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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


【キコニア】世界のフレーム構造

 うみねこにおいて、ファンタジーの物語をあえてアンチファンタジーやミステリーで読み換えるというゲームをしていた。
 逆に言えば、さらに異なる視点で見ることで、新しい幻想の物語を生み出すことも可能ということ。
 この、異なる視点で物語を編集し直すことを、「魔法」と呼ぶ。
 物語をどの角度からフレームに収めるのか、的な感じ。

 “あえて”視点を変えることで、このフレームを切り替えること可能。
 だから視点を多く獲得するほどにポイントを得られるのが「なく頃に」のゲームなんだよね。
 ま、ポイントを多く得られたからといって正解だというわけじゃないけどさ。


 そんなわけで大雑把なフレームの紹介と行こうか。
 私が使っているものだけど。


 まずは素直な視点。
 何も疑わない視点と言うべきか。

 物語に描かれたものは、疑う必要もなく「作中現実」である。
 「作中」にそれ以上の上層はない。
 不思議なことは全て「超技術」で説明できる。

 だいたいこんな感じの枠に収まるものかな。
 どんなに物理法則に反しようが、「そういうもの」で済ましたり、どんな「超技術」かを説明しようと試みたりする。

 このフレームはスタンダートで、ベースとなるもの。
 ここからどう捻くれた目で見れるかがポイント。



 次は捻くれた視点。
 作中で使われた「概念」を用いるから、素直に捻くれた感じかな。

 物語で描かれた世界は「仮想現実」である。
 その外に「作中現実」がある。
 不思議なことは全て「仮想」で説明が付く。

 この視点の共通の枠はこんなものかな。
 「仮想現実」では「現実」を模すため、「現実ルール」によって縛られている。
 よってその縛りから解かれることで、物理法則に反する現象を起こすことが可能である。
 これが可能なのは世界が「仮想現実」であるため。

 この視点の利点は、A3Wの世界を下層のゲーム盤世界とすることで、その上層にメタ世界に相当するものを生み出せること。
 慣れた形式だとこれまでの経験も活用できるからね。

 このフレーム内での最大の争点は、たぶんログイン人数になると思う。
 「仮想現実」は暗闇の中だから、これが一番気になるだろう。
 極端な方向性として、アバター数<ログイン人数か、アバター数>ログイン人数がある。
 これは、うみねこの実際の島内人数は、当初の数よりも多いのか少ないのかに重なる。


 アバター数<ログイン人数なら、一つのアバターに複数の意識が宿っていることになる。
 CPPがそれであるとする解釈。
 リソース削減のためならありえそう。

 一つの体の中に複数の人格が押し込められると、その環境に適合できる人格とできずに消えてしまう人格で分かれそう。
 となると、CPPはそれに適合できた新人類となる。
 そして、世界を救うために新人類を増やそうとする方向に向かうのかな。
 これだと行き着く果ては、一つの体に全人類が宿ることに。

 この方向性も面白いよな。


 アバター数>ログイン人数なら、人間の意識が宿っていないアバターはプログラムが操っていることになる。

 プログラムは人間に成れるのか?
 工場で生産される人間は、人間? それともプログラム?
 人間に育てられたプログラムは、果たして人間と言えるのか?

 肉体が人間なのか、魂が人間なのか。
 魂が人間であれば、プログラムも人間なのか?
 肉体を棄てた人間は、それでも人間なのか?

 不自然な姿の人間、自然な姿の人間。
 人間の尊厳とは何か?

 このテーマはうみねこでの「人格を人だと認めるのか?」の発展形。
 これを初っ端から突っ込んでいるので、キコニアはこれを重点的にやると思うんだよね。
 だから私はこっちの方向性を選択しているのだけれども。



 最後に全く捻くれた視点。
 そのままでなんか受け止めない、あえて曲解する。

 物語で描かれたのは、「物語」である。
 その外には「観測者」がいる。
 全てはその「観測者」による朗読で説明できる。

 物語の全ては誰かによって観測されたものである。
 大元にまで遡ればこれに至る。
 ま、あくまで私の見解だけど。

 例えば、じぇびるさんの考察、ガントレットナイトの能力はうみねこの論戦バトルに当て嵌まるというもの。
 私も全面的に賛成なのだけど。
 これは、あるものを別のものに見立てる、というものだと思う。
 となると、誰がこれを見立てたのか、というのが気になる。

 うみねこにおいて「観測者」とは重要な要素だ。
 観測者が観測することで世界は生じ、朗読者が朗読することで物語が紡がれ、執筆者によって物語が記される。
 ん、手順は今はどうでもいいか。
 とりあえず、物語を誰がライディングしているのか、これがうみねこ最大の問題だったと言っていいだろう。

 見立てとは、本来は異なる点を結び付けて意味を持たせる行為だ。
 つまり、人の意思によって成されるわけだ。
 だからそこには必ず人がいる。

 見立てられたと信じれば、そこには見立てた誰かがいて。
 それを信じられ無くなれば、そこにいた誰かは消える。
 真か偽か定かならぬ幻想に過ぎないのかもしれないけれども、名と姿を与えれば愛せるのだとうみねこEP7で学んだ。


 ま、最終的にライディングしているのは竜騎士さんだと言われたら議論は終了するし、そもそもキコニアでその類は示唆されていないけれども。
 だが私はあえてそれを議論したい。
 それはキコニアがひぐらし・うみねこに続くもので、その「文明」つまり「文脈」を踏まえたものだと思うからだ。

 キコニアが4話構成で、ひぐらしやうみねこの解や散に相当するものがなさそう。
 これって要するに、ひぐらしやうみねこが、キコニアにとっての出題編に相当するからじゃないかと思うんだよね。
 難易度がかなりの上級なのも、ひぐらしやキコニアに重なる部分が多いのもそういうことなんじゃなかと。
 で、キコニアのメタ世界に相当するものを当初に登場させなかったのも、すでに十分にヒントを出しているからで。
 って感じじゃないかと思うんだよ。
 観測者についても同様。

 ホントあくまで私の見方では、だけど。



 そんなわけでおおよそ大枠としては、この3つのフレームで構成されているんじゃないかなと私は思っている。
 もしかしたら私も見知らぬフレームもまだあるかもしれないが。
 これら各フレームの正誤や優劣などは関係ないし、気にする必要もない。
 どれだけの数のフレームを同時に見れるのか、あるいは切り替えて見れるのか。
 私はそれが重要だと思う。

 色々と組み合わせる時、選択肢の多さが活きてくる。
 推理でもパズルでも、そして積み木でもね。

 選択肢を広げることは、世界を広げること。
 視野をより広く、より高く持つ。
 そうやって上層の世界を生み出す。
 うみねこにおいて、魔女とはニンゲンより一つ上の視座を得た存在だ。
 さらにその魔女の上を行くのが造物主。
 うみねこを参考にすれば、低・中・高の三段階に変化する視座は最低限欲しいところ。
 私的にはね。

 さらにキコニアの低層は、うみねこの中層である魔女のいるメタ世界に相当すると見ている。
 ベアトは三つの物語を紡ぎ、それをヤスの三人格のように決闘で争わさせている。
 ま、分離された三つとそれらを纏めた一つで、計四つなのだけど、その四つの陣営が争っているのがキコニアの低層。
 うみねこの低層は三つの物語が重なって一つに見えている。
 まずは三つの物語を見つけることから始めなければならないのだが。
 キコニアではそれは省略され、世界という俎板の上に全部載せられた状態からゲームが始まっている。

 よって、うみねこの中層である魔女のいる階層がキコニアの低層となるから、うみねこの上層である造物主のいる階層がキコニアの中層に相当。
 さらにキコニアの上層は、うみねこにはなかった階層となる。
 つまり、キコニアはうみねこの一段上のゲームだと思うんだよね。


 もっと言うと、ひぐらしはうみねこの一段下のゲームとなる。
 ひぐらしはうみねこでいうゲーム盤世界の真実を探るのが目的。
 最終的にうみねこでいうメタ世界に相当する視点を持つ存在が登場するが、あくまでゲームの本題はゲーム盤世界の真実であり、ニンゲンたちの真実だ。

 それに対してうみねこは、ゲーム盤世界の真実を追いながらも、本題はメタ世界にいる魔女ベアトの真実を探るゲームだ。
 となるとキコニアは、造物主の真実を探るゲームとなる。

 要するに、ひぐらし、うみねこ、キコニアと、ゲームのステージが一段ずつ上がっているんじゃないかな。
 ま、あくまでも私の見方なのだけどね。



 ま、そんなわけで、私の使っている見方は置いとくとしても、世界を収めるフレームを切り替えると色々と異なる景色を楽しめるのでお勧め。


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  1. 2020/05/30(土) 21:13:10|
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【キコニア】「偏執狂的=批判的」方法

 先日覚えたばかりの言葉を使ってみる。

 サルバドール・ダリの作品または思想は、キコニアのモチーフに使われているものの一つ。
 そのダリが開発したのが「偏執狂的=批判的」方法だとか。

 あるイメージを執拗に眺めていると全く別のものに見えてしまう現象を用いた絵画技法。
 ひとつの物に複数のイメージを重ね合わせ、見方によって異なる物に見える「ダブル・イメージ」。
 同じ形態を異なる物に変化させて繰り返したりする「形態学的なこだま」など。


 う~む、なにやら「なく頃に」で覚えがある感じだね。

 分かり易い所では、同じ描写を繰り返して読者に考えてもらうというもの。
 これは特に「うみねこ」で顕著だった。
 「ひぐらし」の鬼隠し編の主人公の主観異常は、主人公から見た世界のイメージと客観的に見た世界のイメージが異なるという「ダブル・イメージ」。
 綿流し編も犯人を双子のどちらにするかで、異なる事件に見えるように作られていた。
 「うみねこ」は全編そんな感じで、見方によって異なる犯人、異なる事件、異なる世界が重ねられていた。

 つまり、竜騎士さんはダリに影響を受けて、絵画ではなく物語で、一見ひとつの物語に見えるが、実際には見方によって複数の物語が見えるように作っているんじゃないかな。


 さらには、同じゲーム盤から派生した「~編」を繰り返し、「形態学的なこだま」的な連作の物語にして、異なる運命に派生しながらも一つに収束する運命を俯瞰的に眺められるようにしていた。
 「~編」のひとつひとつがカケラで、そのカケラを繋ぎ合わせて一つの大きな世界を作り上げようと挑戦していたのだろう。
 これはさらに「ひぐらし」「うみねこ」「キコニア」などの別作品に渡って、規模を広げて繰り返している。
 それを分かり易く表しているのがスターシステム。

 同じイメージのものを執拗に繰り返すというのはまさに「偏執狂的」で、それによって様々な視点から「批判的」に物事を根源的に吟味する。
 シュールレアリスムは夢や無意識を表現することで、見た夢の断片を記述したりするもの。
 ダリはさらに関係のない物を重ね合わせたり、矛盾したものを同居(「固い」と「柔らかい」とか)させたりした。

 一つの物事を様々な角度から見ることで理解を深め。
 本来関係のないものを重ねることで、その中に同じものを見て新たな関係性を作り。
 本来同居することのないものを同居させることで新たな世界を切り拓く。
 それって実に「なく頃に」的。

 竜騎士さん、ダリをめっちゃリスペクトしてるんだろうな。

 
 「うみねこ」において「永遠に覚めない夢」とか「人より多くの夢を見させてくれる」などの記述があるように、夢と真実を重ね合わせる、夢を真実に昇華させる、複数の真実の世界を作り出す、ということをやっているんだよね。

 しかもそれを“ゲーム”としている。
 作者が夢から物語を紡ぎ、それを読者が見て色々解釈する、そして同好の士と話し合ったりする。
 シュールレアリスムの活動的な、グループで色々な意見を出し合う、そんな感じなのかも。
 そうやって新たに発想を生み出し、世界を開拓しているわけだろう。


 私がイメージする「うみねこ」は、濃い霧の中に隠れた島。
 見る度に姿を変え、実は双子島だったり三つ子島だったりする幻想的な島。
 幻想的でありながら、ロジックによって三位一体となっている物語は見る度に姿を変える万華鏡のよう。

 それに対して「キコニア」は、SFで科学っぽいんだけど、どこか宗教的で文化的で、こう感性に訴えかけているような。
 宗教とSF、神と人、意思とプログラム、現実と仮想現実、人から生まれた人間と人から生まれていない人間、男と女、生と死、滅びと再生。
 そんな本来同居できないものを一つに同居させている。
 相反する世界を同じキャンバスの上に置いて一枚の絵画にしたような感じ。
 複数の世界を表現するというスケールのデカさ。
 そしてそれを一枚の画布の中に閉じ込めようとしている。

 こう、凄い挑戦的な試みだと思うんだよね。
 私の教養が足りないので上手く表現できないだけども。


 ダリは異なる作品に同じ物を頻繁に登場させたりするらしい。
 ひとつの物のイメージをそうやって広げ膨らませているのだろう。
 「なく頃に」のスターシステムもそう。
 それは「ひぐらし」から「うみねこ」、そして「キコニア」へと繋がる文化と歴史。
 それを引き継いだ物語であり絵画。

 「ひぐらし」「うみねこ」「キコニア」がひとつに重なり。
 同じ真実の別の側面である、赤き真実、黄金の真実、魔法幻想が並べられ、加えてそれらが一体となった真実もそこに並べられる。
 そして、それら全てをひとつの絵画に纏め。
 その上さらに、作者が纏めたものと、読者が纏めたものを重ね合わせ。
 最終的にはそれすらも一つに纏めようとしている。

 私にはそう見えるのだ。

 執拗に、偏執狂的に、繰り返し一つのものを色々なものに重ね合わせていく。
 ひとつのイメージを広げ膨らませていくようで。
 そこにある真実を、心を様々な形で露わに曝していくようで。
 自罰的で、救済的で。
 内へと回帰しようとしながら、外へと脱出するようで。
 過去へと戻りながら、未来に進むような。
 人の矛盾した心が、ゆえにバラバラになり、また一つになる。
 そんな世界。

 現実には矛盾は同居できず、人の心の中のみ矛盾は同居できる。
 だからそれは夢の世界。




 そんなイメージかな、自分で言っててよくわからんけど。
 私は芸術は素人だから良く知らんし、適当に書いてるだけだから。

 とりあえず「なく頃に」のゲームは、異なるイメージを組み合わせる、ある種の積み木遊びだと思うので、色々なイメージを組み合わせてみると色々と楽しめるのだろうね。
 正解とか間違いだとか、そんなのとは関係なく。
 互いに意見を言い合うというのがこのゲームなのだから、ゲームの製作者も自身とは異なるものを並べてもらうだけでもうれしいんじゃないかな。
 ナカオボウシさんが書いた赤いカエルのようにね。


  1. 2020/05/23(土) 20:08:08|
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【キコニア】都雄とミャオの性別について

 私はあまり性別のことは気にしていないのだが、一応このことはちゃんと考察しとかなきゃな、というわけでやってみる。


 私はA3Wは仮想世界で、その中に作中現実の人間は2人しかいないと考えている。
 要するに、PLとGMだね。
 A3Wの人類たちの肉体は、駒でありアバター。
 その人格は、パラレルプロセッサーであるGMの脳内人格たちである。
 つまり、A3WはGMの脳内世界を表現した仮想現実。

 これが私の考察の前提。
 A3Wの人類はGMが生み出した人格なので、オリジナルの主人格であるGMの影響をもろに受けている。
 端的に言えば、何かしらが似ている。
 特に主要な人格たちである、GMお気に入りの各陣営を代表するガントレットナイトたちは。

 ガントレットナイトの男女比は、明らかに女が多い。
 代表枠ですら、そう。
 つまり、GMの主人格は女性的な人格である確率が高い。

 で、GM=ミャオ(正確には、GMの赤き真実=ミャオ)と考えているので、ミャオの現実の肉体の性別は女である可能性が濃厚で、A3Wでのアバターも女性である可能性が高いと考えている。


 んで、キコニアのGMとうみねこのGMはほぼ同一と考えている。
(正確には、さらに上層にいるGMが同一)
 ので、うみねこのGMの性別についての考察もついでにやっとく。
 こっちを一度やっとくと都雄の性別についても分かり易くなると思うので。

 うみねこのGMはミャオと同様にパラレルプロセッサーである。
 自分を主人公とした赤き真実の物語と同時に、自分の代わりに駒が主人公をしている黄金の真実の物語を紡いでいる。
 脳内ダブル主人公というわけだね。

 物語の作者とキャラクターの関係であり、それを人間関係にするなら、親子関係と言えるだろう。
 作中では“母子”という関係で表現されていた。
 父子より母子の関係の方が圧倒的に描写が上だった。
 母ということは女性人格である可能性が濃厚。

 これを唯一阻害する要素は19年前の男という点。
 GMの肉体がそれだから。
 でもま、19年前の赤子が“男”と言ってるのは夏妃だけ。
 赤子の世話を一切しなかった夏妃は、当然おむつを替えることもしなかったことだろう。
 つまり、おむつの中はシュレディンガーの猫。
 金蔵が「男」と言ったのを鵜呑みにしてしまっているだけ。
 金蔵は夏妃が赤子を捨てることを「想定」していた。
 ならそのための布石もしていたことだろう。

 要するに、金蔵は赤子の性別を偽った。
 夏妃がおむつを替えればそれが発覚し、それをもって夏妃が赤子の母となったことを認めるという試練。

 そんなわけで、うみねこのGMの性別も女である可能性が高い。





 では都雄の性別をやろう。

 ミャオと都雄の関係は、うみねこのGMである主とその代わりの駒の関係と同一。
 つまり、ミャオは生来の肉体を持つ存在であり、都雄は肉体を持たない魂だけの存在。
 そこからすれば、都雄は肉体的要素である性別は本来存在しないのだと考えられる。

 うみねこのGMの駒であるベアトは、GMのゲーム盤から飛び立ち、PLのゲーム盤に入植することを目的としている。
 ベアトの正体を男と推理した人の前には男として現れ、女と推理した人の前には女で現れる。
 望まれた姿で現れる、どんな役でも演じられる駒、それがベアト。
 EP6のお茶会でそう描写された通りに。

 駒である都雄にとって性別とは、ペルソナやアバターの設定に過ぎない。
 駒の主から男として望まれたから、男としてある。
 たぶんそんな感じ。


 GMが女だから、これまで母と娘という設定であることが多かった。
 キコニアではGMは隠居して、PLがGM代理を務めている。
 PLはジェイデン=藤治郎。
 つまり、今のGM代理が「男」だから、“子”である都雄も「男」というのはあるんじゃないかな。


 あと、都雄の方からPLに対して、「男」であることを要求したという面もありそう。
 ベアトの目的は、人間だと認められること。
 つまり、PLに対して「対等な人間である」ことを常に求めてくる。
 愛玩の対象として下に見られたくない。

 PLは男だから、男同士で殴り合って対等だと認め合う、という分かりやすい「対等」な関係を求められたのでは?

 それからミャオとは独立した別の存在であるということも求めてくるというのはある。
 あのミャオ発見からの一連の流れ、ジェイデンの立場から見ると私は共感してしまうんだよね。

 私はあれを、うみねこのゲーム盤(都雄)の中から真実(ミャオ)を見つけたことに重ねた。
 真実を見つけると、全てを真実に繋げて見てしまう。
 どんな些細な要素からも真実の影を見てしまう。

 それって人間関係に例えると、いちいち「お母さんにそっくりね~」と言われているようなもの。
 自主独立した存在として認められたいから、同じようには見られたくない。
 だから「女」ではなく「男」であることを求めた。

 主人格がミャオで、そのミャオが脳内に引っ込んでいて、常に副人格の都雄が表に出ているなら、自分はミャオではないことを主張するために、「男」であることを主張した、というのはありそう。

 でもって、都雄(物語)からミャオとは異なる性別でPLと男同士の対等な関係になりたいと注文され、PL(ジェイデン)が物語をそう編集することにした、みたいな感じ。

 で、それを説明するための描写があの一連の流れだったのではないかな。


 よーわからんけど、都雄の性別についてはたぶんこんな感じじゃないかと思うけど、どうだろうね?





 とりあえず私的には、「男」であるという部分でアイデンティティを確立させていることに萌えるんだけど。
 「俺は、男である」ではなく、「男であるのが、俺だ」的な?

 都雄の役割的には「主人格とは異なる真実を紡ぐ」なので、ミャオとはあえて異なる視点から物事を考えているのではないかと思うのだよね。
 それがミサイルの捻くれた軌道に現れているのではないかと。

 で、そんな自己主張しちゃう都雄くんなわけだけど。
 自分が男であるために、肉体まで男らしいものにまでしようとはしない。
 都雄曰く、ミャオが嫌がるから。
 でもミャオ自身はそれは主張していない。
 つまり、「ミャオのため」というのは都雄自身の意見なのだ。

 想像するに、「俺は男」であるように、「ミャオは女」であると思っているんじゃないかな。
 自分が「男」で自己を確立しているように、ミャオも「女」で自己を確立させよう的な?
 そういう気遣い。

 都雄が自分の意見、自分の人格で塗り潰そうとしているなら、ミャオを気にせず男らしい肉体になろうと努力したんじゃないかな。
 そうじゃないということは、両方の人格を確立させ、両立させたいと思っているのだろう。
 そのためにも区別をつけたい。
 別の存在であると主張したい。
 別の存在として扱って欲しい。
 自分のためだけでなく、ミャオのためにも。
 だから、自分が男らしくなりたいと願っているように、ミャオも女らしくなりたいと願っていると思い込んでいるんじゃないかな。
 それが「ミャオが嫌がるから」という決めつけに繋がっているのでは?


 でもミャオの方はそうじゃない。
 都雄と一緒にいたいと願っていても、いざとなったら自分の人格を圧し潰して、一人分の魂を満たす人間になって欲しいと思っている。
 つまり、自分の意見を無視して「都雄の願いを叶えて欲しい」。
 そのために常に都雄を表に出して、自分は裏に引っ込んでいるのだから。
 筋肉を鍛えて男らしくなりたいのなら、都雄の好きにすればいいと思っているんじゃないかな。
 だから「筋肉を鍛えないのは都雄の勝手」だと思っているのでは?


 喧嘩するほど仲がいいってね。
 ホントこの二人の関係は尊いよな。


  1. 2020/05/16(土) 19:06:10|
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【キコニア】小冊子考察

 竜騎士さん、この度の小冊子ありがとうございます。

 ということで、小冊子の考察をやりたい。
 なく頃にの小冊子はそのまま読むとサイドストーリーだけど、読み方によってはめっちゃヒントになるのが凄いよね。


 私はジェイデンをPLとして見ているので、今回の話の前半部分のゲームを、キコニアのゲームに見立てて解釈した。

 一つのマップを研究するというのは、一つのゲーム盤を徹底的に研究するキコニアのPLに重なる。
 その末の不可避の射線の確保。
 これは狙い澄ました必殺の推理となる。

 だとすると、対比となる都雄の方にもゲーム的な要素を表しているはず。
 これはゲーム盤での「駒」と「PL」の意識の差かな。

 「駒」にとって「ゲーム盤」は「現実」。
 起こること全てが「現実」で「本番」で「実戦」。
 つまり、何事もぶっつけ本番。

 「PL」にとって「ゲーム盤」は「仮想現実」。
 物語を遡り、最初から最後までを何度も繰り返し、ゲーム盤の隅々まで研究できる。

 その差は歴然。
 さらに目的意識の差もある。

 PLはゲームにおける目的をしっかりと持っている。
 勝てば何を得られるのか、負ければどうなるのか。
 だが駒は違う、PLの遠大な目的など知らないし分からない。
 その場その場で対処するだけで、目の前の敵を倒すことくらいしかできない。

 つまり、覚悟や熱意が違う。
 それを都雄とジェイデンで表現しているんじゃないかな。


 あと後半部分で私が注目したのは、脳内に引っ込んだ都雄を表に引き摺り出したこと。
 あれはPLの目的、勝利条件が、脳内引き籠りのGMを表に引き摺り出すことを表しているのだと思う。
 それも逃げることができないように、最も効果的な時を狙って。
 ま、本番のゲームでは、その対象は都雄ではなくミャオだと考えているが。


 だいたいこんなところかな。
 本編の重要なヒントや答えを何気なくTIPSで出してくるから、ホント油断ならないんだよなぁ。





 あとナカオボウシさんのお話も読ませていただきました。

 赤色のカエルと仲良くなるケロポヨのお話。
 うん、どう見ても答えです。本当にありがとうございました。
 “赤”は象徴的。
 病気もフェザリーヌに重なるし。
 互いに見つけてきたものを並べ合う。
 代わりに色々やる。
 友達になる。
 本編のゲームもこんな感じだよね。
 本編でもこんな感じでめでたしめでたし的になると良いなぁ。


  1. 2020/05/11(月) 19:10:43|
  2. キコニア小冊子
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【キコニア】神のシナリオ(F.H.翻訳試作ver)

 神のシナリオを編集しようかな。
 参考にを置いておく。


 まずは目的から行こう。
 ヨハネの黙示録では最終的に、新しい天と新しい地が現れ、新しいエルサレムが現れる。

 「新天新地」とは何か。

 最初の天と最初の地は去っていくわけだが、これが世界の刷新であるならば、古い天地と新しい天地は同一となる。
 が、どうやらこの「新しい」という形容詞のギリシャ語からすると、古い天地とは別の全く新しい天地の方っぽいんだよね。

 それを採用すると、そうだね例えるなら、地球という星とは別の星を新しく用意したからそこへ移住して下さい、と言っているようなもの。
 ゲーム盤は脳内世界だから、GMの脳内世界からPLの脳内世界へと受け入れられる様を表しているのだろう。

 これはうみねこのベアトの目的そのもの。
 ゲーム盤から抜け出して、PLの脳内世界へと羽ばたいて行きたいという。

 そして滅びた星から別の星に入植する民、それはひぐらしの羽入の民だ。

 要するに、なく頃にのゲームでいつもやっていること。
 だからキコニアでもそうなのは至極当然であるとも言える。


 さて、新しいエルサレムでは死者が蘇るが、命の書に名前が載っていない者は火の池に投げ込まれる。
 それが第二の死。
 新しいエルサレムには、命の書に名前が載っていない者は入ることができない。

 だとすると、命の書とはPLによって認められた「真実」の人間の名簿に当たるのだろう。
 真実の人間のみが新しいエルサレムに入ることが許され、そうでない人間は血の池に投げ込まれる。
 第一の死が肉体の死なら、第二の死は魂あるいは霊の死なのだろうね。
 たとえ肉体が死んだとしても、真実だと認められたらその魂はPLの中の世界で蘇ることができる。
 黄金の真実となって。

 ま、そんな感じだろうね。
 GMの星からPLの星へと、モーセに導かれてエクソダス的な。
 ゲームを駒視点から見るとこうなるというわけだ。

 これはうみねこの筋書きそのもの。
 ならば、GMの世界を滅ぼす戦いもそれをなぞったものなのだろう。
 つまりは真実と幻想の戦いだ。
 PLの操る駒である“真実”が、GMの世界に住まう“幻想”を鏖にする。

 一幕目はファンタジーVSアンチファンタジー。
 打ち倒すべき敵として「魔女ベアトリーチェ」が現れ、一定の期間暴れまわることを許される。
 これは、
“この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。”(13:5)
 に当て嵌められる。


“その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、
 また、龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、「だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか」。”(13:3~4)


 傷を受けても死なない。
 それは幻想だから。
 主の代わりに戦い、ゲーム盤を支配する駒。
 誰がこの幻想を打ち破る者がいるだろうか。


“そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。
 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。
 耳のある者は、聞くがよい。
 とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。”(13:7~10)


 PLの記す命の書にその名を記されていない者たちとは、即ち幻想の住人。
 彼らは皆、獣(魔女)の眷属。
 魔法の虜となった者には、魔法が視える。
 赤き真実を用いて幻想を殺す者は、自らもその剣で殺されねばならない。


“ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、
 神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。
 その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。
 ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。”(14:9~12)


 幻想の住民を苦しめる、“怒りの葡萄酒”とは、要するに「赤き真実」。
 幻想の存在を許さない神の代理人の裁き。
 “神の戒め”は、ミステリーが守るべき「ノックスの十戒」。
 十戒を守った幻想は、黄金の真実に昇華される。

 “昼も夜も休みが得られない”はアブドゥの能力かな。


“それから、大きな声が聖所から出て、七人の御使にむかい、「さあ行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に傾けよ」と言うのを聞いた。
 そして、第一の者が出て行って、その鉢を地に傾けた。すると、獣の刻印を持つ人々と、その像を拝む人々とのからだに、ひどい悪性のでき物ができた。
 第二の者が、その鉢を海に傾けた。すると、海は死人の血のようになって、その中の生き物がみな死んでしまった。
 第三の者がその鉢を川と水の源とに傾けた。すると、みな血になった。
 それから、水をつかさどる御使がこう言うのを、聞いた、「今いまし、昔いませる聖なる者よ。このようにお定めになったあなたは、正しいかたであります。
 聖徒と預言者との血を流した者たちに、血をお飲ませになりましたが、それは当然のことであります」。
 わたしはまた祭壇がこう言うのを聞いた、「全能者にして主なる神よ。しかり、あなたのさばきは真実で、かつ正しいさばきであります」。
 第四の者が、その鉢を太陽に傾けた。すると、太陽は火で人々を焼くことを許された。
 人々は、激しい炎熱で焼かれたが、これらの災害を支配する神の御名を汚し、悔い改めて神に栄光を帰することをしなかった。
 第五の者が、その鉢を獣の座に傾けた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦痛のあまり舌をかみ、
 その苦痛とでき物とのゆえに、天の神をのろった。そして、自分の行いを悔い改めなかった。”(16:1~11)


 葡萄酒=血=赤き真実。
 赤き真実によって存在を否定された幻想は苦しみ。
 赤き真実によって存在を許された真実/幻想は命を繋ぐ。
 神の照らす真実の光によって幻想は焼かれる。
 “獣の国”とはACRのこと。


“第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために、かれてしまった。
 また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。
 これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。
(見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)
 三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。
 第七の者が、その鉢を空中に傾けた。すると、大きな声が聖所の中から、御座から出て、「事はすでに成った」と言った。
 すると、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが起り、また激しい地震があった。それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった。
 大いなる都は三つに裂かれ、諸国民の町々は倒れた。神は大いなるバビロンを思い起し、これに神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。”(16:12~19)


 “かえるのような三つの汚れた霊”は「ケロポヨ」。
 “アルマゲドン”はジェイデンが通っていたゲーム店。
 “大いなる都”はAOU。
 そこが獣との決戦の舞台なのだろう。
 AOUは三位一体の物語を表し、それが“三つに割かれ”た。


“それから、七つの鉢を持つ七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを、見せよう。
 地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」。
 御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。
 この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、
 その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
 わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。この女を見た時、わたしは非常に驚きあやしんだ。
 すると、御使はわたしに言った、「なぜそんなに驚くのか。この女の奥義と、女を乗せている七つの頭と十の角のある獣の奥義とを、話してあげよう。
 あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである。地に住む者のうち、世の初めからいのちの書に名をしるされていない者たちは、この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚きあやしむであろう。
 ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。
 そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている。
 昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中のひとりであって、ついには滅びに至るものである。
 あなたの見た十の角は、十人の王のことであって、彼らはまだ国を受けてはいないが、獣と共に、一時だけ王としての権威を受ける。
 彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権威とを獣に与える。
 彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」。
 御使はまた、わたしに言った、「あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。
 あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。
 神は、御言が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨を行い、思いをひとつにし、彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。
 あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである」。”(17:1~18)


 “大淫婦バビロン”は人を指すならフィーア、都を指すならAOUあるいはA3Wでいいだろう。
 「隠れた神」は異なる陣営の物語(子供)を生んでいるから。
 全ての物語を生む者にして、全ての物語を住まわせる都。
 “大淫婦バビロン”の“紫と赤の衣”は、「紫発言」と「赤き真実」のことかな。
 “姦淫の葡萄酒”は赤き真実に混ぜ物を加えたもの。
 つまり、赤き真実を下地としてその上に幻想を塗り重ねて作られた様々な物語のこと。
 “あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。”は、数多の物語、即ちカケラが浮かんでいる海を支配していることに当て嵌められる。
 彼女はその身に着飾った全てのカケラを剥ぎ取られる運命にある。

 “七つの頭”の“七人の王”は、ACRの6人+ギュンヒルド。
 “五人はすでに倒れ、ひとりは今おり”なので、ACRはリーバテイルのみ生き残っているのだろう。
 “もうひとりは、まだきていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている”ので、ギュンヒルドは後から来るのだろう。
 “昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中のひとりであって”とあるがこれは、獣=セシャト=ギュンヒルドを表す。
 “この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚きあやしむ”は、死んだはずのギュンヒルドが現れたから驚いたのだろう。
 “あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである”とあるので、ギュンヒルドは死んだふりをしている間、“底知れぬ所”つまりギローイ研究所の地下にあるだろうフィーアの研究所に行っていたのではないかな。

 “十の角”である“十人の王”は、“龍”を形成するCOUの6人+ミャオことジェストレスの7人と、グレイブモウルの3人のことかな。

 そして最終的には“子羊”である都雄が勝つ。
 “子羊”と共に戦う者は“召された”ものなので、一度死んでいるものたち、ギローイの研究所で破棄された者や、クリスマスの収穫祭で刈り取られた者たちかな。


“この後、わたしは、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた。
 彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。
 すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。
 わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。
 彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。
 彼女がしたとおりに彼女にし返し、そのしわざに応じて二倍に報復をし、彼女が混ぜて入れた杯の中に、その倍の量を、入れてやれ。
 彼女が自ら高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみとを味わわせてやれ。彼女は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。
 それゆえ、さまざまの災害が、死と悲しみとききんとが、一日のうちに彼女を襲い、そして、彼女は火で焼かれてしまう。彼女をさばく主なる神は、力強いかたなのである。
 彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しみ、
 彼女の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた』。
 また、地の商人たちも彼女のために泣き悲しむ。もはや、彼らの商品を買う者が、ひとりもないからである。
 その商品は、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、各種の香木、各種の象牙細工、高価な木材、銅、鉄、大理石などの器、
 肉桂、香料、香、におい油、乳香、ぶどう酒、オリブ油、麦粉、麦、牛、羊、馬、車、奴隷、そして人身などである。
 おまえの心の喜びであったくだものはなくなり、あらゆるはでな、はなやかな物はおまえから消え去った。それらのものはもはや見られない。
 これらの品々を売って、彼女から富を得た商人は、彼女の苦しみに恐れをいだいて遠くに立ち、泣き悲しんで言う、
 『ああ、わざわいだ、麻布と紫布と緋布をまとい、金や宝石や真珠で身を飾っていた大いなる都は、わざわいだ。
 これほどの富が、一瞬にして無に帰してしまうとは』。また、すべての船長、航海者、水夫、すべて海で働いている人たちは、遠くに立ち、
 彼女が焼かれる火の煙を見て、叫んで言う、『これほどの大いなる都は、どこにあろう』。
 彼らは頭にちりをかぶり、泣き悲しんで叫ぶ、『ああ、わざわいだ、この大いなる都は、わざわいだ。そのおごりによって、海に舟を持つすべての人が富を得ていたのに、この都も一瞬にして無に帰してしまった』。
 天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都について大いに喜べ。神は、あなたがたのために、この都をさばかれたのである」。
 すると、ひとりの力強い御使が、大きなひきうすのような石を持ちあげ、それを海に投げ込んで言った、「大いなる都バビロンは、このように激しく打ち倒され、そして、全く姿を消してしまう。
 また、おまえの中では、立琴をひく者、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを吹き鳴らす者の楽の音は全く聞かれず、あらゆる仕事の職人たちも全く姿を消し、また、ひきうすの音も、全く聞かれない。
 また、おまえの中では、あかりもともされず、花婿、花嫁の声も聞かれない。というのは、おまえの商人たちは地上で勢力を張る者となり、すべての国民はおまえのまじないでだまされ、
 また、預言者や聖徒の血、さらに、地上で殺されたすべての者の血が、この都で流されたからである」。”(18:1~24)


 “大淫婦”の真実の姿は、みすぼらしい「赤き真実」。
 その上に「魔法幻想」や「黄金の真実」を贅沢に着飾っている。
 彼女は様々な物語と交わり、次々と物語を生み出している。
 A3Wの人類は、そんな混ぜ物の真実を飲まされていた。
 「偽り」を着飾り、「偽り」を流行らせ、「偽り」で豊かとなった“A3W”こそが“バビロン”なのである。
 「偽り」の物語を積み上げて天まで届かせようとしたことが彼女の罪。

 よって神の裁きが下される。

 全ての「偽り」が剥ぎ取られる。
 着飾っていた「魔法幻想」や「黄金の真実」は失われ、彼女の都の住人は消え去り、育まれた物語も文化も歴史も一瞬にして失われた。
 “『ああ、わざわいだ、この大いなる都は、わざわいだ。そのおごりによって、海に舟を持つすべての人が富を得ていたのに、この都も一瞬にして無に帰してしまった』”、即ち「カケラの海」に船を持つ全ての人が富を得ていたのに。

 そして、“天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都について大いに喜べ。神は、あなたがたのために、この都をさばかれたのである”という言いざまである。
 まぁ、PLの脳内世界へと移住しようとする「黄金の真実の民」が願ったから、こうなったというのは間違いない。
 この災いを避けられるのは、“子羊”都雄が導く黄金の真実の民だけ。
 そう望んだのだろうという皮肉であり、これで本当にいいのかというPLの問いかけ。


“またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。
 その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。
 彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。
 そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。
 その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。”(19:11~15)


 これは“子羊”である都雄。
 “血染めの衣”は赤き真実で染められたもの。
 “「神の言」”は赤い真実。
 “口から吐かれる鋭いつるぎ”は赤き真実。
 黄金の真実は、赤き真実に反するとロジックエラー。
 しかし、反しない限り、赤き真実は黄金の真実にとって、武器であり防具であるのだ。


“また見ていると、ひとりの御使が太陽の中に立っていた。彼は、中空を飛んでいるすべての鳥にむかって、大声で叫んだ、「さあ、神の大宴会に集まってこい。
 そして、王たちの肉、将軍の肉、勇者の肉、馬の肉、馬に乗っている者の肉、また、すべての自由人と奴隷との肉、小さき者と大いなる者との肉をくらえ」。
 なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して、戦いをいどんだ。
 しかし、獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。
 それ以外の者たちは、馬に乗っておられるかたの口から出るつるぎで切り殺され、その肉を、すべての鳥が飽きるまで食べた。”(19:17~21)


 黄金の真実の民以外の民は、“子羊”の吐いた赤き真実の剣によって殺し尽くされる。
 “鳥”は「魂」の象徴。
 その鳥が幻想できた肉体(アバター)を食らう。
 これは肉体から魂が解放されたことを示すのだろう。
 そして“獣”セシャトと“偽預言者”藤治郎は“血の池”に投げ込まれる。

 この“血の池”は“第二の死”である霊の死を示す。
 私はこれを「忘却の深淵」に当て嵌めたい。
 あれもまた魂の死であるから。
 また「忘却の深淵」は“底知れぬ淵”にも当て嵌めたい。
 つまり、“血の池”=“底知れぬ淵”。


 “底知れぬ淵”は何度か出てくる。
 第五のラッパの所。
“そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗くなった。”(9:2)

 二人の預言者が殺される所。
“そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。”(11:7)

 バビロンが乗った獣について。
“あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである。地に住む者のうち、世の初めからいのちの書に名をしるされていない者たちは、この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚きあやしむであろう。”(17:8)

 龍が千年繋がれる所。
“またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。
 彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、
 そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。”(20:1~3)


 “底知れぬ所”とは奈落であり、地の底。
 この穴は、“聖母”が“龍”から逃げる時に地が開けた穴でもあるのではなかろうか。

 さらに“底知れぬ所”から煙が立ち上り世界中を覆っている。
 この“煙”も何度か繰り返されるワードだ。

 バビロンが焼かれる場面。
“再び声があって、「ハレルヤ、彼女が焼かれる火の煙は、世々限りなく立ちのぼる」と言った。”(19:3)

 この“煙”が“底知れぬ所”の“煙”と同一であるなら、“底知れぬ所”はバビロンの地下にあることになる。
 つまり、AOUの地下にある。
 前にも言ったように、ギローイの研究所の地下、廃棄された者が贈られる場所。

 バビロンについては、
“神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。”(14:10)
 ともなり、“煙”の他に“火”と“硫黄”が出てくる。
 “火”と“硫黄”は“血の池”と重なる。
 なので“血の池”=“底知れぬ所”と解釈も出来る。

 “火”と“煙”と“硫黄”は第六のラッパでも出てくる。
“そして、まぼろしの中で、それらの馬とそれに乗っている者たちとを見ると、乗っている者たちは、火の色と青玉色と硫黄の色の胸当をつけていた。そして、それらの馬の頭はししの頭のようであって、その口から火と煙と硫黄とが、出ていた。
 この三つの災害、すなわち、彼らの口から出て来る火と煙と硫黄とによって、人間の三分の一は殺されてしまった。”(9:17~18)


 これもまた“底知れぬ所”であるフィーアの研究所関連となるのだろう。
 でも第六のラッパは“四人の御使”だから、これはスパイのやつかな。

 実はもう一ヵ所“煙”が出てくる所がある。
“すると、聖所は神の栄光とその力とから立ちのぼる煙で満たされ、七人の御使の七つの災害が終ってしまうまでは、だれも聖所にはいることができなかった。”(15:8)

 天にある“神の聖所”も“底知れぬ所”にあるのかもね。
 あるいは天と地の「反転」なのかも。


 で、“獣”セシャトと“偽預言者”藤治郎は“血の池”に放り込まれるわけだけど。
 “血の池”は“底知れぬ所”であり「忘却の深淵」。
 存在が抹消される者が一時的に置かれる場所。
 これは2人が“底知れぬ所”に隠れていたフィーアに出会えるということだろう。


“第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。
 そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗くなった。
 その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。
 彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。
 彼らは、人間を殺すことはしないで、五か月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であった。
 その時には、人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである。
 これらのいなごは、出陣の用意のととのえられた馬によく似ており、その頭には金の冠のようなものをつけ、その顔は人間の顔のようであり、
 また、そのかみの毛は女のかみのようであり、その歯はししの歯のようであった。
 また、鉄の胸当のような胸当をつけており、その羽の音は、馬に引かれて戦場に急ぐ多くの戦車の響きのようであった。
 その上、さそりのような尾と針とを持っている。その尾には、五か月のあいだ人間をそこなう力がある。
 彼らは、底知れぬ所の使を王にいただいており、その名をヘブル語でアバドンと言い、ギリシヤ語ではアポルオンと言う。”(9:1~11)


 “底知れぬ所の王”アバドンとはフィーアのこと。
 そして“龍”を閉じ込める天使でもある。

“またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。
 彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、
 そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。”(20:1~3)


 “龍”は「赤き真実の王」で、“子羊”である「黄金の真実の王」と敵対している。
 そして“龍”は己の権限を“獣”である「魔法幻想の王」に与えていた。
 “バビロン”が着飾っていたのが「黄金の真実」と「魔法幻想」で、裸が「赤き真実」。
 “バビロン”はフィーアであり、フィーアは“底知れぬ所の王”だ。
 つまり、フィーアは己の分身であり隠すべき素肌である「赤き真実」、即ち“龍”ジェストレスを封印し千年の眠りを与えた。

 さらにジェストレスはミャオであり、ミャオは“聖母”。
 “聖母”は“龍”に追われ、地が開けた穴=“底知れぬ所”によって助けられた。
 つまり、千年眠るのはミャオ。

 そのミャオから都雄の魂が分離、つまり「出産」したことで“子羊”が再臨した。
 そして“底知れぬ所”に廃棄されていたガントレットナイトたち、青い肌に生まれ変わった者たちを引き連れて“獣”と戦いに行く。

 あと“底知れぬ所”から出て行く第五のラッパのいなごは人を死なせないから、これは不死を研究していた同士のやつだろう。



“それから、わたしはつえのような測りざおを与えられて、こう命じられた、「さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい。
 聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。
 そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。
 彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である。
 もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない。
 預言をしている期間、彼らは、天を閉じて雨を降らせないようにする力を持っている。さらにまた、水を血に変え、何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ力を持っている。
 そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。
 彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。
 いろいろな民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめるが、その死体を墓に納めることは許さない。
 地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう。このふたりの預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである。
 三日半の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は非常な恐怖に襲われた。
 その時、天から大きな声がして、「ここに上ってきなさい」と言うのを、彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。
 この時、大地震が起って、都の十分の一は倒れ、その地震で七千人が死に、生き残った人々は驚き恐れて、天の神に栄光を帰した。”(11:1~13)


 二人の預言者は、二人だからLATOの二人が当て嵌まるのだろう。
 神によって命の息が吹き込まれ、天へと上げられた。
 これはジェイデンと合わせて三位一体のパズルとなり、神の代行者となることを表しているのだろう。
 LATOはうみねこでの「元老院」にあたり、四つの陣営、四つの物語の争いを管理する立場。
 本来の役割を取り戻したからこうなるのかなと。

 つまり、このヨハネの黙示録の記述は、二人の悲惨な運命を記しているということになるのだが。
 そして、それに合わせて大地震が起こるというシナリオなのだろう。



“あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。”(1:20)

 これもどうにか当て嵌めてみよう。
 “七つの教会の御使”を“神の七つの霊”に当て嵌めようかな。
 “神の七つの霊”は、AOUからジェイデンを抜かしミャオ=ジェストレスを加えた6人+フィーア。


“エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。
 わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。
 あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。
 しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。
 しかし、こういうことはある、あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、わたしもそれを憎んでいる。
 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。”(2:1~7)


 “右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者”は“神”。
 この場合は“父なる神”、PLかな。
 そしてその“子”である「神のシナリオ」の主人公都雄。

 “エペソの御使”=ミャオ。
 その“労苦と忍耐”は、「黄金の真実」を生み育てそのために「赤き真実」を隠し通していること。
 また使徒を試すとは、うみねこのゲームなどで、最奥の真実まで辿り着けるかどうかを試した。
 偽者の使徒とは、そこまで辿り着いていないのに辿り着いたと公言している者。
 “あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。”の、“わたしの名”とは“子”都雄のこと。
 うみねこでは「ヤス」。

 しかし、初志からは離れてしまった。
 それは「二人で共に人間になる」こと。
 “子羊”の名を守ることにやっきとなるあまり、自身の名を捨てることすらもためらわなくなってきた。
 それを悔い改めなければ、あなたの“燭台”つまり「ピース」を取り除く。
 ゲームで勝利を得る者には、命の木の実を食べることを許そう。
 つまり、PLの世界において命を得られる。


 本来黄金郷は全ての存在が平等。
 そう取り決めた者自身が、己の存在を蔑ろにしてしまっているんだよね。
 それこそが平等ではない。
 黄金の真実に向ける愛と同等の愛を自分にも注いであげて欲しいな。


“スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、次のように言われる。
 わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。
 あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。
 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』。”(2:8~11)


 “スミルナの御使”=都雄。
 その“苦難や貧しさ”は、本当の真実でなかった身で「黄金の真実」になろうとしたこと。
 そしてすでに「黄金の真実」となり豊かになったこと。
 それが知られたら本当の真実でないと謗られることになるかもしれない。
 “見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。”の獄に入れられる者はミャオ。
 上の“エペソの御使”の“燭台を取り除く”に掛かっている。
 “死に至るまで忠実であれ”とは、都雄のために獄に入ったミャオを裏切るなということ。
 “そうすれば、いのちの冠を与えよう。”
 つまり、PLの世界で命が与えられる。
 勝利を得る者は、第二の死、即ち魂の死によって滅ぼされることはない。


 黄金の真実は愛によって成り立つ。
 愛さえあれば恐れることはないのだけど、その愛に猜疑の目を向けてしまっている。
 自分は魂で結ばれたいのに、人間は体で結ばれたいのだろうと。
 あぁ、体のない存在がそれを求められることは辛いだろう。
 愛の形は様々あり、決まった形などない。
 むしろ当事者たちの事情に合わせて形の方が変わるべきだろう。
 理想を言えばね。

 真実がなくとも物語は進み、真実が現れれば物語は暴かれる。
 真実か、愛か。究極の選択。
 答えは両方。
 真実は愛によって塗り潰せないし、愛は真実によって掻き消されたりしない。
 現に私は真実を知っても、物語の中から愛を見つけているぞ。
 むしろ真実を知ったから愛を見つけやすくなったまである。
 まだまだ見つけてない愛もあるだろうし、物語は終わらないよ。


“ペルガモにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『鋭いもろ刃のつるぎを持っているかたが、次のように言われる。
 わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある。あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。
 しかし、あなたに対して責むべきことが、少しばかりある。あなたがたの中には、現にバラムの教を奉じている者がある。バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである。
 同じように、あなたがたの中には、ニコライ宗の教を奉じている者もいる。
 だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう。
 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある』。”(2:12~17)


 “ペルガモの御使”=リリャ。
 リリスはサタンの妻とされることもある。
 “鋭いもろ刃のつるぎ”とは「赤き真実」。
 “サタンの座”は「悪魔=幻想」の住処。
 幻想は真実が誕生するために打ち倒されるものである。
 忠実な証人が殺された時でさえ、信仰を捨てなかったとはそういう意味。
 しかし中には異なる教えを奉じている者がいる。
 “だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう。”となるが、“わたし”と戦うのは“あなた”ではなく“彼ら”。
 それが悔い改めない“あなた”に対する罰となる。
 これはリリャ本人ではなく、リリャが生み出した他の人格たちを「赤き真実」で打ち倒すという意味となるだろう。
 子供を生む者が一番苦しむ罰は、子供たちが死ぬこと。
 “勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある”の“白い石”は新しいエルサレムの城壁の一部となれる権利のことだろう。


 いつか真実に至る者が現れると信じて数多の物語を紡いでいる。
 だがいつしか目的を見失い、やがてはただ徒に退屈を癒すために物語を紡いでしまうことになるのではないか。
 そんな自省の表われかな。
 無限の物語の一つ一つは、城壁を形作る一つ一つの石。
 無駄なものは一つもない。


“テアテラにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子が、次のように言われる。
 わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている。
 しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。
 わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。
 見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。
 また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。
 また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教を受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う。わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。
 ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。
 勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。
 彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。
 わたしはまた、彼に明けの明星を与える。
 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。”(2:18~29)


 “テアテラの御使”=ギュンヒルド。
 “あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている”というのは、ギュンヒルドがガントレットの適性が低かったのに、努力してトップにまで辿り着いたこと。
 ギュンヒルド=“聖霊”=姉ベアトだとすると、初期の姉ベアトは窓の鍵を外すくらいを幻想描写で覆うくらいだったのが、今ではどんな幻想描写も自由自在で、他の物語と重ね合わせて様々なメッセージを込めることができるようになった。

 で、“イゼベルという女”は、“見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。”とあり、描写が“バビロン”にそっくりなので、フィーアが当て嵌まるだろう。

 “また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。”の“女の子供”はフィーア即ち三位一体の母なる神が生み出した諸々の物語のこと。
 要するに人類のこと。
 “人の心の奥底までも探り知る者である”とは、推理によってGMの心を探る立場であるPLが超有能ということ。
 それが“あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう”だから、このGMの心を表現する劇で働いた幻想の駒たちには、その行いに応じて報いるということだろう。

 “テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教を受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う。わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。”の、“別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない”というのは、駒には役に応じた重荷しか背負わせないということで、つまり“サタンの、いわゆる「深み」を知らない”のであれば、それ以上の重荷を背負う必要がないということ。
 逆を言えば“サタンの、いわゆる「深み」”、即ち「GMの心の深奥」を知る駒はめっちゃ重荷を背負っているということだが。

 “勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。”
 “わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。”
 とあるが、これは「PL」が「神の代理人のシナリオ」に権威を与えて「ゲーム盤」を支配させているように。
 三重の物語の一番表に現れている「魔法幻想」が、その下にある「真実たち」をどのように表現するのかを自由にできるという意味。
 例えば魔女ベアトリーチェがゲーム盤を表向き支配していたように。

 最後の“わたしはまた、彼に明けの明星を与える。”の“明けの明星”は、引き出しのあるミロのヴィーナスの中に隠されていた「赤き真実の心臓」のことに当て嵌まるのかな。
 ギュンヒルド=セシャトだから、ラストの千年眠るミャオ=ジェストレスに渡したアレに繋がるのだろう。


 三位一体の物語の「魔法幻想」は、劇の表舞台にあたり、ストーリーの進行を任されている。
 裏方の脚本家の自由にさせず、それをリードしなくてはならない、的なことだろう、たぶん。
 つまり、彼女は母なる神に対して意見する権利を持っている。
 三位と一体の4人が揃って一人なのだから、その一角としてその責務を果たさなければならないのだろう。


“サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。
 目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。
 だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。
 しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である。
 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。
 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。”(3:1~6)


 “サルデスの御使”=コーシュカ。
 人は一つの世界しか認識できず、ゆえにその世界のみで精一杯生きなければならない。
 異なる世界を認識でき、死んでも記憶が引き継がれている。
 だがそれは“生きているというのは名だけで、実は死んでいる”。

 さくたろうが死に、他の体で蘇ったように。
 それはさくたろうが自力のみで蘇ったのではない、観測者がそう観測することでさくたろうの魂を蘇らせたのだ。
 内と外で互いに手を伸ばしたから蘇ることができたのだ。
 だから肉体が死んでも魂は死なない。

 肉体の死が存在の終わりでないことを、他の人間にも教えて力づけなさい。
 コーシュカの不死は、代わりの肉体が必要な点で不完全。
 第二の生には、肉の体は不要。
 PLの世界へ蘇る時、目を覚ましていなければならない。
 そうでなければ、その機会を失ってしまうのだから。


 人を見下ろす魔女も、神から見下ろされる存在に過ぎない。
 人が死後、魔女によってその魂を引き上げられるように。
 魔女も死後、神によってその魂を引き上げられる。
 だからその生を懸命に生きなければならない。
 ひぐらしもうみねこも、魔女が懸命に生きた物語なのだ。


“ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。
 わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。
 見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。
 忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。
 わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。
 勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。
 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。”(3:7~13)


 “ヒラデルヒヤの御使”=クロエ。
 “あなたには少ししか力がなかった”“彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。”は、クロエの境遇を端的に示している。
 一番下から一番上へ。
 名を書くとは、その権限を与えることと同義だろう。

 “全世界に臨もうとしている試練の時”に、クロエの前に“子羊”が現れる。
 命の冠が奪われないように。


 うーん、愛されてるなぁ。
 悔い改めよがないのは、クロエが「初心」を表しているからだろう。
 一緒に訓練した者を蹴落としたくないし、一緒に飛んでいる者を振り落としたくない。
 つまり、「共に飛びたい」。
 一番上に立ち、下を制圧することができるのに、それをしない。
 一番下にあり、自己肯定力が低いのに、これまでずっと続けてきた。

 このクロエに気合と根性を注入する小此木チョップには愛があるね。
 となると、小此木もPLジェイデンの分体、分霊となるのかな。
 あるいは模倣した駒なのか。
 ガントレットナイト=物語を育てる。
 このゲームにおいてそれは“父”の役目だもんな。


“ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。
 わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
 このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。
 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。
 そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。
 すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。
 見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
 勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。
 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』」。”(3:14~22)


 “ラオデキヤの御使”=フィーア。
 “冷たくもなく、熱くもない”とは、感情を切り離しているさま、傍観者であること。
 傍観者であることを止め、ゲームに積極的に参加することを促している。
 “なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう”は、悔い改めなければPLの世界に入れないという警告。
 「黄金の真実」や「魔法幻想」で豊かになったと言っているが、実際の姿は「赤き真実」のみ。
 “そこで、あなたに勧める”はフィーア、つまりGMの世界の外に住むPLからの助言。
 “富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い”の“精錬された金”は、PLが紡いだ「黄金の真実」、つまり「神の代理人のシナリオ」。
 “あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい”は、「黄金の真実」以外の白い文字なのかな。
 “見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。”は、外の人間たちが持つ「愛」が視えるようにというもの。

 フィーアは感情から切り離された傍観者であり、最も上層で俯瞰する人格。
 フェザリーヌに相当すると見ている。
 つまり、ゲーム盤を記述するために、ゲーム盤から切り離された存在だ。
 そして最上層の人格ということは、PLを認識し、PLとゲームを行っているのもこの人格。
 にも拘わらず勝負は傍観している。
 「赤き真実」も「黄金の真実」も「魔法幻想」もゲーム盤の駒として並べ、その運命は駒たち自身とPLに委ねている。

 だから熱を取り戻さなければならないとPLは言っているのだろう。
 フィーアから切り離されたピースは、ゲーム盤の上でバラバラに散らばってしまっている。
 それらを拾い集めて組み立て直さなければならない。
 そしてPLがそれを拾い集めたから、それを手に取ればいい。
 ゲームとは一人でするものではなく、二人でするものなのだから。

“見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。”
 これは内に閉じこもった世界へ掛けられる外からの呼び声。
 扉を開いてくれたなら、中へと入ってゲームを共にし、相手もまた私とゲームを共にするであろう的な。
 キコニアで神の代理人を務めているPLがやってるのがこれ。

“勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。”
 PLによって“子”はゲームに勝利して真実の座に引き上げられた。
 同様にゲームに勝利した者には、共に真実の座につかせる。
 共に真実の座につく、つまり並び立つ真実だ。
 そこで永遠に一緒でいられる、というわけだね。


 ま、そんなわけで私たちはゲームを共にするためにおじゃまさせてもらっているわけだ。
 信頼を得るためにコミュニケーションを図る。
 うみねこで信頼できなければ推理できないというのがあった。
 これは相手側からもそうなんだよね。
 こちらが信頼できる相手なのかどうか、それを探っているのだ。
 こちらが向こうを信頼できる相手だと思えるようになり、向こうもこちらが信頼できる相手だと思えるようになったら、双方が手を伸ばし合って掴むことができる。
 ひぐらし、うみねこと、それをずっとやって積み上げてきたわけだからね。



 七つの霊についてはこんなところかな。
 この悔い改めよで、悔い改めなかったルートと、悔い改めるルートに分岐するのだろう。
 つまり、“龍”がこのまま千年眠るルートと、目を覚ますルート。
 これが「神のシナリオ」と「神の代理人のシナリオ」の違い。

 先に千年眠ったままのルートから行こう。

 “龍”ことミャオ=ジェストレスが千年眠っている間、“子羊”都雄は千年王国を打ち立て支配している。
 「黄金の真実」がゲーム盤で唯一の真実となり、ゲーム盤を千年支配する時代が来たのだ。
 この“千年”は魔女時間だから現実の時間とは関係ない。
 千年も支配すれば盤石だ、という感じだろう。
 それは千年の間覚めない夢。
 そんな都雄の夢を見てミャオは千年を微睡む。

 これはうみねこEP7で、覚めない夢となったベアトの夢を見て永遠の眠りに就く“主”と重なる。
 ひぐらしでは賽殺し編の羽入が満足して消えるのにも。
 キコニアでも最終的にそこに行こうとするんだね。

 で、千年の眠りから赤き真実が目覚めるわけだけど。
 もうその時には、そのゲーム盤での真実の格差に圧倒的な差がついてしまっている。
 かつては対等だった「赤き真実」と「黄金の真実」。
 だが今では「黄金の真実」は絶対の真実となり、「赤き真実」は木っ端。
 「黄金の真実」によってゲーム盤は一掃され、もう他には長き眠りから覚めた「赤き真実」しかいない。

“千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。
 そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は、海の砂のように多い。”(20:7~8)


 となると、このゴグ・マゴグはゲーム盤の外から招き入れられたのだろうね。
 要するに、うみねこEP8の山羊たちをなぞっている。
 もうゲーム盤の上に「黄金の真実」と戦う駒(真実)がないから、ゲーム盤の外から戦力を持ってきた。

 とは言え、そのゲーム盤の上では「黄金の真実」が唯一にして絶対の王だから、外から招き入れられた妄想たちはまさしく有象無象の真実でしかないのだけれど。
 ま、勝負が最初から決まっていた戦いだよね。

 で、なんで決まった勝負を仕掛けたかというと、「赤き真実」を有象無象として蹴散らしてもらうためだろう。

 かつて互いに支え合っていた「赤き真実」と「黄金の真実」。
 「黄金の真実」を自ら立たせるために、「赤き真実」は消えねばならない。
 そのためにはその関係性を「忘却」させる必要がある。
 キズナで繋がらない、テレビの向こうの赤の他人だから、死んでも何の思いも抱かないで欲しい。
 辛い記憶は脳ごと削り取ってなかったことにして、ハッピーエンドを迎えて欲しいと。
 母は子の幸せを願って送り出す。

 これが「母と子の物語」を「父と子の物語」に編纂し直そうとする神のシナリオ。


 いつ見ても思うけど、これハッピーエンドじゃないよね。
 関係性を忘却した「黄金の真実」にとっては真実として確立することはハッピーエンドだろう。
 それしか見ていないプレイヤーにとってもハッピーエンドだろう。
 そして、それを見て満足して眠りに就く「赤き真実」にとってもハッピーエンドだろう。
 だが、その舞台裏まで見た私にとってはハッピーエンドでは断じてない。

 もう手遅れなら「仕方ない」。
 決意が固いのなら「仕方ない」。
 その意思を尊重するしかない。

 でも、まだ間に合うなら。
 まだ迷いがあるのなら。
 手を伸ばしたいのが人情だろう。

 そんなわけで千年を待たずに目覚めるルートに行こうか。
 正直、こっちは私にとって未知なのでどうなるかはわならない。
 とりあえずうみねこを参考にしよう。

 うみねこでは「赤き真実」と「黄金の真実」の天秤を保たねばならなかった。
 GMが「黄金の真実」を紡ぎ、PLが「赤き真実」を探る。
 そうやって真実を並べ立たせた。

 PLがGMの代理をするということは、GMに代わり「黄金の真実」を紡ぐということ。
 そしてGMがふっきれたということは、隠していた「赤き真実」を表に出すということ。
 だからうみねこと構図が引っ繰り返った感じで天秤の釣り合いをとるのだと思う。

 その戦いがキコニア翻訳されるわけだから、PL側は都雄が戦い、GM側はミャオが戦うことになる。
 主人格はミャオで、自分の代わりに表に都雄を立たせ、それを真実に昇華させようとしていた。
 力関係的に、主人格>副人格だから、壁で圧し潰さないように己の主張を抑えてきた。
 だがもう遠慮はない。
 都雄の陰に隠れず、表に出てきて主張することにした。
 だからこれは、互いの主張をぶつけ合うケンカだ。

 ミャオはもう都雄に遠慮して主張を抑えない。
 そして都雄もそのミャオの主張に圧し潰されず、対等だから遠慮はいらないと己の力を示す。
 そうやって自分たちは対等であると確かめ合う。

 そしてミャオは都雄を取り戻す。
 都雄視点からすればミャオを取り戻す。

 GM側は「赤き真実」の他に「黄金の真実」を取り戻し、PL側は「黄金の真実」の他に「赤き真実」を取り戻す。

 「赤き真実」と「黄金の真実」は互いに絡み合って形成されている。
 そこに「魔法幻想」を修飾して三位一体の物語となる。
 だからセシャト、ギュンヒルドも蘇り、三位一体の本来の姿を取り戻す。
 世界を生み出す三位一体だけでなく、諸世界を動かす原動天の天使たち、大浴場騎士団の皆も蘇る。

 で、ここからがGMとPLの戦いの本番となる。
 GMは三位一体の真実を紡ぎ、PLも推理した三位一体の真実を繰り出す。
 鏡写しだね。
 そうして対等であることを示す。

 この「対等」であることを確かめるのが重要。
 それは負けて消えることがないと信じられるということで。
 負けても次は勝とうとすると信じられるということで。
 決していなくならないと信じられるということで。

 これはひぐらし・うみねこと引き継がれてきた文化。
 だからきっとキコニアもこれが引き継がれているはず。
 だからこんな感じじゃないかなあ、と私は思い描いているのだが、どうだろうか?

 これはもう、GMが一人で生み出す物語ではない。
 GMとPLが二人で生み出す物語。
 もっと言えば、その二人とゲーム盤を結んで三つ、三人で生み出す物語。
 三者の主張が重なり合うのだ。





 あ~さすがに疲れた。
 順番などはバラバラだけど、ヨハネの黙示録のだいたい6割方は埋められたんじゃないかと思うが。

 私が思い描く「執筆者」のイメージを、ヨハネの黙示録に重ね合わせてみたのだけど。
 思いのほかいっぱい重ねることができて驚いている。
 始める前は教会の所なんか神の計画に関係なくそれ以降が重要だと思ってたが、やってみたらがっつり関係あったわ、目を疑うレベルで。

 なく頃に自体、異なるイメージを重ねることでイメージを膨らませて行くことで生み出された物語で、ゲームもそこを楽しんでというスタイル。
 このキコニアではそのイメージの重ね合わせをプレイヤーがシナリオを仮想的に編集するレベルで楽しむのだろうとは思ってはいた。
 が、ここまでとは思っていなかった。
 めっちゃ楽しんじゃった。


 藤治郎はウィステリア騎士団を主催しているが、ウィステリアとは藤のこと。
 藤は不二から不死に通じ、他の樹木に絡み伸びるさまから長寿・子孫繁栄の象徴とされ、下向きに花穂が垂れ下がることから、描かれた藤の花は天と大地を繋ぐものであり、神や仏が地上に降臨する時の雲を意味するのだとか。

 「神のシナリオ」に絡み付いて伸びる「神の代理人のシナリオ」が藤のイメージに重なる。
 樹を伝って樹冠に至り、雲に包まれて降りてくる。
 また不二(ふに)とは、対立していて二元的に見える事柄も、絶対的な立場から見ると対立がなく一つのものであるということ。
 2つのシナリオは対立するものではなく、1つのものであるというイメージも良いね。

 うみねこでは「二重の真実」だったけど、キコニアは「二重のシナリオ」という感じだな。
 物語を読み解くゲームから、ジェイデンを通して疑似的にだがシナリオを構築することを楽しめるゲームになっている。
 そういう意味で、竜騎士さん曰く、キコニアは攻めている作品、今しか書けない物語ということなのではないか。

 うん、疑似的にとは言え、力を合わせてシナリオを作ろうとか、意味が分からないレベル。
 うみねこも二重(三重)の真実を一つの物語に纏めるとか異次元のことやってたけど、これも違う意味で高次元という感じ。

 うみねこは読者の推理を取り込むと言っても、ゲーム盤で展開されたのはGMの世界のみだった。
 キコニアではそのうみねこの読者をPLとして取り込み、GMの世界だけでなくPLの世界も取り込み展開している。
 つまり、うみねこからさらに一階層登ったところから俯瞰する視点を得ている。

 これは、GMがPLに選択肢を選ばせ運命に身を委ねようとしていたうみねことは逆に、PLがGMに選択肢を突き付けることを可能にしている。
 つまり、GMは選択肢を選ばなくてはならない。

 でだ、これをGMがゲーム盤で描くことを許容しているということは、PLへの信頼が熟成していることを表しているのだと思うのだ。
 信頼できない相手の手を取ることなど出来ない。

 うみねこでは互いの信頼を築くために、手探りでゲームを行ってきた。
 その末にGMはPLの選択に身を委ねた。
 だからこれはその次の段階。
 身を委ねたGMに対し、PLは選択肢を突き付けた。
 この手を取るかどうかを。
 
 つまり、うみねこのゲームの一歩先のゲームがキコニアではないかと思うのだ。
 それはうみねこで信頼を積み重ねたからこそのゲーム。
 難易度のかなりの上級だけど、“かなり”の部分が重要で、生半可な上級者では攻略不能的な意味合いなのでは?


 PL側がGMを信頼することで推理できる、というのは盛んに言われていたけど、信頼というのは相互的なものなので、GMからの信頼に応えようとすることも大事なことなのだよね。
 推理できると期待し、推理できると信頼する。
 それと同じように、こちらも期待され、信頼されているのだ。
 だから、何を期待されているのか? という観点は重要。

 自分は何を期待され、どうすれば信頼に応えられるのか。
 逆に、自分は何を相手に期待し、どのように信頼しているのか。
 どんな答えに至ることを期待されているのか。
 どんな謎が出されていると期待しているのか。
 その狭間に我らのゲームはある。

 では期待とは何か?
 想像できる範囲内に収まることか。
 推理とは未知を既知とすること。
 だから既知へと収めようとする気概は当然あるべきだ。
 しかし、想定内ということは、想定より小さいということでもある。
 それが当然だと思うと、小さく見てしまう、下に見てしまう。
 自分より下であることを期待するのか。

 否だよね。
 既知ではなく、未知を期待する。
 自分の想定より上を行くと信頼している。
 だからこそ、その未知を知ることで、想像の上を既知とし、思考をさらに上のステージへと登ることができる。
 連作ゲームだからどんどん上へと駆け上っていく。
 それを期待されているし、期待している。
 共に登っていけると信じている。

 だから前のゲームはすでに通り過ぎた地点であり、下のステージとして見下ろすもの。
 そこからすると、前のゲームの自分たちの姿を見下ろす形のゲームになるのは納得しかない。
 それは前より一歩先に、一段上に行けたことを意味するから。
 前のゲームを俯瞰し、客観的に分析することで、次の一歩を踏み出せる。
 それは道理なのだ。


 無論、これは私ひとりが勝手に信じているものに過ぎない。
 他の誰かに共感してもらえるものでもないことは自覚している。
 私は真実だと信じているが、客観的にそれが真実だと定まっているわけじゃない。
 そんなことは百も承知だ。

 だが真実か幻想か定かではないからどうだと言うのだろうか。
 確かに真実か否かは重要なことだ。
 だけど真実じゃなかったから価値がなくなるわけじゃない。
 価値がないと声高に言うのは赤の他人に過ぎない。

 それが真実かどうかじゃない。
 それが大切かどうかだろう。
 大切ならば、真実じゃなかろうと関係ない。
 失われないように手の中にしっかりと握りしめる。
 それがうみねこEP8で示された結論じゃあないか。

 キコニアでジェイデンがミャオの性別を気にする所は、これに重ね合わされているのだろう。
 猫箱に入っているのは、真か偽か。
 真だろうと偽だろうと、変わらずに愛せるのか。
 真か偽か明かしていないのに愛してもらうのはフェアではない。
 そんな話なのだろうね。

 でもそんなのは読者は皆、EP8で踏み越えてきているので、そんなこと気にする必要はないとミャオに言ってやりたい。
 ……んだけど、たぶんマイノリティなんだろうな。

 誰だって、公式から保証されれば安心できる。
 同じ意見の人がたくさんいれば心強い。
 逆に何も保証されず、同じ意見の人が誰もいなければ心細い。
 その状況下で自分だけの真実を守り続けられる人は多くないだろう。

 定かなものがない暗闇の中で、確かな光があれば歩いて行ける。
 私にとってそれが対戦相手である「執筆者」だったというだけ。
 暗闇の中で、ゲーム盤があることと、対戦相手がいることだけは確か。
 私も合わせた三者の関係だけは不動であると信じている。

 この関係の問題は、PLとGMを、PL1とPL2でも代替可能という点。
 PLとGMが合意を積み重ねて行かなければならないのに、PL同士が合意を積み重ねて行ってしまうだよね。
 だってそっちの方が簡単なんだもん。
 安心も簡単に得られるしね。

 だいたいにおいて、裏切られた―、というのはPL間の勝手な合意でしかない場合が多い。
 それをPL・GM間にも適応しようとしてしまうだけ。
 PL・GM間の合意の一番は「勝っても負けてもノーサイド、仲間であることは変わらない」だろう。
 真だろうと偽だろうと、これまで築いてきた関係はなくならない。
 そしてこれからも築いていくのだ。

 確かにこの境地に至るまでは悩んだり迷ったり苦しんだりしたけど、今となってはそんなの欠片も残ってないや。
 これも信頼できる相手がいるから、というのがあるからだろうけど。


 ま、いいや。話を戻そう。


 そもそも偽だから愛せないと決まっているわけではなく。
 ミャオ(赤き真実)も都雄(黄金の真実)を偽だと知っていて愛しているじゃん、と。
 ま、偽だと知っていて愛するのと、真偽が定まらないで愛するのでは、同等ではないかもしれない。

 でもまあ、ミャオの真偽が定まると同時に都雄の真偽も定まってしまうから、ミャオひとりで明かせることじゃないんだよね。
 そもそもミャオがそれを明かさないのは、愛する都雄のためだからなあ。

 要するに三角関係なんだよね。
 赤き真実 → 黄金の真実 → 私 → 赤き真実。

 赤き真実は、愛する黄金の真実を真実に昇華させたい。
 黄金の真実は、読者に推理されて愛されたい。
 私は、赤き真実を推理して愛したい。


 で、ジェイデンはこれに逆方向の矢印を加えたわけだ。
 PL → 黄金の真実 → 赤き真実 → PL。

 PLは、黄金の真実を新しい物語に編集する。
 黄金の真実は、その物語の中で赤き真実と共にあることを選ぶ。
 赤き真実は、安心してPLに正体を明かすことが出来る。

 こんな感じじゃないかな。

 愛は双方向の矢印であるとは、さすがジェイデンの兄貴の考えは深いっス。

 ま、ジェイデンはGMの先行体験で雨乞いだから、PLはこれを期待されているということ。
 信頼とは重いものだよね。
 でも信頼に応えるというのも楽しい事なんじゃないかな。
 私はGMの思考の後追いだから、他の樹を伝って天辺まで登らせてもらう“藤”に相応しい生態なんだよなぁ、と。


 なんかもう何を言いたかったかよくわからなくなってきた。
 とりあえず、ゲームにおいて信頼度は重要なパラメータだということ。
 キコニアのゲームは信頼度MAXから始まっているということ。
 かまどの方がパン生地さんを探しているくらいみたいだしね。

 “かまどの方がパン生地の所へやってきたら、パン生地をかまどに入れてやる時だ”というのが英語のことわざにあるそうだし。
 意味は、据え膳食わぬは男の恥。

 パン生地さんは“貴女”だから“女”なのだろう。
 PLのジェイデンは“男”で、“女”はGMの方。
 つまり、PLの準備が万端だから、あとはパン生地さんが手を伸ばすだけ、ということ。
 最初からクライマックスじゃん。
 “始まった時にはもう、終わっている”とはこのことか。
 ゲームスタートがこれだから、ギャップが凄まじいな。

 パン生地さんが出てこないのは、心の準備が整うまで待ってとか、女の身支度には時間がかかるとかいうやつかな。
 物語の飾り付け。
 何事にも手順があり、作法があり、お約束があり、話の盛り上がりというものがある。
 そう思うといつまでも待てる気になるな。

 そして何よりも、探して見つけて欲しい、ということだろう。
 うみねこのゲームと何も変わらない。
 推理は恋愛に似ている。
 だからこれは恋の駆け引き。
 ゲームを介したコミュニケーション。
 信頼を確認し合うためのもの。
 つまり、セレモニーだ。





 あとは……。
 そうだ、忘れてた。
 七人一組についていくつか描写をみつけてたんだっけ。

「分類上は艦艇ですが、問題のアトランティスは、超要塞級連結戦艦というもので、巨大な艦艇が7隻も連結されたいわば海上要塞です。アトランティス霊田独占の象徴でもありますから、ACRがこれに応じるとは考え難いでしょう」

 その近くの描写に、七州連合だかもあった。
 今回の数字は7つで1組に拘ってるみたいだから、パズルやシナリオの七人一組というのは確定だろうね。


 それから神のシナリオの時に引用しようとしていたのがある。
 「交響曲第2番 (マーラー)」の歌詞だけど。

“よみがえる、そうだ、おまえはよみがえるだろう、
 私の塵よ、短い憩いの後で。
 おまえを呼ばれた方が
 不死の命を与えてくださるだろう。
 おまえは種蒔かれ、ふたたび花咲く。
 刈り入れの主は歩き、
 我ら死せる者らの
 わら束を拾い集める。

 おお、信じるのだ、わが心よ、信じるのだ、
 何ものもおまえから失われはしない!
 おまえが憧れたものはおまえのものだ、
 おまえが愛したもの、争ったものはおまえのものだ!

 おお、信じよ、おまえは空しく生まれたのではない!
 空しく生き、苦しんだのではない!

 生まれ出たものは、必ず滅びる。
 滅びたものは、必ずよみがえる!
 震えおののくのをやめよ!
 生きることに備えるがよい!

 おお、あらゆるものに浸み渡る苦痛よ、
 私はおまえから身を離した!
 おお、あらゆるものを征服する死よ、
 いまやおまえは征服された!
 私が勝ち取った翼で
 愛への熱い欲求のうちに私は飛び去っていこう、
 かつていかなる目も達したことのない光へと向かって!

 私が勝ち取った翼で
 私は飛び去っていこう!
 私は生きるために死のう!
 よみがえる、そうだ、おまえはよみがえるだろう、
 わが心よ、ただちに!
 おまえが鼓動してきたものが
 神のもとへとおまえを運んでいくだろう!”


 絶対影響を受けてるよね、と言いたくなる言葉のラインナップ。
 うみねこ、そしてキコニアはこのイメージだよ、私は。


  1. 2020/05/10(日) 21:53:49|
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【キコニア】神の代理としてゲームを行う

 私の考えている神のパズルについて、図を作ってみたのでどうぞ。(ここから
 初めてこういうの作ってみたがどうだろうか。
 矢印がごちゃついたからいくつか違うパターンを用意してみた。
 中にはまだ披露していない考察がいくつか組み込まれてるけど、まあその内記事に書くと思う。


 まずはPLがGM代理をしているというのを、もうちょい詳しく説明したい。
 前回と前々回は勢いに任せすぎたかなと思うので。


 ジェイデンが神の代理人だというのは、名前が碧玉ということから確定と見ていい。
 それはミャオが言っていた、いつか都雄の前に現れるというプレイヤーがジェイデンだということ。
 ラストの青いジェイデンを見ればそれも頷ける。

 プレイヤージェイデンが、駒である都雄を操り、物語を思い描いた結末まで導く。
 物語を紡ぐという点からすると、これはGM側の挙動と言える。
 だが彼の肩書は「神の代理人」。
 つまり、本物のGMが存在し、そいつは隠居してしまっているということ。

 問題はその代理人はGM側なのか、それともPLなのか。
 GMが駒に自分の代わりをさせるというのが、まず最初に思い浮かべるものだろう。
 私もそうだった。
 しかし、うみねこで戦人がGMを務めたように、GMの去ったゲーム盤ではPLがGM代理を務めることもある。

 それを見定めるには、本来のGMを見つける必要がある。
 GMの役割は、主人公を駒として操り、物語を紡ぐこと。
 物語の主人公は都雄で、その都雄を産みだした母は姿を消し、生者のいない世界の狭間で隠居暮らし。
 これは隠居したGMそのものだろう。
 つまり、フィーアがGM。

 となると、その夫で主人公である都雄を育てている藤治郎は何なのか、という疑問が沸く。
 藤治郎は都雄、即ち物語を監視して、フィーアが連絡をとるところを押さえようとしている。
 物語=ゲーム盤を介してGMと対立しているのはPL。
 さらに、藤治郎は物語の編集について度々語っている。
 それも、自分が編集するのだ、という形で。

 要は、藤治郎がPLで、いなくなったGMの代わりに都雄=物語を育てている。
 その物語を探ることで、いなくなったGMを探し出そうとしている。
 つまり、物語を推理して、その物語を編集し直している。


 藤治郎がPLでGM代理であるなら、それは神の代理人というに相応しい。
 つまり、藤治郎=ジェイデン。
 作者が物語に自分自身を登場させることは、うみねこの八城が前例を作っている。
 同様に、GMが自分の代わりの駒を置くのは、ひぐらしの羽入が自分の代わりの駒として梨花を置き、その物語を紡いだ例がある。
 ベアトリーチェも主の代わりをさせられた駒であるしね。
 要するに、GMがゲーム盤に自分の分身(または、身代わりの駒)を置くのは、なく頃にの伝統と言っていい。
 何もおかしなことじゃない。

 というかそもそも、藤治郎やフィーアという駒自体がGMたちの分身として置かれているくらいだしね。
 そのさらに分身なんて普通だよ、普通。

 分身を増やすということは、関係性を増やすということ。
 藤治郎と都雄が、父と子、作者と主人公という上下関係を示すのなら。
 ジェイデンと都雄は相棒の関係。
 作者と主人公が対等な関係として、共に協力して物語を紡いでいる関係を示している。
 それは、GM代理のPLが好き勝手に主人公を操っているのではなく、主人公を尊重しながら物語を紡いでいることを表している。

 そうだね、作者が記したから物語がそうなったのではなく、主人公(物語)がこうしたいと願ったからそれを採用した、という感じ。
 つまり“注文”を受けたわけだ。
 無論、取捨選択は作者の権限であり、さらにはその提案に作者自身の思惑も混ぜてはいるが。

 さらに言うと、それはGMの代理としてしているのだから、本来のGMも同様に物語を紡いでいるということになる。
 PLがしていることは、GMの模倣だからね。
 要するに鏡写し。



 PLがGMの代理を務めるというのは、うみねこでいうならEP6にあたる。
 つまり、物語内のゲームの進行がもうそこまで進んでいることを示している。
 物語外のプレイヤー、つまり私たち読者は、いきなりそこからゲームを始めさせられているのだ。

 ゲームスタートの案内文にはこうある。
 “本当に長らくおまたせいたしました。”と。
 これはゲーム初心者に対するあいさつではない。
 何度も繰り返しゲームを遊んできた熟練者に対するものだ。

 うみねこのゲームでは、一つずつ段階を踏んでEP6まで至った。
 それでやっとGM代理を務められるまでになった。
 難易度、かなりの上級というのは、GM代理が務まるくらいの上級者向けということなのだろう。

 そんなわけで、我々読者にはゲームの席は与えられていない。
 物語内のPLとGMがどんどん勝手にゲームを進めて行くのを、訳も分からず右往左往するしかない。

 要は、GMのシナリオと、GM代理のシナリオ、その2つを読み解ける上級者にしかプレイヤーの席に座ることが出来ないというわけ。

 逆を返せば、うみねこのゲームを十分に理解できていれば読み解けるということでもあるけど。



 そんなわけでうみねこのゲームを振り返ろう。

 まずは初歩。
 GMがゲームのシナリオを作り、それを物語にしてPLに渡す。
 これはPLに対するメッセージだ。
 PLはその物語を読み解いて自分なりの真実を構築する。

 この際、GMの構築した世界と、PLが構築した世界は鏡写しの関係になる。
 PLが構築した世界はPLの主観で歪んでいるが、それはGMの構築した世界を写し取ったものである。
 さらにはGMの構築した世界も、GMの主観によって歪んでいることを留意せねばならない。
 その歪みを理解できなければ、GMの視ている世界を理解できないのだ。

 ここまではいいよね。


 では基本と行こうか。
 うみねこのゲームは連作となっている。
 GMが謎を出し、それをPLが解いて終わりではない。
 それを受けてGMは、次なる一手として追加の謎を出す。

 これはPLが構築した世界を、さらにGMが写し取ったということ。
 PLが歪めた像を写し取り、自身の世界に招き入れた。
 つまり、GMの世界ver2である。

 歪んだ像とは幻想のこと。
 その歪みを読み取り理解したGMは、PLがどんな幻想を抱いているか理解し、それをさらに拡大しようとする。
 PLが作った幻想に形を与え、PLの世界を侵略する先兵として送り込む。

 その幻想の先兵は、元はPLが作った幻想。
 だからPLは簡単にそれを自身の世界に招き入れてしまう。
 そうして、PL自身の幻想が拡大した姿で戻り、幻想が住まう領域を開拓し拡大させていく。
 これがPLの世界ver2である。

 こうしてゲームを繰り返し、その度に世界をアップデートし、その末にPLの世界に幻想で満たせばGMの勝利。
 PLは幻想とは知らずにそれを真実だと信じ込んでいるのでそれ気付くことはできない。

 こうなりたくなくば、PLは自身の世界に対する幻想の駒の侵入を防がなくてはならない。

 これは逆も言える。
 PLがGMの世界の真実を読み取り、それを駒としてGMの世界へ送り込む。
 GMは新たな謎を出すことで、その駒たちを追い返そうとする。
 追い返されずに真実を開拓し、GMの世界を真実で満たせばPLの勝ち。

 問題はPLが、自身が勝ったのか負けたのか容易に判断が付かないということ。
 どっちの状態だろうと、自身が勝ったと思っているのだから。


 さて、だとすると、PLとGMがどちらも勝ちを目指して一致協力する手というものが存在するのが分かるだろう。
 ということで、応用だ。

 この図のように、PLの繰り出す青き真実とGMの繰り出す黄金の真実が一致している形だ。
 PLの使っている青き真実の駒は、実はGMが使っている黄金の真実の駒であったならどうだろう。
 黄金の真実は、もちろん赤き真実ではない。
 自分の他に誰かに認めてもらうことで初めて真実に昇格することができる幻想だ。
 それをPLの青き真実で補強してもらう。
 これぞ「Gold in Blue」。
 GMはPLの世界を黄金の真実で満たすことができ、PLは青き真実をGMの世界に満たすことができる。
 これぞウィンウィンの関係。
(ちなみに、両者とも相手の領地への侵略ではなく防衛を選んだ場合、PLは幻想の侵入を防ぎ、GMは真実の侵入を防ぎ、国境線が膠着状態となることを繰り返す。これが並び立つ真実の作り方。)


 都雄くんはフィーアお母さんの子供で、藤治郎お父さんの子供でもある。
 本来敵である2人が協力することで生まれたのが君だ。
 子はかすがいとは良く言ったものだね。

 都雄は強力な駒だ。
 PLにとっては、GMの世界の幻想を全部ぶち壊すことのできる駒で。
 GMにとっては、PLの世界に入植を果たし、そこに民を導く駒だ。
 GMの紡ぐ物語の主人公で、PLの紡ぐ物語の主人公でもある。

 鏡写しの世界とはよく言ったもの。
 キコニアの世界は、その鏡写しの世界を一つに纏めたもの。
 GMの紡ぐ物語とPLが紡ぐ物語が入り混じり、さらにはどんどんバージョンアップを繰り返す世界。
 二人で生み出している世界なのだ。


 では最終問題。
 PLとGMの共同作業の末に、GMの世界が滅び、PLの脳内世界(新しいエルサレム)へと都雄と率いられた民が移住したわけだけど。
 どうやったらGMの世界を救うことができるの?

 PLは脳内の都雄と新しい物語を紡ぎ、ハッピーエンドなんだろうけどさ。
 残されたGMはどうするのさ。
 うみねこで残された宿題はこれだよね。

 例えるなら、読者は砂場に誘われて、そこで好きなものを作って遊んでいる。
 一人で遊んだり、他の読者たちと一緒になって遊んだり。
 そうして満足して帰るわけだけど。
 砂場に誘ってくれた子はどうしたの? ということ。

 自分の楽しさを追求するだけじゃなく、相手の感じている楽しさを理解しようとしなければならない。
 自分も楽しんで、相手も楽しませて、相手に楽しませてもらって、そうやって一緒に遊べると思うのだ。

 ま、一緒に遊ぶには暗黙の了解とか、合意とかを形成していかなければならないのだけど。


 キコニアではその残された課題を解決するためのゲームなのだろう。
 ま、超有能なPL、超天才ジェイデン様の手によって解決するんだろうけどさ。
 でもキコニアは雨乞いなんだよね。
 つまり、さっさと席に着けという。

 席に着いたらまずはジェイデンの模倣から始める。
 神の代理となって神のシナリオを進める。
 その物語こそがGMとの接点なのだから。
 都雄こそがGMをこのゲームに繋ぎとめる楔であり、二人の仲を取り持つ鎹。

 で、ジェイデンで主人公側を動かすのと同時に、藤治郎で敵役側も動かす。
 物語を動かすのは、敵と味方の両方を動かす必要があるわけで。
 つまり、茶番的なマッチポンプなわけだけど。
 GMは敵味方の両方を動かし、PLに味方側を動かさせ、敵側を打ち倒させる。
 それがGMの思惑。
 つまり、打ち倒される敵側を探れば良いということが判る。


 ま、だいたいそんな感じでやっていくわけだ。


 あとは、神のシナリオと、神の代理のシナリオを分離する必要もある。
 神のシナリオの上に代理のシナリオが上書きされているわけだから。
 本来の神のシナリオと、神の代理人のシナリオが異なることは、セシャトの台詞からも想定できる。

「でも、いいの? ……それって、筋書きにある……?」
「さぁ。その程度で狂うようじゃ、……神のシナリオも情けないってもんです」


 これは大浴場騎士団結成が神のシナリオにはなかったことを示す。
 そして、大浴場騎士団結成が神の代理人のシナリオであるということも。
 神のシナリオはGMの意図によるもの、PLはその意図を尊重しつつ、自分の意図も加えている。

 ここから両者の思惑もだいたい理解できる。

 GMは争い合うことになる異なる陣営同士が仲良くなり心を残すことを望んでいない。
 争い、ひとつが生き残れば良いと考えている。

 それに対してPLは争うことになる陣営同士が一つに纏まることを望んでいる。

 これはつまりメッセージだ。
 PLからGMへの。

 GMがGMの世界の駒たちに雨乞いをさせて、空の向こうの異世界にいるPLに要請するように。
 PLがPLの世界の駒たちに雨乞いをさせて、空の向こう(キコニアでは地の底)の異世界にいるGMに要請している。

 こういう物語に変更した方が良いのではないか? という提案。
 ゲームのルールに則った見事なアプローチだ。
 最終的な決定権はGMが持っているのだから、その心に訴えかけるのは正着だと言える。

 そして神の代理人のシナリオを、さらにバージョンアップを果たしたGMのシナリオが超えて行くことを望んでいる。

 これはあれだ。
 母が自分の子供自慢したから、それに対してさらに父が自分の子供自慢をし返して、さらに母にそれを超えた子供自慢をさせようという感じ。
 その子供って全部都雄なんだけどね。
 ホント、子はかすがいだよ。



 凄いよなジェイデンは、「一緒に遊ぼう」という一言を言うために、あれだけの物語を書いているんだから。
 私なんかは読み解くことはやれるが、物語を書くことはできないからな。
 素直に尊敬する。
 これはもう超天才ジェイデン様だと認めるしかない。

 読者に重ね合わされるポジションだから、共感しやすいと同時に、見る目が厳しくならざるを得ないのだが、ここまで突き抜けてくれるとな。
 ジェイデンは尊敬すべき男だよ。うん。
 ちゃんと相手の目線に合わせてコミュニケーションを取れるんだもんな。
 相手の土俵、つまりゲーム盤に上がり、対等であると示して信頼を勝ち取り、GM代理まで務めるまでに至るって凄いことだぞ。
 戦人が譲治を兄貴と呼んでいたように、ジェイデンの兄貴と呼びたいくらい。

 でPhase1って雨乞いだから、それジェイデンパイセンのデモプレイなんすよね。
 プレイヤーはこの神レベルを求められてるとかマジっすか。パネェ。
 普通のゲームだったらこのレベル、仮想的とはいえ物語を作ることを要求されるとか、頭おかしいんじゃないかと思うけど。
 なく頃にだしな、もしかしたら想定の枠内なのかもしれないこともないこともなきにしもあらずなのかもね。

 ま、子供(物語)を生んでちょっと経ったら工場(ジェイデン)に任せるとかそんなことしないけど。(推理の変更で廃棄してきた数々の物語から目を逸らし)
 とりあえず次回にでもヨハネの黙示録を参考に物語を見立てて行こうかね。
 でも物語の考察の変更って、物語の方からダメだしされたって感じで、都雄ちゃんに叱られているのに重ね合わされているのかも。
 やっぱ子供(物語)から教わることって多いよな。


  1. 2020/05/09(土) 20:19:06|
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【キコニア】父なる神、母なる神/デートの招待状

 “父”と“母”は“A3W”というゲーム盤で遊んでいるプレイヤーだ。
 そのゲームは例えるならパズルで、そのパズルの制作者でGMなのが“母”。
 “母”はパズルをバラバラにして、“父”がそのパズルを完成させようと挑戦している。
 これは即ち、世界の創造と破壊、そして再生である。
 つまり、駒たちにとってゲーム盤という世界に天変地異を引き起こす神も同然なのだ。

 このパズルの世界観には、パズルを組み立てる神自身も組み込まれている。
 つまり、“神”を表すピースがあるということ。
 GMである“母”は自身を表すピースを隠し、その空いたスペースに対戦相手として組み込まれた“父”を表すピースで埋めて、PLである“父”にそのパズルを再構築させようと企んでいる。

 それはさながら母と子の物語を、父と子の物語に編纂し直すかのよう。
 執筆者にとって物語は子だ。
 その子である物語を読者に託して自分は消える。
 これは読者からすれば、離婚されてシングルファザーになったようなもの。

 そもそもゲームとは、物語を介してGMとPLがそれぞれの解釈を闘わせること。
 そういう「ブラウン管裁判」なのだ。
 対戦するべきGMが消えたら、PLはただ自分が解釈した物語を読むだけとなる。
 それではゲームにならない。
 “父”と“母”と“子”の三者が揃って初めてゲームになるのだ。

 そんなわけでPLである読者は、自身の解釈をぶつけるべき相手を探さなければならない。
 つまり、“母”のピースを。

 で、ゲームの席に一人取り残された“父”は、パズルをあれこれと組み立てては崩し組み立てては崩している。
 神の代理人であるバケモノとは、この“父”のこと。
 “父”は天の御座にいる碧玉のように見える者、即ちジェイデンである。


 このPL兼GM代理のジェイデンが、我々プレイヤーである読者に重ねられている。
 つまり、ジェイデンに求められている役割を、プレイヤーである読者にも求められているのだ。
 そんなわけで、その辺のことを読み解いていこうか。



“もちろん大嘘だ。本当に今日だっけ、この時間だっけ、待ち合わせ場所はここだっけ。
 脳内タブレットで何回も何回もメールを確認し過ぎて、キズナに“脳内壁紙”にデフォルト表示しましょうかぽよ、と提案されたくらいだ。”


 ミャオとの初デートの時のジェイデンの様子。
 ジェイデンは勿論プレイヤーである読者に重ねられる。
 待ち合わせの相手は、姿を隠している対戦相手“母”だ。
 何度も確認したメールは、メッセージが記された物語であるゲーム盤。
 メッセージを読み解くために、そして読み解いたメッセージが本当にそうなのか確かめるために何度も見てしまう。
 そんな読者の様子に重ねられている。


「女の遅刻は愛嬌、男の遅刻は切腹だ。男が先に待つことこそ、男の美徳」

 これはジェイデンの脳内に集まっていた百部の台詞。
 男、即ち“父”であるPLが、ゲーム盤の席に座って待っている。
 “母”であるGMが戻ってくることを。
 待つことも男の甲斐性。

 うみねこを見れば分かるけど、戦人即ちPLが来るのが遅いから待っていたGMは消えてしまった。
 なぜ待てなかったのかと責めるなら、それがこちらの番になった時は待てなければならないだろう。
 それに先に待たせたのはこちらなのだから、次はこちらが待つ番だ。

 女は支度に時間が掛かる。
 その支度は男を喜ばせようとしてのもの。
 それを理解すれば可愛いもの。

 答えを先に公開してくれなければ会いに行けない、なんて情けないことを言い出すヤツは切腹でいいと思うよ。


 そんなわけで、“デート”はPLとGMの待ち合わせの約束を暗示している。
 その文脈で見ればクリスマスのデートと、その振り替えのデートがそれに当たる。

 クリスマスはキリストの生誕を祝う祭り。
 ヨハネの黙示録において、キリストは千年王国を打ち立てて支配する。
 とすると、千年王国の建国記念日がキリスト再臨を祝う日であると解釈できるのではないだろうか。
 ま、聖誕祭というより復活祭になるのだろうが。

 “母”即ち“龍”はその間、千年の眠りに就く。
 つまり、千年の遅刻。
 セシャトはそれを起こして、呼び戻してこいと言った。

 本来なら千年後に“龍”が“父”と“子”に挑んで破れる。
 それによって“母”の欠けを“父”で補ったパズルが完成させるはずだった。
 それが“母”のデート、即ちゲームの約束。

 それなのに藤治郎が引き出しのあるミロのビーナスから隠してあった心臓を見つけ出し、それをセシャトが“母”に示した。
(赤き真実の心臓は、「復活」を意味するイースターエッグとなるのだろうか?)
 つまり、“父”は全てを分かっていて、その上で待っているのだと。
 そう仄めかした。
 こっちは“父”から“母”への招待状。


 だからこれはもう、態と負けるためのゲームではない。
 “母”が本当に待ち望んでいた“奇跡”を勝ち取るための、本気のゲーム。本気のデート。

 デートの約束の日はクリスマス。
 千年王国が打ち建てられる日。
 その日に本気のゲームをしようという約束。

 その2つのシナリオが織り込まれた物語は、読者への雨乞い(メッセージ)。
 それを見てプレイヤーは席に着いた。
 そしてゲームマスターが姿を現すのを待つ。

 つまり、“父”ジェイデンの行動は雨乞い。
 本当のプレイヤーである読者を席に招くための招待状。


 うむ、ちゃんと私は受け取ったぞ、その招待状。
 だからその日、先に待っていよう。
 ゲーム盤を何度も見直しながら。





 さて、それがプレイヤーである読者への招待状であるなら、その一段下層にもその招待状がある。
 ジェイデン&都雄VSミャオ。
 その予行である都雄VS鈴姫がそれだ。

 「メッセージだけで終わらせてはならない」という台詞。
 メッセージが雨乞いという意味なら、それはPLに対するもの。
 メッセージだけでなく実際にゲームで戦わなくてはならないということ。
 つまり、生死を賭けた戦いをPLとしたいという意味。

 鈴姫は赤き真実の王を模したピース。
 即ち、“母”ミャオの代わり。
 ジェイデンはGMの代理もしているプレイヤーである読者を模したピース。
 つまり、鈴姫は赤き真実の全てを背負った王の責務からジェイデンと戦おうとして、黄金の真実の王である都雄に阻まれ殺された。
 その都雄を駒として操ったのが“父”である藤治郎。
 即ち、神の代理人であるジェイデンである。

 これは完全に「ジェイデン&都雄VSミャオ」の予行。
 雨乞いのメッセージ。
 メッセージでは終わらせない、命を賭けて戦おう。
 それはゲームの約束。
 それはデートの約束。


 こっちの招待状も確かに受け取った。
 しかしこっちは、都雄によって殺して欲しいという、旧バージョンの招待状。
 だから赤き真実の心臓を見つけたという、最新バージョンに更新したから、そっちの招待状を送り返すよ。





 でもって、

「アンタも、いい女になってくれよ。そうしたら、その狂気の沙汰の果てには、僕と黄昏を眺めながらワイングラスを傾ける未来も、あるかもしれないよ」

 この“父”藤治郎の台詞は、“母”ジェストレスに対してのものだけど。
 この“母”は旧バージョンの招待状のままの、赤き真実の心臓が見つかっていることを知らない時のもの。
 “父”にとっては幼い時分の“母”というわけ。
 つまり、アップデートを済ませた後の“母”と、黄昏を眺めながらワイングラスを傾けようと言っているのだ。

 これがジェイデンだと思うと、めっちゃ調子に乗った台詞だよな、これ。

 要するに、“父”ジェイデンと“母”ミャオの最新バージョンの約束に掛かっている。
 その約束を果たそうというジェイデンの思いと、さらにその様をフィーアと共に眺めようという藤治郎の思いが重なっている。





 ジェイデンのTIPSを読み解く。

“CPPが上位を完全に独占するAOUアメリカ一斉P3検査において、NPPでありながらトップ3入りを果たす。
 その後の検査で、脳内生成物質及びその受容体に特異な傾向が確認される。AOUアメリカ国防高等研究所はこれを。CPPに勝るとも劣らない極めて希少な脳力であると認定、特別研究対象にしていしている。
 ただし、展示飛行訓練中にフロリダ上空にカラースモークにて猥褻物を描いた行為により、米本土での飛行は永久禁止処分中である。”


 CPPが上位を完全に独占しているのは、そこがパラレルプロセッサーである“母”の世界だから。
 NPPである“父”はその世界では異分子。
 その“父”が上位のCPPに匹敵する。
 さらには神の代理人にまでに至る。
 それは、“脳内生成物質及びその受容体に特異な傾向”があるから。

 つまり、常人には理解不可能なCPPの世界を理解可能。
 赤き真実、黄金の真実、魔法幻想。
 その全てを同時に認識できる。
 簡単に言えば、三重の意味を持つ情報を受け取れる脳を持っているということ。

 CPPの脳内人格が三位一体となってその情報を発し、ジェイデンはそれを一つの人格だけで受け取れる。
 そういう意味で、めちゃくちゃ特異なんだよね。
 その特異な人間を“母”の世界の駒として取り込むには要研究だということ。

 でもって故郷で空が飛べないのは、“父”ジェイデンが現実世界の出身だということを表している。
 古郷では空を飛ぶことが不可能で、“母”の世界の中なら空を飛べる。
 そこは想像の中の世界だから。


 その想像の中の世界でキコニアが飛ぶ。

 フラグメントの「キコニアの飛ばない国」。
 あれは想像力によって物語(子供)を生むという話。
 想像の中では簡単に人を生み出せる。
 記号のような、似通ったキャラたち。
 そんな工場で作られた大量生産品。

 それに対して、一点物のキャラを生み育てるのがキコニア生まれ。
 時間を費やして生み出した物語、さらにその物語を手間暇を掛けて育て上げ、完結まで責任を持つ。
 それをできる者だけが子供を生み育てることが許される。
 それがAOUの、“母”が己に課した尊厳。

 それを怠った者は刑務所に入れられる罰を受ける。
 だから子供である都雄を放置した“母”は、墓穴に閉じ込められるという罰を受けている。

 物語を生み育てるのは手間暇が掛かる。
 それは物語を育てる“父”もそう。
 プレイヤーたろうとする読者もそうだ。
 だからその責務を理解した上で育てなければならない。





“拒否権を持つ、普段なら存在しないはずの3人目の士官の道場と、その士官による核攻撃の拒否。
 この2つの偶然が、……奇跡的に人類を核戦争から救っていたのだ。”


 これは二つ解釈ができる。

 ひとつは、“母”と“子”だけだった物語に、“父”が現れたことを示す。
 そして“子”だけが生き残る結末を拒否して人類を救う。

 もうひとつは、“父”と“子”だけで進める物語に、“母”が戻ったことを示す。
 “母”の望み通り“子”だけが生き延びる物語を代理で進める“父”に拒否権を行使する。

 人類は賛同が100%になろうとすると、反発する者が現れるように神にプログラムされているらしいからね。
 まさにブーメラン。

 その場にいるのは3人。
 “子”は自身が主人公であることを望み。
 “母”は“子”の物語が生き延びることを望み。
 “父”はその“母”の望みを受けて“子”の物語を選ぶ。
 満場一致。
 だがしかし、“父”は“母”の真実を知っているのだ。
 もはやデコイの“聖霊”はいない。
 “母”の代わりに反対してくれる者などいない。
 だから反対するには“母”自身がしなければならない。

 これ、ジェイデンが考えたのなら、めっちゃ厳しい一手だな。
 手を掴みたいなら、自分から手を伸ばせと言っている。





 クリスマスはデートが出来ないから代わりに皆でパーティー。
 結果から見れば、そのパーティーは収穫祭になった。
 皆の魂、つまりパズルのピースを収穫する祭り。

 発案者はジェイデン。
 しかし実際はミャオの提案なのは秘密。

 “父”ジェイデンは“母”が提案した収穫祭を実行しただけ。
 つまり、神の代理人に過ぎない。

 神のシナリオを組んだのは“母”。
 “父”はそれを推理して踏襲しながら上書きしている。


 私もまたその提案に乗ってパズルを組み立てている。
 さて私は何度ゲーム盤上に天変地異を引き起こしたのか。

 しかし、世界を破壊する役割を振られるとは思わなかったなぁ。
 でもそれも乙なものだ、悪役気分に浸れる。
 テンション上がるなあ。
 ノリノリで世界を滅ぼそうとする演技ができそう。

「お前たちが戦う意志を見せなければ、俺はこの星を破壊し尽くすだけだ!!」

 とか言えばいいのかな?


 “父”のピースの代わりに“母”のピースが嵌っていたということは、本来都雄の一心同体の相棒ってミャオのことなんだよね。
 それが“父”の物語に編纂されるために、その代わりを“父”が担っている。
 “子”が“父”の物語に編纂されるために、切り離せない親子関係、相棒、一心同体になるために。

 それはつまり、“母”と“子”の関係を引き裂くということ。
 それはつまり、“子”にとって“父”こそが敵なのだ。
 さあ、“父”を乗り越えてみせよ。
 それを見るためなら、喜んで悪役を担おう。
 ふははははっはっ!


 藤治郎は元妻が都雄に連絡してくるのを待ち。
 ジェイデンはミャオが都雄再臨の日に来ることを待つ。
 そして、私は執筆者がゲームの席に現れるのを先に座って待つ。

 これらが重ね合わさるから、私の期待感が凄い。
 待ち合わせというのは、こうも高揚するものなのかね。
 うみねこから合わせて十数年。
 ひぐらしも合わせればもう何年になるんだ?
 待ち焦がれた日がやって来る。
 心が逸る。

 ゲームの招待状が届いた。
 済まないな都雄、争いを望んだのは私たちだ。
 Phase1は招待状。雨乞いに過ぎない。
 これから巻き起こる戦いの予兆でしかない。
“生まれ出たものは、必ず滅びる。
 滅びたものは、必ずよみがえる!
 震えおののくのをやめよ!
 生きることに備えるがよい!”
 全ては、人類を正しく導く為に。



 で、やっとこさ招待状を読み解いてゲームの席に着いたわけだけど。
 私が一番乗りということで良いの?
 まさか席に座るだけで七ヵ月も掛かるとは思わなかったぞ。
 本来なら5月にPhase2が発売される予定だったんだよね。
 それからするとギリギリじゃん。
 難解すぎるんだって。
 ま、逆を言えば、それだけ信頼されているってことなんだけどさ。


  1. 2020/05/03(日) 20:29:55|
  2. Phase1
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【キコニア】神のパズル~三人の王と天の御座~

 さて、神のパズルにおける各陣営のピースが判明したので、そろそろ三人の王について考察しようか。


 まずは前回のおさらい。
 うみねこの一なる三人の魔女たちが紡いだ一なる三つの物語。
 三人の魔女がそれぞれ紡いだ三つの物語と、それを一つに纏めた一なる物語、計四つの物語。
 その四つの物語がキコニアの四陣営に相当する。

 COUが赤き真実の物語。
 ABNが黄金の真実の物語。
 ACRが魔法幻想の物語。
 AOUがそれら三つを一つに纏めた物語。

 AOUを抜かした三つの陣営のトップエースが、各物語を紡いだ三人の魔女を模倣している。


 そんなところか。


 でだ。
 その三つの陣営のエースは、それぞれの陣営の民を導く王のポジションと言っていい。
 陣営の命運を背負っているという意味で。
 つまり、三人の王だ。

 無論、現状の三人の王は別にいる。
 だから次代の王と言える。

 となると現状の三人の王、嗤いの王、嘆きの王、怒りの王は、各陣営のトップ層だと推測できる。
 ACRは国王、ABNは宗教指導者、COUは歴史ある名家の当主辺り。
 だとすると、巷にある鈴姫の祖父が三人の王の内の一人という考察は合っているかもね。

 赤き真実の心臓にあたる人物の祖父が死亡したことにして暗躍するとか、金蔵を思い出す。
 その辺にも重ねられているのかも。


 さて、三人の王の目的も考察するか。

 四つの物語に相当する、四つの陣営。
 それらが争う理由は、人に受け入れられる真実の物語は一つだけであるからだ。
 神の脳内世界ではそれらは共存できるが、読者の脳内世界へ移住する際、どれか一つしか生き延びられない。
 三つの真実が共存する一なる物語は奇跡がなくば生き残れない。
 よって、実質三陣営での決闘となる。
 これはつまり、うみねこEP6の恋の決闘だ。

 赤き真実の王。
 黄金の真実の王。
 魔法幻想の王。
 その内の一人のみが生き残り、読者と二人で再び世界/物語を生み出すことができる。

 三人の王は、自身を引き継ぐ次代の王を誕生させるに、今の世界を滅ぼそうとしている。
 次代の三人の王の内、誰が生き残ろうとも構わない。
 その誰かが生き延びて、物語を引き継いでもらうことが重要。
 それが三人の王の合意なのだろう。


 とは言え、実際は三人の王と道化師、四人の合意。
 三角と中央の目のシンボル。
 三位一体の図では、三角の頂点の三つの円の他、中央に神を表す円がある。
 つまり、四つの円で構成されているんだよね。
 三人の王が三人の魔女に相当するなら、ジェストレスは一なる神に相当する。
 一なる神は、三つの真実が共存した物語が生き延びることを望む。
 しかしそれは、奇跡がなくば起こり得ない。
 つまりそれを望む彼女は、この場では道化に過ぎないということ。
 誰もそれを信じていないのだから。
 だもんで奇跡は起きないと諦めて、黄金の真実である“子”だけでも生き延びさせようと妥協している。
 ジェストレスという名は自虐だろうね。

 となると、ジェストレスの部下の第九最上騎士団の目的もそれに準拠する。
 スパイも同様。

 そこから分かれたプロメテウス騎士団は、三つの物語が共存する三位一体の物語が生き残るという奇跡に賭けているわけだ。

 つまり、次代の王が生き延びて物語を再建するために、世界を滅ぼす王同士の決闘を行うという点で、黒幕たちは暗黙の合意に達しているのだろう。





 さて、次代の三人の王による決闘だけど、これについて色々想像してみた。

 ラストで鈴姫が都雄と対決していたが。
 ま、これは“子”と“父の模倣”で、“子”が“父”を打ち倒すことの予行であるのだけど。
 それは一先ず置いといて、本来鈴姫が目指していた敵とは誰なのか、からやろうか。

 鈴姫は“赤き真実の王”で“父の模倣”。
 で、“子”である都雄と戦っていたのなら、本来の戦う相手は“子の模倣”で“黄金の真実の王”であるナイマが相応しいのでは?

 真実が一つである時、赤き真実にとって黄金の真実は不倶戴天。
 なので、ナイマが鈴姫の敵であるのは自然だと思うのだ。

 とりあえずそうだと仮定して進めよう。

 だとしたら、なぜ鈴姫はナイマを敵視しているのか?
 鈴姫は、仲間の命を死を背負う、とか言っていた。
 そして都雄と戦っている時、鈴姫は一人だった。
 そこからCOUの仲間は全員死亡している可能性がある。

 要はナイマに仲間を全員殺されたのではないか。
 ナイマは“黄金の真実の王”だから赤き真実を殺し尽くすというシナリオはありうる。
 そしてスパイであるルクシャーナに後押しをされ、COUの仲間の死を背負い“赤き真実の王”として覚醒をしたという流れじゃないかな。


 次はそのナイマについて想像しよう。
 ナイマは“黄金の真実の王”で“子の模倣”だ。
 だからかナイマの両方の人格の、都雄に対する好感度が高い。
 “子の模倣”である男らしい方の人格にとって、“子”である都雄は同属で、信頼するに足るものだろう。
 無垢な方の人格は“父”に当たるので、そちらにとって“子”は憧れの対象。
 だから都雄に対する高い好感度は自然なことじゃないかな。

 ナイマの2つの人格は、ひぐらしの羽入と梨花の関係に似ている。
 梨花が表に出て、羽入が頭の中に引っ込んでいる感じ。
 羽入は“父”で梨花は“子”に当たる。
 無垢なナイマのキャラは羽入にそっくりだし。

 で、そのナイマはどうしたらCOUの仲間を殺すことになるのか?

“ナイマが愛した仲間を全て全て、私が1人で守ってやらあ!!! ナイマの仲間を……、撃つヤツは………もう仲間じゃねえぇええぇえッ!!!”

 この言動から推測するに、もう仲間じゃないから。
 この“もう仲間じゃない”というの、ひぐらしの圭一を想起させるね。

 祟殺し編で仲間を見限った圭一は、一人で暴走し、敵を排除すれば解決だと安易な選択を選び、その末に雛見沢という世界が滅びた。
 圭一が守ろうとした沙都子は“父”だ。
 その沙都子の兄の悟志は“子”で、沙都子をいつも守ってくれていた。
 その悟志が失踪し、圭一は兄代わり、“子”の代わりになろうとしていた。

 つまり、“父”を守ろうと“子”が暴走する、という構図は容易に想像がつく。
 無垢な方のナイマを守ろうと、男らしい方のナイマが暴走する姿が視えるような。
 その暴走を、スパイである無垢な方のナイマが誘導するのだろうから、ね。

 とは言え、ナイマを、黄金の真実を管理するスタニスワフがいたら、この暴走を許さないだろう。
 だからきっと、その時、スタニスワフは死亡しているだろう。
 その後ナイマがCOUの仲間を殺すことを考えれば、容疑者はCOUにいるスパイであるルクシャーナの可能性が高い。

 ちなみに、サラーサット・スユフの三人をひぐらしのキャラに喩えると、薬が投与されるナイマが沙都子、薬を管理するスタニスワフが入江、その補助をしているナオミは鷹野。
 凄いピッタリだよね、このパズル。
 ピッタリ過ぎて鷹野にあたるナオミがスパイでも良いような気がしてくる。

 その場合のシナリオは、ナオミがスタニスワフを殺し、それをCOUの仕業だとナイマを騙し、自身も死んだことにするというもの。
 ひぐらしで鷹野が入江を殺し、沙都子と圭一がL5になっていく祟殺し編の焼き直し。
 雛見沢症候群の感染爆発に見立てられる預言があるんだよね。
 キコニアでは青い都雄が預言した、医療8MSのバイオハザードによる知能と理性の低下だ。
 これだとナイマの結末は、祟殺し編の吊橋のシーンに行き着きそう。
 無垢な方のナイマが守ろうと頑張っていた男らしい方のナイマを突き放していなくなり、男らしい方のナイマはひとり三陣営の決闘で生き残ってしまい、発狂して死ぬ。

 うわ、最悪。
 何が最悪って、それを容易に想像できるのが最悪。
 こっちのパターンの方があり得そうな気がしてきた。
 さらにその場合、そのナイマの死の運命をなぞったのが青い都雄なんだよなと思うと、もうね。
 ホント最悪。


 最後のリーテバイルは“魔法幻想の王”で“聖霊の模倣”。
 この王は他の二人の王のために消えるのが役割だから、派手に戦って派手に散って、ACRの陣営を滅ぼすんじゃないかな。
 ま、想像に過ぎんけど。
 死ぬという結果は分かるけど、それまでの過程が正直分からん。

 魔法幻想という謎を暴くのは読者の役割。
 だからジェイデンがリーテバイルを殺すんじゃないかと想像したり。
 都雄は相棒であるジェイデンとも殺し合うみたいだし、その理由になったりしないかなって。





 じゃあAOUもやろうか。

 AOUはこれまでの三つの物語が一つに纏まった物語。
 三位一体の神が所属する。
 “父”はミャオ、“子”は都雄、“聖霊”はギュンヒルド。

 この3人が本格的に争くのは、それの模倣である次代の三人の王の決闘が終わってからだろう。
 次代の三人の王の決闘は、天におわす三位一体の争いを招くための雨乞いだから。
 三陣営のガントレットナイトたちは、“三位”のそれぞれのピースだろうから、そのピースを全て回収することで本来の姿を取り戻し、“三位”の決闘が始まるんじゃないかな。

 その時、“父”ミャオは“龍”ジェストレスとして、“子”都雄は“子羊”として、“聖霊”ギュンヒルドは“獣”セシャトとして戦う。

 どうせならピースは全部使い切るか。
 ジェストレスが率いるのが第九最上騎士団、セシャトが率いるのがプロメテウス騎士団。
 ならば“子羊”都雄が率いるのは、残る聖櫃騎士団じゃないかな。

 聖櫃、契約の箱、あるいは聖人の棺なのかも。
 契約の箱には十戒が刻まれた石板が入っている。
 十戒、ノックスの十戒。
 神との契約。
 それらの要素は黄金の真実の心臓を縛るもの。
 黄金の真実の王である都雄に相応しいモチーフではある。

 となると当然、聖櫃騎士団はABNのガントレットナイト、第九最上騎士団はCOUの、プロメテウス騎士団はACRのに分類できる。

 これで7人が三組揃った。
 つまり、ミャオとCOUの6人で、七つの頭を持つ赤い龍。
 ギュンヒルドとACRの6人で、七つの頭を持つ獣。
 都雄とABNの6人で、七人の御使い。

 LOTOの二人はラムダとベルンを模倣した駒だから、物語間の争いを管理する立場。


 ん~、グレイブモウルの3人のピースが残っちゃったけど、これどうしようか。
 そもそもこの3つのピースは“三位”に振り分けて良いものなのだろうか?

 ウォーキャットの本来の3つの駒、ミャオ、都雄、ギュンヒルドは三位一体の神を三つに分割したピースだ。
 分割され、相争う様相を表している。
 箱の中で生き残りを賭けて戦う猫だ。

 となると、別に三位一体の“一体”としての様相を表すピースがあっても良いのではないかなと思うのだ。
 一なる神は本来、三つの物語を同時に紡いでいる。
 つまり、三つが共存できる奇跡を望んでいなければならない。
 グレイブモウルのシンボルは、「墓穴に埋まることを止め、三人一緒に天を目指す」というものじゃないかな。

 “父”は確かに神の人としての心を表している。
 しかし一なる神はその人の心から切り離され、全てを俯瞰する極致にある。
 どれか一つの真実に拘らず、“三位”を等しく見下ろしている。

 最下層の家具から最上層の神へと引き上げられ、物語の全てを自由にする権利と、その物語で行われる全ての罪を負う責務を持つ。
 あらゆる人格を生み出しそれを演じることが可能であるがゆえに、自らの顔を失った無貌の神でもある。
 箱の中にあらゆる災厄の運命を詰め込み、最後に奇跡という微かな希望を隠した。

 顔がないとは人格あるいは感情がないということ。
 神の心は三つに分かれている。
 神のパズルは、失われた神の顔を取り戻す、蘇らせる、作り直す、そんな試み。
 つまり、私はだぁれ? ということ。

「あなたは本当は、誰なんですか……?」

 このクロエの台詞はそういう意味なんだろう。
 だとすると、リリャの返した台詞にも何か意味がありそう。

「訓練時に、ムカつく教官の脇を掠めてやろうと思ったら、突風で角度狂って、将校殿ごと3人をミンチにしちまって、銃殺刑と引き換えにギローイの機材になって、心も魂も売り渡した、……リリャ・ヴィリヤカイネンだよ……ッ」

 3人。……そうか、“3人”か、ふーん、なるほど。
 これは完全に見立てだね。

 三位一体の物語を完成させようと高望みをした結果、三つの物語全部が水の泡。
 その罪のためにその三位一体の物語は墓穴に埋められた。
 心も魂も分割され、それぞれの物語の機材とされた。

 そういうことだろうね。


 リリャという名前は、ラテン語のliliumに由来するとか。
 つまり百合だね。
 そして粘土から作られた人間の女。
 そこからアダムと共に神が土から生み出した最初の女であるリリスと関りがあると考えられる。

“『創世記』1章27節のくだり「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女にかたどって創造された」(アダムの肋骨からイヴが誕生する前の節である)から、アダムにはイヴ以前に妻がいたという伝承が生まれた。この発想は、創世記2:21のイヴがアダムの肋骨もしくは脇腹から造られたという記述との矛盾を解消しようとするものであったと考えられる。
 リリスがアダムの最初の妻であるとした中世の文献は『ベン・シラのアルファベット』で、8世紀から11世紀ごろにかけて執筆された(著者不詳)。それによれば、アダムの最初の伴侶となるはずであったリリスは、アダムと対等に扱われることを要求し、同じく土から造られたのだから平等だと主張してアダムと口論となった。リリスは神の名を叫んで飛び出し、紅海沿岸に住みついた。
 アダムは神に、リリスを取り戻すように願った。そこで3人の天使たちが彼女のもとへ遣わされた。セノイ、サンセノイ、セマンゲロフという3人の天使たちである。天使たちは紅海でリリスを見つけ、「逃げたままだと毎日子供たちのうち100人を殺す」と脅迫したが、リリスはアダムのもとへ戻ることを拒絶した。天使たちがリリスを海に沈めようとすると、リリスは天使たちに答えて、「わたしは生まれてくる子どもを苦しめる者だ」、ただし「3人の天使たちの名の記された護符を目にした時には、子どもに危害を加えないでやろう」と約束したのである。”
――ウィキペディアより


 人間であるアダムと対等の権利を求めたリリスは、うみねこ的に解釈するなら人間以下の「家具」である。
 人間と対等である権利を認められなかったリリスは紅海に住み、一日に百人の子を生み、それを失う苦しみを与えられた。
 これは人間として認められなかった「家具」が、長じて海の近くに住まう「執筆者」八城となり、物語の中に「一日に百人の子を生み、それを失う苦しみ」を味わっていることに重ねられる。
 そして言うのだ、「わたしは生まれてくる子どもを苦しめる者だ」と。

 人間だと認められずに苦しみ、神に反逆して自ら神になろうと目指して物語を紡ぎ、しかしそれが達成できずに物語の中で子を生み出しては失い続ける。
 確かに“リリャ”という名は「執筆者」の一面を表すに相応しい。

 リリスは「夜の魔女」、アウロラは「夜明け」で女神の名でもある。
 長く苦しい夜が明ける。
 魔女から女神となる。
 アウローラという名はそのような意味が込められているのだろう。

 というか、EP6のDawnは黄金の魔女の「夜明け」。
 そこで初登場の八城の魔女名が「夜明け」。
 黄金の魔女に夜明けを齎す者であり、黄金の魔女が夜明けとともに表す姿でもある。
 これは正体バラしているようなもんじゃん。
 さすが告白なだけはあるな。


 というわけで、“三位”の争いでグレイブモウルの三人がどういう役割を果たすのかは分からないが、その争いが終わる頃に真の役割があると思われる。
 そう、長い長い夜が明ける頃、明けの明星が昇る前くらいに。
 ヨハネの黙示録では、子羊が明けの明星なんだよね。
 子羊が天に上った後、夜のヴェールの奥より夜明けの女神が姿を現す。
 これは楽しみだ。


 “母”は、自身を駒としてゲーム盤に置いてその駒を倒させようとしていると同時に、それとは切り離してGMとしてゲーム盤を俯瞰してもいる。
 ゲーム盤上の“母”は“子”と共にあった幼い頃のもので、ゲーム盤から切り離されて俯瞰している“母”は老いて隠居した身。
 そうだね、例えるなら、ジェストレスとフィーアの様なもの。
 同じ存在だったのに、片方は老いて隠居し余生を送っている。
 とすると、グレイブモウルの3人はパズルで組み立てるとフィーアになるのかな。

 さらに神の三位一体を表すジェイデンとミャオを入れ替えたウォーキャットを加えると、ちょうど7人。
 これで神の七つの霊も揃うのかな。


 あ、あとコーシュカの死の預言もあった。
 〈パンドラの箱〉=神の計画だとすると、都雄がその計画/運命を打ち破るという暗示なのかも。
 思い付きに過ぎないけど。





 神の三位一体の、三位がウォーキャットで、一体がグレイブモウル。
 それは理解できた、だが部外者が一人紛れ込んでいる。
 ジェイデンだ。

 ウォーキャットは父子聖霊。
 だから本来はミャオ、都雄、ギュンヒルドのはず。
 その三位が一体となって神と成る。

 なのに、そこにジェイデンが配置されてしまえば神には成らない。
 だとすると、“父”ミャオの代わりにジェイデンというピースが配置されているのにも明確な意図があるはず。


 考えられるのは、ジェイデンを“父”のピースとして使うこと。

 前に作者と読者が両親で、物語は子供というのをやっただろう。
 母である作者が子供である物語を生み出し、その子供を父である読者に引き渡し、読者はその物語を子供として育てる。

 母と子の関係を“三位”に当て嵌めると、魔法幻想をゲーム盤として、それを介して子と母がゲームをしている関係。
 言うなれば、母子聖霊の三位一体。
 これが本来の姿。

 “母”即ち“聖母”が規則的に分裂している。
 つまり、サルバドール・ダリの『ラファエロの聖母の最高速度』、というわけかな。
 ガントレットナイト=神のパズル=聖母の最高速度。

 ヒンズー教においては、上向きの三角形は男性原理を、下向きの三角は女性原理を表す神聖なエネルギーを象徴するのだそう。
 下向きの三角にプロビデンスの目をあしらったあのシンボルは、女神を表しているのかもしれない。


 次は読者に物語を引き渡した後。
 母である作者は姿を消し、母の立ち位置に読者が父として入る。
 魔法幻想をゲーム盤として、それを介して父と子がゲームとして遊ぶ。

 作者が作った物語を、読者が再解釈する。
 それはつまり、母と子の物語を、父と子の物語に再構築するということなのではないだろうか。
 違和感あったんだよね、うみねこまでは母と娘の話だったのに、キコニアでは父と息子の話になってたから。

 “子”の視点から見れば、“母”の脳内世界から脱出して、“父”の脳内世界という新天地に入植する。
 そんな感じになると思う。

(以降、“父”はジェイデン、“母”はミャオを指し示すものとする)


 つまり、神のパズルから“母”のピースが欠け落ち、代わりに“父”のピースを当て嵌め、パズルを完成させようという計画だ。
 今こそ言える。
 これこそが神(母)の計画だ。

 読者を神に昇格させ、自分はその世界からフェードアウトしようとしているのだ。
 それが罪の償いだと言うのだろうか。

 このままだとジェイデンが神に成ってしまう。
 いや、分かる。
 ジェイデンがラストで都雄の先回りしていたのは、望みを先読みして叶えるという神としてのムーブなのだろうな。

 GMが神ならば、それと対戦するプレイヤーもまた神の領域に至らねばならない。
 GMが全てをその掌の内に収めるなら、プレイヤーもまた全てを掌の内に収めなければならない。
 そういうことなのだろう。

 そして“子”にかまけて自ら(母)のピースを見落とさせようとしているのだろう。
 だがそうは行かせない。

 ジェイデンの能力は〈ウォーキャットの両爪〉。
 それは「神の左腕」をジェイデンが代替するということ。
 それは神の代理人となることを意味する。
 「右腕」である都雄だけで十分なのに、ジェイデンまで一緒に撃つから無意味にオーバーキルになる。
 これは魔法幻想を殺すのに、黄金の真実のみで十分なのに、赤き真実まで繰り出してオーバーキルするという意味。
 つまり、赤き真実を手放さない限り、自ら消えようとする“母”の計画は阻止できる。

 そして欠け落ちた“母”のピースを見つけ出し、元の位置にはめ込む。
 藤治郎が元妻を探しているのは、それに重ね合わせているのだろう?

 そして弾き出された“父”のピースは、LATOの所に収まる。
 LATOは四つの物語を管理する上位世界。
 下位世界をゲーム盤として遊んでいた魔女は二人。
 そこに“父”が加わり、これからは三人で遊ぶ。
 ロッテからケッテへ。
 これで全てのピースは3で揃った。
 神のパズルはこれで真の完成。
 父と母(兼妹)と子(兄)、家族が皆揃ってハッピーエンド。
 そういうことでしょ。

 あ~、スッキリした!



 あとはラストのラッシュに当て嵌めるだけ。

 コーシュカの新しい自分を始められる喜びのシーン。
 次の世界へ記憶や人格を引き継ぐ。
 それは肉体の死が魂の死を意味せず、魂は輪廻転生し延命し続けるということ。
 しかしそれは、魂が移住する先の人格を圧し潰し、体を乗っ取るという罪でもある。
 ゆえにコーシュカは罪人として機材とされているのだ。
 人間には一つの世界しかない、しかし異なる世界を認識できる魔女は人間より上位の世界に生きている。
 人間でありながら魔女の世界を垣間見るコーシュカは、例外的な人間であると言える。

 が、異なる世界を俯瞰的に見るというのはプレイヤーにとっては当然のもの。
 四陣営を監視するLATOの二人は、その上位世界の魔女を模した駒だが、模しているだけの人間だから、その能力はない。
 上位世界があるよ、というヒントというだけ。
 今のところは。

 そんなわけでゲーム盤を見下ろすPLとGMだけは繰り返す世界の記憶を保持している。
 そして、ゲーム盤上にログインしている。
 その数はPLとGMの2人。
 即ち、“父”と“母”。
 その2人が使っているアバターが藤治郎とフィーア。

 そのフィーアはかつて駒として使われていた。
 それは前回の世界でのこと。
 先行体験、シミュレートされた世界。
 そこでのフィーアは駒であるミャオだった。
 駒を止めるため、自分の代わりに駒となる人格を生み出した。
 それが今のミャオ。
 フィーアの分身。
 そして駒を止めたフィーアは、ゲーム盤から退場、即ち隠居することにした。
 これはゲーム盤から切り離され、不干渉の立場である傍観者となったことを示す。
 運命の傍観者にて観劇者、そして研究者。

 そのフィーアと対となるプレイヤーが藤治郎。
 先行体験にてフィーアが駒だったように、藤治郎も駒として使われていた。
 そこでは藤治郎はジェイデンだった。
 今の世界ではフィーア同様、駒の立場をジェイデンに譲り、PLの化身として暗躍している。
 フィーアが放棄したGMの代理を務めながら、PLとして物語の各陣営の情報を集めている。
 そしてその情報を操ってGM代理として災厄を起こしている。
 彼はゲーム盤(都雄)を監視してフィーアがGMとして干渉してくるのを待っている。

 この2人がゲーム盤にとっての神の立場。
 さらに、隠居した一なる神であるフィーアに代わり、三位の人格が代わりにゲームを回している。
 それが“母”ミャオ、“子”青い都雄、“聖霊”セシャト。
 この3人は前回の記憶を持ち、ゲーム盤に干渉する魔女の立場。
 世界を跨いで記憶と人格を保持できる存在。

 それ以外の駒が、ゲーム盤に縛られた者たちで、肉体が持つ記憶しか持たない。
 唯一奇跡の脳を持つコーシュカだけが記憶を持ち、次の世界へ記憶を持ち越せる。

 シミュレートされた世界は、“母”のピースが欠け替わりに“父”のピースが嵌ったパズルが完成させた世界。
 よって青い都雄は、“子”を生き延びさせるために“母”が失われる世界が完成することを阻止するために“子”を消そうとし。
 セシャトは“子”と“母”のために、どちらにも後悔が残らないようにちゃんとした決闘を行わせようとしている。
 シミュレートで“父”としてパズルを完成させた藤治郎(ジェイデン)は、今回の世界では“子”の父親の立場に配置され、シミュレートの結果とは異なる“母”の本当の願いを叶えようとし。
 そしてフィーアは赤き真実の心臓を持ち去って隠した。


 ジェストレスがガントレットナイトの誰かを追いかけているシーン。
 ジェストレスは“龍”。
 “龍”が追いかけるのは“聖母”。
 “聖母”が“母”なら、“聖母”はミャオ。
 ミャオはジェストレスだから、つまり自分を消そうとしている。

 これは鏡写し。
 青い都雄が自身の存在を消去しようとしているように。
 ジェストレスもまた自身の存在を消去しようとしている。
 それは大切な相方に生きて欲しいから。
 でないとその相方を殺してしまうから。
 その前に自己を消滅させなければならない。

 一つの肉体の中で、異なる願いを持つ2人の人格を持つなら、それは一人分の魂に満たしていないということ。
 だからその片方の存在を廃棄することで、やっと一人分の魂を満たす人間として生まれることができる。
 つまりミャオは自身の存在を廃棄して、都雄を真なる人間として生み出そうとしている。
 これが産みの苦しみと悩みのために泣き叫ぶ“聖母”なのだろう。

 産みの苦しみを味わう“聖母”を保護するために穴が開く。
 そこは“忘却の深淵”。
 フィーアのいる地の底。底なしの淵。
 聖櫃騎士団の研究所。
 地上は“存在する者”の世界。
 それが元々存在しない幻想であろうとも、“存在していることになっている”のであればその条件を満たす。
 逆説的に、生きていようとも“存在していないことになっている”なら、地上にはいられない。
 つまり、“忘却の深淵”は存在がなかったことにされたモノが行き着くところ。
 要するに、ゴミ箱。
 廃棄される予定のモノが一時的に置かれる場所。
 ギーロイ研究所で廃棄されたモノたちが落ちる場所。
 フィーアの研究所はその地下にあるのだろう。
 そう、要は青いガントレットナイトたちは廃棄されたガントレットナイトの生まれ変わり。
 存在しなかったことにされたモノの成れの果て。

 そこにフィーア、即ち“神”が住んでいる。
 三人の王が三陣営の王であるなら、残るAOUに四人目の王がいなければおかしい。
 AOUは3つの物語が一体となった物語。
 そこの王は即ち、三位が一体となった“神”である。
 ヨハネの黙示録に見立てるなら、奈落の主にして、ルシファーを千年閉じ込める天使であり、アバドンまたはアポルオンなどと呼ばれる者。
 あるいはその名は、場所そのものの名なのかもしれない。

 “子羊”都雄が真に誕生するために、“聖母”ミャオは存在を廃棄される。
 都雄の魂と分離し、肉体ごと廃棄され、奈落の底、タイムカプセルの中で千年の眠りに就く。
 あるいは、肉体が左半身と右半身に切り分けられるのかもしれない。
 そしてその廃棄所で“子羊”は再臨する。
 “母”が廃棄され、代わりに“母”が廃棄した“物語”たちが“子羊”と共に蘇る。
 世界の反転。
 「ある」ものが「なかった」ことにされ、「なかった」ものが「ある」ことにされる。
 隠れていた“神”、あるいはその“代理人”より与えられた「青き真実」の体を得て。
 「赤き真実」を葬り、「黄金の真実」に栄光を与えんがために。
 だから青いガントレットナイトは、青い体に黄金の装いをしているのだろう。


 それから引き出しのあるミロのヴィーナスだけど。
 たしかそのヴィーナスっていくつも引き出しがあるはずだけど、テキストでは胸元の引き出しが飛び出すんだよね。
 その位置には心臓がある。
 これはつまり、赤き真実の心臓(それ相当の叡智)の隠し場所ってことなのだろう。
 それを“父”藤治郎が見つけ、“母”フィーアが小気味よく笑う。
 つまりはそういうことだよね。


 あとこれも。
 セシャトがこれから千年眠ろうする人物に話しかけるシーン。
 相手はミャオ=ジェストレスで、呼び戻すべき2人とはジェイデンと都雄。
 で、セシャトが取り出したものは、藤治郎が先ほど引き出しのあるミロのヴィーナスから見つけ出した叡智。
 それはつまり、“母”がその心臓を取り戻したということであり、“父”が真実の最奥に至ったということを知らせるもの。
 だというのに、パズルは“父”を中心としたものに再編纂されようとしている。
 だからセシャトは2人を呼び戻せと言っている。
 両方が手を伸ばさないと掴めない。
 “母”側からも手を伸ばさなくてはならない。

“常に目を覚ましていなさい。
 その日その時がいつ訪れるか、あなた達にはわからないのだから”
――フィーア・ドライツィヒ

 だから、今すぐに目を覚まさなくてはならない。


 可愛い都雄に語り掛ける母のシーン。
 都雄のアバターの母はフィーア。
 “母”の人格はフィーアのアバターから都雄のアバターへ移動。
 都雄に語り掛けているのは“母”であるミャオ。
 都雄は“父”と対戦するために生み出された駒。
 “母”が操り、“父”側に立って共に“母”を討たせるための駒。
 そうやって悪夢を生む“母”自身を消そうとしている。

 ついでに言うと、フィーアから都雄へとインストールされた人格は、“母”ミャオ以外にも青い都雄がいる。
 大本の“神”を表す駒がフィーアで、そのフィーアがシミュレート結果を予言として持たせて送り出した。


 最後のジェイデンは、これまでの考察から“父”なる神となる。
 なんとかこれに繋げられるのはないか探したらあったわ。

“その後、わたしが見ていると、見よ、開いた門が天にあった。そして、さきにラッパのような声でわたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起るべきことを、見せてあげよう」と言った。
 すると、たちまち、わたしは御霊に感じた。見よ、御座が天に設けられており、その御座にいますかたがあった。
 その座にいますかたは、碧玉や赤めのうのように見え、また、御座のまわりには、緑玉のように見えるにじが現れていた。”
――ヨハネの黙示録(口語訳)4:1~3


 ジェイデンの名は翡翠から来ている、という考察ツイートを見た覚えがある。
 それを参考に探したら見つけた。

 ジェイデンという名は、宝石のジェイドから来ている。
 英語では、硬玉、軟玉、碧玉等の総称としてジェイドを使っているとか。
 よって、天の御座にいる者は碧玉、即ちジェイデンである。

 そしてたぶん、赤瑪瑙がミャオなんだろうなぁ。
 赤瑪瑙はその赤い色から”心臓=魂”のシンボルだとか。
 これが引き出しのあるミロのヴィーナスに入っている叡智なのだろうね。






















【悲報】超天才ジェイデン様、神の代理人になるwwwww【朗報】

 くそウゼェェェwww、絶対に調子に乗ってるだろwww
 絶好調で文字通りの有頂天w
 お前がw神だw
(ちなみにwwwwwとは、【数学】《略記》which was what we wanted(これが示したかった結果である))

 誰だよ、ジェイデンを代理人にしたの?w
 いや、知ってるけどさ。
 要はうみねこEP6で戦人がGM側をやったのと一緒だろ。
 もうそこまで進んでるとか、読者は周回遅れになってるじゃん。

 読者はPLの席に着こうとやっきになっているのに、その席はすでに座る者がいて勝手にゲームを進めている。
 それもGM代理をするまでに。
 これは痛快なトリックだ!
 まだ誰もPLの席に座っていない状態でゲームが始まっていると思い込んでいた。
 本当に読者にその席が与えられていないとは!
 PL・GM間の関係性や事情を推理しなければ辿り着くこともできない。
 はは、ホントたまんないなあ!
 うみねこEP6でPLがGM代理したことあるし。
 ちゃんと“代理人”と名乗っているし。
 これはフェアだよね。

 あぁ、私は本当にジェイデンを甘く見ていたんだなぁ。
 GM一強の世界観だと思っていたからそれ以外を無意識に下に見ていた。
 ジェイデンはPLに相当すると考えていたが、GMと対等になるにはまだ時間がかかると思っていた。
 すでにGMと対等でも何の不思議もないのに、その可能性を全く見てなかった。
 これは私の驕りだな。
 GMとPLが対等で二強であるという世界観は、読者がプレイヤーとなって初めて成立すると思い込んでいた。
 その驕りが引っ繰り返されるのも、まったく痛快なものだな。

 神の代理人によって永遠にオモチャにされるっていうの、読者が考察を変更して再構築する度に世界が滅ぼされるという意味なのだろうけど。
 セシャト、となりとなり。
 そいつがルパンだ。
 隣にいるそいつが神の代理人を名乗るバケモノの同位体だから。
 シリアスなシーンがコメディに変わっちまったじゃねーか。
 絶望がどっか行ってしまった。
 もはや希望しかない。

 勝ったな、風呂入ってくる。


 ジェイデンがゲーム盤の駒なら、藤治郎はプレイヤー兼GM代理。
 ミャオがゲームの駒なら、フィーアは隠居したGM。
 ま、それもさらに上位から俯瞰できるから、実際のPLとGMの姿を模した駒なんだけどね。
 だからこそ、藤治郎もフィーアもゲーム盤の上に置かれている。

「僕によって編集される、聖イオアンニスの黙示録の最新バージョンには、そう記されているからですよ」

 これは“父”藤治郎の台詞。
 これもまた「編集する=神」を示唆するものだろう。
 さらには初版を記述した者が別にいるというのも示唆している。
 そしてその上に神の代理人のシナリオを上書きしようとしていることも。
 つまり二重構造。
 「神のシナリオ」と「代理人のシナリオ」が絡み合い一つの物語を生み出している。

 初版と改訂版。
 それは同じ物語でありながら、異なる意図より紡がれている。
 プレイヤーである読者は、物語の中のPLの意図とGMの意図の2つを探る。
 そうすることで物語を紡いでいる「執筆者」と対等なところに立てるんじゃないかな。





 ジェイデンが神の代理人だとすると、鈴姫の死のシーンの考察を修正した方が良いかも。
 鈴姫が目指した敵はジェイデンだろうな。
 これは次回にやろうか。



 ちなみに、嗤いの王、怒りの王、嘆きの王がそれぞれどの陣営の王なのかだけど。
 私のイメージでは、嗤いの王がACR、怒りの王がABN、嘆きの王がCOUかな。

 ACRは魔法幻想だから、魔女が嘲笑うイメージ。
 ABNは黄金の真実だから、主の代わりに怒るイメージ。
 COUは赤き真実だから、ただただ嘆いているイメージ。

 人間は真実が一つしか見れないから、そういう反応を示すのだろうと。


  1. 2020/05/02(土) 21:00:48|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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