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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


【キコニア】死と再生の物語

 本日二投目。

 キコニアの考察も大分出来てきて、頭も回らなくなってきたので、なんかねーかなと思って、キコニアはどんな物語の類型に当て嵌まるだろうかと考えてみたら、死と再生の神話に当て嵌まるんじゃないかと思ったんでちょっとやってみようと思う。
 ま、かなりテキトーにだけど。
 そもそも物語の類型を語れるほど詳しくないし。



 キコニアはヨハネの黙示録に見立てられているなら、それは古い天地が滅びて新しい天地がやってくるという、世界の滅びと再生の物語であることだろう。
 思えば「ひぐらし」も「うみねこ」も世界の滅びと再生を扱っていた。
 主人公にとっての“世界”が滅び、再び“世界”が蘇る。
 要するにループだね。
 それは世界の滅びと再生の物語であると同時に、主人公の死と再生の物語である。


 死と再生の神話において中心となるのは、地母神などの女神。
 大地とは世界。
 命を生み出すものであり、命を奪うものでもある。
 豊穣の神であると同時に冥界の神でもある。
 うみねこの分類においては、彼女は一人で世界を生み出すことのできる“造物主”である。

 母神とセットで描かれるのは子供の神。
 女神の子にして従者にして伴侶にして英雄。
 女神より生まれ育まれ、やがて殺されて食われる。
 そして再び生み出される。
 女神の創造の力を示す証であり、女神の力が衰えた時に活力を取り戻させるための生贄でもある。
 世界=女神を救うために英雄である彼は生まれてくる。
 彼は収穫される穂であり、土の中で眠る種であり、再び芽吹いて実る穂である。
 彼は女神の手で平和の中で育てられ、やがて未知なる危険が潜む冥界へと冒険に出かけ、女神の裏の顔である冥界の神によって屠られる。
 そしてまた母である女神の手元に戻る。



 これをなく頃にに当て嵌めると、母神は執筆者、子供である少年神はキャラクター、ヒーロー(主人公)となる。
 つまり、主と駒だね。
 執筆者は物語の中に主人公を生み出し、それを育む。
 ひぐらしにおける日常から非日常への転落は、少年神の地上から冥界への下降を表すのだろう。
 それは主人公を屠り、新たな物語を生み出す活力を得るため。
 蘇らせるためには殺さなくてはならないのだ。
 それは繰り返される永遠の運命。

 女神は命を生み育む豊穣の神であると同時に、命を必ず奪う冥界の神でもある。
 そしてその輪廻に人を束縛する運命の神でもある。
 決して逃がしはしないのだね。



 やがて時代が下ると少年神はその神話より逃れ、王となる。
 母権社会から父権社会への過渡期。
 王と女王の共同統治。
 女王が王を選び、その王が政治を行う。
 つまり、王が世界に秩序を齎す時代。
 冥界へ下った英雄は、女神の別たれた一面である冥界の神、即ち龍を退治して宝を得て地上に戻る。
 そして別たれた女神の一面である豊穣の神、即ち姫あるいは巫女を助け出して娶り王となる。
 王として世界に秩序を取り戻した彼はやがて老い、世界に綻びが生じる。
 その時、王の後継者(王の子)が立ち、王を打倒し生贄としてささげ、前王の妻である女王を娶り次代の王となる。
 あるいは、現王が後継者を打倒し、自分の身代わりとして生贄に捧げ、再び王の座に就く。
 王は世界を背負っている。
 つまり、世界が狂えばそれは王の罪。
 王は死して世界の罪を払い、王が復活することで世界を救う。
 救世主の原型だね。
 そして彼は文化英雄でもある。
 人類に新しい文化を齎し、旧弊を破壊して世界を刷新する。

 さらにはこの王の制度、王を倒せば王に成れるから、他国の王が自国の王を倒しても、自国の民は他国の王を自国の王として歓迎するんだよね。


 子が母から権を奪い至高の座に就くというのは、キコニアの神の計画に重なる。
 現王と次王の争いは、無限に生み出された物語たちによる主人公大戦的な感じだね。
 王同士は殺し合う運命にある。
 自らの文化、即ち自らの物語にて世界を刷新するために。
 これがキコニアにおける文化の押し付け合いだな。

 英雄の役に読者を当て嵌めれば、女神は執筆者、その女神の別たれた側面である龍と姫はそれぞれ並び立つ真実が当て嵌まる。
 即ち、打倒される龍は執筆者の物語、娶られる姫はヒロイン(主人公の物語)となる。
 これがうみねこでやろうとしたこと。
 そして龍と姫は今は別人として成り立っているけど、起源を遡れば同一人物という。
 文化英雄、つまり読者がやっていることは、女神の二つの面を分かち、良き面だけを享受しようとすることなんだよね。

 母から権を奪い取り、栄光の座に就きながら、苦しみの輪廻から逃れられず、のみならずそれを引き継いでしまっている。
 この苦しみの連環が、ひぐらしで描かれていた押し付け合わずにはいられない罪。
 これがなく頃ににおける原罪。
 これは母神が物語の原型ゆえのことだろう。
 だからこそ母神を完全に除き、王の単独統治するというのが、神の計画なのだろうが。




 ちょっと整理しよう。

 地母神はいわゆるグレートマザー。
 一人で命を生み出せる完全なるもの。
 世界そのものであり、全てを受け入れ内包する、未分化の混沌。
 処女にして多産、命を生み育む豊穣の神であると同時に、命を奪い去る冥界の神でもある。
 子を産み育てる母であると同時に、その子を圧し潰す母でもある。
 つまり、善き母であると同時に、悪しき母でもある。
 後世、その二つの面は分けられ別の存在にされるが、本来は合わせて同じ存在。
 彼女の手によって全ては生まれ、死に、再び生まれる。
 輪廻転生、誰も逃さぬ悲しみの輪という運命を生み出した。
 安全で平穏な既知の領域である地上と、危険な未知の領域である冥界などの異界を支配する。
 異界とは即ち、人の手が届かない自然である。

 王はいわゆる文化英雄。
 元は地母神が命を産むための補助として生み出された伴侶であり、彼女の世界を救うための生贄。
 育ち切れずに死ぬ子供であり、死しても再び蘇る運命を与えられている。
 その母の手より自立しようと成長した姿が王。
 母の手で安全な場所で育てられ、成長すれば危険な異界へと冒険に出かけ、母の別側面である龍を退治し、さらに母の別側面である姫を娶り王となる。
 つまり、簒奪者あるいは継承者。
 龍は荒ぶる自然を表し、それを打ち倒す英雄は自然を切り拓き人類に文明を齎す者であり、地を治め世界に秩序を取り戻す王である。
 そして、旧世界の悪弊を一掃し、新世界を切り拓く救世主でもある。
 しかし、世界が乱れたら生贄として殺される運命は変わらず、その運命を逃れるために自分の身代わりを殺さなければならない。
 つまり、運命の逃亡者。
 彼は世界が乱れた時に現れて世界を救う救世主。
 世界とはつまり、彼の母である地母神のことである。
 それが彼の本来の役割。


 見事、私の考察した神と神の子に当て嵌るな。

 地母神は造物主。即ち神。
 ゲーム盤に置かれた全ての駒を生み出し、その運命を支配している。
 未分化の混沌を分化させて生まれたのが駒であり、その駒たちに秩序を敷くのが文化英雄である神の子。
 神の子は、神の創造を補助する役割を持つ。
 ゲームの盤上が乱れた時、神の子は生贄として殺され、ゲーム盤が一新される。
 分かりやすい例は、ひぐらしの梨花の死。

 神は世界であり、神の子は文化である。
 世界とは自然であり、自然と文化は対立している。
 キコニアで描かれているのはこれ。
 しかし、分かたれ対立する自然と文化も、世界を構成する一部なのである。

 神は物語を食らい生き延びるバケモノ。
 世界の延命のために子を食らう。
 そしてゲームは永遠に繰り返される。

 神の子は自身の生存という目的を与えられた駒。
 運命の逃亡者。
 猫を食らい生き延びる道を教えられた猫。
 物語を殺す物語。
 王の中の王。
 勝利の上になお勝利を得ようとする者。
 死して蘇る救世主。

 そんな相克する二者が生存を賭けて争っている。
 そこに招かれたのが第三者である読者。
 これまでの物語を模倣し、新たな王の後継者という立場から物語をなぞる。
 その結末では、またもや運命を繰り返し誰かを生贄にするのか、それともその運命を断ち切ることができるのか。

 みたいな感じかな。


 地母神の神話は物語の原型で、二者だけで物語が成立する。
 もっと言えば、二者だけで世界が完結する。

 母の手で育てられた子は安全な日常から離れて冒険に出かける。
 非日常、危険な異界へと分け入った子は、自然の化身である母なる龍に食われ、再び地上に生み出され、母の下に帰る。
 あるいは、母なる龍を打ち倒し、母を娶って地上に戻り王となる。

 これは子が主体の話。
 母が主体だとこういう話になる。

 子を育てた母は、ある日子を冒険に出かけさせる。
 冒険する子の先回りをし、バケモノに扮して子を脅かす。
 逃げ出した子は家へと帰りつき母に抱かれ、めでたしめでたし。
 あるいは、子がバケモノを倒してその腹の中から母を救い出し、めでたしめでたし。

 まさに自作自演。
 子は母の掌で踊っていただけ。
 それを冒険と称していたのだ。
 子から冒険の話を聞いた母は、子を誉めるのか、それとも窘めるのか。
 これは子に成長を促すための成長譚なのか。
 それとも子の成長を阻み家に縛り付けるための恐怖譚なのか。
 解釈は分かれるところ。
 ま、どちらにせよ子を甘やかすのには変わりない。
 母の下に帰るということは、まだ母を必要としているということなのだから。
 本当に自立すれば、母の下には戻らないのだから。

 その物語を発展させ、色々な役割の駒を作り、無限の物語が生まれたわけだ。
 うみねこの二者から世界が生まれ無限の物語を紡いでいるのに重なるな。
 


 もう少し話を続けるか。

 次代は母権社会から女王と王の共同統治へ、そして完全なる父権社会へと移行する。
 死の運命を免れた子は、成長して大人となり、そして老人となる。
 成長しない子供から王、そして賢者へ。
 絶対神へと成長した少年神は、完全なるものとなり、一人で命を生み出せるようになる。
 ギリシャ神話のゼウスのように。


 ゼウスが現れる前は違った。
 ゼウスの祖父ウーラノスは天空の神で、大地の女神であるガイアの子であり夫で、妻であるガイアによって神々の王に任ぜられた。
 で、ウーラノスとガイアの子であるクロノスは、母であるガイアに命じられて父を倒し次代の王となる。
 王となったクロノスは、同じように自らの子に殺されることを予言される。
 その預言を阻止するためにクロノスは我が子たちを飲み込んでしまう。
 末子であるゼウスのみがそれを逃れ、クロノスに飲まれた兄弟たちを救い、父クロノスを打ち倒して神々の王となった。

 この時、末子だったゼウスが神々の王となったのは、兄弟たちが吐き出され再び生み出された、つまり兄弟の順が逆転したからだという説がある。
 そうであるならば、クロノスが我が子を飲み込み吐き出した行為は、子を食らい再び生み出す地母神である妻ガイアの創造と破壊の権能の模倣をしていたのかもしれない。
 つまり、権の簒奪。
 妻より権を奪い、自らの死の運命を免れようとしたクロノスは、子であるゼウスに打ち倒されるが、その業績は子であるゼウスによって引き継がれ完成するのだ。

 父クロノスを打ち倒したゼウスもまた同じ予言をされる。
 最初の妻であるメーティスとの間に生まれる子供によって倒されるだろうと。
 それを阻むため、ゼウスは妊娠したメーティスを飲み込んでしまった。
 やがて激しい頭痛がするようになったゼウスは、自らの頭を割らせた。
 するとそこからアテーナ―が生まれた。

 これはゼウスが一人で命を生み出せるようになったことを示す。
 さらには、母であり妻であった女神を、娘として従えるようになったことも示す。
 こうして予言を逃れたゼウスは王として君臨し続けるのである。


 死の運命より逃れ成長しきった少年神は、零落した母神を打ち倒して権能を奪い取り、絶対神として君臨する。
 命を生み出すのにもはや母神を必要とせず、数多の愛人との間に子を儲ける。
 愛人とはつまり読者で、子とはその間にできた物語。
 物語である子は、長じて王となり氏族の始祖となり、子孫に物語として受け継がれていくのだ。
 幾度王が代わり物語が刷新しようとも、始祖王は変わらず存在し、祀られる祖神である男神も変わらず存在し続ける。
 だがしかし、その物語にもはや母神は存在しないのだ。

 唯一神の物語はまさにそれ。
 母と子の物語は父と子の物語に取って代わられ、脇役である聖母にその名残を残すだけ。

 これが神の計画が成就した後の世界なのだろう。





 物語の原型(アーキタイプ)は、物語にとっての基礎で土台。
 その上に色々と積み上げていって物語は出来上がるのだ。
 となると、その基礎がしっかりしていなければ、その上に積み上げるものがぐらついてしまう。
 つまり、塔を高く積み上げようとするなら、土台をしっかりしなければならない。

 これは物語の書き手側だけではなく、物語の読み手、考察者側もそう。
 推理や考察を積み上げるなら、基礎となる物語の原型のイメージをしっかり固めることが重要なんじゃないかと、今回この考察をしていて思った。


 なく頃にの死と再生の物語は、物語の舞台が表の地上と裏の地下の二面があり、舞台を引っ繰り返すことで表と裏が入れ替わる構造となっている。
 日常と非日常が入れ替わり、真実と幻想が入れ替わり、表と裏の主人公が入れ替わる。
 それを繰り返すことで舞台は輪廻転生し、同じようで違う舞台、違うようで同じ舞台が繰り広げられる。
 先の物語を継承する形で生み出される物語。
 そうして物語の継承を繰り返す、永遠の物語。

 その根本は、自己犠牲によって相方を生き返らせようとする願いがあるのだろう。
 死を悲しみ、その魂が失われるのを嘆き、ならばその魂を引き継ぎ舞台の上へと蘇らせようと足掻いている。
 すでに死んでいる物語を、さもまだ生きていると修飾し、永遠に延命を繰り返している。

 繰り返される運命は円環を描き、永遠となる。
 しかしその円環は、全てを内に閉じ込める牢獄でもある。
 生と死が混じり合う猫箱という名の永遠の牢獄。

 オルフェウスは妻を取り戻しに冥界に下り、二人で共に地上へ戻ろうとした。
 そして振り返り全てを失った。

 だが“右代宮の鷹は振り返らない”のだ。
 その言葉に全てが詰まっているのだと私は思う。


 土台のイメージが固まってきたな。


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  1. 2020/03/28(土) 21:57:23|
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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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