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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


真実の魔女の悪意

 “古戸ヱリカ”は“探偵”という設定。

 第4のゲームまでは、アンチファンタジーvsファンタジーなので、“ベアトリーチェ”という“魔女幻想”で自らの姿を覆い隠していたが、第5のゲームからはミステリーvsアンチミステリー。
 “古戸ヱリカ”という、仮に名付けるなら“探偵幻想”とでも言うべきもので自らの姿を隠している。
 真里亞が薔薇庭園で出会ったのはベアトではなくヱリカなのも、その配役ゆえである。

 登場にあたり、“プレジャーボートより転落、奇跡的に六軒島に流れ着いた”という設定を使用。
 源次に命じて、外と連絡を取って身元を確認した、と嘘を付かせて幻想を信じさせればいいだけの簡単な魔法。

 ヱリカは“探偵権限”を持っていて、自由に捜査ができるという設定。
 “これまで解決してきた事件”を語って聞かせ、“探偵”だと信じさせることにより、素人が事件を捜査するよりも玄人に任せるべきであるという幻想を作り上げた結果手に入れたもの。
 “探偵幻想”で現実を侵食することにより、“探偵”として振舞うことができる自由を手にしたのだ。

(ちなみに、“探偵”を“魔女”に置き換えれば、“魔女幻想”の出来上がり。
 魔女を信じるニンゲンの前にベアトの姿で現れれば、“魔女”として振舞う自由を手に入れられる。
 姿を現しても、それは“18人目のX”ではないのだ)

 “ヱリカ”は“探偵”として行動することで、ゲーム盤に謎を作り上げる役。



 さて、ここからヱリカの動機について。
 正確には、“ヱリカ”を演じた者の動機なのだが。
 お待たせしたのか、しなていないのかは解らないが、ここからは“悲しみ”に替わって“怒り”の時間だ。
 覚悟はいいだろうか。


 “ヱリカ”を演じていた“18人目”は“19年前の男”である。
 だから、第5のゲームにおいて夏妃が“19年前の男”の復讐であると己の罪を懺悔していた時、その目の前に“19年前の男”がいたことになる。
 これほど滑稽なことがあるだろうか。いいや、ない。

 夏妃を告発し、犯人であるという濡れ衣を着せた張本人。
 なのに、そいつが“19年前の男”だとは解らない。
 何故なら“ヱリカ”は女だからだ。使っている“体”も間違いないく女。
 なら何故に、そんな勘違いが起こったのか。

 それは19年前の赤子を、金蔵が言うがまま「男」だと信じたからだ。
 そしてそのまま育てることを拒否して、性別を確認すらしなかったからだ。
 己の苦しみしか見ず、憎しみだけでしか赤子を見ず、その赤子がどこの誰かであるかなどどうでもよかったからだ。
 だから簡単に魔法に掛かる。
 愛がないから真実が視えない。

 夏妃が犯人であるという結論、そんな幻想を信じる者たちも同様だ。
 愛がないから真実が視えない。だからそんなに簡単に魔法に掛かる。


『未来に冤罪が証明された時。
 その時こそ、この物語は遡って書き換えられるだろう……。
 ……私は、思う。
 真実など、儚い。
 死ぬまで良き人であったとしても。
 死後に心無い誰かが、私が良き人ではなかったと一言、記録書に書き記し、それを人々が共有すれば。
 ……私が生涯、良心を貫いたことさえ、易々と塗り替えられてしまうのだから。
 だから、私は思う。
 未来永劫、良き人として生きないと……。』



 右代宮家の連中の思考の中で弄ばれる“私”は、右代宮家の“家具”に過ぎない。
 一人分の魂を持った人間として扱われていない。

 猫箱は無限の解釈を許す。
 無限の幻想が、無限に真実を殺す。
 本当の姿も心も、放置されて忘れ去られ、或いは幻想に塗り潰され、その果てに存在しなかったことにされる。
 忘却の深淵。そんな地獄に“私”はいた。

 どうでもいいからと、思考停止する。
 考えても解らないからと、思考停止する。
 主の命だからと、思考停止する。
 魔女の仕業に違いないからと、思考停止する。
 きっとこの中に犯人がいるに決まっているからと、思考停止する。
 相応しい犯人が見つかったからと、思考停止する。

 ニンゲンの思考停止が“私”を殺す。
 だから“私”は思考停止が嫌いだ。
 だから“私”は思考を止めない。

 考えて、考えて、考えて、証拠を積み重ねて、赤き真実に昇華されるまで延々と。
 そこまで昇華させたから、“私”が作り出したゲーム盤の“駒”は現実の人物と変わらない動きをする。
 そこには現実という真実だけがあり、それゆえに残酷で救いがない。
 その真実に耐えたからこそ、真実の魔女なのだ。

 考えるゆえの魔女。
 “私”は右代宮家の連中の真の姿を知っている。
 苦しみも喜びも、何を愛し、何を望んでいるのかも。
 そして、真実など何も見ていないことも。
 自身の真実に拘泥し、他者の真実など省みない。
 そんなニンゲンなのだと。

 そして、考えぬニンゲンたちは“私”を殺す。
 地獄という密室に永遠に閉じ込めて、本当の“私”を滅ぼす。
 悪戯という形で“私”という謎を提示しても、決して思考しない、推理しない。幻想を信じ、真実から目を逸らす。
 何度も何度も何度も。
 手を変え品を変え、幾度繰り返そうとも。
 1986年の10月4日に至るその時まで、何も思考しなかったから訪れた今日。

 だから“私”は良い人にはならないと決めた。
 本当の真実に背を向けて、偽りの真実を構築しよう。
 本当の真実など、誰も必要としていないのだ。
 そんなに要らないのなら“私”が奪ってやろう。
 そんなに幻想が視たいのなら見せてやろう。
 幻想に惑い、真実を求めて得られぬ渇きの中で、もがいて死ね。

 傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲。
 罪に囚われ、目を曇らせた愚かなニンゲンを、七つの大罪の杭を以って、その罪を赦そう。
 そして、罪も真実も、全てを猫箱に閉じ込め、全てを滅ぼそう。
 誰も逃がさないし、逃げられない。

『真実を語れぬ、嘘吐きニンゲンどもめッ!! 赤き真実なきニンゲンに、愛も心も真実も語る資格なんてないんです!』

 猫箱は無限の解釈を許す。
 無限の幻想が、無限に真実を殺す。
 本当の姿も心も、放置されて忘れ去られ、或いは幻想に塗り潰され、その果てに存在しなかったことにされる。
 そんな地獄にお前たちも落としてやる。
 “私”がそうされたように、今度はお前たちが地獄に落ちる番だ。

 そうしてやっと“私”は、弄ばれる側から、弄ぶ側に回ることができるのだ。

 “私”の魂を無限に分かち、その数だけ殺す。
 それを黄金の魔法で過程を修飾し、同じ数だけ殺す。
 さらに魔女の語る魔法説で、同じ数だけ殺す。

 “私”が作り出した真実だけでは足りない。
 真実は観測する者の数だけ存在する。
 だから――――

 絵羽犯人説で、戦人犯人説で、遺産争いで、恋愛の縺れで、魔法の儀式で、医者の検死は嘘で、探偵が犯人で、犠牲者が犯人で、全員共犯で、登場していない人物がいて、秘密の通路があって、秘密の装置があれやこれや。
 親が子を、子が親を、恋人を、想い人を、伴侶を。誰もが犠牲者で、誰もが犯人。納得できるならどんな動機でも構わない。
 そうやって、観劇の魔女の数だけ殺す。

 幾度でも何度でも、無限に、永遠に、全てが滅びるまで、絶対の意志で。



 この地獄は、第8のゲームにおける、山羊たちによる黄金郷崩壊の図そのものだ。
 それこそが“怒り”が望んだこと。
 しかし、それを見て“悲しみ”は悲しんでいることだろう。
 そして、全てを蘇らせて…と願う。


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  1. 2014/01/12(日) 03:45:09|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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