 もっと恐ろしい魔法の片鱗を味わったぜ… 」

 おふざけはこれまでとして、ゲームの概要をEP1に書かれているので、このゲームはフェアだったのだろう。


 昔は無限の魔法を思考の杖として、全てを無限の魔法に結び付けようとしていたが、最近は黄金の魔法を思考の杖として使っているので、新鮮な解釈が飛び出てくるなぁ。

 と、これまでは前置き。




 今回は“存在しない”ことについて。
 駒についてやったので、その解釈でやってみようと思う。

 創造主は駒を生み出す。
 その駒は初め、創造主のゲーム盤にしか存在しない。
 他者に愛されることで、その者のゲーム盤に存在することが許される。
 駒は愛されなければ“存在しない”。

 つまり、愛されていないモノ、知られていないモノ、忘れられたモノは、ゲーム盤には“存在しない”。
 その条件に含まれているのなら、“人間”も同様だ。


 金蔵を例にする。
 本物の金蔵は死亡している。
 同じ特徴(他指症)の「嘉音」が右代宮の長老たちに認められ“金蔵”の名を継承。
 以降、“金蔵”として生きる。
 裏を返せば、「嘉音」としては死んでいる、ということ。

 六軒島にいる金蔵は“金蔵の幻想”を被った別人「嘉音」である。
 だが皆それを金蔵だと信じている。
 だから、皆のゲーム盤に“金蔵の駒”が“存在している”。
 魔法的に言えば、“金蔵を騙る人間”を依り代として“金蔵”は顕現している。

 肉体は“金蔵”の幻想によって覆い隠され、その中身である「嘉音」は“視えない”。
 よって、皆の世界に「嘉音」という人間は“存在しない”のだ。
 
 そこで赤き真実で“金蔵”の幻想を剥ぎ取る。
 すると残るのは“存在しない人間”となる。


 EP4の赤き真実。
俺の6年前に、ベアトリーチェなどという人物は存在しないのだ。

 これにより“存在しない”の定義が確認できる。
 “存在しない”のは、戦人の認識する世界においてだと。
 まぁ、他のところで使用される場合、“戦人の”とは限らないが。

 この手掛かりによって、EP4以降の謎にこの定義を使用した推理が許される。


 真犯人もまた“存在しない”人間である。
 六軒島に隠れ住む“19人目のX”。
 それは皆の内面世界であるゲーム盤には“存在しない”。
 主観に生きる人間は、決して客観を見ることはできない。
 だから真犯人の真実もまた“ヤス”同様、真犯人の内面世界にだけ存在している。
 そういう意味で、真犯人とヤスは同等の存在。
 人間以下の駒であったと言える。
 故に、駒同様、一人分の魂を取り戻し、人間になりたいと望んだ。

 人は人に認められて人になる。
 魔女が、魔女だと認めてくれる誰かを求めるように。
 人も、人だと認めてくれる誰かを欲するのだ。

 だから、そんな理想の人を待ち望んだ。
 待つために、誰にも見られない密室に閉じこもり続けた。
 内面世界を密室に見立て、視えない心を見つけ、貴方の世界に連れ出して欲しい、と。

 だから、自らの行動にルールを課し、そのルールで密室を作る。
 その密室は“真実”を閉じ込め、ゆえに“真実の姿”を晒すことはできない。
 その密室に閉じ込められているがゆえに、その外へは何も干渉できない。
 この時の心境は、EP6の薄暗い部屋に閉じ込められた何者かの心境として描かれた。

 真実の姿で皆の中に入り込むことはできない。
 自分ができないなら、代わりにやってもらえばいい。
 この密室を抜けるのは魔女の魔法だけ。
 即ち、姉ベアトだ。
 “魔女”の仕業だと信じられれば、“真実の自分”の仕業だと“見られない”。
 魔女を信じる者には“魔女の姿”が“見える”。
 故に、“真実の姿”は“視えない”。

 しかしそこは幻想が描かれた箱の中の密室。
 やはり密室は抜け出せない。
 抜け出すには“救出者”が必要だ。
 ホワイダニット。“見えない”心を推理してくれる人が。
 密室である内面世界より心を見つけ、外の世界に連れ出して欲しい。
 そして戦人に“救出者”の資質を見出した。

 “真実の姿”を見られずに殺人を行うには、駒に殺人を行ってもらう必要がある。
 ファンタジーにはファンタジーの駒を用意したように、ミステリーにはミステリー用の駒が必須。
 “真実の姿”を密室に閉じ込める幻想として“ヤス”は生み出された。
 “ヤス”は真犯人にとって、世界を膨らませるための“翼”だった。

 しかし“ヤス”も、ゲーム盤にしか存在しない。
 “ヤス”もまた推理されなければ“視えない”。
 “ヤス”もまた密室に閉じ込められている。
 “ヤス”を覆い隠すさらなる幻想が必要。
 そのために妹ベアトを姉ベアトと合体させた。
 そうして、ベアトリーチェという密室にヤスと真犯人は閉じ込められた。

 やるのは正攻法の悪魔の証明。
 姿を現さずして、その存在を証明させること。
 その証明は主観的なもので良い。
 “救出者”の内面世界に存在できれば良いだけなので。

 魔女がそうやって魔女を認めさせたいように。
 人間もまたそうやって人間だと認めさせたいのだ。
 これはもはや、悪魔の証明ではなく、人間の証明である。
 密室にいる二人の内、どちらかが密室を抜け出し、人間となるための儀式。


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  1. 2018/08/18(土) 19:20:16|
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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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