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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


ゲームに対する本気度

 どうやらなく頃にシリーズ新作とうみねこの新エピソード追加が決まったようで大歓喜!
 新情報を待ちつつ、この勢いにまかせて何か一本書きたい。
 とりあえず、読者側のゲームに対するスタンスはどんなのがあるのか。
 そんなことをてきとーにやろうと思う。


 まず赤き真実を信じるかどうかで読者のスタンスが分かれる。
 魔女のゲームにおいて赤き真実は根幹と言って良いだろう。
 ゲームにはルールが必要であり、赤き真実こそがそれである。
 即ち、赤き真実で嘘を吐いたらルール違反で魔女の負けだ。
 よって、魔女がゲームで勝負がしたいのであれば赤き真実は絶対であるし、魔女がゲームで勝負しないのであれば赤き真実は嘘である。
 つまり、読者が出題者をどう視るかの問題でしかない。
 そこからすれば、赤き真実の絶対性の証明だとか保証だとか自己言及うんぬんとかは瑣末なことである。
 そのせいで「信じなければゲームは始まらない派」と「信じる根拠がないから信じられない派」では話はかみ合わないのだ。

 前者からすれば、赤き真実が嘘の場合は何もしなくても勝ちだから思考停止して良し、赤き真実が本当ならば挑まなくては勝てない。
 後者からすれば、騙されれば負け、嘘の可能性がある以上信じない、という感じだろうか。
 勝ちたいから勝つ可能性に賭け、負けたくないから負ける可能性を避ける。
 端的にいえば、「勝ちたい」か「負けたくない」かの違いと言えるかもしれない。

 とはいえ喩えるなら、崖から飛ぶか、一線を引き踏み込まないかなので、立ち位置は崖下と崖上ほど違う。
 見える景色も大分変わるだろう。

 そして大概はその自分の姿を魔女相手にも投影しているはずだ。
 つまり、魔女は自分が提示したゲームに本気かそうじゃないか。
 ここが違って見えているのだから、ずいぶん違う魔女の姿が見えているのだろう。
 もし自分が崖下に飛び降りたのに、魔女が崖上から見下す姿が見えてしまったら、たまったものじゃないだろう。


 続いてゲームに対する姿勢の違い。
 言うなれば、フェアかアンフェアか。

 禁止されていないからやる。
 ルールの隙間を抜けるようなやり方。
 まともに勝負しない方法はアンフェアである。
 具体的にいえば、「書かれていない」ことを根拠とする答え。
 要するに、「手掛かりなき推理」のことである。

 逆にフェアは「書かれている」ことを根拠とするもの。
 手掛かりをもとに「ミステリー」として戦うか、それとは関係なく「アンチファンタジー」として戦うか。

 これらを対戦相手に投影するなら、真っ向勝負を仕掛けてきているのか、それともまともには戦わないのか、と言ったところか。
 相手がまともに戦おうとしないのに、こちらがまともに戦おうとするのは馬鹿馬鹿しい。
 だが、相手がまともに戦うつもりならば、ことらがまともに戦わない場合は正しい攻略ルートを辿ることはできない。


 さて、これらからわかるのは、魔女のゲームに対する本気度によって読者の対応が変わるということだ。
 だから相手の中に自分の姿を探すのではなく、相手を確りと見据えなければならない。

 まあもっともその本気度は、文章量と労力と意気込みを考えれば一目瞭然だと個人的には思うのだが。
 とはいえ、理想は全てのスタンスを並列的にかつ全て本気で進めていくやり方なのだろう。
 それができればいいが、できるのは超人だ。
 凡人は本気で当たれるのはどれか一つくらいだろう。



 最後に、本気度を突き詰めれば、相手が最後まで勝つ気があったのかどうかで分かれる。
 ベアトは解いて欲しかった、つまり負けたかった。
 それはいい。問題は勝つ気があったのか。
 絶対勝てるゲームがゲームになっていないように、絶対に負けるゲームもゲームをなしていない。
 勝つ可能性も負ける可能性も同時になくてはゲームにならない。
 だから、本気で勝つつもりでゲームを作ったのか、それが問われるのだ。

 ないのであれば、手抜きの余地があったということ。
 解く者に絶対の意志を求めるなら、出題者は手抜かりのないよう絶対の意志で謎を作らなければならない。
 要は、嘘偽りなく本気の勝負だったのか、だ。

 解かれるという結果が大事なのであれば、その結果が得れらればそれで満足だろう。
 だが、結果に至るまでの過程こそを重視しているのであれば、勝敗を問わず満足できるだろう。
 そして手抜きされることほど、勝負で興ざめすることはない。

 私はベアトが本気の勝負を挑んできたと信じる。
 本気の勝負だからこそ、最高のゲームになる。
 結果に至る過程こそが勝負の醍醐味だ。
 恋愛に喩えるなら、結ばれるという結果に至るまでの過程は、互いを知るためのコミュニケーションといえるだろう。

 そう、ゲームを介した本気のコミュニケーション。
 本気の勝負だからこそできるミステリー談義。
 それがしたいのだ。
 それを求めているのだ。
 それに恋焦がれているのだ。
 命を賭すほどに。

 それが私が見たベアトリーチェである。



 自分の姿勢は相手の姿を写し取ったものなのか。
 相手の姿は自分の姿勢を写し取っているのではないか。
 不明瞭を解消するためのコミュニケーション。
 まるで恋愛のような推理ゲーム。
 推理はロジック。
 しかして恋愛は感性。
 恋愛に本気になるきっかけは人によって異なる。
 どんなきっかけで、何に向かっていくのか。
 互いの相性が良ければ、案外すんなりいくのかもしれない。


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  1. 2018/08/04(土) 21:03:46|
  2. うみねこ咲へ向けて
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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