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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


なく頃にシリーズの執筆者

 前回、執筆者の動機が「うみねこ」から「キコニア」へと連続していると感じた。
 以前に書いた、八城が「キコニア」の執筆者であるという思い付き、真剣に考えた方が良いと思ったので何か書いてみる。


 無論、なく頃にシリーズの作者は竜騎士さんだ。
 だがうみねこでは、物語は作中作であり、作者と物語の間に“作中の作者”(以下、執筆者)がいた。
 よって、「ひぐらし」や「キコニア」にも作者と物語の間に執筆者がいるという裏設定があっても不思議ではない。

 うみねこ風に言えば、執筆者とは竜騎士さんの代わりとなって物語を紡ぐ駒。
 なく頃にシリーズの世界というゲーム盤に置かれた代理の駒。
 なぜそんな代理の駒が必要かというと、その虚構の世界の中には竜騎士さんは存在しないからだ。
 外側の現実にいるのだから当然だが。


 「うみねこ」のゲーム盤の構造もこれと同様。
 執筆者=真犯人なのだが、現実を模したゲーム盤には自身の代わりとなる駒を置き、その代理の駒の犯行を物語として描いた。
 これが私の考える「うみねこ」の真相。


 なく頃にシリーズに共通の執筆者がいると仮定して。
 「ひぐらし」と「キコニア」では執筆者の存在は隠されているわけだがら、執筆者に言及している「うみねこ」が一番執筆者のいる世界に近いと考えるべきだろう。
 いや、執筆者の真実についてを問うていたのが「うみねこ」だったと言うべきだから、「うみねこ」における現実の階層が執筆者のいる世界であるのだろう。

 つまり、「うみねこ」がなく頃にシリーズの中心となる世界であると思うわけだ。

 そんなわけで、かつて「ひぐらし」のキャラが「うみねこ」にも流用されていると言われていたが、それは逆で「うみねこ」のキャラが「ひぐらし」に流用されていると見るべきじゃなかろうか。


 「ひぐらし」の登場人物である羽入は、「うみねこ」のフェザリーヌ=八城が元となっている。
 羽入は「ひぐらし」のゲーム盤上の駒たちには認識されず、ゲーム盤の運命を俯瞰できる力を持つ。
 物語の最後では、そんな存在が駒たちの輪の中に迎え入れられる。
 そのことから読者の代理のキャラと言われていたが、正確には執筆者の代理だったのではないか。

 その視点で羽入の設定を考えると頷ける点が多い。

 羽入は世界を観測する際、登場人物の後を付けるという特徴を持つ。
 「うみねこ」において執筆者は、自分の代理の駒がいる世界を観測するとき、駒の思考をトレースして駒視点で観測するという方法をとっていると、まあ私は考えているわけだけど。
 トレース、即ち、追跡。
 ゲーム盤の住人からすれば、執筆者とは自分の一歩後ろを憑いてくる目に見えない存在なのだろう。


 続いて羽入の巫女である古手梨花は、「うみねこ」ではフェザリーヌの巫女であるベルンカステルであり、執筆者右代宮真里亞こと八城幾子の代理の駒である犯人ヤス。
 で、羽入は梨花の脳に寄生する寄生虫なのだが、これは「キコニア」ではパラレルプロセッサーという設定となっており、元の「うみねこ」では頭の中に作ったゲーム盤に置かれた自ら考える駒である。

 現実ではヤスは執筆者の頭の中に住んでいる存在だが、表と裏を引っ繰り返した虚構の世界では、ヤスが肉体を持ち、執筆者は肉体を持たない。
 つまり、ヤスの頭に寄生していると、解釈できるわけだ。

 要は、「ひぐらし」も「うみねこ」も「キコニア」も、パラレルプロセッサーの話なんだよね。
 そんな特殊の話が三度続いたなら、ひぐらし風に言えばそれは必然。
 強い意志が反映されていると見るべきだ。
 そしてうみねこ風に言えば、繰り返して描写されたならそれこそが主張したいこと、理解して欲しいところである。

 つまり、同一人物による強い執筆動機があると。
 私はより強く確信するに至るわけである。


 で、「キコニア」だけど。
 “神”が管理する仮想現実が、「うみねこ」の造物主の頭の中に広がるゲーム盤世界に対応。
 全人類の脳を繋いだ巨大サーバーが、フェザリーヌの八百万を束ねて超える思考に対応している。

 これはつまり、世界の変更。
 元々脳内世界だから、舞台設定ごと変えることができるわけだ。
 ゲーム盤の舞台を雛見沢にすれば「ひぐらし」、六軒島にすれば「うみねこ」、A3Wにすれば「キコニア」。
 さらには、魔法解釈にしたり、オカルト解釈や寄生虫解釈にしたり、SF解釈にしたりした。
 道理で同じ駒が使い回されたりするわけだ。

 それでキコニアは仮想現実をぶち壊して外に出る話。
 つまり、親を殺すことで子が生きる力を得る、というものなのだけど。
 うみねこも、親である主の真実を殺すことで、子である駒の真実が生きられる、蘇られるという話だし。
 ひぐらしも、羽入が子に殺されることで雛見沢の歴史が始まるのだ。

 ひぐらしのこの話は当時唐突に感じたものだけど、こうして振り返ると必要な話だったんだなって感じる。



 執筆動機についてだけど。
 「ひぐらし」で描かれたのは、自身の代わりの駒が生き延びる運命を紡ぐまで。
 壊れる運命にある夢の続きを望んでいる。
 さらに言えば、作者が虚構の世界に入り、その仲間に入れてもらってハッピーエンド。
 夢だけあれば幸せであるという、現実逃避の幼い願望。
 執筆者の幼少時の願いが仮託されていると思われる。
 殺した母を輪に受け入れて終わるのだから、これは黄金郷なのだろうね。

 「うみねこ」は現実と向かい合おうとする葛藤が描かれている。
 正確には、人間と向き合おうなのかもしれないが。
 互いに人に成ろうと願い努力し、しかし人にとって真実は一つしかないから、勝ち残れるのは一人だけ。
 互いに相手こそ人に成って生き残って欲しいと願い、捻じれた螺旋の物語。
 壊れた夢を拾い集めて蘇らせる話であり、死者に会うために冥界に下る話。
 つまり、死者と生者を交換する話。
 自身の代わりに人々に愛される物語になって欲しいという願望。
 人として人に愛される幸せと、世に物語を送り出す作家としての幸せを天秤に掛けている。
 執筆者の現在。
 願いに決着が着くまでの話。

 「キコニア」はその後に託す希望が描かれるのだろう。
 己の死と引き換えに産み落とした物語が、力強く生きていくことを願う気持ちが仮託されている。
 自身が叶えられなかった夢を、子に託す。
 老人は若者を搾取するが、老人は死に、未来は若者が作る。
 人としての尊厳を取り戻す話。


 そんな感じかな。





 至高天に到達した感で満足感が強くて、そろそろ思考停止しそう。
 ここまで考えたから良いだろ的な。

 キコニアのタイトルが以前は別のタイトルが仮に付けられてたみたいだけど、キコニアより直接的と言うと、赤ちゃんのなく頃にとかかな。


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  1. 2019/12/07(土) 20:14:55|
  2. WHEN THEY CRY
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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