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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


再読を終えて

 今回の再読でわかった世界の階層についてのまとめ。

 現実世界に主がいて、その主の心の中のゲーム盤に駒が置かれている。
 これが基本。
 最初は主である真里亞が、駒であるヤスの物語を紡いでいた。
 ゲーム盤であるニンゲン世界は、現実世界を基にヤスのいる世界として解釈されて上書きされたものとなっている。

 そのうち、ヤスが上層のプレイヤーを知覚したことで、プレイヤーである魔女ベアトリーチェに昇格。
 ニンゲン世界の上に魔女世界ができ、そこで魔女として真里亞と共にニンゲンたちの物語を紡ぐことになった。
 このヤスと共にいる真里亞は、主である真里亞の駒であり分身であり魔女。
 主である真里亞は、その人間たちの物語を紡いでいる魔女たちの物語を紡いでいる。
 要は、主とその巫女の関係。

 つまり、下層のニンゲン世界(平行世界)にいるのが、ニンゲンヤスとニンゲン真里亞。
 中層の魔女世界にいるのが、魔女ヤスと魔女真里亞。
 上層の現実世界にいるのが、主である人間の真里亞。

 やがて戦人に心を推理してもらうための物語を真里亞とベアトが紡ぐようになる。
 推理されるのは、ヤスの心か、真里亞の心か、という葛藤が生じるが、戦人が来ずそれが解消されないまま運命の日を迎える。
 ルーレットで選ばれたのは、ヤスを犠牲にして真里亞が生き延びるというもの。

 生き延びた真里亞は八城を名乗るようになる。
 目的は三つ。
 ヤスの願い通り、一人の人間として立派に生きること。
 自身の願いである、ヤスと寄り添いたい、蘇らせたいというもの。
 その異なる目的が八城の心を引き裂き、二つの人格に分かれた。
 正確に言えば、ヤスを蘇らせるために偽書を執筆する真里亞と、その真里亞の物語を紡ぐ八城という形。
 つまり、さらに上層を作った。


 それらから猫箱の物語の階層を説明する。
 
 ますは最下層である、無限に繰り返す二日間のニンゲン世界。
 下地は真里亞の世界で、その上に塗られているのがヤスの世界で、さらにその上に塗られているのが魔法説の世界。

 続いてニンゲン世界の上層にあるのが、魔女ベアトの世界。
 下層のニンゲン世界は、ベアトにとって領地。
 そのニンゲン世界の物語を、ベアトは無限に紡いでいる。
 物語を紡いでいる目的は、ヤスか真里亞の心を推理してもらい、その心を認めてもらうため。
 この物語は、最終的には恋の決闘を行い、ヤスが勝って戦人と結ばれて終わる。
 それがEP6。
 が、これは物語なので、さらに上層に執筆者がいることは確定している。
 八城やらフェザリーヌやら縁寿やらが出てきて、それは示唆されている。

 次からはベアトの猫箱の外、領地の外。
 魔女の世界のさらに上層から、魔女ベアトの物語を紡いでいるのが真里亞。
 目的は、贖罪。
 読者にヤスの真実を推理させて、その真実によって、自分がベアトを殺したという真実を塗り潰すために、メッセージボトル及び偽書を書いている。
 それが果たされたのがEP7のベアトの葬儀。
 しかし、それを覆すようにお茶会裏お茶会があるように、それで終わらせない意思があることを暗示している。

 さらにその上層で、その真里亞の物語を紡ぐのが八城とベルン。
 主とその巫女が、上層が作られていくままに昇格していった姿。
 贖罪する真里亞をゲーム盤の駒として置くことで、真里亞は現実の肉体という檻より解放される。
 つまり、未来から過去へ、猫箱の外から中へ、魂をヤスの所へと辿り着くという物語を紡げるわけだ。
 それがEP8の入水。
 二人の魂は永遠に寄り添い合うというエンド。
 そして現実である八城を描いたのが裏お茶会となるのだが、実際にはベルンによってヤスの世界が修飾されている。
 つまり、最初の、ヤスが真里亞の世界をヤスの世界に解釈して物語を紡いでいたように、ベルンが八城の世界をヤスの世界に解釈して物語を紡いでいる。
 そういう形に収まっていることが描かれている。
 これは、真里亞とヤスが黄金郷に辿り着き、世界を満たしたことで、八城の世界が安定を取り戻したということなのか。
 とりあえず、過去の未練を晴らし、心に刺さっていた棘を抜くことができたことだけは確かだろう。


 うん、私は八城とベルンが仲良くしていてほっとする。
 一周して元の鞘に戻ったというか。
 何も変わらないという意味じゃなくて、0.0が1.0になったみたいな一周してきた感じ。

 さて、まあなんだ。
 上層の存在が下層の物語を紡いでいるという形をとっているので、執筆者の目的を探ることによって、その全貌を明らかにすることができるのだろう。
 そして私は、恋の決闘から見える三つの目的から解釈したわけだ。
 即ち、ヤスを殺して真里亞が生き残る物語。
 真里亞が死してヤスを生き返らせる物語。
 真里亞とヤスが永遠に一緒にいるための物語。
 それらから想像したのだ。

 上層などの執筆者関連は、読み手の想像に任されているから、色々と遊べる部分だと思う。
 無論、ヤス側の物語でも執筆者関連は色々と想像できると思うが、なんて言うか横に広がる的な感じで。
 こちら側の物語は、こう縦というか上というか、その方向に色々想像できるのが面白い部分なんじゃないかと。





 今回の再読で、フー・ハウ・ホワイの3つの中で、ホワイダニットが何よりも重視されているのがわかった。
 なんと言っても、物語全体を使って心が表現されているわけで。
 ミステリーに詳しいわけじゃないので何とも言えないが、ホワイダニットにこれだけ分量を掛けた作品てないんじゃないかな。

 ミステリーの舞台となったのが、執筆者の心の中のゲーム盤という点からして、心を表現するのに適している。
 そのゲーム盤にて、駒たちによる殺人劇が繰り広げられた。
 殺人劇は殺人劇として、事件の謎と解くミステリーとなっている。
 しかし同時に、なぜそんな劇を演じる必要があったのか、その劇を通して何を伝えたいのか、劇の役者たちや演出家の真意を解くミステリーともなっている。

 劇であることで、役柄と役者を切り離して、別々に考えることが可能になる。
 その劇の舞台が心の中のゲーム盤で、役者たちは駒や家具たちである。
 つまり、主であり創造主である者の心を表現する劇となっているのだ。
 
 文学で紀貫之が男である自分の身に起こった出来事を、女である自分に仮託して日記を書いた。
 だから、自分のことを、別の人物に仮託して描くというのは古典。
 と言っても、我は我にして我等なりなので、最終鬼畜全部我なんだけれども。

 まぁ、ミステリーの舞台としては、かなり斬新だったんじゃないかと。
 メタなミステリーはそこそこ良くあるし、劇仕立てのミステリーもなくはないと思う。
 でもこの規模でやった例はないだろうし、それでも物語の表裏が合わせられているというのが凄まじい。
 そして何よりも、その全力を尽くさなくては書けないだろうこっちの物語を、誰も読まない可能性があったにもかかわらず、全力で書けたというのが何とも、空前絶後のミステリーという感じ。
 ミステリーって手垢塗れのジャンルで、新雪を踏みしめる感触を味わえるとは思わなかった。
 実際、まだ誰もここまで推理してないはずだと思うし。
 これは物凄い貴重な体験をさせてもらったな。
 やって良かった再読。


 後、この物語は母と子の話でもあるので、母親たちがかなり目立っていたのは、そのためだったんだなと納得。


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  1. 2019/08/10(土) 20:29:15|
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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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