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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


執筆者についてのまとめ

 キコニアから私の考察を読んでいる方は、私の言う「執筆者」って誰やねんよく分からんって感じだと思うので、できるだけ分かりやすいようにまとめてみたいと思う。


 私が執筆者と呼んでいるのは、「うみねこ」でメッセージボトルを執筆した「右代宮真里亞」の事。

 普通なら自分の人生の物語の主人公は自分自身だ。
 しかし彼女は自分が主人公であることを諦めた。
 そして満たされぬそれの代償行為として、別人を主人公とした物語を紡ぐことにした。
 その主人公こそが「ヤス」。

 「なく頃に」の格ゲーム盤は、この「執筆者真里亞」と「主人公ヤス」の相克を、別な形、別な設定として表現したもの。


 概要はこんな感じ。





 続いて詳細を説明する。


 彼女は金蔵によって六軒島に連れてこられた、夏妃の手で育てられるはずだった19年前の赤子。
 彼女は金蔵の魔法を継承するために隠されて育てられた。

 人間は環境によって作られる。
 孤独は妄想の糧。
 だから「孤独」という環境を与えられた。

 孤独。
 誰とも出会わず、何も起きず、自分の物語に何も記すことのない人生。
 だから彼女は、成りたい理想の自分、憧れた姿を想像することにした。
 それが「ヤス」だ。

 崖から落ちたことにされた後、隠し屋敷で育てられず、福音の家で育てられたというIFの自分。
 それが右代宮家の使用人に選ばれて六軒島へとやって来た。
 そこから「ヤス」の物語が始まった。

 その時実際にやってきたのは紗音なのだが、執筆者のゲーム盤では「ヤス」に置き換わり、弾き出された「紗音の駒」は同室の友達という設定になった。
 使用人ヤスの生活はうみねこEP7に詳しい。


 さて、使用人ヤスはやがて魔法に魅せられ魔女の道を選ぶ。
 自分の物語の上に、魔女の物語を上書きする。
 それによって彼女は駒からプレイヤーに昇格した。

 執筆者が自身の物語の上に「ヤスの物語」を上書きし、ヤスが自身の物語の上に「魔女の物語」を上書きする。
 三位一体の物語。


 普通の人間は自分一人の物語しか紡げない。
 だが彼女は三つの物語を紡ぐ。
 彼女が有頂天となるのも仕方あるまい。

 孤独な彼女の物語は、普通の人の物語と比べみすぼらしかった。
 それを彼女は恥じていた。
 その自分が今や人よりも三倍も豊かな物語を紡いでいる。
 だから人々は自分の物語に憧れてしかるべきだ。
 下々に憧れの物語を垣間見せてやろう。
 と、調子に乗ったわけだ。

 だけど実際は誰にも相手にされていなかった。
 それを知ってしまった。
 魔法によって三人分に拡張された物語。
 しかし実際は、一人分にも満たない小数点以下のみすぼらしい物語。

 彼女は反省し、次こそは絶対に見返してやると決意した。
 誰しもに自分の物語を読ませ、素晴らしい物語だと認めさせてやると。
 彼女が作家の道を志した始まりの記憶。


 そんな彼女の前に現れたのが戦人だ。
 戦人は紗音に対して、人の心を推理するのが大事なんだ、とか抜かしやがった。
 隠れてそれを聞いていた彼女は、彼なら「ヤス」の心を受け止めてくれると思った。
 心を認めてくれて、一人の人間にしてくれるのだと。

 彼女は戦人に読んでもらうための物語を紡ぐことにした。
 自分の代わりに「ヤス」の心が認められ、「ヤス」がニンゲンに成るという夢に向かって。
 それに対して「ヤス」は、自分もニンゲンに成るために頑張るから、貴女も人間に成るために頑張ってみないかと誘った。
 勇気を出して一歩を踏み出さないか、と。

 それに促され、怯えながらも「ヤス」と一緒になら頑張れると。
 二人で共に人間に成る夢を語り合い、励まし合いながら、魂が一人分に満たない家具たちは夢に向かって歩みだした。


 が、知ってのとおり戦人はやってこなかった。
 自分の人生とヤスの人生、二人分の人生を賭けた渾身の物語。
 その一歩が空回った。
 すでに心の賭け金は全てつぎ込んでいる。
 今更降りることはできない。

 年々変化していく状況。
 それに合わせて物語の設定変更を繰り返し、必死に取り繕い続けた。
 今や「ヤス」は自分の人生を縛り付ける鎖に変わった。

 役に立たない家具など要らない。
 それに対し「ヤス」は、子である自分を捨てるのか、物語を書き切らないのかと責める。
 心は負の感情で満たされ、それをゲーム盤に吐き出す。
 無限に繰り返される惨劇。
 もう物語も自分の心もぐちゃぐちゃだ。

 この絡まった物語に決着を。
 悪魔のルーレットに全てを託す。


 出た目はベアトの死。
 「ヤス」を殺して、それを猫箱に隠して、島を出る。
 今こそ自分自身の人生を歩もう。

 執筆者にとって物語は杖だ。
 それを使って少しずづ歩いてきた。
 それを捨てなくては自分の人生を自分の足で歩けない。
 けどそれなしではもう歩くことさえできない。

 愛していた。手放すべきではなかった。
 約束したのだ、立派な作家となり、物語の続きを書くのだと。
 愛する者を蘇らせるのだ。
 絶対の意志が、絶対の結果を紡ぎ出す。
 今度こそちゃんとした決闘を。
 どちらか片方が人間となる。
 あるいは奇跡が起きて両方ともにか。

 それが「右代宮真里亞」として書いたメッセ―ジボトルであり、「八城十八」として書いた偽書。


 事の経緯はだいたいこんな感じ。





 ゲーム盤についても説明しよう。


 ゲーム盤は執筆者の心の中にある。
 それは階層を成し、それに合わせて駒にも階級が存在する。

 まずは心の総体である「神」「造物主」。
 これは現実だけではなく様々なカケラも加えて、増設・拡張された自己の総体。
 曰く、八百万を束ねて超える。
 うみねこではフェザリーヌ。ひぐらしでは羽入。
 全てを受容する運命の傍観者。
 全てから切り離され、よって全ての感情から切り離された、超然とした自己。
 そこからすると、羽入は「父」よりなのだろう。

 神は自身の思考を割いて、己の分身である駒を生み出す。
 その駒がさらに思考を割いて分身を生み出す。
 それを繰り返して階層を築き、ゲーム盤に駒を満たす。
 我は我にして我らなり。
 全ての駒は神の分身なので、何かしらの要素を受け継いでいる。

 ゲームを飽きるまで繰り返したらお片付け。
 全ての駒を収納し、駒たちの経験や思考を己のものとする。
 この際、ゲーム盤の設定も変えれば、想像の幅、思考の幅がさらに広くなる。

 彼女はこうしてゲーム盤に自分を置くことで、想像の翼を広げ自由になるのだ。


 その神の部屋を支える二本の柱である「父」と「子」。
 ゲーム盤ではその相克が描かれている。


 神の本体を模した駒「父」。
 「神」より切り離された感情と人格を担う。
 不完全な姿の「神」であり、未熟な頃の「神」の姿でもある。
 ゲーム盤の罪を全て被り消え去ろうとしている一面と、「子」を殺してでも自身の願いを成し遂げようとする一面が混在している。
 うみねこでは執筆者右代宮真里亞。
 キコニアではミャオ。ひぐらしでは羽入。
 絶対の意志を以て世界を支えていることから、ラムダデルタ卿が当て嵌まる。
 世界を支えるために罪に塗れた底に落とされる地獄を味わった。
 ひぐらしで神を目指して「子」である梨花を殺める鷹野は、かつての「父」の姿。

 地獄の底から這い上がり神に至ろうとする父の姿が、鷹野。
 神の座から降り人の罪を被って地獄に堕ちようとする父の姿が、羽入。
 上昇と下降。
 「父」が完全な姿を取り戻すことは、即ち「子」を死に追いやることを意味する。
 「子」を守るためには自ら崩れ落ちなければならない。


 神の半身たる駒「子」。
 物語の主役。
 うみねこではヤス。ひぐらしでは古手梨花。キコニアでは都雄。
 神の言葉を伝える巫女にして朗読者。
 神にとっての奇跡の具現たるベルンカステル卿が当て嵌まる。
 主に代わり物語の生き延びる道筋を見つけるまで閉じ込められる地獄を味わった。


 二本の柱たるプレイヤーに生み出された駒たち「聖霊」。
 魔女ベアト。
 二本の柱が二つの心臓だとすると、それを包み込む体に相当する。
 簡単に言えば、その他の駒全部。


 父子聖霊が三位一体となったのが神。





 駒の階級について、解り易くうみねこに傾けて話す。

 一番上がフェザリーヌ。
 全ての物語を紡ぎながら、その全てより切り離された傍観者。

 次がラムダデルタとベルンカステル。
 航海者としてカケラの海を彷徨い退屈をしのぐため物語を探す。

 その下が領地持ち。
 それぞれが担当するゲーム盤のGMを任される。

 下層が格ゲーム盤の駒であるニンゲン。

 最下層が全ての罪を被る零落した神。


 基本はこんな感じ。
 ゲームによっては階層は適時増設される。
 そして上の者が下の者を弄んでいる。
 行き場のない感情をぶつけるためのサンドバックのようなもの。
 一番上が一番下というのが何とも言えず。
 また全部同一人物であるというのも何とも言えない。
 さらには、その全てから引き離された最上層まで作っちゃてるのもまた何とも言えん。

 愛しているがゆえに手放せず。
 憎んでいるがゆえに傷付けずにはおれない。
 自縄自縛の地獄。

 物語としての幸せは、誰かに読まれること。
 謎としての幸せは、誰かに解かれること。
 人としての幸せは、誰かに認められること。
 彼女は今もなお、人と成る夢を見てゲームを開催する。

 同時に自己満足のために。
 片方の物語を、もう片方が読み。
 片方の謎を、もう片方が解き。
 片方の人格を、もう片方が認める。
 そういうものでもあるわけだ。





 私の愛しい執筆者殿は、真正の脳内引きこもり。
 普段は全然表に出てこないのだけど、ふとした瞬間に覗かせる顔が可愛いのなんの。
 ゲフンゲフン。

 んー、ま、こんなところかな。
 解り易いようにしたつもりだけど解り難いかも。
 駒についてはごちゃごちゃしてるからね。
 一つの心を切り分けた存在だから、切り口を変えられると同定が困難になる。
 場合によってはさらに複数に切り分けたり、束ねて一つにしたりするだろうし。
 とは言え、全体を合わせると一つの心なんだと見れば分かり易くはなる。
 盤面を整理するということは、心を整理するということだからね。
 とは言え、人の心ほど複雑で分かり難いものはない。

 まぁこれで私の手の内はさらけ出したようなもの。
 私の簡易的な推理考察マニュアルみたいなものだから。


 さて、19人目の右代宮真里亞なんて、私以外の人にはどうでも良いのだろうけども。
 ヤスの物語の執筆者という部分は重要だよ。
 執筆者はヤス本人なのか? って問題だね。
 疑問に思う人は少数だろうし、その疑問も最終的には戦人=十八で吸収しちゃう作りになっているのだけれども。

 ホント嫌らしい仕掛け。
 完璧だよ、出来過ぎなくらい。
 掌より逃がさないという絶対の意志を感じる。
 ひねくれ過ぎだぜ、愛してる!

 ……ゲフンゲフン。
 それに対してキコニアは、端的に言えば、神について考えてくれと言っている。

 駒を生み出した造物主。
 アルファにしてオメガ。全ての始まりにして終わり。
 物語を記している執筆者。

 だからこそ私はうみねこのプレイヤーにこそ、キコニアをプレイして欲しいと思っている。
 そして、うみねこを振り返って欲しいと。
 ヤスが犯人で執筆者という狭い掌から出れば、もっと広い世界が広がっているよと。

 とは言え、他人に言われてやる人なんていない。
 自分で実感しなければね。
 だからこそプレイして欲しいのだけど。

 この自分で実感しなければならないという自縄自縛に、プレイヤー側もGM側も縛られているのが、まぁ「なく頃に」のゲームなんだよね。
 あ~、ややこしや、ややこしや。


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  1. 2020/01/18(土) 19:42:25|
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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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