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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


犯人についての簡単なまとめと蛇足

 動機についてが書きなぐってきたが、いまいちまとまってないようなので、まとめてみようと思う。


 犯人は第一のゲームで肖像画の前に現れた、肖像画と同じ姿の人物。
 18人目のX。19年前の赤子である理御だった者。
 夏妃によって育てられなかったので、崖から落ちた形で死を偽装され、九羽鳥庵で隠されて育てられた。
 誰かに姿を見られることを、金蔵に禁止されている。
 だから姿を隠して、他の人間を観察するのが趣味。

 それらの境遇から、誰かに自分のことを知って欲しい、誰かと交流したいという思いが人一倍強い。
 だがそれが禁止されているので、他の誰か(選ばれたのは紗音)と共にいる自分の姿を想像して、自分を慰めていた。

 でもそれでは満足できず、姿を現さずに干渉する(チビ箒を隠す)ようになる。
 そして、それが他者から“魔女”の仕業だと捉えられることになった。
 “魔女”であるならば、それは“自分”ではない。
 “自分”には禁止されていることでも、“魔女”ならば許される。
 “魔女”を信じさせればさせるだけ、“魔女”としての行動範囲が広がる。
 “魔女”としてならば、他者と交流できる。
 こうして姉ベアトが生まれた。

 だが、“魔女”を知らしめるのは、“自分”を知って欲しいことの代償行為に過ぎない。
 愛されぬ自分の代わりに愛されて欲しいという。
 だから不満は解消されない。一時だけ忘れさせてくれるだけ。
 でもそれは仕方がない。
 登場していない人物が犯人であるなんて、ノックスでもヴァン・ダインでも禁止されているほどアンフェアなのだから。
 そうして、本当の願いを諦め、諦観した。
 “魔女”の生活に不満はないのだと、自分を騙した。

 だがそれを、諦観による心の防壁を、戦人の約束が壊した。
 絶対に解くという約束。
 それはもう諦めなくていいのだと思わせるに十分なもので。
 もう自分を騙して、不満を紛らわす必要はないのだと。後は待つだけでいいのだと。
 そう、思わせてしまった。

 戦人のために生まれたのが妹ベアト。
 戦人に解いてもらう謎、それはホワイダニット。戦人の好きなミステリー。
 ホワイダニットなら、“魔女”として現れても、“自分”の心を推理してくれるだろう。
 この人ならば、約束通り、絶対に解いてくれる。

 しかし、戦人は約束を守らなかった。
 せっかく謎を用意したのに、挑んでもくれなかった不満。
 さらには、長年、諦観によって押さえ込まれてきた、周囲の人間に対する不満も入り混じり、抑圧されてきた気持ちが爆発し、悪意へと変貌する。
 これまでの13年、そしてその後の6年の歳月を経て熟成されたそれは、殺意になったのだ。



 “18人目”の願いは、「自身の“本当の姿”を存在を認めて欲しい」というもの。
 でもそれが叶わないから、「代わりに“魔女”として、存在を認めて欲しい」で妥協した。
 これが我らの知るベアトリーチェ。“18人目”の悲しみから生まれた存在。
 魔女=不可能犯罪で、信じさせようとする。逆に、そう挑発することで、人間に可能だと、推理を促してもいる。


 そのベアトに隠れているのが、本来の“18人目”。
 第4のゲームで出てきた、もうひとりのベアト。
 魔女ベアトを自分の代わりに愛でてもらうために生み出した。


 そして、その2人の間にいるのが、“18人目”の怒りから生まれた者。
 それが真実の魔女であり、その魔女が生み出した黄金の真実である“ヤス”。
 推理することによって、“本当の姿”と並び立つ真実となるべく黄金の魔法によって生まれた。
 この“ヤス”もまた、“本来の姿”の代わりに愛でてもらうための存在。
 だが理由が異なる。
 これは「“ヤス”の存在を認めてもらい、本当の真実を抹消して欲しい」という願いゆえのもの。
 真実がこんなにも苦しいのなら、真実などいらない。
 誰もが真実などいらないなら、真実を殺す。
 そのために生み出した駒が“ヤス”。


 最後は傍観の魔女。
 フェザリーヌは愛と憎しみから距離を置き、その勝負を傍観する。
 幾子は願いも想いも全てベアトに託して、何もかも捨て去り身軽になった。
 ただひとつベアトから託された願いだけを持って。
 その願いこそがメッセージボトル。死したベアトリーチェに捧げる物語。
 そして、その物語の中で、3つの物語が恋の決闘を行っている。




 蛇足だが、思うに、ベアトの性質を表すのに相応しいのは、誠実と公平、であるのではないだろうか。
 相手に約束を守って欲しいから、自分も約束を守る。
 愛して考えて欲しいから、まずは自分から愛して考えて真実を得る。
 解いて欲しいから、解けるように作る。
 絶対の意志を持って欲しいから、自分も絶対の意志を持つ。

 無限の魔法自体もその考えに則っているように思う。
 別の自分に願いを託すから、その別の自分から託された願いを自分が叶える。
 相手が絶対に叶えると信じたから託し、相手から絶対に叶えると信じられたから託されている。
 自分の絶対を保証するのは、別の自分であるとも見れる。

 さらには、別の自分に託した願いは、もう自分は持たなくていいものである。
 選ばれなかった願いを叶えられない後悔を抱かなくて済む魔法であり、自分に託された願いを叶えるために過去を振り向かない決意でもある。

 そして極めつけは、奇跡が起きた時だ。
 その奇跡は別のベアト百人分の思いの結晶。
 ベアトにとって、その奇跡の価値は、百人分に匹敵する。
 もしも無限の魔法を使わずに、ただの偶然で得られたら、その価値は低い。
 もっと価値あるものを得れば、捨ててしまうかもしれない。
 だから百人分の価値のある奇跡は大切にされる。その価値ゆえに。

 私は、これらは相手と自分に対して誠実で公平であるがゆえのものであると思える。
 もっとも、それが引っ繰り返ったのが惨劇なのだが。


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  1. 2014/01/18(土) 21:26:47|
  2. ベアトの心臓
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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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