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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


【キコニア】世界のフレーム構造

 うみねこにおいて、ファンタジーの物語をあえてアンチファンタジーやミステリーで読み換えるというゲームをしていた。
 逆に言えば、さらに異なる視点で見ることで、新しい幻想の物語を生み出すことも可能ということ。
 この、異なる視点で物語を編集し直すことを、「魔法」と呼ぶ。
 物語をどの角度からフレームに収めるのか、的な感じ。

 “あえて”視点を変えることで、このフレームを切り替えること可能。
 だから視点を多く獲得するほどにポイントを得られるのが「なく頃に」のゲームなんだよね。
 ま、ポイントを多く得られたからといって正解だというわけじゃないけどさ。


 そんなわけで大雑把なフレームの紹介と行こうか。
 私が使っているものだけど。


 まずは素直な視点。
 何も疑わない視点と言うべきか。

 物語に描かれたものは、疑う必要もなく「作中現実」である。
 「作中」にそれ以上の上層はない。
 不思議なことは全て「超技術」で説明できる。

 だいたいこんな感じの枠に収まるものかな。
 どんなに物理法則に反しようが、「そういうもの」で済ましたり、どんな「超技術」かを説明しようと試みたりする。

 このフレームはスタンダートで、ベースとなるもの。
 ここからどう捻くれた目で見れるかがポイント。



 次は捻くれた視点。
 作中で使われた「概念」を用いるから、素直に捻くれた感じかな。

 物語で描かれた世界は「仮想現実」である。
 その外に「作中現実」がある。
 不思議なことは全て「仮想」で説明が付く。

 この視点の共通の枠はこんなものかな。
 「仮想現実」では「現実」を模すため、「現実ルール」によって縛られている。
 よってその縛りから解かれることで、物理法則に反する現象を起こすことが可能である。
 これが可能なのは世界が「仮想現実」であるため。

 この視点の利点は、A3Wの世界を下層のゲーム盤世界とすることで、その上層にメタ世界に相当するものを生み出せること。
 慣れた形式だとこれまでの経験も活用できるからね。

 このフレーム内での最大の争点は、たぶんログイン人数になると思う。
 「仮想現実」は暗闇の中だから、これが一番気になるだろう。
 極端な方向性として、アバター数<ログイン人数か、アバター数>ログイン人数がある。
 これは、うみねこの実際の島内人数は、当初の数よりも多いのか少ないのかに重なる。


 アバター数<ログイン人数なら、一つのアバターに複数の意識が宿っていることになる。
 CPPがそれであるとする解釈。
 リソース削減のためならありえそう。

 一つの体の中に複数の人格が押し込められると、その環境に適合できる人格とできずに消えてしまう人格で分かれそう。
 となると、CPPはそれに適合できた新人類となる。
 そして、世界を救うために新人類を増やそうとする方向に向かうのかな。
 これだと行き着く果ては、一つの体に全人類が宿ることに。

 この方向性も面白いよな。


 アバター数>ログイン人数なら、人間の意識が宿っていないアバターはプログラムが操っていることになる。

 プログラムは人間に成れるのか?
 工場で生産される人間は、人間? それともプログラム?
 人間に育てられたプログラムは、果たして人間と言えるのか?

 肉体が人間なのか、魂が人間なのか。
 魂が人間であれば、プログラムも人間なのか?
 肉体を棄てた人間は、それでも人間なのか?

 不自然な姿の人間、自然な姿の人間。
 人間の尊厳とは何か?

 このテーマはうみねこでの「人格を人だと認めるのか?」の発展形。
 これを初っ端から突っ込んでいるので、キコニアはこれを重点的にやると思うんだよね。
 だから私はこっちの方向性を選択しているのだけれども。



 最後に全く捻くれた視点。
 そのままでなんか受け止めない、あえて曲解する。

 物語で描かれたのは、「物語」である。
 その外には「観測者」がいる。
 全てはその「観測者」による朗読で説明できる。

 物語の全ては誰かによって観測されたものである。
 大元にまで遡ればこれに至る。
 ま、あくまで私の見解だけど。

 例えば、じぇびるさんの考察、ガントレットナイトの能力はうみねこの論戦バトルに当て嵌まるというもの。
 私も全面的に賛成なのだけど。
 これは、あるものを別のものに見立てる、というものだと思う。
 となると、誰がこれを見立てたのか、というのが気になる。

 うみねこにおいて「観測者」とは重要な要素だ。
 観測者が観測することで世界は生じ、朗読者が朗読することで物語が紡がれ、執筆者によって物語が記される。
 ん、手順は今はどうでもいいか。
 とりあえず、物語を誰がライディングしているのか、これがうみねこ最大の問題だったと言っていいだろう。

 見立てとは、本来は異なる点を結び付けて意味を持たせる行為だ。
 つまり、人の意思によって成されるわけだ。
 だからそこには必ず人がいる。

 見立てられたと信じれば、そこには見立てた誰かがいて。
 それを信じられ無くなれば、そこにいた誰かは消える。
 真か偽か定かならぬ幻想に過ぎないのかもしれないけれども、名と姿を与えれば愛せるのだとうみねこEP7で学んだ。


 ま、最終的にライディングしているのは竜騎士さんだと言われたら議論は終了するし、そもそもキコニアでその類は示唆されていないけれども。
 だが私はあえてそれを議論したい。
 それはキコニアがひぐらし・うみねこに続くもので、その「文明」つまり「文脈」を踏まえたものだと思うからだ。

 キコニアが4話構成で、ひぐらしやうみねこの解や散に相当するものがなさそう。
 これって要するに、ひぐらしやうみねこが、キコニアにとっての出題編に相当するからじゃないかと思うんだよね。
 難易度がかなりの上級なのも、ひぐらしやキコニアに重なる部分が多いのもそういうことなんじゃなかと。
 で、キコニアのメタ世界に相当するものを当初に登場させなかったのも、すでに十分にヒントを出しているからで。
 って感じじゃないかと思うんだよ。
 観測者についても同様。

 ホントあくまで私の見方では、だけど。



 そんなわけでおおよそ大枠としては、この3つのフレームで構成されているんじゃないかなと私は思っている。
 もしかしたら私も見知らぬフレームもまだあるかもしれないが。
 これら各フレームの正誤や優劣などは関係ないし、気にする必要もない。
 どれだけの数のフレームを同時に見れるのか、あるいは切り替えて見れるのか。
 私はそれが重要だと思う。

 色々と組み合わせる時、選択肢の多さが活きてくる。
 推理でもパズルでも、そして積み木でもね。

 選択肢を広げることは、世界を広げること。
 視野をより広く、より高く持つ。
 そうやって上層の世界を生み出す。
 うみねこにおいて、魔女とはニンゲンより一つ上の視座を得た存在だ。
 さらにその魔女の上を行くのが造物主。
 うみねこを参考にすれば、低・中・高の三段階に変化する視座は最低限欲しいところ。
 私的にはね。

 さらにキコニアの低層は、うみねこの中層である魔女のいるメタ世界に相当すると見ている。
 ベアトは三つの物語を紡ぎ、それをヤスの三人格のように決闘で争わさせている。
 ま、分離された三つとそれらを纏めた一つで、計四つなのだけど、その四つの陣営が争っているのがキコニアの低層。
 うみねこの低層は三つの物語が重なって一つに見えている。
 まずは三つの物語を見つけることから始めなければならないのだが。
 キコニアではそれは省略され、世界という俎板の上に全部載せられた状態からゲームが始まっている。

 よって、うみねこの中層である魔女のいる階層がキコニアの低層となるから、うみねこの上層である造物主のいる階層がキコニアの中層に相当。
 さらにキコニアの上層は、うみねこにはなかった階層となる。
 つまり、キコニアはうみねこの一段上のゲームだと思うんだよね。


 もっと言うと、ひぐらしはうみねこの一段下のゲームとなる。
 ひぐらしはうみねこでいうゲーム盤世界の真実を探るのが目的。
 最終的にうみねこでいうメタ世界に相当する視点を持つ存在が登場するが、あくまでゲームの本題はゲーム盤世界の真実であり、ニンゲンたちの真実だ。

 それに対してうみねこは、ゲーム盤世界の真実を追いながらも、本題はメタ世界にいる魔女ベアトの真実を探るゲームだ。
 となるとキコニアは、造物主の真実を探るゲームとなる。

 要するに、ひぐらし、うみねこ、キコニアと、ゲームのステージが一段ずつ上がっているんじゃないかな。
 ま、あくまでも私の見方なのだけどね。



 ま、そんなわけで、私の使っている見方は置いとくとしても、世界を収めるフレームを切り替えると色々と異なる景色を楽しめるのでお勧め。


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  1. 2020/05/30(土) 21:13:10|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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