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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


【キコニア】キコニア生まれとチェス盤思考

 キコニア生まれの子供は、父と母の間に、つまり自然に生まれた子供。
 キコニア生まれじゃない子供は、工場生まれの、不自然に生まれた子供。

 これが仮想現実での設定であるのなら、現実においてはそれはどう解釈すべきか?
 私ならいつも通り、執筆者と主人公と読者で説明する。

 現実においてキコニア生まれに当て嵌まるのは、父と母の間に自然に生まれた子供。
 つまり、肉体を持った人間の事。

 であるならば、キコニア生まれじゃない子供とは、肉体を持たない人格だけの人間だと解釈できる。
 彼らは肉体は持たないため、肉体的な父母はいない。
 親と言えるのは主人格。

 つまり、キコニア生まれじゃない社会とは、パラレルプロセッサーの社会。
 キコニア生まれによる社会とは、単一人格のみの社会、要するに普通の人間の社会のこと。 

 そんな感じに解釈可能。


 なのだけど、ちょっとちぐはぐな点がある。
 私的には、ジェイデンは現実では肉体を持つキコニア生まれなのに、仮想現実であるA3Wではキコニア生まれじゃない。
 都雄はその逆、現実では肉体を持たないキコニアじゃない生まれなのに、A3Wではキコニア生まれになっている。

 これを説明するにはチェス盤思考を使えばいいだろう。
 相手の立場になって考える。
 つまり、仮想現実で相手の立場を体験しているわけだ。

 うん、しっくりくる。
 そもそも私は、仮想現実A3Wは人間を生み出すための舞台装置と考えていて、都雄に両親を宛がい人間社会を体験させることで、人間を学ばせて立派な人間に仕立て上げようとしていると思っていたわけだし。

 それをジェイデンも逆の立場で学んでいるわけだ。

 人工的に作られた仮想人格、即ちゲーム盤の駒は、工場で生産される。
 一つのゲームで使う駒一式揃ってロールアウト。
 これが同期の兄弟。
 世代間では交流しない。
 これはひぐらしに使われる駒と、うみねこに使われる駒とが基本的に交流することがないようなもの。

 相手の立場を経験することで、より相手を理解できるようになる。



 模倣は学びの第一歩。
 チェス盤思考で相手の立場に立ってみる。
 そんな仮想体験。
 それってつまり、いつもやっているゲームそのものなんだよね。

 チェス盤思考なんてなく頃にの推理の基本中の基本じゃん。
 ってことは、ゲーム盤にて立場を反転させてみるとか、ゲームメイクの基本中の基本なんじゃないかと思ったり。

 他人に自己を投影、立場を入れ替え。
 肉体のない者を妖精と捉えれば、これも一種のチェンジリングか。
 妖精の取り替えっ子。
 郭公の卵にも繋がる話だな。

 ついでに言うと、妖精に攫われた子は長じて英雄になったりする。
 先の女神と王(英雄)の物語の一種だね。


 物語を類型に当て嵌めてみたり、原型(アーキタイプ)まで遡ってみたり。
 そういうのも物語を考察する上で有効なんだろうね。
 詳しくはわからんけど。


 そういや、女神と王の物語と言えば、金枝篇。
 金枝篇と言えば共感呪術。
 あるいは共感魔術。
 うみねこ的にも良さそうな話題。
 これでいっちょ話してみるか。
 ま、テキトーだけど、ニワカ以下だから。





 共感呪術は、類感呪術と感染呪術に分かれる。
 類感呪術は、「類似したもの同士は互いに影響しあう」という考えの「類似の法則」によって成り立つらしい。
 感染呪術は、「ひとつだったもの、一度接触していたものには、遠くにあっても相互に作用する」という考えの「感染の法則」によって成り立つらしい。


 元はひとつのものから生まれたと言えば駒たちがそれに当たる。
 主の心のゲーム盤。
 原初は未分化の混沌の体をした心が一つ。
 それを細分化し、ゲーム盤の上に並べ整理した。
 つまり、心を分かち、駒にして生み出した。
 よって「感染の法則」が成り立つ。
 切り離されても『チューリップの球根から芽が出て、チューリップの蕾が出来ましたー』というように。

 駒は主の代わりに願いを叶える。
 駒が傷ついても主は傷つかない。
 そんな心のダメージコントロールのために駒は生み出されたわけだが、「感染の法則」によって駒が傷つけば主も傷ついてしまう。
 駒は自分の分身であるので、自分のことのように思えてしまう。
 つまり、心があるから「共感」してしまうわけだ。

 さらに駒を動かすには、駒の立場になって考える必要がある。
 つまり、駒に自己を投影する。
 そして自分と似たところを見つけ、「共感」する。
 「類似の法則」だね。
 自分と似ている、だから自分と同じ人間である。
 それは他人を“人間”として理解するということ。
 「共感」したことで繋がりができ、対象が傷付けられれば我が事のように思い、自分も傷付いてしまう。

 ホント心ってやっかいだよね。
 傷付きたくないから切り離したのに、繋がりが残るんだもの。


 今のは駒から主への影響だけど、むろん逆に主から駒への影響もある。
 主がネガティブになれば、駒への見方もネガティブなものになる。
 駒の悪い点を見つけよう見つけようとしてしまう。
 結果、駒は悪い方法へ向かう。

 さらに駒には自分を投影している。
 だから駒に自分に似たところを探してしまう。
 その駒の悪い点とは即ち、自分自身の悪い点に似ているのだ。
 つまり、駒を嫌うことは、自分を嫌うことに繋がるのだ。
 そうして、自己嫌悪に陥りさらにネガティブになり、さらに駒を悪く見てしまい……。
 と、負のスパイラルに突入してしまう。

 逆にポジティブになれば、正のスパイラルで急上昇するんだけどね。
 駒の良い点を見つけ、それは自分自身の良い点に似ていて、自分を好きになれる。
 つまり、自分の良い点を駒が教えてくれるのだ。
 そんな健気な駒たちを愛さないわけがない。


 駒に自己投影するをもう少し詳しくしよう。
 駒になった自分を、さらにゲーム盤の上から自分が見下ろしている。
 つまり駒とは自分の鏡写し。
 駒を見下ろすことで自分を分析している。
 また駒は自分とは異なる存在でもあるので、その駒から新しい視点を得て、新しい自分を発見することにも繋がる。
 新しい視点を得るということは、新しい駒を作るということ。
 心の世界を豊かにし、自分の心を豊かにすることに繋がる。
 まあ正のスパイラルに突入していれば、これが正常に機能するんだけどね。
 気分には波があるわけで。



 さらに駒には「類似の法則」も成り立つ。
 神の依り代は、神を模倣することで、その体に神を降ろす。
 つまり依り代である巫女の駒を使えば、神はゲーム盤に降り立つことができる。

 神は普段、ゲーム盤を見下ろしている立場にある。
 つまり、ゲーム盤から切り離された立場にいるわけだ。
 そこで巫女の駒をアバターとして使うことで、ゲーム盤に降り立ち、ゲーム盤に関与する。
 つまり、都雄の体をアバターとして、仮想現実A3Wにログインしているわけだ。
 ひぐらしでのアバターは梨花。
 うみねこでのアバターはベアト。

 そもそもアバターという言葉自体、神の地上での姿、アヴァターラ(化身)から来ているのだしね。
 仮想現実ほどこの説明がしやすい設定はないな。
 ちょー分かりやすいもん。

 うみねこでさ、依り代と言われて、現実の肉体にベアトの魂を降ろすのだと思ってたけど、逆だね。
 ベアトの依り代ではなく、ベアトが依り代。
 駒であるベアトの体をアバターとして使用して、主はゲーム盤に降り立っていたのだ。


 同じ主から生まれた駒は、皆主に似ている。
 ひとつだった物を割っても、割れた部分は元の全体の姿に似たものになる。
 子が親に似るように。
 分かれた部分同士も、元々同じものだったから似たものになる。
 兄弟が似ているように。
(兄弟同士の駒たちが互いに影響し合うのは、ひぐらしの雛見沢症候群で暴力的な気分が伝播するなどで描かれている)

 つまり、主と駒は家系図的な感じで整理できる。
 世代を経るのは、物語の刷新、ゲーム盤の刷新となる。
 鬼隠し編から綿流し編へ。
 またはひぐらしからうみねこへと。

 世代を経るごとに元から遠ざかっていく。
 ならば最も主に似た者とは、最初の世代、それも長子となるだろう。
 最初の子というのは特別だ。
 真里亞も色々友達を生み出したが、最初の友達であるさくたろうが特別だったように。

 つまり長子こそが神である主に最も似た者。
 巫女の駒、神である主をその身に降ろす依り代である。
 つまり、神の子だ。

 さて、社会において長子は親の全てを継承する権利を持つ場合が多い。
 このゲーム盤においてもそうだと思われる。
 長子は神である主の物語を継ぐ。
 物語とは文化だ。
 そして魂である。

 魂を引き継ぐとはどういうことか。
 呪術的に王殺しは、王殺しで王となった前王を真似て王殺しをすることで王を継承する儀式、なのかな。
 つまり、運命をなぞることで運命を引き継ぐわけだ。
 物語ならそれは筋書きや構成に当たるのか。
(悪しき王=龍=バケモノ。バケモノを殺した者が新たなバケモノになるという話はこの物語の系譜。)
(ちなみに、悪しき王=龍は、悪しき女神=龍の話を引き継いだもの。)


 王の魂は、前王が死ぬことで冥府に下り、前王を殺して王となった新王の中に蘇る。
 分かりにくいなら、王を二つに分割すると良い。
 夏の王が地上に君臨している間、冬の王は冥府で休む。
 そして夏の王が冥府に下れば、冬の王は地上に上昇し、王として君臨する。
 つまり、犠牲の命と引き換えに魂を蘇らせる儀式なわけだ。

 襲名もその類だね。
 名=魂。
 名と共に魂を受け継がせ、その名は永遠に生き続ける。
 名を襲う。
 名と魂は、死して蘇る。後継者の中に。
 名前とは神聖なものなのだ。

 太古の王は祭司でもあった。
 つまり、神を模倣して神の魂を降ろす依り代。
 王であると同時に神であった。
 例えば、ミノス王は死んだ後に冥府の王として祭られたが、例にもれず蘇るわけだよ。
 歴代の王の肉体に宿って。
 王の肉体とは、神が地上で取る姿であり、つまり化身、アバターなわけだ。
 時代が下れば、神ではなく王自身が神として祀られる。
 ミノス王のように。
 つまり、歴代の王の肉体は、冥府にいる始祖王が地上に現れた姿と解釈されたわけだ。

 これをなく頃にに当て嵌めれば、歴代の王とは、ひぐらしの梨花、うみねこのヤス、キコニアの都雄だ。
 姿も性格も異なる彼らだが、本質である魂は同じ。
 物語は始まりは勢いがあり、やがてピーク達し、後は終わりへと向かう。
 そしてエンドが打たれ物語は死ぬ。
 だがその後、新たな物語として復活する。
 物語の内容を一新して。
 しかし、受け継がれるものがある。
 それは筋書きであり構成でありパターンなどである。
 それは物語の魂。
 表れた姿形が異なるだけで、本質的に同じものなのだ。


 物語とは即ち呪術であると解釈できる。
 物語には類型があり(類似の法則)、遡れば原型にあたる(感染の法則)。
 龍を退治して姫を娶るとか、自己犠牲で世界を救うとか、数千年前からの王道の物語じゃん。

“何も真似したくないと思う者は、何も生み出すことはない”
――サルバドール・ダリ


 模倣から創造は生まれる。
 読み手が物語を読むことで「感染」し、その影響を受けて新しい物語を生み出す。
 それは前の物語の魂を受け継ぐということ。
 そうやって現代まで物語の魂は受け継がれてきた。
 つまり、物語とは魂であり文化である。
 そして呪術なのだ。

 魂の継承。
 うみねこで語られていたのがこれ。
 自分の魂を誰かに引き継がせる。
 親から子へ。
 主から駒へ。
 そして執筆者から読者へ。

 主は自らの物語を駒であるベアトへ引き継がせた。
 ベアトリーチェの名と共に。
 そしてピースのようにゲーム盤から消え去った。
 その継承式に立ち会ったのが読者。
 読者の承認によって継承は承諾される。
 たとえ死しても、魂は駒であるベアトの物語に引き継がれ、その物語も読者へと引き継がれる。
 うみねこのゲーム盤は、そのために作られた魔術装置と言ったところだろう。

 読者は物語を読むことで「感染」し、チェス盤思考で自己投影の鏡写しより、自分に似たところを見つけて「共感」し、相手を自分と同じ人間であると認めることになる。
 駒であるベアトはニンゲン以下の家具だ。
 キコニア生まれでない者だ。
 それをチェス盤思考という呪術によって、家具から人間に変身した。
 これは読者の認知へ働きかける魔法。

 呪術とは、関係のない点と点を結び合わせて、存在しなかった新しい解釈を生み出すものだ。
 つまり、読者に関係のない点と点を結びつけるように仕向け、幻想を生み出すものなのだ。


 さらに言えば、関係はあるがその関係が隠された点と点を結べば真実に至る。
 チェス盤思考により、主の物語を読むに至り、人間だと認めることになる。
 これも同様。
 主は駒であるベアトに魂を引き継がせて、ゲーム盤より消えた。
 つまり、冥界に下ったのだ。
 それはたぶんゲーム盤のさらに下。
 煉獄であるゲーム盤の裏側。
 それはつまり、地獄。

 地獄の門にはこう書かれている。
「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」
 希望が捨てたから主はそれを潜ったのだ。

 さて、地獄へと消えた主の魂を見つけ蘇らせることはできるのか?
 物語は変遷を繰り返し、真実と幻想が入り混じってしまい、どんな原型かすらも知りえない。
 だとしても、にもかかわらず。
 原型の物語に辿り着き、地獄へ消えた魂を見つけ出したのなら。
 それは物語から消された地母神を復活させ、彼女の物語を真に引き継いだと言えるのではないか?

 姫を助けるまでが冒険です。
 なんてね。

 でも姫“だけ”を救い出すのは簡単なんだよ。
 王を殺せばその魂は冥界に下降し、それによって姫の魂は地上へと上昇するから。
 王の本来の役割は、生贄となって女神を救うこと。
 ゲーム盤という魔術装置を引っ繰り返せば効果が逆転する。
 真実が裏返り、これまで真実とされていたものが冥界へと落ち、冥界にあったものが真実として浮上する。

 でもそれだと運命を踏襲することになる。
 物語の型に嵌り抜け出せてない。
 その運命の袋小路から脱するのが目的なのだから。

 王の交代は、物語の舞台装置がそういう仕組みになっているから。
 王と女神を隔てる壁は、倒れれば一方を潰して地の下に葬り、もう一方を世界の王に祀り上げる。
 地の下から復活するには、壁も反対側に押し倒して相手を潰して地の下へ追いやる必要があるのだ。
 これは、常に真実が一つだから。
 真実が座ることのできる席が一つしかないから。
 つまり、常に真実が二つであれば共存可能なのだ。
 双方から壁を支え合う。
 共同統治バンザイ。

 「共感」を使って真実を認めさせようとする魔術装置。
 それには表の真実と裏の真実の二つが仕込まれていた。
 つまり、「常に真実は二つある」という主張を、ゲームを通して読者に「模倣」させることで、その主張に「共感」してもらい、価値観を「感染」させて広げようという「魔術装置」だったのだと思う。


 イナンナの冥界下り。
 潜った門の数は七。
 大罪の数も七。
 地獄の数も七。
 七つの試練を潜り抜けた先にあるのは八つ目。
 全八編の物語。
 八は末広がりで~とはひぐらしであったな。
 子孫繁栄。永遠に発展する物語。
 これも象徴か。





 ホワイダニット。
 心を推理する。
 それはミステリー。

 心に共感する。
 自分の心と似ているから、相手にも心があるのだ。
 それは呪術的な考え。
 つまりオカルト。ファンタジー。

 対立しているミステリーとファンタジーが混在している。
 これはまるで、自然と文明が対立し、でありながらどちらも世界の一部としてあるように。
 人の心はミステリーとファンタジーが混ざって一つになっているのだろうね。
 実に面白い。

 今回の心を呪術的に紐解いたことで、今まで私がやってきたのがこれだったのだと納得。
 だいぶイメージしやすくなったわ。

 思うに、ひぐらしで人か祟りか、うみねこで人か魔女かとかやったのは、ミステリー的な思考とファンタジー的な思考を同時にやって欲しいということだったのだろう。
 でもうまくいかなかった。
 ミステリー的な思考が主流だったからね。

 そういえば、うみねこで登場したオーディンは死と再生の神じゃん。
 ハロウィンも死と再生の物語。
 EP3ではベアトリーチェの名の継承があり、冥界に下って魂を蘇らせる描写もやった。
 名と魂の継承による、死と再生の物語であることは示されてるじゃんか。
 案外オカルトから考察した方がすんなりと真相に辿り着いたのかもね。
 っていうか、先代ベアトリーチェってつまり主のことじゃん。
 そういやEP3で先代がゲーム盤から取り除かれた直前って、19人目が否定されてたじゃん。
 先代ってつまり19人目のことだから、あれでゲーム盤から取り除かれたって意味だったのかな。

 まいいや、話を戻そう。
 ひぐらしやうみねこではオカルトからの考察はほぼなかったと思う。たぶん。
 でもキコニアでは、類型から点と点を繋げるという呪術的な思考が盛んになってる。
 なんか流れが来たなという感じかも。
 わからんけどね。

 しかしSFでオカルトか。
 どれだけ科学が進歩しても、人の心というオカルトからは逃れられないのかもな。


 でも思えば推理も呪術だよね。
 作中で披露される推理、あれはヒントであり踏み台なのだけど。
 その推理に影響されて型に嵌ってしまったりするんだよね。
 そうなると似たり寄ったりの推理しかできなくなる。
 型から抜け出せなくなる。
 本来なら、型から脱してその型を踏み台にして一つ上の推理に到達しなければならないのに。

 自分で推理する前に、人の推理を当てにするのもまずい。
 いや、真似びは学びで、模倣はその力を得る近道なのだけどね。
 それって呪術だから。
 型に嵌るんだよ。

 特に全体的に推理しているものはやばい。
 あれは一編の物語のようなものだから。
 その物語に影響を受け、その物語を受け継いでしまう。
 そうなれば、どれだけ付け足しても、アレンジしても、型からは抜け出せない。
 子は親に似るんだよ。

 そして皆挙って同じ推理を参考にすれば、同じ型の推理が量産されるわけだ。
 呪われとる。
 感染力の高いインフルエンサーかな。
 呪術師の適性が高いのかもね。


 で、この型から抜け出せないという悩みは、駒の主である神もなのだろうね。
 曰く、運命の袋小路、だもん。
 子だけでも重力から抜け出して、空の彼方まで飛んで欲しいとか願っているんだもん。
 どうにかしたいよなぁ。
 やはり型を踏み台に一段昇るしかないんだろうなぁ。

 キコニアはつまり、物語を王に見立てた王殺しの話。
 ゲーム盤上のキングを殺したものが次代の王となり、物語を引き継ぐ。
 真実の王が消えても、物語は平然と続いていくのだ。
 なら真実なんて必要ないんじゃないか、っていうのはうみねこでもうやった。
 だからキコニアではその先が描かれると信じている。


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  1. 2020/04/04(土) 20:31:09|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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