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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


【キコニア】先取された後悔

 青い都雄についての考察が大分固まってきたので、それについてやろうと思う。

 青い都雄の語る預言。
 これは未来から過去へ向けた言葉なのか。
 それとも一巡前の世界の出来事なのか。
 あるいは計画か妄想か。
 それによって青い都雄の立ち位置は変わる。

 私は前回でそれが固まった。
 神の計画は、絶対の執行を約束する先取された未来の先行体験。
 その緻密なシミュレートの結果生じた、疑似的な未来の都雄であると。
 根拠としては。


「嫌だよ、絶対に変えないよ。だって、僕は君なんだから。君たちの中の、新しい1人なんだよ」


 この“君たちの中の、新しい1人”という部分。
 過去の都雄だったら、“新しい”にはならないだろう。
 新しく追加される存在で、なおかつ未来の預言を持ち得る者として、バケウソの先行体験を当て嵌めてみたわけだ。

 計画するとは、シミュレートすると同義。
 A3Wがワールドシミュレーターなら、それを演算し支えているのが神。
 その神が、A3Wで神の計画を実行する前に、その計画をシミュレートした。
 それが絶対の執行を約束する先取された未来の先行体験。
 即ち約束された絶対の運命。

 絶対に現実化するほどに現実性の高いシミュレートなので、むろん人格も完璧にシミュレートしている。
 つまり、神即ち“父”ミャオを殺して、神の主人格となって一人残された都雄の人格も。
 神の全知より導き出された運命は絶対であるが、それは全知であるが故のもの。
 絶対の運命を生み出した結果、そこよりこれまでになかった要素が生まれ、その要素が加わった状態から始まった運命は、元の絶対の運命から微小な揺らぎが生じてしまうという皮肉。
 そうやって袋小路の迷路に道を無限に増設していくのが、無限の魔法の真骨頂なわけだけど。

 例えるなら、一番最初の先行体験は「運命Ver1.0」で、その結果新しい我が生まれ、その新しい我を加えて算出されるのは「運命Ver1.01」。
 そして得られた新しい我を加えて運命を算出するのを無限に繰り返し、いつか「運命Ver2.0」に辿り着くことを目指している。
 それまではずっと卵の中。
 いつか運命を孵すその時まで。


 青い都雄が先取された後悔だとするなら、性格があれだけ捻くれてしまうのも頷ける。
 自分をプログラムだと卑下する気持ちも理解できる。
 何より設定が美味しい過ぎる。
 輝く主人公の闇落ちした姿で、過去の自分を消しに来た改変者で、真実に満たない幻想の存在。

 嗚呼、いい。
 我が愛しのベルンカステル卿にそっくりなのが何よりも良い。
 猫を食らって生き延びた猫の女王。もう一人のバケモノ。
 立ち位置的に同じだからな。

 運命を先取すると、運命を嘲笑う魔女的性格になっていく。
 そして運命に弄ばれる側から、弄ぶ側になる。
 自分がされたから、それを誰かにやり返したい。
 自分しかいない世界でその対象となるのは、まだ運命を知らない頃の自分自身。
 その自分も次は同じように、まだ何も知らない自分を虐げる。
(同時に、同じ思いをさせたくないという思いやら、そこから大切なものが学べるという思い、さらにはそこから新しい運命を生み出して欲しいという願いやらも含まれているだろう。)
 そうやって無限に自分を生み出し、その自分たちを踏み台にしてゲームの階層を昇り、いつか神へと至らんとしたバケモノがいたらしい。
 そしてその傍らには、それを教えられて同じくバケモノとなった巫女がいたとか。



 青い都雄が自身である都雄を消そうとする動機は、愛する者を守るため。
 それは神の動機の鏡写し。
 青い都雄の動機を知ることで、神の動機も知ることができる。
 小数点以下の存在に堕ちたのも神の鏡写し。

 駒でしかない今の都雄だけではパズルのピースが足りない。
 “約束された運命”があるから、それを“打ち破る運命”を作れる。
 未来の姿、未来の後悔があるから、それを変えようという気が起きる。
 絶対の先行体験は、現在と未来を交わらせる。
 そしてさらに新たな未来を紡ぐ。
 先取された後悔は、その新たな未来の扉を開くために必要なピースなのだ。

 都雄と青い都雄の対立は、言わば自己肯定と自己否定の対立。
 どちらも1bitの意見。
 合わせれば2bit。四通りの意見を生み出せる。
 対立意見を止揚し、両方が賛成し得る意見を生み出す。
 青い都雄を味方に付けた時こそ、都雄が真の主人公、プレイヤーと成れるのだ。

 “父”と“子”、ミャオとミャオの対立もまた同様。
 これもまた鏡写し。

 異なる意見の対立を解消し統合する。
 両者が賛同する道こそが、両者が共に歩める道。
 やっぱこれだよな。





 もう少し青い都雄のことをやろうかな。


 人間であるオリジナルの都雄。
 左半身のみが残った死体。
 これについて考えてみる。

 オリジナルの都雄は現実、即ち巨大サーバーの外の世界にいたのか?

 まず考えられるのが、脳工場での兄。
 ミャオが神で脳工場での妹、都雄がミャオの兄という設定を与えられていることから。

 だがこれは違う。
 脳工場の兄は肉体が解体され、脳だけになっている。
 オリジナルの都雄の死因から判断すると異なることが判る。
 ミャオは失った“兄”という立場を、都雄に与えただけなのだろう。


 次に考えられるのは、青い都雄の生前がオリジナルの都雄という可能性。
 私はこれだと思っているのだがね。

 まずオリジナルの都雄の死体が象徴的すぎる。
 綺麗に右半身だけ失うのはおかしい、意図したものに思える。
 作中に、脳から嫌な記憶の部分を地面に擦り付けて削り取りたい、みたいなのがあったと思う。
 この死体はまさにそれ。
 私は右半身が都雄で、左半身がミャオだと見ているのだが、この死体は都雄の部分が綺麗に削り取られている。
 逆から見れば、ミャオの部分が生きている、と解釈できる。

 肉体的にみればそのアバターは生きているはずがない。
 しかし、システム的に生きていると誤情報を与えられば、生きているようにアバターを動かせるのが神の叡智。
 神であるミャオにとってその程度の“魔法”は簡単だろう。


 さて、先行体験において、青い都雄はアバター的に死に、その後青いアバターを与えられて復活、神の子としての役割を果たし、ミャオを討った。
 そうシミュレートされたデータが青い都雄。
 そして、その先行体験を模倣しているのが現状の都雄。
 それは青い都雄からすれば、予め決められたことを実行するだけのプログラムのように見えたことだろう。

 神が用意したプログラムに沿ってしか動かないのであれば、それはそうプログラムされた駒でしかない。
 神の想定を覆して初めて、都雄は人間と成るのだ。

 そんなわけで、あの都雄の死体は、先行体験における生前の青い都雄でいいんじゃないかと考えている。



 全ては模倣から始まる。
 人は先人を真似、先人より学び、成長して新しい自分なりのものを生み出せる。
 何も学ばずに自分なりのことをやっても、それはすでに先人がやっていて、もっと洗練されたものになっているのだ。
 まずは先人に学び、それから自分らしさを出すべきである。
 守破離だね。

 模倣することは恥じゃない。

“何も真似したくないと思う者は、何も生み出すことはない”
――サルバドール・ダリ


 と、言うことなのだから。

 運命もそうだ。
 まずは守、模倣し、やがてそれを破り、そして離れる。
 そうして自分なりの運命を作る。
 そんな感じなのかもしれない。





 先行体験についてもう少しやろう。


 自分が苦労した経験を持つ先達は、後進に同じ苦労をさせたくない派とさせたくない派に分かれる。
 させたくないのは同じ思いをさせたくないからだ。
 そして同じ苦労をさせたい派は、ネガティブでは自分が苦労したのだから同じだけ苦労しろという思い。
 裏返せば、同じ経験をしなければ大切なことを学べないという思いがある。
 人間は自らの体験でしか学ばない愚かな生き物だからね。

 同じ苦労はさせたくない、しかしそれを経験せねば学べないこともある。
 二律背反。
 これを解消する手段は歴史に学ぶこと。

 つまり、人間は自ら体験しなくとも、知識を得て想像の限りを尽くすことで学ぶことができるのだ。


 そこで先行体験だ。
 実際に体験せずとも、現実に等しい想像による疑似体験から学ぶことが出来る。
 高度なイメージトレーニングのようなもの。
 それをするのとしないのでは、実践した時の結果が違う。

 他にも、こうなりたいというイメージをしながらの練習と、何もイメージしない練習では成果が違うという。

 密度の高い想像からは何かを学ぶことができる、糧にできる。
 逆を言えば、中身の空っぽな妄想をしても何の糧にもならないということだが。


 現実じゃないから何の意味もないという人がいるが、想像・妄想の類だろうと、何でもないところに意味を見出すのが知性というもの。
 創作された物語だろうと、そこから何かを得ることはできる。
 何かの意味を見出しているから物語を読んでいるわけだからね。
 無駄だと思う人はそもそも物語を読まない。

 その物語で夢オチだから、仮想現実だから、作中作が創作だから無駄・無意味って良く言われるけど。
 現実じゃないから無意味なら、物語は全て無意味になってしまう。
 たとえ夢と消えるものであろうとも、そこから何か意味を見出せば無駄ではなくなる。

 つまり、自分が無駄にするかしないかだけなのだ。
 学ぶ人は何からだろうと学ぶ。
 そういう人を賢者って言うんだだろうね。


 そういう意味では絶対の先行体験とはその一種の極致だと言える。
 空想、妄想、幻想の類から何かを得ようという試み。
 何も無駄にしたくないという足掻きの果てにそれはあるのだろう。

 ま、常人にはそんな密度のイメージなど出来ないのだけどね。
 そういうものがあると仮定して語ることは出来るわけだ。
 多少でしかないけどね。


「前に言ったろ。君は人格なんかじゃない。プログラムなんだよ。だから、僕という新しい人格がインストールして追加されたって、何もおかしいことなんかない」

 これは青い都雄の台詞。
 先行体験は、簡単に言えば、先行して体験した未来の自分を持ってくるもの。
 疑似的な精神だけのタイムスリップ。
 それを繰り返すと、精神が元のからどんどんかけ離れたものになる。
 実際に現実で実行に移す時、どんなバケモノが卵から孵るのか。


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  1. 2020/03/07(土) 20:51:16|
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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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