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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


魔女を殺す毒

 魔女を殺す毒は、退屈。
 魔女の死は、思考停止。
 退屈による思考停止を魔女は怖れる。
 だから魔女は、思考することで退屈を逃れようとする。

 謎を見つけては、解き明かす。
 そして、無知から既知へ移行。
 無知ゆえに思考・想像の余地があったものが、知れば知るほどに余地がなくなり、既知となれば余地はなくなり真実のみがそこを埋めている。
 それが退屈による死だ。

 それから逃れるために魔女は、次から次に謎を見つけては解くことを繰り返す。


 人は謎である、ゆえに自身の謎を解いて欲しいとベアトは願った。
 引っ繰り返せば、ベアトにとっても「人」とは解くべき謎だったということになる。
 だから、退屈から逃れるために、「人」という謎を解かずにはいられなかったことだろう。

 だが六軒島は狭く、訪れる者は少ない
 六軒島しか領土を持たないベアトは、すぐに知り尽くしてしまったことだろう。
 そして、退屈を逃れるために次なる未知を探す。


 人を知り、人の過去を知る。
 なら次は「未来」だ。
 既知である「人」を元に、その人がするであろう行動、未来の可能性を予測する。
 「人」を知れば知るほどに、想像できる可能性の余地はなくなり、想定内に収まっていく。

 さらに、起こり得る偶然を想定すれば、その偶然の数だけの「未来」を想定できる。
 人の可能性が無限なら、未来も無限にある。
 だから無限に思考することが出来るだろう。

 でも「未来」は有限だ。
 人は容易に思考停止する。

 「人」の思考は有限。
 故に思考停止した「人」の可能性も有限。
 よって思考停止した「人」たちが織り成す「未来」も有限。
 「人」の思考が変わらない限りそれは変わらない。
 ああ、何故「人」は思考しないのか。

 有限の「未来」の全てを貪り尽くせば、遂には「全知」に至る。
 それはもはや未知には出会えないということ。
 どこにも希望を抱く余地がない、即ち、絶望。

 六軒島という狭い領地限定の「全知」。
 六軒島ではこの先、既に知っていることしか起こらない。
 六軒島から出られないベアトにとって、もはや六軒島は地獄だ。

 第8のゲームで縁寿が閉じ込められた密室の謎で、求める真実を与えられずに飢えて死ぬと喩えられたように。
 六軒島という密室の中で、ベアトは求める未知を得られずに渇いて死ぬ。


 もはや真実を知るというアプローチは限界に達した。
 真実が一つであるのなら、それ以外に知り得る真実などないのだ。

 ……なら、真実が複数あれば良い。

 結果を伴う過程の修飾。
 絶対の真実を使って、その上に偽りの幻想を飾り立てる。
 赤き真実しかない世界を拡張する、黄金の真実の発見。
 退屈による死を待つしかなかった魔女にとって、それは画期的な遊びだったことだろう。
 だから夢中になった。


 無知ゆえの想像。
 それはゼロから一を生み出す真里亞の魔法。

 既知ゆえの想像。
 それは一から無限を生み出すベアトの魔法。

 この2つは似て非なる魔法だ。
 ベアトはミステリー・アンチミステリー・ファンタジーのハイブリットの魔法を生み出すが、真里亞はファンタジー特化の魔法しか生み出さない。

 ハイブリットとは言え、ベアトはミステリー・アンチミステリーに偏重している。
 その点からすれば、ファンタジー特化の真里亞の魔法に感銘を受けたのは確かだろう。
 だkら真里亞の魔法を「知り」、それを1としてファンタジーの物語を無限に生み出した。

 しかし、ベアトの魔法の核は絶対の真実。
 真実を直視しないことで魔法を生み出している真里亞では、ベアトの理解者足り得ない。
 真里亞とでは、真里亞の生み出したファンタジーを共有して発展させることはできても、ミステリーとアンチミステリーを共有して発展させることができなかった。

 無限の魔法と黄金の魔法を組み合わせた魔法は、想像力の限り無限に真実を生み出すことができる。
 だけど一人では想像力に限界がある。
 一人で生み出した宇宙には発展性がないのだ。

 だからベアトは、魔法を共有する理解者を欲した。
 真実を知るために思考を続ける者。
 さらに、真実を知ってもなお思考を続ける者を。
 理解者が紡ぐ、未知の世界を。



 そして、人の心こそが解くべき謎であると考える戦人が現れた。
 その戦人に希望を見出したことで、ベアトは未知の存在しない六軒島という密室の中で待つことになる。
 死に等しい退屈の中で6年も。

 六軒島の全てが既知であるので、島で未知を発見できるのは奇跡と言える。
 だからベアトにとっての選択肢は2つだ。

 自らを殺す密室の中で奇跡が起こることを待つか、それとも未知が待つ密室の外に出るか。
 前者が猫箱に残ったベアトで、後者が猫箱の外に出た八城。


 ベアトは六軒島に残って無限の惨劇を生み出す。
 全知には含まれない未知の奇跡を探すために。
 既知の未来なんていらない。だから命もいらない。
 奇跡だけが残れば良い。

 未知の出来事が起こるのではないか、という甘えた希望を抱いている限り、死を選べない。
 だから、死ぬために希望を殺す。
 既知であることを確かめつつ、未練である「人」たちを殺すことで甘えを断ち、真に絶望であることを受け入れれば死ねる。

 もしも奇跡が起こり、未知に出会えたなら……。
 たぶん、おそらく、未知が未知である間に、未知に再び出会えたことに満足して死ぬ。
 生き残ったとしても、それはもはやベアトではない別の誰かであることだろう。


 八城は六軒島を出て、死んだベアトための物語を書く。
 理解者を探し出すために。
 そして第8のゲームで縁寿に選択を委ねた。

 知らぬままで希望を残すのか。
 あるいは、知って絶望するのか。
 もしくは、知ってもなお希望を抱けるのか。

 既知で埋まった世界を拡張する黄金の魔法を共有できるのかを。





 本一冊のみしかない密室に人一人を閉じ込めて19年間放っておくとどうなるのかっていうお話。

 今回のはかなり前の記事で書いた動機についての補完的なもの。
 前のが知られることのない苦しみを軸にしたものなら、今回のは知ることによる苦しみを軸としたものになっている。





 真実に意味はない。
 なら、幻想には意味があるかもしれない。

 真実には夢や希望の余地などない。
 夢や希望がなくては生きていく意味がない。

 未知があるから人は希望を抱き生きていける。
 ベアトはその未知を、相手の思考に求めた。

 思考し続けていれば、やがて新たな境地に至る。
 これまでの思考が既知であるなら、新しい思考こそが未知だ。
 未知に触れることで、ベアトはまた新たな思考をすることができる。


 我思う故に我あり、ではなく、我考える故に我あり、と言ったところか。
 なら続きは、汝考える故に汝あり。
 思考停止は死と見なす価値観。
 死んでいるなら、殺す。自分も、それ以外の人間も。


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  1. 2014/09/06(土) 19:05:44|
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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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