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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


『白金のエンピレオ』歌詞考察

 ポメグラジオで『白金のエンピレオ』のフルを聞いた。
 後半の歌詞も色々と意味深なのが多い。
 “明日を生きる希望の牢獄”とか“魔女の消えたこの部屋に満たされる未来などない”とか“愛すべき魔女のため神を棄てて人に還る”とか、再読したから何となく理解できるフレーズばかりで嬉しい限り。

 そんな中、“黄金の言霊を砕き愛を知る者たちを嘲笑い虚妄に還す”とあり、「あ、本気なんだ」って。
 確かに、999人の読者を切り捨てる奇書と言っていたけど、本当に切り捨てる気なのか。
 まぁ、ヤスが犯人ってのは、皆がそう思うならそうなんだろうな、的に安寧としている人が大半だろうから、一度引っ繰り返してみて、どれだけ生き残るか試したくはなるけど。
 ヤスへの愛は本物かどうか。
 愛や真実ってのは誰にも否定できないものだから、しっかりと握りしてて離さないようにして欲しい。
 うみねこは愛や夢が破れそれを取り戻す物語で、そしてそれは執筆者の過去をなぞるものでもある。
 まぁ、貴重な経験になるんじゃないかな。

 というか、あれだ、EP7の時の私と同じような体験になるんじゃないか。
 想定していたのと違う犯人が現れて、滔々と過去を語り出したりして。
 あれはきついよ。
 誰も助けてくれないし。
 自分で自分を助けるしかない。
 自分で垂らした蜘蛛の糸を、自分で掴み取るかのような地獄。
 自説を掴んで地獄へバンジージャンプ的な、こう、絶望と希望の狭間を潜り抜けるようなスリル。
 それをぜひとも皆にも味わって欲しい。

 まぁ、これは私の予測に過ぎないわけだが、覚悟はしといた方がいいと思う。




 さて、じゃあ歌詞の考察をやっていこう。


 一番の歌詞に“最後の夢が消えるまで”とある。
 夢はヤスのいる虚偽の世界。
 その最後のだから、戦人=十八のいる未来の世界のことかな。
 続いて“傷をなぞり旅は続く”
 これは思考の旅。つまりゲーム。

 二番の歌詞は“最後の夢が終わらない”
 それが終わらないということは、ゲームが終わらないということ。
 続いて“明日を生きる希望の牢獄”
 これは二人で共に明日を生きるという希望。
 そしてその希望により繋がれた牢獄。
 要するに、ゲームのこと。

 まぁ、我らの告白まで出したのに、3つ目の物語はスルーされたし、そりゃ終わらんなと。

 ヤスの物語が綺麗に決まり過ぎたというのもあるだろう。
 その外側に何かあっても、内側にいれば安心できるから出たくないというのもあるだろう。
 それ以外を一から構築するのは面倒臭いというのもあるだろう。
 でも、我らの告白に書かれているように、そこからは一人でやっていくしかない。
 皆がそうだからという安心を断ち切って、一人で全てをやるしかない。
 その果てに見えてくるのが3つ目の物語なのだから。

 
 “神を睨み貴方は抗う、幸せの魔法を紡ぐため”
 幸せの魔法は、二人で黄金郷に辿り着く奇跡だろう。
 神はフェザリーヌ。
 なら貴方は、プレイヤーか『真里亞』か。


 “愛も夢も世界に勝てず”の“世界”は現実のこと。
 “夢”はヤスのいる虚偽の世界のこと。
 “愛”はヤスへの愛。
 つまり、ベアト殺人事件でヤスが死んだこと。
 二人で共にいる未来がなくなった。
 だから“魔女の消えたこの部屋に満たされる未来などない”となる。


 “白も黒も是非もなし”
 一番の歌詞に“嘘とまやかしを黒く染めよ”とあり、ウィルの刀のことも考慮すれば、白と黒は真実と虚構のことを指すのだろう。
 それが是非もなし。
 つまり、真実と虚構に上下はなし、対等であるということ。
 よって、黄金の真実も不要。
 あれは本当の真実と同等であるという保証なので、もうそんな保証も必要ないということなのではないか。


 最後は“全てを忘れて至るカケラさえ今はいらない、愛すべき魔女のため神を棄てて人に還る”
 フェザリーヌが神になったのは、夢も現実も自分の世界だと思えなくなったから。
 つまり、人であることを忘れたから。
 しかし、八城が生き残ったのは、死んだヤスの願いである、人として生きて欲しいのいう願いのため。
 全てを終わらせれば、一人の人間として生きれるはず。
 そして二人で一人なのだから、それが二人で生きる未来になる、かなと思うのだがどうだろう。


 これまでの話は人間になるための一歩だったけど、今回の話は人間になってからの第一歩って感じなのかも。





 ピースのゲームを妄想してみた。

 ベアトのゲームは、ヤスが犯人だと主張するためのもの。
 だがピースのゲームは、『真里亞』が犯人だと主張するためのものだろう。
 それを前提に考えるとするとだ。
 ベアトにはできないゲームになる可能性がある。

 ベアトはヤスを主張するために、ヤスが犯人だと推理してもえるように碑文の儀式を観測させる必要がある。
 これはヤスが幻想の存在なので、観測されなければ存在できないからである。
 つまり、事件の起承転結の起を起こさなければならないのだ。

 それに対して『真里亞』は、観測されずとも存在している現実の存在。
 つまり、事件の起を起こさなくてもいいわけだ。
 そこで思ったんだが、最短のシナリオとして、最初の晩に全員殺害する、があるのではないかと。
 トリック? 動機? そんなのどうでも良い。
 犯人は誰か? それだけを問える。
 それもヤスを否定して。

 で、一人一人名前を上げて犯人であることを否定し、死亡していることを確定すれば、島にいる善人に犯行は不可能となり、いるはずのない存在が犯人であることが浮かび上がる。
 ヤスのいる世界にとって、『真里亞』はいるはずのないニンゲン。
 つまり、魔女であろうが、人間であろうが、ファンタジーの存在なのだ。

 この構図は良いね。
 私からすれば、ヤスは存在しないニンゲンつまりファンタジーで、それと戦ってきた。
 逆からすれば、私の主張はファンタジーで、存在しないニンゲンが突如登場したかのように見える。
 クローズドサークルのはずなのに、一体どうして? みたいな。
 度肝を抜くこと請け合いだろう。

 これを入り口として、これまでのゲームにその犯人が登場していたのかを振り返る形で、これまでのゲームを紐解いていく。
 そんな感じなのはどうだろうか。


 こういうの妄想しているだけでも楽しいなぁ。

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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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