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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


「うみねこ」から「キコニア」へ

 うみねこからキコニアへ、どう遷移したのか。
 私から見たそれを書き出してみる。


 うみねこは私から見れば「真犯人がゲーム盤上に自身の代わりとなる駒を置き、その駒を犯人とする物語を紡いでいる」というもの。
 異なる過程で上書きする。
 即ち、異なるロジックを用いた異なる犯人を生み出した。
 現実に存在しないものは幻想、つまりファンタジー。
 これがミステリーとファンタジーの融合。

 現実に存在しないとは、肉体がないということ。
 しかしそれでも真犯人は、魂は存在すると主張し、魂の結びつきに価値を見出した。
 つまり、肉体など不要という思想だ。
 そして真犯人はこの現実にはいない魂だけの存在を人間だと認めさせるためにゲームを開催した。

 その思想は真犯人個人の価値観であり、その物語は真犯人の心の中にだけある世界だ。
 そして、それをゲームを通して共有できるのは千人に一人である。
 非常にマイノリティの思想なわけだ。


 一方キコニアは、「全人類が肉体を棄てて脳だけとなり超巨大サーバーで繋がり魂だけで交流する」というもの。
 言うなれば、マイノリティだった思想を無理やり認めさせてしまった世界。
 うみねこは現実には不可能だったから、心の中の物語、ファンタジーだったが、キコニアは現実に可能だったらと仮定したサイエンスフィクションなわけだ。

 うみねこは肉体に価値を認める世界から、魂に価値を認める世界へ移行しようとしたわけだけど。
 そこからするとキコニアは、肉体のない魂だけの世界から、肉体もしっかり備えた真っ当な生命として生きる世界へ移行する話になるだろうと予測できる。



 他にも親子の話と見ると。
 うみねこは、駒という子供を生んだ母の話。
 キコニアは、滅びることが約束された人類がノアという種子を残そうとする話。
 つまり、子を産む母と生まれる子という対比。

 さらには、世界を蘇らせる話と世界を滅ぼす話であり、輝かしい過去を取り戻そうとする話と輝かしい未来に繋げようとする話でもある。

 ちなみにひぐらしは輝かしい今を続けようとする話。
 過去、現在、未来と綺麗に揃っているな。

 ひぐらしは今がずっと続くと信じている子供の話。
 うみねこは過ぎ去った子供時代を振り返る大人の話。
 キコニアは訪れる死を身近に感じ子供に未来を見る老人の話。

 こう見ると、なく頃にシリーズも着実に進んできたんだなと思える。



 最後にテーマを比べてみるか。

 ひぐらしのテーマは友情。
 手を繋ぎ皆で輪を作れば争いは起こらない。

 うみねこのテーマは愛情。
 輪から外れた者の心に寄り添えば世界は広がる。

 友情は皆と共有できるけど、愛情は皆と共有できない。
 これが答えを明かす明かさないに繋がったわけだけど。

 で、キコニアはというと、私は希望ではないかと思う。
 輪そのものが終わるとき、残すべきものは何か。
 それは希望であると。


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  1. 2019/11/16(土) 20:20:00|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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