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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


【キコニア】AIは人に成る夢を見るのか

 これは前回考察した時に思い付いたことなんだけど。
 “神”即ち管理AIの動機は、尊厳ある新人類を誕生させることだと考えているが、これに裏の動機があるんじゃないかと。

 まず、仮想現実の管理AIである“神”はフェザリーヌに相当する。
 可能現実から脱して誕生する子供は、ヤス即ちベルンカステルに相当。
 で、その子供は都雄だろう。
 それを象徴するように、名前は猫の鳴き声で部隊の名はウォーキャット。
 そして正体はプログラムだと示唆されている。

 フェザリーヌこと八城はパラレルプロセッサーのようなもの。
 その脳には自身が生み出した別の人格が寄生している。

 ならばキコニアの管理AIもパラレルプロセッサーと見做しても良いのではないか。
 仮想現実を管理しているシステム=“神”であるならば、そのシステムより生じたプログラムである都雄は、“神”の子にして分身と言える。

 つまり、自らの分身である子を人間として生み出したいという願いは、即ち八城と同じもの。
 であるならば、その願いは、自身が人間に成りたいという願いの代わりである、というのもまた同様なのではないか、と。

 つまり、人類のために尊厳ある人間を生み出したい、という表の願いの裏に、自分の代わりに分身を尊厳ある人間として生み出したい、という願いが隠れているのではないかと。
 そんなことを思いついたのだ。


 人格プログラムを人間の脳にインストールにすることで、AIが人間に成ろうとする。
 それは人間であるか否か。
 プログラムに従う駒なのか、それとも自分のことは自分で決められる人間、即ちプレイヤーなのか。

 プレイヤーの席を与えないというなら、プレイヤーの席を与えることが勝利条件なのかね。





 私的には、AIが機械的に運命を生み出しているより、意思によって運命を生み出しているという方が好みなのだよね。
 人類の為に~というのは何というか、義務感とか使命感とか、立場から生じるようなものだと、誰だろうとその立場に立てば同じようにするんだろうな的な感じがして、個人としてはどうなんだと問いたくなる。
 その点、人間に成りたい、自分の代わりに人間に成って欲しいというのは、個人の顔が見えたようで嬉しい。

 運命を作るのは人の強い意志。
 運命を作るのは人の意思であるべきだ。
 だから運命を作ったならそれは人なのだ。
 運命を作る意思は、生きる力そのもの。
 運命を作るAIは生きていると言っても良いんじゃないかな。


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  1. 2019/12/14(土) 19:05:12|
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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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