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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


【キコニア】先回りするジェイデン/代わりのいる王

 前にジェイデンは良く訓練された読者のメタファーと書いたが、これはその続き。


 物語の最後でジェイデンが意外な形で現れたが、あれは次回予告のようなものだろう。
 良く訓練された読者的には、あれはどういうことだろうかと考えてみた。

 あれは都雄の望みを先回りをしていることを表していると思う。
 都雄は物語の主人公。
 その主人公が行く先が物語が辿る道。
 それを先回りするということはつまり、物語の先読みに当たると思う。

 うみねこにおいては、運命を掌に収める。
 バケウソにおいては、先行体験。
 そう表現されることをジェイデンはやっている。

 そしてジェイデン=良く訓練された読者なのだから、これは今回のゲームで読者に求めるものの提示と考えるべきだろう。
 要するに、Phase1で公開された情報だけでその先の物語を先回りしろ、ということ。


 誰が、何を望み、この世界でどうやってそれを叶えようとしているのか?

 まず望みがあり、現実はその後を追う。
 それが絶対の先行体験。
 それに対抗するにはこちらも先行体験で臨むしかない。
 要は、相手の計画を読み勝てば良い。

 持っていないものを語る王者の傲慢が必要だってことだね。


 んー、例えるなら、一を聞いて十を知るゲーム。
 一だけ提示されて十まで辿り着けるのか。
 思考の先回りが出来るのかという。

 実際は十までがっちり組まれているから、思考の後追いなのだが、まあ十が開示されるまでに十まで辿り着けば勝ちというか。
 いや、最後は両者の合意となるだろうから、どちらが勝ちというのはなく、どちらも勝ちという形になると思うが。


 そうなるとうみねことは大分違うゲームになるな。
 私個人の感覚だとうみねこは、一段ずつしっかり足場を組むことで一段ずつ登っていく感じ。
 段階的にステージを上げて行って、最終的には造物主の視点まで登らせようとするゲームだった。
 まあ、登れる人用と登れない人用のルートに分かれていたけど。

 なく頃にのゲームは基本、仮説の上に仮説を積み重ねていくスタイル。
 仮説という脆い足場の上にさらに仮説を構築し、塔の如く推理を築かなくてはならない。
 咲で言うところの徹底的に削り出して至った推理。
 推理という塔は、高く積み上げれば積み上げるほど倒れた時のリスクが高まる。

 だからうみねこでは一段ずつ足場を「確定」させながら登るスタイルだった。
 仮定の上に過程を積み上げるからこそ、土台となる仮定をしっかり固める必要があるのだ。

 しかしキコニアでは一だけを提示して十まで至れと求められる。
 重要なのは十つまり完成図で、仮定に仮定を重ねたぐらつく足場など後から整えれば良いと言わんばかり。
 つまり、まずは目的の特定、手段は後から着いてくる、という思想。


 んー、どう説明しようか。
 普通は、何かが起こり、それを認識し、そこから何かを思考し、そして行動に反映する、という段階を踏むわけだが。
 何か起こってから対応したのでは後手に回ってしまう。
 要するに事前の準備で決まる。
 藤治郎曰く、始まった時には終わっているのだ。

 誰かが何かを望み、そこに至るまでを思考した。
 それが神の計画であり預言。
 黙示録の見立てはそこに至るための手順でしかない。

 要するに、行動の前に思考が先にある。
 夢を現実にするためには、まずは夢を思い描く必要がある。
 誰かが望んだから、それが世界に反映されるわけだ。

 その反映するための初手、牽制のジャブがPhase1。
 それだけに全身全霊で対応してしまうのはまずい。
 相対すべきは、行動する前に終えた思考。
 相手の思い描いた夢と戦うのだ。

 将棋に例えると、Phase1は初手。
 その時点で相手はもう終盤までを思い描いている。
 それに対して一手先を読んで対応しても後手に回るだけ。
 初手を見て、相手がどういう完成図を思い描いているかを読まなければ対応できないわけだ。
 戦略なき戦闘に何の意味が?
 勝つことが重要なのではない、勝ち方が重要なのだ。
 戦いをどう決着させるかが重要なのであって、それに比べればそこに至るまでの戦闘は些末なこと。
 戦いは確固たる戦略の下に行われるべきなのだ。

 つまり、真っ先にやるべきはホワイダニット。
 黒幕は何を望んでいるのか。



 同じ記事内で何度も同じこと繰り返し言ってるな私。
 ま、それだけ重要だと言うことで。





 では相手は何を望んでいるのかだけど。
 私の考えは、これも他の記事で何度も言っているけど、“人間を生み出すこと”に変わりはないのだけど。
 もう一度最初からやってみようと思う。



 Phase1は全体的に、子供と大人、若者と老人という対比が多い。
 多いということは、これについて考えてくれということ。

 老人が若者を搾取するという分かり易い構図。
 では老人が悪で、それを倒せば解決なのか。

 ま、否だね。
 そんな分かり易いわけがない。


 考えなしの欲の突っ張ったモブとは異なり、しっかり自分の考えを持つ大人や老人は、自分の欲というものが少ない。
 自分の利益を度外視しているとしか思えない。
 人類の未来を考えているが、その未来を生きる人類に自分を数えていない。
 生き残るべきは未来ある若者だと考えている。

 この時点で自分の利益のための搾取というのは否定される。
 搾取自体は事実だけど、それは自分のためとは思えない。
 さらには、若者に人類の限りあるリソースをふんだんに投資されているのも事実。

 そこには若者への愛が見えないか。
 まぁ、一方的な愛なんだけど。

 なぜ厳しく育てるのか。
 それは自分たちがいなくなった後も立派に生きて行けるように。

 他の作品だけど、『四月は君の嘘』の主人公の母親みたいな感じ。
 あれが分かり易いと思う。


 そう、老人たちは自分の命を勘定に入れていない。
 自分たちが滅びることを前提としている。
 自分たちのことは諦めている。

 未来を作るのは若者で、生き残るべきは若者で。
 老人である自分は死ぬべき。
 自分たちの願いは子供に託す。
 そして若者が乗り越える壁として立ちはだかる。
 打ち倒され、踏み越えられるために。


 老人に対する愛があればこのくらいは視える。


 ホント老人たちの願いはクソ。
 極限状態だからこそ理解される類。
 でもそれに気付かない若者はもっとクソ。

 若者視点のみでいくら考えても答えに辿り着けるわけないよ。
 うみねこでチェス盤思考を習ったじゃないか。
 まずは相手の立場に立って考える。

 親がこんな酷いことをしたんだよ~と言うなら、まずは親の立場になって考えるべきだな。
 ま、子供にはそんな考えはできないのだが。
 人間、自分の立場からしか考えられないから。
 私もそうだし。
 他人事だから俯瞰的に見えるわけで。

 つまり、まずは老人の立場から愛ある視点で視るべし、ということかな。



 論を進めよう。

 若者や老人で一括りにしたけど。
 生き残るべき若者は、一番生きる力のある若者。
 つまり、特別な、一等な若者。
 であるなら、それを望む老人も、特別な、一等な老人であるのではなかろうか。

 最も長生きの老人は、神。
 神がそれを望んでいる。
 そう考えられる。

 要するに、神=世界の全てを消費して一人の人間を生み出そうという計画。
 己の死を前提、滅びを前提としている。


 チェスというゲームは、キングを取られれば負け。
 だから、キング以外の駒をいくら犠牲にしてでもキングさえ守り切れば勝ち。
 心をなくして論理のみで考えれば当然のこと。
 これは作中で提示された。
 世界を生み出し支える神は、言うなればキング。
 それを取られたら世界は終わる。

 にも拘わらず、キングを犠牲にして他の駒を守ろうとする。
 これは狂人の発想。
 誰もそんなの考えない。
 極度の天邪鬼が気紛れで極僅かな確率でするかもしれない程度。
 だからこれを防ぐことなど誰にもできはしない。
 負けるが勝ちという発想だもの。

 だが、ありえないということはありえない。
 何を犠牲にしてもキングを守ると提示されたからこそ、これはありなのだ。
 ただ犠牲が積み重なるのを見るしかないキングが何を思うのか。
 Phase1のサブタイトルは“代わりのいる君たちへ”。
 それを考えれば、これはありなのだ。
 このゲームは心を推理するゲームなのだから。
 情が全ての計算を崩す。
 情が絡めば人間どんな矛盾したことだってやるからね。
 ゲームで心があるかないかの差は大きい。
 心があるから人間はそれをやるのだ。

 キングを守るために他の駒が犠牲となるのは、駒の価値がそうであるがゆえのこと。
 その価値観を壊せばゲームがチェンジする。
 最上の価値の駒を最低の価値に貶める。
 これでキングを犠牲とするゲームの出来上がり。
 そしてキングの次に価値があった駒であるクイーンがキングに成り代わる。
 即ちゲームチェンジャー。

 この価値観については小此木が代弁してくれている。

「あのガキどもは、最前線で命をやり取りをしてんだぞッ!! いいか、一番偉くて誇り高いのは最前線なんだッ!! 埃ひとつ付かねぇお綺麗なモニタールームで威張ってるヤツらに、あのガキどもを見下す資格はねええぇ!!! 何がeスポーツのゲーム部隊だ?! やり取りする命の重さがわからねぇテメェらの方がよっぽどゲーム脳じゃねぇか、この野郎ォオオォ!!!」

 犠牲となる駒たちが一番偉くて誇り高く、その後ろに守られているだけのキングや高みから見下ろしているプレイヤーはそれ以下なのだと。
 キングやプレイヤーがその価値観に染まればゲーム崩壊待ったなし。

 でもさ。犠牲となるキングはさ。
 他の駒たちのために戦ったということじゃないのかな。
 人類のために戦う神って普通はいないよ。
 だから価値がないなんて言わないで欲しい。



 さて、キングがいなくなればもう他の駒は犠牲にならなくて良い、って理屈じゃそうだけどさ。
 これは押し付けられた平和で、押し付けられた幸せ。
 駒の幸せは駒の役割を果たすこと。
 そうなのだとしたら、これはその幸せを否定するものだ。

 守るべき自軍のキングを、敵軍のキングとして討ち取り、勝ったから喜べと言われる。
 そんなの喜べるわけがない。
 自軍のクイーンがキングを継承し、その許で一つに纏まり、もう束縛する神はいないから自由に生きろと言う。
 そんな自由が幸せなのか。

 王の継承については、三人の王がすでに語っている。
 王こそ代わりがいるのだというのが王の考え。

 神のいない世界は、ひぐらしの賽殺し編が詳しいか。
 神である羽入がおらず、世界に満ちていた神の愛がなくなっている。
 平和なんだけど無味乾燥なんだよね。
 そんな神のいない世界よりも、神のいる世界を選ぶ。
 それが子供の選んだ幸せ。
 親と一緒にいたいと望むのが子だろう。

 大人の理屈に対して、我儘を言えるのが子供の特権。
 理屈じゃない、心を蔑ろにするなってだけ。
 幸せの形は二人で話し合って決めるべきなんだよね。

 内のことは内で決める。
 外が決めることではない。
 子供の幸せは子供本人が決める。
 その心を蔑ろにしてはならない。

 そしてそれは大人の心も同じ。
 心は理屈で抑えることなどできない。
 大人も自身の本心を蔑ろにしてはならない。

 その心は小此木が表しているのかな。
 TIPSには、“ひょっとしたら小此木にも空を飛べる日が訪れるかも……”とある。
 大人も空を飛びたいと思っているんだよ。
 藤治郎もそれだよね。
 その夢を諦めた。
 だから子供に夢を託した。
 つまり、本心では諦めたくはないのだ。

 叶えられるなら自分で叶えるのが筋。
 託すのはそれが絶たれた時でいい。
 他の道があるなら諦めてもいい、でも袋小路で諦めたら死を意味する。
 だから決して諦めてはならない。
 しかしその先の道を作るために、願いを託すというのはわかる。
 でもそれは、託された者がひとり取り残される道でもある。
 これまで二人三脚で来たのだから、この先も二人三脚で行くのが理想だろう。

 大人でも老人でも夢を叶えたっていい。
 だからその日が訪れてもいいように、ちゃんと目を開いていないと。
 そしてその日が訪れたら、心の赴くままに飛べばいい。
 子供と一緒にね。





 キコニアでは大人の活躍が見れそうで楽しみ。
 子供の活躍が大好物の大人がいたから、他のなく頃にでは大人の活躍が抑え気味なところがあったからなぁ。
 でもキコニアでは、子供と大人、若者と老人という世界を二分する存在を明確に打ち出しているわけで。
 つまりはそういうことだよね。

 やはり選択は内でなされるのだな。
 うみねこでは読者に選択を委ねた。
 でもキコニアではその選択を外だけに委ねることはしないだろう。
 たぶんきっと。
 私はその選択する姿を見たいなぁ。

 読者に出来るのは、出来るだけ心に寄り添うことと、こういう未来が良いんじゃねという提示と、内から手を伸ばされた時にその手をちゃんと掴み取ることだけ。





 で、うみねことキコニアの違いだけど。
 うみねこは、小さな戦場から始まり、叩き上げで出世して少しずつ規模の大きい戦いを経験して、最終的に戦略規模の広い視野を獲得するゲーム。
 キコニアは、その広い視野を前提として、確固たる戦略の下に戦うゲーム。
 こんな感じだね。
 やはり上級者向け。


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  1. 2020/03/14(土) 20:29:40|
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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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