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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


キコニアを支配する運命/運命を決めるのは誰か

 ひぐらしでは絶対の運命が、うみねこでは無限の運命が支配していた。
 ならキコニアでは?

 私は奇跡だと思う。

 全人類は脳だけとなりAIが管理する仮想現実で暮らしている。
 それは言うなれば、人類が“神”の家畜となっていること。
 それは人と言えるのか。
 人であるなら、自らの運命は自らで決めるべきだろう。

 ゲーム盤から抜け出して、人としての尊厳を取り戻す。
 それが“神”が開催しているゲームの目的だと私は考えている。

 一見、人類を滅ぼす側とそれに抗う側による対決型のゲームに見える。
 だが実際は、同じ目的を目指す協力型のゲーム。
 つまり、ゲームをクリアしてくれなくてはGMが困るわけだ。
 だからクリアするまでゲームが繰り返されている。

 これはつまりひぐらしとはプレイヤーとGMが逆ということ。
 ひぐらしではプレイヤー側が奇跡を求めて繰り返していたが、キコニアではGM側が奇跡を求めて繰り返している。
 つまりうみねこ風に言えば、キコニアのゲームマスターはベルンカステル卿ということ。


 仮想現実“A3W”をゲーム盤とするならそのGMはそれを管理する“神”だが、それを含めたキコニア世界をゲーム盤とするとそのGMはベルン。
 その視点からすると、“神”はベルンの駒ということになる。

 で、ラムダデルタ卿はプレイヤー側。
 今回は味方だと思って良いだろう。
 その駒はたぶん、無論のことフィーアとジェストレス。
 絶対の意志を体現するだろう駒がそれぞれ異なる立ち位置にいるならば、それは持つ情報が異なるということ。
 つまりゲームチェンジ。
 対決型から協力型へ、ということじゃないかと。

 話を“神”に戻すが、こちらも同様に奇跡の意志を体現した駒だということになる。
 奇跡が出るまで永遠に繰り返す覚悟がある。
 が、人間の精神は永遠に耐えられない。
 だからこそ“神”は人間ではなくAIだと思うわけだ。



 うみねこ側から見るとキコニアはひとつのカケラで、完結すれば図書の都に収められる本の一冊になるのだろう。
 で都雄は猫の魔王の一体になる。

 まあそんなことキコニア側からすればどうでもいいことなのだろうけど。

 人間は自らの運命を自分で決めなくてはならない。
 未来を作るのがそういう人間であるべきであるなら、読者がキコニアの辿る未来の運命はこうであると決めつけるのはいかがなものだろうかと思う。

 ひぐらしやうみねこではより良い未来、より良いカケラを紡ぎ出すことは自由であり、むしろ推奨されていたと言える。
 だがキコニアでは、中のことは中の人間が決めるべきであるとしている。

 これはあれだ。
 駒にプレイヤーの席を与えないのは、何も敵プレイヤーだけではない。
 読者もまた駒にプレイヤーの席を与えようとしていないのではないか?


 考えてみれば、物語の運命は主人公が切り拓いていくのは当然のこと。
 物語の運命はそこで生きるキャラたちが決める。
 現実と虚構は切り離されていて、読者は物語に干渉できない。

 だがひぐらしで、読者は物語に干渉できる余地を与えた。
 住む世界が違えど愛する駒を救うことができるのだと。
 そして続くうみねこで現実と虚構の力関係や立場を説明した。
 現実が上で、虚構が下だと。

 しかしうみねこを考察すれば解ると思うが、現実と虚構は常に交錯し、時に立場を入れ替えたりする。
 さらには、執筆者は現実と虚構は対等であると主張する。
 場合によっては現実より虚構が上にくることもあるし、価値観によっては現実より虚構が大切にされることもあると。

 だがどう足掻こうとも、虚構が現実の上に立とうと、駒が主の掌を出ることはない。
 だからキコニアでは駒が神の掌より出ることが描かれるのだろう。
 それは神の切なる願い。

 そう、だからキコニアは、死ぬ定めの老人が未来を生きる若者に希望を託す物語で、造物主の掌より出て一人の人間と成って生きていく物語。
 神は死に、人が生まれる。
 うみねこのラストノートに重なるな。

 ああ、もう確信した。
 執筆動機はこれしかない。
 これしかありえない。
 己の死と引き換えに娘を産んだ母が次に願うこと。
 それは己の子が力強く生きていくことだろう。

 咲とキコニアが同時発売だったのは、ラストノートの最後で次になこうとしているものの話をしたのは、このためだったのか。
 私は貴女の願いに寄り添うとすでに決めてしまっている。
 なら是非もなし。
 その次の願いも了承した。
 貴女の娘が人間に成ったのなら、一人の人間としてその意思を尊重しよう。

 だから、キコニアで都雄が“人間”に成るのを見守ろう。
 そしてその暁には、駒ではなくプレイヤーであると認めよう。



 最後に一言。
 やっぱうみねこじゃねーか!!!


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  1. 2019/11/30(土) 20:08:51|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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