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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


【キコニア】ルールXYZ/ゲームの決着

 なく頃にシリーズなのだから、キコニアにも最低3つはルールが存在するだろうという観点から、ルールを仮定してみたい。

 これまで通り“執筆者右代宮真里亞(19人目)”の脳内ゲームのSF翻訳説を前提とする。


 まず、執筆者は永遠の孤独/退屈を癒すために無限の物語を紡いでいる。
 SF翻訳では、脳だけを繋いだ巨大サーバーの唯一の生き残りの神が、自身の精神の延命のために思考を割いて別の人格たちを生み出し仮想世界に満たしている。

 これは脳内に多数の人格/物語を収納しているわけで、それが原因でスポット人格が定まらない自閉症的な症状が出ている。
 執筆者、即ち神は、八百万の物語を積み上げて天まで届く塔の如き物語を完成させようとしている。
 だがその体である物語同士が互いに主張を譲らず争い、あえなく塔が崩れてしまう。
 この現状をルールの一つとしようか。

 そうだな、ゲーム盤の現環境、『ルールZ:混乱(バベル)』とでも名付けようか。


 で、脳内人格たちが目指すべきゴールは、この混乱を治めてスポット人格を定め、脳内から人間社会に出ること。
 その結果を同じくしながら、過程が異なる対立するルールが2つある。

 神の本来の主人格(プレイヤー)である「父」の計画。
 自らの代わりに「子」を主人格として、一人の人間にすること。
 「子」が他の人格を統合し、一人の人間に成る。
 自身の夢を子に託す親の絶対の意志。
 人類のために人類と戦い、自分を打ち倒すだけの力を示して、力強く外へと羽ばたいて欲しいと願っている。
 例えるなら、自分の物語の卵を孵すところを、“子”を中心とした物語に編纂し直したものの卵を孵そうとしている。
 まるで自らの意思で郭公の卵を孵そうとしているかのよう。

 これを人類の救済を目的とした神の計画、『ルールX:絶対』とでも名付けようか。


 その神の計画を逆手に取った計画。
 現実に送り出される人格をもうひとり増やすこと。
 神の計画では「父」の人格が切り捨てられる。
 それを救うことが目的。
 さらに言えば、プレイヤーに人間にしてもらうのではない、自分たち自身の力で人間に成るのだ。
 その気概で神を倒すという奇跡に挑む。
 神のために神と戦い、自分たちの思いを届け、共に一歩を踏み出すことを願っている。

 神の救済を目的とする駒たちの反抗計画、『ルールY:奇跡』とでも名付けよう。


 ちなみにルールZ:混乱が末期に至れば、世界は崩壊し神の悪夢である地獄が顕現する。
 自己を見失い、人格崩壊ルート。


 
 こんな感じかな。
 簡単に纏めれば、人類の意志を統一して天に届くバベルの塔を完成させようってこと。
 神が目論んでいるのは自分がババを引くババ抜き版で、人類が目論んでいるのはジジ抜き版、神も含めた全てのピースを使い切るもの。

 勝って相手を殺すことが目的ではない。
 互いに相手の生を願っている。
 だから重要なのは負けないこと。
 自分も相手も守るために戦う。
 要するに、平和の壁を双方から支える。
 それが出来たら決着だ。





 B3Wが終わった原因は、敵国を自国に引き入れてしまったこと。
 自国とは即ち自説。自分が掌に握っている真実。
 他国とは他人の意見。

 他国は敵じゃないから防衛する必要はないとして、他国の軍隊を国境線内に引き入れた。
 それはつまり、自分が握った真実が死ぬということ。
 他人に侵略の意図がなかろうとも、自説を守るためには防衛体制をしっかり構築しなければならない。

 つまり、敵ではないけど、仮想敵ではあるんだよね。

 うみねこのEP8の山羊たちはそれ。
 敵ではないけど仮想敵。
 侵略する意図などないだろうけど、防衛体制をしっかりしないと他人の真実に侵食されて、自分の持っている真実は失われちゃうよ、というのを示しているだけ。

 ちょっと前に譲治が、掌に握った真実を守って、って言ってたじゃん。
 その文脈からして、言いたいのはそれでしょ。
 自分の真実を守らなければならない縁寿自身が、自ら率先して他人の真実を引き入れてしまったからそうなった。

 要するに、縁寿が自身の甘さが見せる夢をぶっ壊そうと自滅に走り、縁寿の心の中の戦人たちがそれを守ろうと奮闘している構図なわけだ。
 いつもの読者とのゲームの対戦は国境線で行われているもの。
 縁寿の心の領土にまで入っちゃったから、いつものゲームにならなかったんだよね。
 縁寿はただ自分の心を蹂躙したかったんだよ。
 その道具として他人の意見を使った。


 読者へのメッセージとしては、手の中に握った真実を守るだけの力を持って。
 また失ったなら蘇らせるだけの力を持って、というもの。

 相手の真実だけが大切なら、自分の真実なんて踏み捨てればいい。
 自分の真実だけが大切なら、相手の真実なんて踏み躙ればいい。
 両方守りたいのなら、互いに防衛力を養いましょうってこと。
 戦う力のない真実なんて簡単に消え去ってしまうのだから。





 このまま物語内で輪を完結させても良いのだけど。
 これは我々プレイヤーたらんとする読者も参戦するゲーム。
 我々プレイヤーも輪の中に入れないとね。

 ババとはジョーカー。
 それを使ってジジ抜きするなら、もう一枚ジョーカーが必要となる。
 つまり我々プレイヤーはジョーカーとなって、ババを引き受けなければならない。
 これで本当の輪は完成する。


 さあ、ゲーム盤の外側に目を向けよう。
 ゲーム盤を挟んで我々プレイヤーである読者と、物語の執筆者が向かい合って座っている。
 そして執筆者は、これこそが唯一の物語で真実であると主張する。
 それに対してプレイヤーは、こう翻訳したものこそ本当の物語で真実であると主張する。
 互いの主張が並び合い、議論のゲームが始まる。

 さて、この戦いの決着のさせ方はすでに作中に書かれている。
 即ち、平和の壁を双方から支える。
 相手が全力で押しても圧し潰されないように、壁を全力で押し返す。
 その力が釣り合った時が決着だ。

 全力を出し合った上での引き分け。
 真実を並び立たせるとはそういうこと。


 壁を押す感触、押される感触、それが手に入れられる実感の全て。
 それが真実を掴む感触。
 なあなあで戦わずに引き分けたら、その実感が掴めない。
 そして、真実を与えてもらおうと敵国を迎え入れてしまったのが、B3Wが終わった原因。

 プレイヤーがババを引き受けるとはそういうこと。
 ババの真実を決して殺さない。
 故に自身の求める真実は明かされない、保証されない。
 それを覚悟してババを引き受けられるかが問われている。
 竜騎士さんが言っていたけど、本当の選択肢は重いものなんだよね。





 でも、重い選択肢はうみねこでやったので、キコニアではそれほどでもないと思う。

 私の説が正しいという前提で話を進めるが。
 うみねこの婉曲的な魔法翻訳と比べれば、キコニアのSP翻訳は直截的。
 脳を繋ぎ合わせた巨大サーバー=一人の人間の脳みそ。
 そこで暮らす人々=脳内人格たち。
 そんな感じでかなり分かり易い形にしていると思う。
 だからキコニアが完結すれば、それを直接明かさなくてもだいたい理解できる形になっていると思うのだよね。
 あくまで予想だけど。


 で、神のパズルの「父」の戦法で、片方の心臓を隠す役割を持つピースがあるが、これはうみねこで実際にやった戦法。
 その戦法をばらしたらもうその戦法通用しないじゃん。
 それってつまり、もうその戦法は使わないってことじゃん。

 うみねこはさ、明かされた答えと隠された答え、その二つを並べ立てるんだよね。
 
 作中で明かされた犯人ヤス。
 世間でもそれが真実だと認められている。
 明らかな答えって価値が認められているじゃん。
 価値=重さだとすると、天秤の片方にそれが載っている状態。

 さて、その天秤のもう片方にさ。
 世間に認められていない、即ち価値ゼロの自分の推理を載せるわけだよ。
 同価値だよって言ってさ。

 それってそんな簡単に載せられないよな。
 自分の妄想に過ぎないそれが、世間で認められている真実と同じ価値、同じ重さを持つのか。
 葛藤するよね。

 まず、世間に対して断固として同価値であると示せるのか。
 袋叩きに遭うかもしれない。
 否定されれば心は傷つく。
 その覚悟はあるのか。

 さらには、重い価値を置くとそう簡単には捨てられなくなる。
 価値が軽いものなら即座に捨てられる、捨てても惜しくはない。
 だが重いものが失われた時、その分の喪失感が襲ってくる。
 そのリスクを踏まえなくてはならない。

 リスク=重さ。
 他人にとって価値ゼロのそれに重さを視る。
 天秤にそれを載せるという選択肢はそれだけ重いもの。


 でさ、それを実感すると、相手のやったことも理解できるんだよね。

 まず、隠された真実の方が本当の真実だった場合。
 翻って、ゲームの対戦相手が載せた明らかな真実の方が妄想幻想だってことになる。

 妄想幻想だから価値ゼロで、だったら捨て去っても惜しくなくて、ならいらないのだろうか?

 自分が実感したから良くわかる。
 価値ゼロの妄想を、真実を量る天秤に載せるという選択が重いことを。
 それは、心を傷つけられてもそれを守るという覚悟。
 それは、大切なものとして心の領域を占めているということ。
 それを失った時、どれほどの喪失感を味わうのか。
 想像できる。
 私の実感程度よりもさらにそれは大きいのだろうということも。
 それでも相手はゲームを挑んできた。

 そうなるとさ、天秤の釣り合いをとらなければ、なんて思うようになる。
 どっちの方が重いのか決めて、相手の真実を完膚なきまでに殺す、などという勝負なんてどうでも良く感じる。
 互いの主張を載せ合って天秤を揺らし、バランスを取り続ける遊びであると思うようになる。

 それは対等でありたいと思っているってことなのかもな。



 うみねこって時々語りたくなっちゃうんだよな~。


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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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