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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


続・EP6を再読

 譲治対絵羽。

「亜由美さんと結婚させたいのは、それが母さんにとって利するからさ。……母さんの縁談には、僕の気持ちがわずかほども含まれていないっ。」

 読者が結ばれるべき真実を出題者が決める。
 そういう文脈で読んでいく。


「今日まで。立派に育ててもらって、本当に感謝してる。僕も子を持って親になったら。………母さんみたいな親になるよ。子供のために、本当に戦える、世界で一番尊敬できる親にね。」

 子のために戦える母。
 それは即ち、ヤスのために戦う八城。


「今、僕は、母さんを見ていないからさ。……僕の目に映っているのは、……僕の選び取ろうとする未来の前に立ち塞がる、試練の壁だけさ。……母さんだって人間だ。夢や野心があって、それを今も追い続けてるのは知ってる。そしてそれを、素晴らしいと思う。……自分の夢を決して諦めないことの大変さを、僕たちは知っているのだから。」
“だから、その素晴らしき力を、僕も受け継がなきゃならない。”
“僕は、両親や友人たち、そして紗代から、様々なものを学んで成長してきた。”
「その最後に学び、獲得して完成されるのが本当の、………右代宮譲治という男なんだ! 僕は今、あなたという最後の壁を、超えるッ!!」

 幼い頃の夢を叶えようと、諦めずに追い続けている。
 本当に凄いよな。
 でも今は壁。
 自分の推理を切り開くために、いくつもの壁を乗り越えてきた。
 だから、最後の壁も乗り越えて見せよう。
 そうすることで、プレイヤーとしての私は完成する。
 …そんな感じ?
 これも、今までにあった色々な人やもののお陰だなぁ。


“神の座を求めた孫悟空に、お釈迦様は試す。”
“この手の平から飛び出すことが出来たなら、それを認めようと。”
“そして孫悟空が辿り着いたと思った世界の果てにそびえ立つ五本の柱は……、お釈迦様の指で、未だその手の平を脱してさえいなかった、というエピソード。”

 神の座を、フェザリーヌの階層とするならば、19人目の真実もまた想定の範囲内。
 神の真実にまで至らないとならないのだろうな。
 それに比べりゃ、ヤスの真実など小さい小さい。
 世界の半分でしかないからなぁ。


「“馬を水場に連れて行くことは出来るが、水を飲ますことは出来ない”。」

 いくら推理できるように作っても、推理しない人は推理しないからなぁ。


「“子に釣竿を買うな。一緒に釣りに行け”。」

「子供はね、親が見ていないと伸びないの!! 子が芽なら親は太陽だわ! 太陽なくして芽吹く草木も、咲かせる花も存在しないの!!」

 「うみねこ」は作者と読者が一緒なって挑戦するものとしてデザインされているからな。


「思い上がったあなたは、孫悟空と同じに、少し反省とお仕置きが必要だわァ。あなたが改心したら、私が解放してあげる。」
「それは解放じゃないね、洗脳だ。………………うッ!!」
「何も考えなくていいの! ママに全て任せちゃえばぁ?! 私があなたの全てを決めてあげる。それがあなたにとって、一番素晴らしい人生なのよッ!!」

 何も考える必要もない、全てを任せなさい。
 そう言われている。
 つまり、自分で考える力がないと見縊られている。
 

「……“友を責めるな。行為を責めよ”、………だね。……これも、イギリスの格言だ。」

 ヤスをニンゲンだと認めさせたい友を責めるな。
 思考停止させようという行為を責めよ。


「………これもイギリスの格言よ。“子供を幸福で包むことが、最高の教育”。」

 真実に至れば読者は幸福。
 それが偽りの勝利だろうと、勝利した者は、その味を味わうためにまた勝利を求める。
 または、得た勝利をより良きものにしようと大切にする。
 つまり、推理や考察をしてくれるようになる。


「“全ての木に斧を一撃ずつ加えても。一本の木も切り倒せはしない”。」

「こっちの方がいいかな。………“学問に時間を費やし過ぎることは、怠惰に過ぎない”。………フランシス・ベーコン。」

 学んだことで何を成すのか。
 色々な考え方を学んでも、実際に自分なりの答えを作り上げなくては意味がない。
 それができてこその自立。


“ゼパルとフルフルが課した試練が、これ。”
““二人の愛を貫くために、一人の命を自らの手で捧げよ”。”

 愛を貫くということは、反対側の答えを殺すこと。
 その決意があるかどうかを問うもの。





 朱志香対霧江。

「せめて。私の産む子だけでも認知させたかったわ。……留弗夫さんもそのつもりはあったみたい。病院もきっちり用意してくれたし、明日夢さんの出産が近付いても、甲斐甲斐しく私のところにも来てくれてたっけ。………もはや向こうが本当の奥さんなのにね。ひどい人だわ、本当……。」

 子=真実。
 要するに、2種類のプレイヤーに、それぞれ別の真実を生ませようとしていた。
 そして、表向きは向こうの方に手掛かりやヒント、核心に迫るだろうものを手配し、裏向きにはこっちにもそういうのを手配してくれてた。
 酷い謎だわ、ホント。


“自分も明日夢も、……同じ日が出産日だった。”
“なのに、向こうの懐妊は結婚に結びつき、……私の懐妊は意味を成さなかった。”
“私は、絶対に自分の子を、留弗夫さんに認められる子に育てようと誓ったわ。”
“明日夢さんと私の戦いは、私の敗北に決まった。”
“生まれてくる子の優秀さで明日夢さんに勝てて…、留弗夫さんに、もっとも認めてもらえる子になれたなら、私は報われる。………そう信じたわ。”
「しかし、……霧江の子は死産だった。」
「えぇ。……明日夢さんにはお兄ちゃんが生まれた。……しかしお母さんからは、誰も。……お母さんの、せめて第二夫人の座に残りたいという最後の希望は、…絶たれた……。」

 私が生んだ真実を立派に育て上げれば、いつか認められる日が来るかもしれない。
 だからまだ負けじゃない。
 まぁ実際、そんな感じだな。

 でも死産だったと。


「でしょうね。……もし、死産が明日夢さんで、お母さんの方がお兄ちゃんを出産していたなら。……何か歴史は変わっていたかもしれない。もしもそうだったなら、明日夢さんと離婚させて、自分と再婚するようなシナリオを描きたいと、思ってたみたい。」

 それでも子供は入れ替えられるから、見た目の結果は同じになる。
 それは真実の話でも同じ。
 執筆者の思惑として、ヤスの真実を認めさせることがある以上、ヤスを信じるプレイヤーの真実を認知するよ、って結果は覆ることはない。
 その結果だけを見て、死産だと信じることはない。
 その結果に至る過程を思い描き、それを信じることができれば死産ではなくなる。
 私の生んだ真実は生きているし、愛人じゃなく第二夫人だと信じることも可能。


「違う違う。………私の驕りだけよ。………留弗夫さんはもう私のものだから、絶対安全。……あんな明日夢なんていう小娘に負けるわけがない。」
「……彼女がバスや飛行機でぎゃあぎゃあ喚く時、渡井はその手配と経費を適正に処理できた。……だから私は一番、留弗夫さんに信頼されていると、……驕り高ぶっていた。」

 当時の私もそんな驕りがあったなぁ。
 真相に至って絶対安全。
 全ての事件のトリックで、全てを論理的に説明できたと思ってたし。
 まさか紗音嘉音同一説にかっさらわれるとは思わなかった。


「間違ってないわ。……二人で水をやり、世話をして、育む。……そして最後に結実するのが、愛という実なの。知ってる? 結実して終わりじゃないのよ? ……愛を収穫できなきゃ、恋は成就したことにならないの。」
「………収穫って……?」
「それは朱志香ちゃんが考えなさい。……実らせても、収穫しなきゃ、傷んで腐ることもある。虫が集ることだってもちろんあるわ。いいえそれどころか、……盗人が現れて、もぎ取っていってしまうことさえもね。」
「……………………。」
「朱志香ちゃんたち若い子の恋愛観は、育むところで終わってる。……それは甘いわ。……愛を収穫しなきゃ、恋は報われない。」
「愛を、……収穫……。」
「それは、一見、愛し合う二人きりだけの問題に見えて、そんなことはないのよ。だからいつ収穫しても自由なんていう先延ばしは、盗人に機会を与えるだけ。」
「……苦労して育てた実が、翌朝にもぎ取られてなくなっていたら? ……昨日の内に、面倒臭がらずに収穫しておけば良かったと後悔するはずよ。……辛いわよ、その後悔は。……地獄を這うわよ。」

 まあつまり私は、盗人に取られる前に、収穫することができたということか。
 それか、盗人に取られてなくなったのに、私の目だけには実があるように見えて、そのまま育てているのかもしれない。
 そもそも、自分が信じる真実は、自分が捨てない限りなくならない。
 だから、盗人に取られて消えるはずなんてないのだ。


「私は幸運よ。その地獄が18年で終わったから。……だからもう、私は自分を、間違えないの。……あの人は私のものよ。もう逃がさない、手放さない。そして主に感謝する。………その機会を与えてくれて。絶対にあの人を諦めないという“絶対の意思”に、“奇跡”が応えてくれたんだわ。」

 奇跡とは自分が起こすもの。
 諦めるに足るものを提示されていないのだったら、諦める必要なんて何一つない。
 ただ自分の信じる道を万進すればいい。


「それは愛ゆえにッ!! だから不死身なのさッ!!」
「あぁ、愛よ偉大なれ! 我らの祝福する者に不死身あれ!!」

 愛さえあれば、プレイヤーは不死身。
 殺したって死なないさ。





 嘉音対楼座。

「…………籍こそまだだったけれど、……これから結婚する相手で、パートナーだと思ってた。私の名前がなければ借りられないお金なら、それに協力するのが、未来の妻の役目だと思ったのよ。」

「でもね、……こうも思うの。………私が立派に返済しきったら、……それは彼が私に与えてくれた、愛の試練に打ち勝ったという意味にもなるの。……結局は返さなくてちゃいけない借金なのに、どうしてその結果、得られる愛を先に自ら捨てるの…? 返済してから考えても、遅くはないと思わない……?」

 これはヤスの話だな。
 これから結婚する相手は、無論19人目。
 ベアトリーチェの名を借りて、六軒島ミステリーをぶち上げてやるという事業。
 そして島を出てヤツは帰ってこなかった。

 愛の試練とはつまり、ベアトのゲーム。
 それを完遂いたらヤツは帰ってくると信じた。


「霧江さんの話が出たから言うけど。………彼女の話は、私にとって、希望、……夢なの。」
“男を奪われても、彼女は18年間、辛抱強く待った。”
“自暴自棄にならず、それでもなお留弗夫の側で支え、じっと伏して奇跡を待ったのだ……。”

 黄金の奇跡。
 それを伏して待つ。


「ある意味、私は亡霊なのよ。……私はすでに死んでいる。それに気付かず、生きている。」
「………決して来ない人を、永遠に待つ、亡霊……。」
「そうよ。………彼の夢を応援したいなんて甘えたことを言ったあの日に、私は多分、もう死んでいた。………やっぱり、あの日は後悔すべき日だったのかしら? 俺には夢がある。海外を巡りたい。このちっぽけな日本を飛び出して、必ず大物になって帰ってくる。……懐かしいわね…。」
「……あの頃の私は、互いの途方もない夢を認め合うのが恋人同士だ、みたいな考えだった。」

 ヤス、即ちベアトは、猫箱の中の亡霊。
 死んだことに気付かず、永遠の二日間を生きている。
 駒としてはこっち。

 あるいは、八城に取り憑いた亡霊。
 死んだ状態で存在している。
 プレイヤーとしてはそんな感じじゃないかな。
 蘇っても、元の状態には戻らない。
 そういう意味で、前のベアトは蘇らない、となるんじゃないかと。





 雛ベアト対夏妃。

「……夫を愛しているからこそ、私はここで待っています。……しかし、愛は寄り添うものと、私は思ってしまいます。……ここでこうしているのが、一番の協力になると、理屈ではわかっているのに、………そんな自分に惨めさを感じてしまうのです…。………辛いですね、……愛ゆえに、待つのは…。」

 これも猫箱の中で待つヤスの話。


“生ける者が生きようとする力は本来、魔法の力よりも強いのだ。”

 幻想が真実に成るためには、真実を殺さなくてはならない。
 それはつまり、真の自分を殺すということ。
 命は放っておいても生きようとする。
 命を諦め譲り渡せるのは、限りなく難しい。
 自身の力だけでは不可能だろう。
 よって、他の人間たちの力を借りる必要がある。
 全員が信じた幻想で、生きようとする自身を殺す。
 未来において絵羽が、世間によって作り上げられた幻想によって、真なる自分を殺されたように。
 そう、絵羽が世間に屈服し諦めたから、絵羽の中の真の絵羽は殺され、世間が信じる絵羽として生きるようになってしまった。
 ようは、そのように真なる自分を殺すということ。

 そして、縁寿が絵羽を理解していたら、真の絵羽が死なずにすんだだろうということから。
 求められているのは、まさにそれ。
 簡単に言えば、今から崖から飛び降りるから、手を掴んで離さないでくれ、って感じか。
 すげー無茶ぶり。


「ねぇ、ゼパル! これってありなの? ベアトリーチェは自分の力だけで試練を成し遂げていないわ?!」
「そうだね、フルフル! 確かに試練は、誰の助けも借りずに成し遂げなくてはならない!」
「でもね、ひょっとしたらそれには例外があるんじゃないかしら?!」
「「愛する二人は、互いで一人だもの! これは手助けじゃない!」」

 ヤスと19人目は、二人で一人。
 主の犯行が駒の犯行となり、駒の犯行は主の犯行である。
 過程を装飾したに過ぎず、結果は同じ。





 縁寿と八城と天草。

「……愛し合う恋人たちの数が、たまたま6人だっただけのこと。それが第一の晩とうかく合致したのは、偶然半分、様式美半分。……その方が運命的で面白い。」
「人間は、無意味な2つの事象を、無理やり関連付けようとする悪癖がある。それを運命的と読み解かせるのが、読み物の“騙し”でしょ。」

 無意味な2つの事象を結び付けた時、魔法は視える。
 結び付けさせた時、魔法を見せ付けることができる。


「それそれ。……人の家族を、物語の中で勝手に殺すことに対する怒りは置いておいて。……あえてこの物語を書いた八城先生に敬意を表して言うなら、その描写には、意味があることになる。何しろ、これだけの文章量を割いて、さんざん、愛だの試練だの語ってる。……つまりこれが、この物語のテーマであり、キーワードだってことになるわ。」
「……おや。……赤インク以外で書いた文字は全て読むに値しないとまで言い切る御仁も多いというのに。……光栄なるかな、人の子よ。黒い文字も読んでくれて。」
「物語は、書き手が何かを伝えるために書くものよ。そしてそれはどういうわけが、直接書いたら無粋という、奥ゆかしい面倒な作法がある。」

 愛があれば、駒の向こうに、その主の姿が視える。
 奥ゆかしいにもほどがある。
 出演した色々な駒の立ち位置に、19人目かヤスを置くだけで、これだけ読めるようになった。
 けど、奥ゆかしすぎて、誰か読めた人いるの? というレベル。


「あなたが書いた物語は“愛”が何度も繰り返される。でも、それは真里亞お姉ちゃんの主張でも、ベアトリーチェの主張でもない。……八城十八の主張だわ。」
「……そうです。それこそが、私が語りたいこと。そして、私なりの“答え”なのです。」

 1986年の右代宮真里亞ではなく、その家具たるベアトリーチェでもない。
 1998年の八城十八の“答え”。
 12年越しの、恋の決闘の決着。





 ゲームの開始。

「大丈夫よ、ちゃんと賭けるものは公平だわ。……今回のゲームに、探偵宣言なしのニンゲンで勝てれば、戦人たちの魔女幻想は粉々の再起不能。」
「……でも逆に、ヱリカが負けるようなら、このゴミクズ探偵は忘却の深淵に、最悪のカケラと一緒にブチ込んでやるの。」

 ヱリカは即ち、19人目。
 ベアトは即ち、ヤス。
 そのどちらかが再起不能となる決闘。

 即ち、19人目の真実とヤスの真実。
 その異なる2つの真実が、己を信じてくれるプレイヤーと結ばれるための決闘。
 そして三組目は、19人目の真実とヤスの真実が結ばれるという奇跡の目。





 第一の晩。

“このゲームはフェアだ。”
“魔法で起こしたと主張する不思議な事件を、魔法以外で説明するのが目的だ。”
“それが出来ないなら、ゲームじゃない。”
“即ち、ヱリカの言う通り“魔法以外で成し得なければならない殺人”というわけだ…。”
“……裏を返すと、魔女側には義務があるわけだ。”
“魔法など使わず、トリックで事件が再現可能であることが。”
“それをニンゲン側が看破できない限り、どんな魔法も幻想も許される。”
“……つまり、魔法で密室殺人を行うには。”
“ニンゲンの手で可能な事件を作らなければならない。”

「……魔女は魔法を以ってしても、自らに出来ないことを出来ない。……自らに出来ることのみ、魔法で“装飾”できる。」
「……面白きかな。……魔法を使わずして成し遂げる者が、魔法を語り、魔女を名乗るのだから。」

「……このルールを見破られたら、魔女に勝ち目はなくなるわ。……だから、それを見破られる前に、相手を屈服させなくちゃいけない。……長引けば長引くほど、……そしてヒントを与えれば与えるほど、……魔女は圧倒的に不利になっていく…。」
“また堂々巡りの思考。”
“……どうしてベアトは、負けるまでゲームを長引かせたのか。”

 ルールがよくわかっていない人間側にしか勝てないゲームとか、ゲームになっていない。
 それじゃ全然、無限に遊べない。
 普通、ルールが解って来てからがゲームの本番だろう。
 つまり、人間側が“魔法以外で成し得なければならない殺人”というルールを把握した後も、魔女側にも“互角”に戦う方法がなければならない。

 ゲームを重ねれば重ねるほどに魔女側が不利になるならば、なぜゲームを繰り返すのか?
 それを、勝つ気がないから、と答えるのは簡単。
 だがそれは、ベアトが本気で戦ってなどいないと断じるということ。
 ベアトが本気で戦っていると信じないことには、本気の戦いなどできない。
 だからそれは、プレイヤーとしてのベアトを見下しているようなもの。
 本気の戦いなどしなくても勝てるのだと。
 あれほどまでに、本気だ、全力だ、互角だ、決意だ、どちらが勝っても祝福できる~だ、言われているのにもかかわらず。

 逆に、ベアトが本気であると信じるのなら、長引かせているのは、勝つためだと信じられる。
 幻想として、長引かせることで有利になる点は、環境作りだと言える。
 長くなればなるほど、幻想が居得る環境は盤石となる。

 そして人間側と互角であると信じられるなら、“魔法以外で成し得なければならない殺人”と互角となるもの、即ち、別の“魔法以外で成し得なければならない殺人”を用意していると信じられる。


“しかし、ヱリカは知っている。”
“現実には可能でも、……今回の密室では、赤き真実によって、密室は外部から構築不能とすでに宣言されている。つまり、チェーンロックを外部から細工することは、不可能なのだ。”
“にもかかわらず。……ヱリカは、使用人にだけは密室が構築可能であるかのような幻想を抱かせ、彼らの思考を誘導する…。”
“ヱリカは、さも重要なことを真剣に打ち明ける風を装いながら、……自分が望む状況に、着実に誘導しているのだ。”

 生存者たちの行動は思考誘導の賜物である、というヒント。





 戦人陣営。

「ゲームは、消えるだろうな。……だが、俺はもう、魔法を完全に理解している。……だからお前を、ゲーム盤の外に連れ出せる。………それが、お前の望みだったはずだ。」

 ゲーム上のルールに基づいて生み出された幻想。
 それがヤスであり、そのヤスより生み出された虚偽の世界。
 1986年で永遠に止まっていたその世界の続きを綴る。
 それがヤスの望み。
 ヤスの世界を存続させられれば、その世界を生み出し維持しようという目的を持った思考、即ち、プレイヤーヤスを蘇らせたと言えるだろう。


「妾は、ゼパルとフルフルの試練に期待している。」
「勝者に与えるという、魔法の奇跡、……のことですね。」
「その魔法の奇跡とは即ち、一なる自分となれることではないだろうか。……妾は本来の姿に至れる。そなたは、それを望む戦人の期待に応えられる。戦人も万々歳で、ほぅ、三方丸く収まるというものだ。」

 恋の決闘は、一なる自分になるために必要。
 ヤスに良し、19人目に良し、そして私に良し。


「……なぜ、こんなに歪な天秤なのでしょう。」
「歪とは?」
「恋は得る者と得られない者がいる。……ならば、それらの天秤の両端に並ぶことは理解できます。しかし、私たちの試練の天秤は3つの皿が並び、1人の勝利のために2人が敗北するという、ひどく歪なものです…。」

 一つ目には、ヤスの真実と、それを信じるプレイヤーが。
 二つ目には、19人目の真実と、それを信じるプレイヤーが。
 三つ目には、ヤスの真実と、19人目の真実が。

 三つ目が謎いが、まあそうだな、簡単に言えば。
 三つ目には、ヤスの真実を信じるプレイヤーと、19人目の真実を信じるプレイヤーが乗っている。
 即ち、呉越同舟。
 異なる目的を持ったプレイヤー同士でも、究極的には、協力することはあり得る。
 まぁ、信頼し合わなければできないんだけど。




 ヱリカ陣営。


“魔女のゲームは、0か100。即ち、赤き真実であるか否かのどちらかだけだ。”
“彼女の優れた力は、並みの人間なら10のところを、99にも値するだろう。……しかし、決して100にはならない。”
“100に満たないということは、絶対ではないということ。赤き真実に届かないということだ。”

 読者の推理は、それだけでは99までにしか至らない。
 それを恋の決闘によって、他の可能性を淘汰し、100にする。
 その恋の決闘は、異なる真実を信じるプレイヤー間で行われる。
 そして、第6のゲームにおいて、同一説以外の説を刈り取ったプレイヤーは、その物語を描いた八城である。
 それと戦うプレイヤーは、それ以外の説を推すプレイヤーだ。

 さて、説明しよう。
 2人のプレイヤーは全力で戦った。
 八城は、ヤスの真実を100とするために、自身の真の真実をぶち殺した。
 私は、19人目の真実を100とするために、ヤスの真実をぶち殺した。
 合計が100%となる天秤。
 それを、それぞれ、100:0、0:100にした。
 つまり、それぞれが、それぞれの世界で、異なる一人のニンゲンだけを視ている。
 でも2人は同じゲームの卓につくプレイヤー。
 一人では片方しか視えない。
 しかし、両方の目で視れば、天秤は100:100。
 2人ともニンゲンに成れる。
 プレイヤー2人の間で生み出した世界では。

 合計100しかない天秤において、100:100は正しく奇跡。
 両者が全力で戦ったからこそ辿り着ける必然。
 絶対の奇跡。
 八城が切り捨てた19人目の真実を、読者が助け。
 読者が切り捨てるヤスの真実を、八城が助ける。
 それを信じなければできない賭け。
 そこまで信頼されるなんて、プレイヤー冥利に尽きる。

 ゲームは、100:100で引き分け。
 これでゲームは真に無限に遊べるものとなった。
 やはり「うみねこ」は最高の知的ゲームだ。


「…ありがとう……。……私、……本気で戦います…。全力で戦いますから、………だから、……絶対にお前をやっつけますからっ…、……だから、……もしも私に勝つ時は、………全力で、………叩き潰して下さい…。ぇっく……。………お願いだから、……塵一つ、……残さないで………。……ぅっく……!」

 ヱリカ=19人目だから、これはある意味本音。





 恋の試練。

「……みんながみんな、一緒に幸せになることは、出来ないのですね。」
「そういうのを、ゼロサムゲームって言うんだよ。経済用語だけどね、知ってるかい…?」
「い、…いえ、すみません……。」
「ゼロサムゲーム。勝利も敗北も、全てを相殺すればゼロになる。……誰かが勝利を得るためには、誰かに敗北を強いねばならない。……それが、世界の冷酷な原理だ。」
「………へっ。…みんながみんな。全員が幸せになれればいいのにな。………そんな理想の世界、……あるわけねぇか。」
「うぅん、あるよ!」
「それは、黄金郷!」
「……黄金郷…? 何の話だよ……?」
「………そうだったな。……黄金郷に至れば、……全ての愛が満たされる。……だが、そこは天国や地獄と同じで、この世ならざる場所だ。」
「それは御免蒙りたいね。……恋は現世で叶えるから意味がある。僕は死後に恋愛を成就させるための、悲しい心中なんて、断じて認めないね。……生きて、愛を貫く。何者にも、負けない。」

 つまり黄金郷とは、2人のプレイヤーによって生み出される、100:100の世界ということになる。





 戦人の密室脱出。

「俺の手札は役無しかもしれない。……だがな、……1枚入れば、ストレートにもフラッシュにも、……ロイヤルストレートにだって化ける手札なんだ。………降りても乗っても地獄なら、………勝った時、…ヤツの息の根を止められる方を選ぶ…!」
「きょ、……狂気の一手だわ。……狂人は時に、自ら死地に飛び込むから、………奇跡を起こす。」

 3つの役になる可能性のある手札。
 それは3組の恋の決闘。
 読者の選ぶ1枚が勝負を決める。
 読者を信じて自ら死地に飛び込むとか、狂気だわ。


“ロジックエラーは、……魔女がそれを認めて初めて成立する。”
“言い逃れできる新たなロジックを考え続ける限り、……死なない、死ねない。”
“しかしそれは、……永遠に終わらない、思考の生き地獄に閉じ込められるのと同じことだ。”
「……あんたは、永遠に思考の闇に落ちて這いずり回っても、……ロジックエラーを拒否して、……この密室から出る方法を永遠に考え続ける地獄に、閉じ込められるのよ。」

 八城の心が閉じ込められた思考の密室にして、ヤスが閉じ込められた猫箱の密室。
 そして彼女らが這いずった地獄。


“目の前に横たわる人間が、生きているのか、死んでいるのか。”
“それを調べるのが、検死。”
“ぱっと見ただけでは、生きているも死んでいるも、五分五分。”
“それをはっきりさせるために、様々な知識や経験で、瀬角な結果が得られるようにする。”
“……しかし、どれほどそれを積み重ねても、99%まで近づけても、100%の正解を出すことは出来ない。”
“……そう、多くの人は思うはずだ。”
“しかし、一つだけあるのだ。……絶対、検死を誤らない方法が。”
「殺す、…………ということです。」

 己の信じる真実を100%するには、他の可能性の余地を自分の世界から駆逐し、殺しきらねばならない。


「………………これは、……地獄の生還者からの忠告よ。……この賑やかさを、よく楽しんでおきなさい。………あんたをムカつかせる悪口雑言さえ、……永遠の静寂のなかでは、正気を保つ温かな思い出になりうるんだから。」

 魔女たちが這いずった地獄を、今の境地から本気で考えてみよう。
 どうやらラムダは、永遠の静寂の中に閉じ込められたらしい。
 そして、それは地獄に入る前は賑やかだったということ。


「……私もね、…………たまにね、…あの恐怖が蘇るのよ。………私は本当に、……あの地獄を抜けられたのかしら、って。………実は、……私の心はとっくにおかしくなっていて、………あの地獄の中に未だ居ながら、………ここにこうして居て、楽しくあんたたちと話をしているという、妄想を見ているだけなのかもしれないと、………未だに悪夢に怯えさせられるの…。」
「………だから私はこれが夢でないと、永遠に感じ続けていなきゃならないの…。……ねぇ……、あんたたちは、……本当に、………現実……? …未だに地獄の中にいて、……壊れた私が見ている妄想じゃ……ないの……? ねぇ、………ねぇ……?」

 地獄を出た後、会話している皆を、妄想ではないかと疑ってしまう。
 ふむ、理解した。
 ラムダの周りの皆は妄想の産物。
 それがラムダの信じた世界。
 その世界が壊れ、静寂に閉じ込められた。
 それを絶対の意思で、その真実を信じることで、皆を取り戻した。
 でも時々、皆がいなくなってしまった地獄を思い出してしまう。

 つまり、ラムダの地獄は、19人目が最初に落ちた地獄。
 自身が紡いだ赤き真実で、自分が生み出した幻想の全てをぶち壊してしまった時の地獄。
 自分の生み出した幻想を、絶対の真実で信じることで取り戻した。
 その絶対の意思を駒化したのがラムダ。

 要するに、赤き真実の上に黄金の真実のロジックを構築する際、ロジックエラーを起こし、それを抜けるために、絶対の意思で黄金の真実のロジックを構築して地獄を抜け出した。


「いい? かつてのあんたは、無限の魔女ベアトリーチェ。……かつてのあんたは、不可能犯罪を謳った推理小説に憧れて、それによって魔女の存在を主張して、魔法を数多に認めさせ、魔女への階段の一つとしたわ。」
「……推理、……小説…。」
「そう。かつてのあんたは、立派な読書家。……推理小説を愛し、密室犯罪を愛した、……不可能犯罪の超エキスパートだった。あなたはいくつもの密室トリックを読み漁り、……究極にして一なる原始のトリックに気付き、それを魔法大系の核にしたわ。」

 それは愛。
 ヤスへの愛ゆえに、ヤスが行う犯行を生み出し、それを装飾することができる。
 そして、愛が尽きぬ限り、トリックは湧き出でることだろう。


“そして、魔女の喫茶室には、……無限の魔女の名を持った二人が、取り残される。”
“一人は、瞳が虚ろ。一人は、それを脇で支える。”
“……それは皮肉にも、……つい前回のゲームでの二人の関係を、正反対にしていた……。”

 19人目とヤス。
 一人を救出するために、一人が閉じ込められる。





 推理の提示を要求する八城。

「私を詰って楽しむもよし。二人のベアトとともに、悩むもよし。……そなたが考えぬ限り、物語は進まぬぞ。」
「どうしてよ。私は朗読者でしょ? ただ黙々と読み進めればいいだけの話でしょ。」
「………いいえ。……考えて欲しいのです。読み手の、あなたにも。」

 EP6にて、八城と縁寿がゲームを俯瞰する上層から観劇していたのは、第6のゲームの本当のプレイヤーが、八城と縁寿と縁寿だから。
 もっと言うと、書き手と読み手で、我々読者も読み手側のプレイヤーである。
 つまり、これまでのゲームでも同様だったということを明かしている。

 読み手が解釈して朗読した物語は、読み手が考えることで生まれる。
 自分が考えなければその物語は、視えない、読めない、進まない。
 そして、書き手と読み手の2人がプレイヤーとして、それぞれの目で視た真実を重ね合わせることで、その2人の世界を生み出している。
 そのために、書き手もまた、読み手の思考を必要としている。





 大聖堂。

「我が主も、………ロジックエラーの地獄に落ちたことがあるというのですか…?」
「あるわ。ロジックエラーを起こしたのはあの子ではないけれど。」
「……主がゲームマスターではない…?」
「そうよ。……当時、あの子はまだ、自覚さえしていない小さな駒だったわ。ロジックエラーを起こしたのは、ベルンの主であるゲームマスターだった。」
「……我が主も、……魔女の駒だったのですか。」
「えぇ。………あの子の主、……これがまた酷いヤツでねぇ。……自分で作ったゲームのはずなのに、途中でゴールがわからなくなっちゃって。……スタートとゴールがつながった、ドーナツみたいな、込まれたすごろくを作ってしまったのよ。」
「ゴールをなくしたとは……?」
「ロジックエラーってことね、……どおやれば自分の望むゴールに辿り着けるか、そいつは自分のすごろくを、ロジックを描けなかった。だからいつまでも、すごろくは壊れたままで、ゴールがなかった。」
「……ならば自分一人で、静かにそれを悩んで考え出せばいいのに。……そいつはあろうことか、その考えることさえ、駒であるベルンに任せっきりにしたのよ。………“無限の猿の定理”って、知ってる?」
「……猿が、無限の時間の中でデタラメにタイプライターを打ち続ければ。……いつか偶然にも文字列が、ハムレットとまったく同じ文章になるかもしれないという理論、いえ、暴論ですね。」
「……ひどい地獄よね。………ベルンは、無限の時間の間、意味もわからずデタラメにタイプライターを叩かせられて。………ゲームマスターは、自分さえ思いつかないゴールを、彼女に作らせようとしたのよ。」

 ラムダは絶対の意志で、赤き真実の上に黄金の真実を装飾する。
 そうして生み出される無限の物語。
 しかしそれだけでは、19人目とヤスが両方ともニンゲンとなって猫箱を脱出できない。
 そこで無限のゲームをランダムに組み合わせて、奇跡的に二人揃って脱出できるルートを確立させるために、思考させ続けるために生み出された駒がベルン。


「私は、真実の魔女です。……私の潜った地獄には、ただ、真実がありました。………真実という冷酷な現実の前に、一切の意思も、そして奇跡さえも介在できません。私は、その真実を、踏み越えてここへ至ったのです。……この、真実に堪えるという力において、私はあなたにも、我が主にも引けを取るつもりは、……ありません。」

 赤き真実の前には、一切の意思も、そして奇跡さえも介在できない。
 これにラムダとベルンの地獄を合わせる。

 そうすると、
 ヱリカが赤き真実に堪え、ラムダが消え去った黄金の真実を絶対の意志で再び紡ぎ、ベルンが二人揃ってニンゲンに成れる奇跡のルートを開拓する。
 そんな感じになる。





 恋の決闘の直前。

“19。”
“それは、18人しかいないはずの島に、19人目の幻想を見た時、魔女を指して数えた数字。”
“それは、この物語を生み出すのに、かかった月日の数。”
“それは、避けえぬ今日と言う日に至るまでの月日の数。”
“そしてそれは、……この世界の、本当の領主の、年齢。”

 19人目がいるのか、いないのか。
 19人目の真実を殺すには良い数字だ。


「今までありがとう。………君という弟に出会えて、楽しかった。」
「……僕を僕であらせてくれて、ありがとう。……灰色の世界に、彩を見せてくれて、ありがとう。」

 19人目の灰色の世界に彩を見せてくれたのがヤス。


「どうして、……私たちは生まれたんだろうね。」
「生まれた時、すぐに死ねればよかったんだ。」
「……それは、お父さんの罪だね。」
「そうさ。だからあいつも死ね。みんな死ね。」

 ゲーム盤の真実は、戦人に推理して欲しくて生み出された。
 よって、盤上の駒である19人目とヤスの父親は戦人と言える。
 推理されずに放っておかれた駒は、その目的を果たすために盤上のニンゲンを殺す。
 果たされるまで無限にゲームを繰り返す。


「うん。みんな死ぬよ。もうすぐね。……そして、すぐにみんな蘇って会えるよ。もう私たちは、篭の中の小鳥じゃない。」
「……僕たちはようやく篭を出て、……それぞれの世界へ羽ばたけるんだ。」

 目的を果たせば、ゲームは終わり、ゲームの世界は滅ぶ。
 しかし、駒たちは真実として、推理してくれたプレイヤーの世界へ羽ばたける。


「君と、もっと早くこうして、……決闘をすれば良かったね。」
「……それがきっと、今日なのさ。」
「うん。今日だね。」
「1986年、10月、5日。……運命の日。」
「私たちの、どちらかが、死ぬ。」
「……あるいは、同時に打ち合って、二人とも死ぬよ。」
「あ、それもありか。………それでも全然ありだね。」
「そうさ。それであっても、必ず僕らの恋は、成就されるのから。」
「………決闘の必要、……あったのかな。」
「あったさ。姉さんも言ってるよ。……僕たちはいずれにせよ、……もっと早くに決闘するべきだった。」
「そうだね。……私にとって、君は、」
「僕にとって、姉さんは、」
「「もう邪魔なのだから。」」

 プレイヤーと結ばれる一つの真実となるべく、二つの真実は決闘をする。
 片方が死ねば、もう片方が真実と成る。

 “同時に打ち合って二人とも死ぬ”は0:0、つまりそれは100:100。
 2人を殺して、2人をニンゲンにする。
 2人のプレイヤーが協力して生み出した世界となる。





 いこと部屋と隣部屋の窓の封印。

「隣部屋の窓以外に、出口はない。……にもかかわらず、隣部屋の窓を推理に組み込むことが許されぬ。…………この密室を解く答えは、恐らく、ない。」
「ないならどうなるの?!」
「答えがない以上、説明義務を求められているプレイヤーが敗北するのは必定だ。」
「それって、手詰まりってことじゃない…! つまり、今のドラノールの宣言は、……ある意味、トドメ! チェックメイトってことじゃない!!」
「……………………。……いや、一手、あるにはある。……しかしその手は、………二度と使えぬ手だ。……そしてそれは、…ベアトの心臓の一部でもある。」
「この物語の、最大の謎の一つってこと…?」
「そうだ。………それを使えば、……あるいは何とか……。」

 隣部屋の窓を使わないで済むロジック。
 それはもう、金蔵(偽)こと嘉音(真)の駒を使うしかない。
 それはベアトの心臓の一端。
 GMとしては晒すわけにはいかない。

 でも推理するプレイヤーとしてはそんなの関係ない。
 だからその手で勝負するわけだ。
 それ以外の可能性を淘汰して、100%として自身の命運を託す。

 するとその後、嘉音が消えて、紗音嘉音同一説爆誕というか復活というか、それを目撃してしまうわけだ。
 もう笑うしかない。
 だって、真実が2つ並び立つ魔法を見せられたんだから。

 私が本気で真実を見付けようとしているように。
 相手も本気で別の真実を生み出そうとしていたんだっていうこと。
 それらの行為はなんら矛盾しない。
 二つの真実が並び立とうとも。
 だって、それが人間に可能なことだと、目に見える形で証明されてしまったのだから。





 恋の決闘。

「愛し合う二人以外に、本来は何もいらないんだ。」
「だから、それが“二人”でない時、……私たちは決闘で、その数を“二人”にしなくてはならない。」

 19人目とヤスの二人、実際は一人だからな。
 “二人”を満たすために、もう一人のプレイヤーを欲した。
 それが謎を生み出した理由。


「悲しまないで。私たちはすぐに、黄金郷で会えるよ。」
「僕たちはもっと早く、こうするべきだったね。」
「そうすれば、……再会しなくて済むのにね。」
「いいさ。この決闘さえも、もはや今日という日の前には、ただの茶番さ。」
「そうだね…。どうせ蘇る黄金郷の前には、本当にただの茶番。」
「じゃあ、後ほど。」
「うん、後ほど。」
「さようなら。」

 100:100の結果が約束されているなら、まあ実に茶番。


“私には、………もう彼を愛することが、出来ないのです。”
“どうか、私には遂げられなかった想いを、……私には堪えられなかった想いを、……あなたが遂げて。”
“あなたは今日より、悪戯をするだけの、六軒島の亡霊ではありません。”
“あなたは今日より、この島の主となりて、彼が約束を果たす日まで帰りを待ち続けるのです。”
“あなたは今日より、それを私より引き継ぐのです。”
“だから、今日より、あなたは私ではなくなります。”

 戦人に推理して欲しかった。
 だけどもう時間切れ。
 過去と決別し、未来へと踏み出す時が来た。
 その未来には戦人はもういない。
 “私”は未来に進み、“あなた”は過去に留まる。
 猫箱の中の物語で、戦人が約束を果たすその日まで。


“あなたに、私の苦悩を全て押し付けて、……私だけ幸せになろうとすることを、許して下さい。”
“あなたは今日より、全てを憎む資格があります。”
“あなたは今日より、黄金の魔女、ベアトリーチェ。”
“そしていつか。全てを滅ぼして、全てを蘇らせて。”
“……全ての恋人たちに祝福を。”
“その時。……私もあなたも、ともに幸せになれていることを、……心より願っています。”

 推理されて共にニンゲンになるという約束を果たすため、その為のロジックを組むという苦悩を押し付けた。
 だから“あなた”は全てを憎む資格がある。


“あなたは今日より、私ではなくなります。”
“私は今日より、あなたではなくなります。”
“私たちは一つの魂を割いて、分け合おう。”
“それは一つの魂には当然満たないけれど。”
“きっと人より多くの夢を見させてくれる。”
“私たちに、祝福あれ………。”

 八城として見れる夢。
 ヤスとしてニンゲンだと認められる夢。
 19人目としてニンゲンだと認められる夢。
 そして、2人共にニンゲンだと認められる夢。


“私の可愛い、ベアトリーチェ………。”
“誰にもあなたの姿は見えないけれど。”
“でも私にだけはあなたが見えるよ。”
“そしてあなたも色々な人に愛されれば。”
“きっとみんなにも姿が見えるようになっていく。”
“愛があれば、私たちは視えるよ……。”

 可愛い娘の幸せを考えぬ母はいない。
 だからこのゲームでの決闘の結末は必然だったのだろう。





 ベアト来襲時のルシファーの台詞。

「物言えぬ主に、何を命令できるというなりや…。」
「物、聞かずとも…。……それを察するが家具の道と見つけたりッ!!」

 物言わぬ主の代わりに物を語る。
 それが家具の役割。




 嘉音疾走。

“………今なら、少し納得できるよ。”
“どうして紗音が決闘に勝ったか。”
“神様はちゃんと見てる。”
“僕よりはるかに勇気を持っていた君を、神様はお見捨てにならなかったんだ……。”

 神=フェザリーヌ。
 フェザリーヌが、ヤスの真実を勝たせることを選んだ。
 そして、かつての自分の真実を葬ることを選んだ。





 ベアトとヱリカの決闘。

「………………………。……あんたが前回のゲームの時。……私がボロクソに負けたのに庇ってくれた時。……嬉しかった。」
「私は、生まれてから誰かに庇われたのって、あれが初めてでした。……我が主にさえ、私は庇われたことがない。私に与えられたのは、……暴かれた真実には、暴き返すことで自分の痛みを打ち消すという、傷つけ合いの仕方だけでした。」
「…………………。……傲慢を、お許し下サイ。……私は守らねばと思いマシタ。……あなたがどんなか弱い真実で生き、それをよりもっともらしい虚実の横暴で虐げられてきたか、察した時。……あなたを守りたいと思いマシタ。」

 もっともらしい虚実の横暴で虐げられてきた19人目の真実。
 それを私は守りたいと思った。


「ヱリカ卿…!! もう決闘は終わっていマス…!!」
「終わってないんだ。」
「死が二人を別つまで。」
「「誰にも、彼女の散り際を、穢せない。」」

 ヤスの真実によって、19人目の真実が殺される。
 そうしなければ決闘は終わらない。




「はい。………あなたと一緒になりたくて、生み出した物語。……だから、もうこの世界の目的は果たされました。……だからこれからは、……あなたが紡いで下さい。……私とあなたの、これからの物語を。」

 あなた=19人目、と読み解くと。
 19人目とヤスの物語の続きを、19人目に任せている。

 あなた=戦人、と読み解くと。
 ヤスが紡ぐ虚偽の世界において、ヤスは死に、戦人は生き残る。
 ヤスの生み出した虚偽の世界の未来を、虚偽世界の駒戦人のプレイヤーたるメタ戦人に紡がせようということになる。

 要するに、現実世界で物語を紡ぐプレイヤーは19人目とヤスだが、その物語の中の虚偽世界において、物語を紡ぐのは戦人=十八という形にする、ということ。




 縁寿と八城の別れ。

“ものすごい、……長い長い時間を、ここで過ごしたような気がする。”
“それこそ、……生まれてから今日までの時間の、何分の一を過ごしたように感じるほどに。”
“……窮屈なはずの、他所の家のソファーなのに、……すっかり自宅みたいに馴染んでしまっていて、何だか不思議な気持ちだった。”

 現実の縁寿が、八城の家に住んで何年も経っているという伏線。


「…………………。……こういう質問もおかしいんだけど、……その…。……………あんたがフェザリーヌなの? フェザリーヌがあんたなの?」

 ここの縁寿は駒。
 だからここの八城は駒。
 よって、フェザリーヌはその上層にいる。
 さらにその上層で、現実の八城が執筆している。
 さて、駒なのか、人間なのか、神なのか。


「どうするか決めかねている時。あるいはどうでもいい時。……コイントスのように運命に身を任すのも、悪いことじゃないわ。」

 読み手の決断に身を任す。
 それも書き手の決断として、悪いことじゃないのかもしれない。





 裏お茶会。

「……肉を喰らい、選ぶ道もあることを学んだ猫よ。……久しぶりであるな……。」
「あんたが教えなきゃ、気付かずに済んだ道よ。……肉の味を教えたバケモノ。………生き返ったのね。………フェザリーヌ・アウアウローラ…。」

 猫は、猫箱の中の猫。
 肉は、依り代たる肉体。
 と、読み解けば、肉体の方の真実を喰らい選ぶ道とは、恋の決闘によって100:100になる奇跡のこと。


「私に対するあてつけにも程があるわ。……血の足跡を残しながら歩き、血塗れの肉を頬張る猫なんてね、露骨にもほどがあるのよ…。」

 血の足跡を残りながら歩くとは、物語の中を赤き真実を残しながら歩くこと。
 血塗れの肉を頬張るとは、赤き真実を生み出す肉体を喰らうということ。
 それをする猫とは、猫箱の中に閉じ込められた猫。
 即ち、ヤスである。

 つまりベルンカステルとは、19人目の右代宮真里亞の真実を食い殺す道を選んだヤスの成れの果て。
 その道を教えたフェザリーヌとは、右代宮真里亞であることを捨て、八城となった19人目。

 ヤスを失って壊れた右代宮真里亞の成れの果てが、フェザリーヌ。
 右代宮真里亞を失って壊れたヤスの成れの果てが、ベルンカステル。
 2つに割れた魂が揃っていても、黄金蝶のブローチは壊れたまま。
 だから、黄金蝶のブローチを修復する奇跡を欲する。
 そんな感じかな。


「生きてるうちは愛でて遊んで、死んだら肉を食らってご機嫌満腹。……あんたにとって、猫は二度役に立つわけだわ。………死ね、バケモノ。」

 その猫って、つまりは、昔の自分だもんな。
 謎を作って一度。謎を解いて二度。
 物語を別の視点から楽しむ。
 退屈をしのぐための方策か。







 100:100の奇跡。
 絶妙なゲームバランスだと言えるだろう。
 読み手が絶対の意志で自身の推理を信じたのであれば、それと対等となるべく書き手が選ぶ手段として、読み手が絶対の意志を持たねば返せない手でくるのは、まさしくフェアだ。
 裏を返せば、それ以外にはアンフェアなのだが。

 でもそれは一見そう見えるだけ。
 そもそもこのゲームは、読み手の力量と努力によって得られる答えの数が異なる、というコンセプトで作られている。
 つまり、どんなプレイヤーにも、それに相応しいだけの真実が得られるように、ゲームバランスが整っているのだ。
 そういう意味で、誰に対してもフェアなゲームだったと思う。

 そしてそれはつまり、個々人が信じる真実を誰も邪魔しないということでもある。
 信じるも信じないも、自分で決める。
 その選択は全て自分の責任。
 その選択の連続の結果、今自分が信じる真実がある。

 全て自分で決めたのなら、それは誇っていい。
 その誇りの前では、正解不正解など問題にはならない。
 誰にもその誇りを傷つけることなどできはしない。
 だからきっと、愛も失うことはないと、信じたいものだ。


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  1. 2019/07/13(土) 21:06:23|
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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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