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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


ゲームと勝敗とコミュニケーションと

 ベアトのゲームはチェスに喩えられる。
 そして、ベアトの綴ったメッセージボトルはベアトの棋譜だ。
 本来なら交互に一手ずつ指すところを、ベアトは己の分の手を全て記した。
 それに対し、我々読者は自分の分の手を指し加えることで棋譜を完成させる。

 本来なら交互に打つできところを、ベアトは自分の分をまとめて打っている。
 それはこちらがどんな手を打つか読めているからこそできることだろう。

 そもそもチェスは相手の手を一手先二手先と読み合うゲーム。
 一手先を読めば、自分が打った後に相手がどこに打つかがわかる。
 つまり、そこに相手の手を打たせるために、自分の駒を置くことが可能というわけだ。

 ベアトが読者の推理を誘導しようとしていたという前提に立てば、ベアトが読者を誘導して勝利するものと、読者がそれに読み勝って勝利するものの2つの棋譜ができあがる。
 勝負には勝ちと負けがあり、GMならその両方の結末を用意しなければならない。
 ベアトは勝利を目指しながらも、負ける余地を作った。


 これはテーブルトークRPGでGMをやる場合を考えれば解りやすいだろう。
 プレイヤーに選択肢を迫るならば、どちらが選ばれてもそれぞれの結末に辿り着くようにシナリオを作るはずだ。

 まあ、ノベルゲームに喩えても良い、選択肢がある場合、それに合わせて別のエンドが用意されているのが当然だろう。

 そうなると、プレイヤーとしては選択肢は全て選び全ての結末を見るのが正しい楽しみ方だ。
 選択肢をひとつしか選ばず、ひとつの結末しか見ないのは、もしかしたら間違っていたのかもしれない。


 読者の大半は勝利を目指したと思う。
 私もそうだ。

 私の場合は、勝利を目的とし、誘導や引っ掛けの逆を行くという手段を用いて。
 喩えるなら、ベアトが自身が勝利する棋譜の話題を繰り広げようとしているところを遮って、こうすれば引っ繰り返ると反論し、自分の勝利する棋譜の話を只管にした。
 コミュ力低すぎだと自分でも思う。

 勝利を目的として、コミュニケーションを手段として用いたゆえの陥穽なのだろう。
 きっとコミュニケーションを目的として、勝負を手段とするべきだったのだ。
 そうすれば、自身の負けの話題すら話を広げて楽しめた。

 EP2で南條が金蔵に言っていた。
 チェスの目的は勝利を目指すことだけではなく、親しい友と時間を過ごすことだと。
 正にその言葉通りだったわけだ。

 コミュニケーションを絶対の意志でするなら、勝利の話も敗北の話も、さらにはファンタジーやアンチファンタジーの話もできることだろう。
 それがベアトが求めた理想の相手なのではないかと思う。

 たぶん、そういう人ならベアトのゲームが終わった後も話を広げることができるのだろう。



 ま、私はそこまでの境地には達していない。
 私は勝利を、即ち解いて終わることを目指して推理した。
 もちろん愛したのは、私が勝つ棋譜。
 なので、負ける場合の棋譜とは注ぐ愛の差が歴然とある。
 私の愛するものが愛しているから認めているだけど、同じほど愛しているわけではない。

 つまり、三角関係なわけだ。
 いや、ベアトにとって娘のようなものなので、結婚したらこぶつきだったって感じだろうか。
 EP5の戦人の気持ちが何となくわかる気がする。

 そんな思いがここ暫くの記事にモロに影響が現れているのだと思う。


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  1. 2015/03/28(土) 21:28:14|
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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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