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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


バケモノたちが嘯く頃にを執筆者視点で読み解く【後編】

 メリークリスマス!
 キコニアの地獄のクリスマスパーティー記念に、バケウソ考察をプレゼントするぜ!


 バケウソはまさになく頃にシリーズの手引書と言ったところ。

 人によって物事は違って見えるから、様々な人や視点に寄り添って物事を見ると、多角的に物事を捉えられるよ、という基本的なことから。
 ニンゲンの世界とバケモノの巣の違い。
 バケモノの巣を観察することで、バケモノの心に迫ることができること。
 とあるバケモノの趣向や嗜好、思考や推論のやり方まで紹介。
 なく頃にシリーズで何を推理して欲しいのか?
 プレイヤーにどんなことを求めているのか?
 ここまで赤裸々に書いてあるなんて!?

 これでひぐらしやうみねこも再解釈して遊ぶことが可能!
 もちろんキコニアの考察にも役に立つぞ!


 と、宣伝したところで、残りの後半部分の考察に行こうか。
 執筆者視点でなく頃にシリーズを再解釈していた私にとって、バケウソは実にタイムリーな作品だったな。

 以下、ネタバレ注意。





















“両方を選ぶ”

 執筆者とヤス。真実と幻想。現実と夢。
 相反する願いを同時に叶える。
 並列的に処理する。パラレルプロセッシング。
 それをする者。パラレルプロセッサー。


“バケモノの巣を本当に作ってしまった”

 ゲーム盤での行いと現実での行いは異なる。

 これは「うみねこ」をプレイすれば常識なので、歴戦プレイヤーは“巣”が頭の中にあることくらい理解できていて当然だろう。
 「バケウソ」の作中でもそれは何度も繰り返し仄めかされていたしね。

 そんなわけで、現実で“巣”を作ってしまったモノは、現実に害を与えるケダモノであると定義される。


 思想の自由についての記述に、思いっ切り執筆者の頭が覗いちゃっているじゃん!
 ゲーム盤世界でPC視点だったところに、唐突にPL視点が挟まれるのホント笑う。
 ま、それがなく頃にテイストなんだけど。
 一人の頭の中でのやり取りだからシームレスに視点変更するんだよね。
 これもヒントだよヒント。
 そしてシームレスに六街道先生の独白に繋がるのも笑う。

 六街道先生、戦人に似ているな。
 磊一を救った“王子”だから重ねられているのかな。
 それとも執筆者の師匠だろう金蔵がモデルか。


“例えとしてはまったく相応しくないだろうが、………狭い真四角の、真っ白でそれ以外に何もない部屋に、生涯をただただじっと座り続けて過ごさせられるかのような、………恐ろしい精神拷問の世界にずっと閉ざされるような恐ろしさなのだ。”

 これは、魔女のいない部屋か。
 そして、全てから切り離された神の座か。
 考察的にはありがたい例えだね。
 やっぱ二人一緒が一番良いんだよな。


“だからといって、バケモノが許される論法にはなりませんよ。バケモノは許されない。異常者は許されない。……それが、第二次世界大戦を終えてこれから世界が向かう、新しい世界秩序なのですよ……”

 バケモノが許されない、A2W。
 バケモノが許される、A3W。
 それは“巣”である脳だけとなり、それを繋ぎ合わせた巨大サーバーにおける仮想現実によって実現される。
 他者からの害の及ぶ情報はフィルタによって遮断。
 全ての人と繋がっているのに、人類総(脳に)引きこもり社会。

 今はバケモノが微笑む時代なんだ!!
 妄想こそが現実、いい時代になったものだ。

 しかし夢が覚めれば、脳という真っ白な密室にただ一人という現実。
 地に足が着かない、確かなものが何ひとつない。
 それにただのニンゲンが耐えられるはずもない。
 キコニアはホント地獄だぜ。
 ま、引きこもりにとっては天国だけどね。
 さあ、次はA4Wだ。
 バケモノがニンゲンとして暮らしていける社会だと良いね。


“そしてその方法は合法でなければならない。そして出来れば称賛され、さらにはそれで十分な報酬が得たい! それら全てを冷静に突き詰めた結果が、”

 その結果、執筆者が現実で選んだのは、作家という職業。


“ただ静かに寝ているだけの人形にも、言われたこと全てに従い、それ以外は考えもしゃべりもしないようにも、あるいはきれいに暴力的感情だけをくり抜くことができる!!”

 人を食らい駒とし、バケモノを食らい駒とする。
 そうしてゲーム盤の上で自由に運命を弄ぶことができる。
 そう、GMならね。


“生徒が、自分の出した問題の解答に至るのを、じっと待っていた”
“だから、至る回答は最初からわかっていて、……とっくに待ち受けていた。”

 この一連のやりとり、「うみねこ」でやったことだよね。
 布石を打ち、問題を出し、それに対する解答を読み、その解答を出すのを待ち狙いすませて罠に追い詰める。
 実に教師的だったよな~。


“全て想定できた”

 全てを想定して作った惨劇は、もはや運命。
 釈迦の掌から出ることはできない。


“如何ですか、皆様方?”

 第四の壁を壊して観劇者たちに訴える。
 自分はこの様なバケモノであると。





 真犯人登場。

 まあ驚きはないな。
 茉莉花が被害者たちの容姿を知っていたことから、容疑者は分家屋敷に住んでいる二人に絞れるから。
 後は、茉莉花の残虐な行為が現実か幻想かを判別するだけ。
 だから犯人当ては勘だけで十分な難易度。

 でもタネ明かしを見たらかなり緻密に作りこんでいることがわかる。

 壁のどんでん返しはない。
 だから次郎助が盗み聞きで、磊一が茉莉花に話を合わせていただけと判断していたわけだ。
 どんでん返しなどないのだから、それ以降の話は虚構。
 どんでん返しがあったのなら、次郎助はそのことを当然知っているはずであり、そこで姪の凶行に驚愕することになる。
 その凶行のことも知っていたなら、話を合わせるのがうまいと感心している場合じゃない。
 そのことから次郎助視点では、虚構の行為に話を合わせていただけに聞こえていることがわかる。

 執筆者は異なる視点を同時に見ることにこなれているから、こういう視点を使い分けるトリックが得意だよね。
(まあつまり、竜騎士さんがそれが得意というわけだけど。)


“使いたい道具だから並べるんだ。イマジネーションが広がるから、その選択肢を増やす為に、使える道具を並べるんだ。”

 これは執筆者が、“選択肢”こそが〝世界”を広げ豊かにする、という価値観を持っていることの表れだろう。
 現実では一回しか殺せないが、想像力さえあれば道具の数だけ殺すことができる。
 一粒で何度も、色々な味をバリエーション豊かに味わえる。
 可能性世界、即ちカケラ。

 現実に等しい、真に迫る幻想。
 それを妄想できれば、現実でそれを行う必要はない。
 逆を言えば、それが出来ないから現実で行わなければ満足できないのだ。

 真実=幻想。
 この天秤がどちらかに傾けば、もう片方の価値は消えてなくなってしまう。
 「うみねこ」はこの均衡を守ることに終始していたんだよね。

 それから、ゲームの道具として“ゲーム盤”やら“駒”やらがあり、それらがイマジネーションを湧き立たせてくれるということなのだろう。

 でだ、脳だけとなり真っ白な密室に一人閉じ込められたら、その部屋を満たすのは自分が生み出した妄想のみ。
 それが現実以下の妄想しかできなければ、当然満足などできない。
 そして飢えを満たせず餓死する。
 精神が擦り切れて消滅する。
 A3Wの人間が、妄想を全て実現できる仮想現実にいるのに、わざわざ現実そのものを作り出し、そこを現実であると思い込んで生きているのは、そうしなければ意識が保てないからだろう。

 真っ白な部屋で他人のことを妄想しても、生み出せるのは人形だけで、ニンゲンは生み出せない。
 その部屋に自分以外のニンゲンが生まれたなら、その脳こそがパラレルプロセッサー。
 脳だけという環境に適応した人間、それがパラレルプロセッサーなのだろう。


“人間の、怨嗟の血の味が、わかること”

 磊一のこの能力は、そのまま赤き真実を紡ぐ力のことだろう。
 まあつまりは、バケモノ並みの真に迫る推論の妄想。
 それは真実に等しい。


“すでにこの世にいない人間に濡れ衣を着せれば、絶対に暴かれない。”

 「うみねこ」のトリックは正しくこれ。
 次々と犠牲者が殺されてたら、容疑者は普通生存者になる。
 そこで犠牲者が実は生きていて、などと言って犠牲者に容疑を向かわせたのなら。
 利益を得るのは当然生存者。
 要するに、メッセージボトルの執筆者は生きている、というのが真相。


“バケモノになってしまっても、ニンゲンとしての帰る場所が、残されているということは、とてもとても大切なことなのだ。”

 これが執筆者が求めているものだよな。


“殺さなきゃならない。だから、まったく好みじゃないお前を、……今だけ、………愛してやるよ”

 殺すとは、愛するということ。
 物語を知るために殺す。
 死んでいては愛でられないから、もう一度愛でるために蘇らせて殺す。
 無限の方法で殺し、永遠に愛でる。
 それが無限の魔女の、無限の愛。


“それは、絶対の執行を約束する、先取された百億の未来の先行体験なのだ。”

 これがいわゆる無限の魔法。
 それによって作られたのが、いわゆる悪魔のルーレット。
 キコニアで言えば、パラレルプロセッシングパワー。通称P3値。
 ガントレットナイトの戦いは、どれだけ想定できるのかが問われる。
 つまり、相手の想像を上回り、自分の想像を押し付けることができた方が勝つ。

 執筆者がそれによってゲームを構築したから、ゲーム盤内ではそれこそが強さの指針、つまりルールとなっているのだと思われる。
 だから、
 ひぐらしでは意志の強い方が運命を作り、
 うみねこでは意思の強さが魔法を紡ぎ、
 キコニアではP3値が高い方が有利、
 なのだろう。


“もういい。飽きた”

 飽きた時にプレイヤーは死ぬ。
 それはつまり、駒の死を意味する。
 それが物語の死だ。


“磊一に一言、付いてきてくれるかとさえ言ってもらえれば、それだけでも、茉莉花はニンゲンとしての生活の全てを捨て去れる覚悟でいた。”

 二人一緒。ニンゲンに成らない。
 つまりそれは、執筆者の脳の中に残るというエンドかな。

 現実に肉体は一つなのだから、二人で一人として生きていくのが妥当なのだけど。
 それでは満足できないのだよな。

 二人が二人としていられるのは心の部屋の中だけ。
 やはり「うみねこ」的な心の密室脱出法、読者の心の“世界”へ二人揃って受け入れられる他、二人のニンゲンとして認められる方法はないのだろうな。

 でもそれでは、千人に一人だけに、でしかない。
 人間全員にそれを認めさせるのが最終的なゴールだよな。
 見果てぬ夢だぜ。





“まずはお互い、ひと風呂浴びて、臭いを落としてニンゲンに戻らないかい。語句も、出来るならいい香りの茉莉花と出会いたいよ。まだ、出会ったことがないからね”

 なるほどなるほど。
 互いに、ニンゲンとなって、新しく出会いたいと。
 なるほどね。
 ふふ、じゃあ自己紹介から始めないとな。

 互いにニンゲンとして生れ落ちて、そして出会い、恋に落ちると。
 アダムとイブかな。
 そうなったら本当にめでたいな。
 その時は立会人として盛大に祝福しよう。
 これが私が一番見たいエンドかも。

 イブはアダムから切り取られた肋骨から生まれた。
 蛇に唆されたイブは知恵の樹より実をもぎ取り、アダムと共にそれを食ったことで楽園を追い出され、人として苦しみながら共に生きていかねばならなくなったという。


“女は男どもの玩具じゃないのよ。男の指示がなければ何も出来ないひ弱な生き物じゃない。そうしていれば、男が食わせてくれるから、それを装っているだけじゃないの。ねぇ?”

 マダム、名前絵羽とか言わない?
 まあそれはともかく。
 駒だから玩具としてただ主の指示がなければ何も出来ない、なんて決まりはない。
 ニンゲンだから自分のことは自分で決める。
 駒として装っているのは主の面子を立てるため。
 ところでアイツ「うみねこ」で譲治の駒を使って何て言ってたっけ?
 僕についてこい、だったっけ? くくっ。
 じゃあ、ニンゲンとして対等だと叩きつけてやらないとな。
 あっはっは!


“磊一が会いたいだろうから待っているんじゃない! 私が磊一に会いたいから、会いに行くんじゃ! 女は男の帰りを待っているだけじゃない! 女から男に、会いに行ったっていいのじゃ!”

 主体を持つことがニンゲンの条件。
 何事も自分が~で行動すべきだ。
 「うみねこ」は執筆者視点だとヤスの元に帰る話だけど、ヤスの視点で見ると主の元に辿り着こうと煉獄を冒険する話だからな。


“自分が会いたいから自分で歩くのじゃ! 誰かの助けはいらん!”

 やっぱ「キコニア」はこれだよな。うん。





 物語も読み終わったので、私なりの最終的な駒の配役を決定してみようか。

 まず磊一=執筆者で茉莉花=ヤス。
 エピローグが決定的だった。
 駒が主と対等になる決意をし、互いに人間となって出会いをやり直す。
 クリームソーダの件ですぐに会えそうという、希望に満ちた実に素晴らしいエンドだった。

 家入は外部の『理解できないものを切除して、理解可能な既知の範囲の人間としてしか受け入れない人』を象徴している。

 六街道はそれとは逆に、外部の『理解できないものも受け入れ、それに寄り添いながら理解しようとする人』を象徴している。

 マダムは『親としての執筆者』。
 表向きヤスに結婚相手を宛がい、どう生きるかを決めておきながら、実のところヤスの自由に生きて欲しいと思っている。
 子にとっての幸せを願う、実に親らしい駒。

 そうすると茉莉花の婚約者は『戦人』になるな。
 ヤスの謎を解いて欲しかった本来の相手。
 しかし戦人はもう死んでいる。
 「うみねこ」でその過去の未練を晴らすために結婚したが、今回は未来に踏み出す話だからね、仕方ないね。
 とりあえず、六街道は理想の戦人が年を取った姿なんじゃないかな。

 次郎助は実は重要な駒。
 この駒は『執筆者が消えて、一人残された場合のヤス』を表している。
(次郎助の“助”は兄を助ける駒の意ではないかと)
 兄(犬たちの名前から推測して、太郎という名だったのではないかと)=執筆者が死んで表に出られるようになり、暴走して妄想を現実で行ってしまう姿。
 そして世間に犯人として引き渡されるスケープゴートでもある。
 バケモノを切除され自分の犯行を自白する人形。
 具体的に言えば『Confession』。
 確かに犯人で間違いないのだけど、それだけでは物語の全ては説明できないという。
 裏では執筆者とヤスが人間と成って再出発しているわけだし。

 太郎、二太郎、三太郎。
 この犬たちは、兄=執筆者が残した意志または眷属かな。
 ワルギリア、ロノウェ、ガァプ辺りなのか?
 ヤスのテリトリーに近づく者を追い払い、ヤスが許した者だけを中に通す。

 次郎助に殺され、茉莉花にノートに描かれた犠牲者八人は、「うみねこ」の物語EP1~8までに相当する。

 最後はメアリー。
 一番難しかったけど、これは『読者』だろう。
 事件に直接関与できず、外側から観測する者。
 執筆者と共に事件を追い、執筆者から犯人を引き取り、ヤスをニンゲンだと認める役割を担わされている。
 何気に超重要な役。
 何せ『読者』が茉莉花をニンゲンだと認めなければ、茉莉花と磊一は再会できないのだから。

 おまけ。
 御首家は名前の通り首の上、一人の人間の頭の中、という暗示。
 つまり、御首家自体が頭の中の世界で、その外が人間社会。
 うみねこ風に言えば、頭の中にある懐かしき郷である六軒島。
 次郎助が外から家入を入れ茉莉花の願いを潰そうとしたのは、自身の辿る他の可能性を潰したかったから。
 磊一が外の人間なのは、六軒島を出て作家八城十八として大成し立派な人間として懐かしき郷へと戻ってきたため。
 人間社会から来たという設定になっている。


 必要最低限の駒で、必要最低限の概要を説明しきっている。
 実にできた“ゲーム盤”だと思う。

 どうかな、この配役には自信があるんだけど。
 百点満点もらえるかな?


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  1. 2019/12/25(水) 20:10:32|
  2. バケモノたちが嘯く頃に
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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