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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


【キコニア】着飾った言葉、着飾らない言葉

 うみねこ完結後、新たな考察陣に「うみねこは読解」と言われたりしていたが、私的には「読解」というより「解読」ではないかと思っている。
 読解とは書かれている文章を理解することだけど、それはつまり書かれている部分からしか読み解けないということ。
 書かれていない部分からは読み取れない。
 隠されていることは見付けられない。
 変換されているものは元には戻せない。

 うみねこは行間を読むゲームだけど、その度合いをどれくらい見積もっているのかという話。
 私は解読、つまり、今ある物語を一度元の物語に戻す必要があるのだと思っている。
 解かなければ物語を読むことすらできないのだと。


 ひぐらしは羽入が真の主人公で、その羽入が舞台を降りている間は梨花が代理で主人公をしており、その梨花まで主人公の座から降りている間は圭一が主人公の席に座っていた。
 圭一の強い意志が奇跡を起こし、それを見た梨花は戦う意志、生きる意思を取り戻し主人公に返り咲き、そしてそんな梨花たちを見て羽入も生きて戦う意思を取り戻した。
 三人の主人公、三つの物語。

 ひぐらしの一部の読者が「羽入はいらない」とか言っているがとんでもない。
 羽入がいなかったら、梨花の物語はないし、圭一の物語もなかった。
 羽入がいて、さらには舞台から降りたから、梨花の出番がやってきたのだから。

 羽入がいなければ、梨花は生まれない。
 さらには、例えば、梨花が主人公のままだったら、圭一が主人公の物語はなかった。
 梨花がループしながら出口を探す物語になっていただろう。
 そしてそもそもの話をすれば、羽入が自分の人生を生きていれば、梨花が主人公の物語も紡がれなかった。

 なのでつまり、「羽入はいらない」と言っている人は、羽入の物語が読めなかったということになる。

 元の物語は羽入が主人公の話で、それを梨花の主人公の話が覆い隠していて、さらにその上に圭一が主人公の話が被さっていた。
 ひぐらしの問題編だけだと主人公は完全に圭一にしか見えない。
 暇潰し編で梨花がループを経験していることは示唆されているので、梨花が主人公の話を想像できるようにはできているのだけど、実際当時にそれを想像できていた人ってどれほどいるのだろうか。

 ひぐらしは要するに、元の物語へ帰ろうとする話で、それはうみねこも同じ。
 ラストの福音の家のは、欠けたピースが戻り世界が完成する、世界が元に戻るというもの。
 ひぐらしが三人の主人公による3つの物語で、うみねこも3つの物語。
 だからきっとうみねこも三人の主人公による物語。
 欠けた最後の一人が帰還して、元の完成された世界に戻るのだろう。

 私は読解では三番目の物語は読めないと思うんだよ。
 書かれたままの文と、書かれたことから読み取れるもの、二重の物語までは読解で読める。
 でも三重の物語は視えないだろうと。
 三重の物語は解読しなければ読めない暗号のようなもの。
 今ある物語を元の物語に変換しなければならないのだと。

 羽入の話をするためには、圭一の話からしなければならないという迂遠さ。
 素直からほど遠いよな。



 前置き終わり。
 さて、キコニアの話をしようか。

 ジェイデンとミャオのデートでの、仲間たちの脳内助言についてだ。
 あれこそ一つの台詞の裏に複数のニンゲンの台詞が混じったものの具体例である。
 読者視点では舞台裏まで見せてもらっているから理解できるものになっているが、脳内会議の様子が省かれていたらまったく理解できない台詞の応酬に見えたことだろう。

 サイズが合わない靴を履いてきた。
 そのたった一つの事に、何重もの意図が隠されていて、脳内で何人もの人間がそれぞれの視点から意味を持たせていたと理解できただろうか。

 一つの言葉に、複数の意味を飾る。
 一つの物語に、複数の物語を飾る。
 ゲームの製作者がしていることはそういうこと。
 物語を着飾らせるのはたいへんで時間が掛かる。
 だからデートに遅れても笑って受け入れたい。

 デートは二人でするもの。
 即ち対戦ゲーム。
 一つの口から一度に複数の人格が喋り、それを聖徳太子並みに聞き取って、それぞれの人格に対して答える。
 それはまるでジェイデンとミャオの意味わからん会話のよう。

 その類がゲームでの応酬というのだから意味わからんよね。
 私も分けわからなくなることがある。
 全部把握するのは難しいし、こんがらがる。
 聖徳太子用のゲームとか人類には難易度高い。

 やはり色々と飾られた迂遠な言葉よりも、自分を飾らない言葉が一番。
 でもそれが素直にできないのがここの文化。
 その文化に飛び込むなら、そこの文化と付き合っていかなければならないんだよね。

 ま、要するに、ジェイデンとミャオのデートと脳内会議は、ゲームの風景を切り取ったもの。
 パラレルプロセッサーとのゲームはこうだぞ、っていう。

 本当パラレルプロセッサーとゲームをするのはたいへんだよ。
 一人なのに同時に複数の主張をし、異なるロジックを同時に作り上げ、真実を並び立たせて来る。
 一つ迎撃できても、必ずもう一つにやられてしまう。
 推理の矢が一本しかない人は必ず負ける。
 それがパラレルプロセッサーとの戦いというもの。

 パラレルプロセッサーと戦うということは、内包される複数の人格と対峙するということ。
 その全てを同時に打ち破らなければならない。
 読解の選択問題のように正解を一つ選ぶのではなく、正解だと思われる選択肢を複数作らなければならないみたいな。
 さらには、それらを飾らない素直な言葉に変換せよ、みたいな。
 真実は複数。しかれども全てを合わせた真相は一つ。みたいな。



 ひぐらし・うみねこでは三人主人公の3つの物語だから、キコニアも同様なんだろうと思う。
 生き残る人類の人数のことだけど。
 生き残るのは二人。それよりも少し多く。
 だからきっと三人。

 都雄の物語、ミャオの物語、ジェイデンの物語。
 それらが一つの物語に纏まる。
 そんな感じになるんじゃないかな。

 飾らない素直な一言は、「一緒にいたい」「共に生きたい」「ここにいることを許して欲しい」と言ったところ。
 それが着飾ればキコニアの物語になる。
 たった一言がここの文化に掛かれば物語に変換されるんだよな~。


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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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