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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


【キコニア】神のパズル

 各陣営の代表は厳選された主人公で、ケッテは神の三位一体を模したものというのは以前やった。
 でも陣営の代表枠は二チーム。
 これは何かあるはず。
 ま、ヨハネの黙示録の二十四人の長老に合わせているだけかもしれないが、果たしてそれだけだろうかと。


 さて、三位一体は正三角形で表される。
 逆三角形は地に堕ちた神。
 三角は二つあるわけだ。

 それが代表枠の二チームに当て嵌まるのではないかと考えた。
 つまり、「子」を模したチームと「父」を模したチーム。


 まずは各陣営のエース、都雄、鈴姫、ナイマ、リーテバイルを擁したチームを見てみよう。
 ナイマを擁するサラーサット・スユフと、鈴姫を擁する白豹は、ワンマンチーム。
 最も強い光を放つ主人公を、さらに輝かせようとするもの。
 そういう意味では、リーテバイルを擁する601隊もリーテバイルを最も輝かせるために組まれたチームである。
 最も輝き、他の主人公を率いる、主人公の中の主人公である神の子。
 それを模しているのだろう。
 都雄は神の子本人なのでウォーキャットは省略。

 都雄以外のエース3人は、全員女で薔薇の意匠の飾りを身に着けている。
 それは彼女たちがベアトリーチェに相当する駒であることを表しているのだろう。
 鈴姫のはカーネーションかダリアあたりかもしれないが。
 赤いカーネーションの花言葉は「母への愛」。
 赤いダリアの花言葉は「華麗」だそうな。


 次にその他の4チーム。
 妥当に行けばこっちは「父」を模したチームとなるはず。
 神の子が率いる者なら、神は全体の挙動一致。
 神の子が前に出るなら、神は後ろに下がる。
 神の子が勝利を掴むための攻撃特化なら、神は全てを守るための守備特化。
 守備特化はグレイブモウル。
 後衛の遠距離型はスパルナ。ちなみにその場合の前衛は白豹。
 イェルダット・シャヴィットは三位一体の連携。
 カイロ隊は各自が自由に行動した上での連携。
 突出した者がいないのが特徴。
 こんな感じかな。


 こう見ると、ウォーキャットが特異過ぎる。
 何でも対応可、前衛二人、他のチームならエースとなる人材が控えとか。
 神の子本人を投入するからこうなる。
 あとジェイデン、その神の子と張り合って前衛をやってるお前の特異さは凄まじいものがあるぞ。





 もうちょいやってみるか。

 エースを擁する神の子を模した4チーム。
 これを天の三角と仮称する。
 その天の三角の最大の特徴は、主人公属性特化のエースが一人いることだが、他にも似た特徴がある。
 それは一人、下から這い上がってきた者がいること。

 ウォーキャットではギュンヒルド。
 白豹ではアイシャ。
 サラーサット・スユフではナオミ。
 601隊ではイシャク。

 底辺から頂点に這い上がるのは、神即ち「父」の特徴だ。
 特にナオミの感情と記憶を切り離すという特徴は、全ての感情を切り離す最上層と、記憶を捨てる最下層の忘却の深淵を模したものだろう。
 そこからすると、ナオミの力はちょっと怖い。

 「子」も神から生まれた以上、その特徴を受け継いでいる。
 神の子は主人公たるべき運命を与えられて生み出された、生粋の勝利者だ。
 だが同時に、神の代わりであることには変わりない。
 出身は幻想。
 幻想から真実に昇格した成駒。
 さらには、駒からプレイヤーに昇格し、「父」の対戦相手なった成駒でもある。

 つまり、天の三角には、勝利者の面を色濃く受け継いだ一人と、成駒の面を色濃く受け継いだ一人が必ずいるということ。
 「子」と「父」、となると残る一人は「聖霊」が当て嵌まるのだろうか。

 だがしかし、私は見つけてしまった、ある特徴を。
 天の三角の内、「子」に当て嵌まる者は全部女。(ここでは都雄も女であると扱う)
 「聖霊」に当たるのは全部男。
 「子」に宛がうための能力を擁していたから、「子」とのコミュニケーションを重視されたから、「子」に気に入られたから、その位置にいるのだ。

 とすると、この「聖霊」の役割は明白だ。
 「子」を救うことを期待された「王子」。

 だからジェイデンはその位置に入ったのか。
 それともジェイデンがその位置に入ったから、他の天の三角のその位置が「王子」になったのか。
 ま、どっちでもいいな。
 「子」と「父」が助けを求めていることには変わりないのだから。





 残る4チーム。仮称、地の三角としようか。
 表の顔である天の三角と比べると、こちらは色んな意味で裏方。
 チームとして見ると纏まっていて突出したエースはいなさそう。

 そう見ると異端なのはクロエ。
 一人である方が強いという、何で三人でやってるの、みたいな。

 前も書いたが、底辺から頂点に引き上げるという、最上級のいじめっ子を作る方法。
 これは「父」の特徴そのもの。
 まさしく一人で「父」を体現していると言っていいほど、「父」の特徴を色濃く受け継いでいる。

 最上級のいじめっ子。
 それは上層から下層を苛むもの。
 命令権者。
 または格下の制圧に特化しているか。
 その性質から、味方がいない時しか本気の顔を出せないと思われる。
 要するに、味方と連携している時は手加減しているということ。
 圧し潰してしまわないように。

 格上の顔を隠し、普段は格下の顔を振舞う。
 格下の顔の時は、理不尽を被り、チームメイトへの罰すら引き受ける。
 これもまた、人類の罪を全て引き受ける「父」の一面。

 チーム不要でただ一人のみで「父」を体現する彼女は、全ての地の三角の中で最強だと私は目しているのだが……。


 グレイブモウルの「父」がクロエだとすると、「子」はコーシュカに当たるだろう。
 〈パンドラの箱〉は前回の記憶を引き継ぐと思われる。
 全ての記憶を持つ「神」とは違い、「人」は原則的にカケラを超えて記憶を引き継ぐことはない。
 記憶を引き継ぎ、生き延びる道筋を必ず探し出すことこそ、奇跡の魔女たる所以。
 プレイヤーに昇格した「子」の最大の特権と言っても良いだろう。
 「父」にとってはデフォルトの能力なのだが。

 だが今のところ、コーシュカはこの最大の特権を生かし切れていない。
 研究所に所属し、自由を奪われているためなのだが。
 肉体より解き放たれ自由になった時、彼女はその本領を発揮するだろう。
 どうやらそれを狙っている様子だしね。
 ただし彼女の倒すべき目標が「父」ミャオ、即ちジェストレスである可能性が高い。
 「子」が生き延びる道とは、本来そういうものなのだから。


 そうするとグレイブモウルの残る一人は「聖霊」の位置となるのが妥当。
 つまりリリャ。
 「神」は自らの思考を割いて「人」即ち「聖霊」を生み出した。
 その際の人格モデルを好きに形作る力が〈粘土の少女〉なのだろう。

 そうなると研究所によって、都合の良い人格を形成されている可能性が高い。
 クロエはそれを察知しているのだろう。
 クロエがラストでリリャを陥れたのはそれが理由だろうから。
 この際、クロエがリリャの肉体を殺すつもりであったなら、それはコーシュカから肉体から魂が解放されたら本来の「聖霊」の姿に戻ることを聞かされていて、リリャの魂を解放するためなのではないかと思われる。
 純粋な思考である「聖霊」に戻った時、〈粘土の少女〉の力を完全に制御できるようになり、大人たちの都合の良い人格より脱することができるのではないか。


 グレイブモウルは天の三角同様、「父」「子」「聖霊」の位置がはっきり表れている。
 突出している部分が「子」ではなく「父」なのは、「父」を模した地の三角だからなのだろうが、地の三角の最大の特徴である三者が同等でバランスをとると部分が崩れている。
 クロエが手加減することでやっとバランスをとっている。
 逆を言えば、クロエが本気を出せば三位一体は崩れることを示す。
 それはグレイブモウルに「父」の存在感が強く出ているためだが、これはAOUに神の子都雄の陰に隠れて、神の人格「父」であるミャオがいることを反映しているからだと思われる。

 グレイブは墓。モウルはモグラ。
 よってグレイブモウルは、墓を掘る者、あるいは墓に潜る者を意味するのだと思われる。
 墓に潜るとは死を意味する。
 そのモグラが地面より顔を出す、さらには天を目指す。
 これは「父」の復活、天への上昇を意味するのかもしれない。



 こうなったら他の3つの隊もやるか。





 スパルナは「子」の一歩後ろに下がるという「父」の特徴を良く表している。
 「子」の物語の後をついていったのは幼少時代の「父」。
 ゆえにスパルナの戦法は古臭い。

 その最大の特徴が、人生の表舞台に「子」を立たせるために、「父」はその陰に隠れて存在を薄れさせるというもの。
 幻想を真実に昇格させ、真実は幻想に秘める。
 他者の目を逸らさせ、夢幻の如く波打ち際の砂の城のように存在を消していく。
 これがルクシャーナの能力。
 姿を消し、その上で他の“体”も護る。

 次に隠れることで可能となる、自身を安全圏に置いての一方的な遠距離攻撃。
 これがアンドリ―の能力。
 この攻撃の目的は、「父」の真実に近づかせないために行われる。
 そこから、敵を追い払う、力を見せたがらないという、アンドリ―の性格や矜持に繋がっているのだろう。

 最後に、古臭い戦法というところを担当するのがスジャータ。
 それは先駆者として戦法を研究してきたことを示す。
 神の二つの心臓の内、もっとも重要な心臓「父」を守るために使われてきたこの戦法。
 それは不断の自己研鑽によって支えられている。
 それが如実に表れた能力が〈不死身の鬼神〉。
 「父」の心臓の存在を知られ、肉薄されたとしても、そこから更に踏み込ませないために的確に効率的にリジェクションフィールドを張り、逆に切り込んでくるその様は、神の不死を守る最後の壁として相応しいものだろう。
 スジャータはこの最もストレスのかかる役割を担当している。
 その彼女が近代的な戦法を取り入れようと上層部に訴えているということは、この戦法が役割を終える時期が近づいていることを告げているのかもしれない。

 スパルナはガルダの異名。
 美しい翼を持つ者の意。
 これは彼女らが天使であることを示すのか、あるいは彼女らが護る神の片方の心臓「父」が、かつて翼を持つ者であったことを示すのか。
 ガルダは神よりナーガ(龍)を食うことを許されいる。
 彼女らが敵に回った時、堕ちた「父」即ち「龍」は死ぬだろう。


 うみねこでは「父」の心臓についてやったのはEP4のラストの“私はだぁれ?”。
 まぁ、読者の戦い方でそれに気付く気付かないは分かれたけど。
 つまり、私がうみねこで主に戦ったのはこの3人ということになる。
 そう思うと何だか思い入れができてしまうな。
 特にスジャータは、EP4からEP8まで、私の攻撃を凌ぎ続けていた思うとね。




 イェルダット・シャヴィットは、神の生み出した無限の魔法を体現する。

 〈彗星式三位一体殺法〉
 三つの駒が連携して一体となす。
 神の三位一体を体現している。
 それと同時に、頭脳に当たる「父」や「子」というよりは、身体に当たる「聖霊」を表しているように思われる。
 三機でエース一機を討ち取るこの戦法は、いかな主人公の中の主人公「子」と言えども、体である「聖霊」と敵対すれば、一体となった物量には敵わない。

 神の並列に割かれた無数の思考たる「聖霊」。
 それは無限の方法を生み出し、無数の人生を味わわせてくれる。
 レアの〈代用武器戦術〉やファトマの〈超感覚心理分析〉はそこから来ているのだろう。

 ステファニアはようわからん。
 体験入隊した20人は彼女以外行方がわからないことと〈脳内最適化訓練終了〉を合わせると、その20人の人格は彼女の脳内に纏められている可能性がある。
 自己に他人の経験や人格を足す、人格の増設、あるいは自己の拡張。
 例えるなら、姉妹の内姉が死亡し、妹が自分の中に姉の人格を生み出した感じ。
 うみねこ風に言えば、人間の人格に魔女の人格を足した感じ。
 アイドルは偶像。偶像は神を模したもの。
 「聖霊」即ち人類も神を模して作られた。
 ならばアイドルは、その脳内に20人くらい住まわせ、それを統制するくらいできるだろう。


 「父」の紡ぐ無限の魔法。
 それは無限に異なる自分を生み出し、その無数の自分と連携して事を成し、無限の自分を束ねて一人の自分となる。
 物量が連携するという恐ろしさ。
 イェルダット・シャヴィットはそれを表している。





 カイロ隊は神の脳力の際立った特性をそれぞれ体現している。

 ヌールの〈ピークコントロール〉。
 人を生み出す、即ち物語を紡ぐ際、精神のコントロールは重要。
 調子の良い時に作った物語の方が出来が良い。
 よって、無限に物語を紡いできた「父」は、それについて独自の方法を生み出していることだろう。
 そして、その無数の物語を連ねて自身の物語を築いている「父」は〈大器晩成型〉だと言える。

 ガネットの〈空に生まれた少女〉。
 想像の翼を広げて人は空を飛ぶ。
 現実、即ち大地より離れて。
 物心ついた時からそれをし続ててきた「父」は、空に生まれたと言っても過言ではないほどに想像力を鍛えている。
 しかし思春期に入り、人に愛される物語になりたい、人間になりたいと願うようになり、夢側より現実側に引き戻されようとしている。

 マリアナの〈CPP性自閉症〉。
 これは「父」の作った世界、A3Wの小型版。
 同じ部屋の住人たちがそれぞれの主張を譲らないことで自閉症に似た症状を見せている。
 つまり今の「神」の脳内ルームA3Wでは、スポット人格が定まっていない。
 それが大惨事主人公大戦が引き起こされる理由。
 人間になるためには、スポット人格を決めて、その自分を外に出さなければならない。
 マリアナに空挺騎兵適正がないのは、脳内人格たち、即ちA3Wの人間たちが空を飛べないから。
 今は脳内の人海戦術で高出力のP3値を叩き出している状態。
 全ての人類が肉体より解放され、全ての人類が空を飛ぶ時、マリアナの真の力が解放されるだろう。





 簡単に纏めると。
 グレイブモウルは、「父」の生き方を。
 スパルナは、「父」のゲーム盤での戦法を。
 イェルダット・シャヴィットは、「父」の編み出した魔法を。
 カイロ隊は、「父」の特色を。

 生き方は、クロエ/「子」を巡る「父」の上昇と下降、コーシュカ/他のカケラから記憶を引き継いで生きる、リリャ/様々な人間(物語)を生み出す。

 戦法は、ルクシャーナ/時が経つにつれて存在を隠す、アンドリ―/安全圏からの攻撃、スジャータ/肉薄された際は粘り強い防御で生き延びて勝つキング。

 魔法は、レア/無限の選択肢、ファトマ/無限の経験、ステファニア/自己の人格または物語の無限増設。

 特色は、ヌール/ピークコントロール、ガネット/想像の翼で空を飛ぶ才能、マリアナ/脳内収納人口。



 こうなると天の三角の傾向も解る。
 ウォーキャットは、「子」の生き方を。
 白豹は、「子」のゲーム盤での戦法を。
 サラーサット・スユフは、「子」の編み出した魔法を。
 601隊は、「子」の特色を。

 生き方は、都雄/最高の力と勝利する運命を与えられた救世主、ジェイデン/その物語を読んでくれる良き理解者たる相棒を得ること、ギュンヒルド/自身の物語を踏まえての下の物語たちへの教導。

 戦法は、うみでこで主の代わりに表で戦ったベアトリーチェに準拠。
 即ち、アイシャ/時が経つにつれ相手の思考を丸裸にする目と耳、百部/可能性を忘却の深淵に切り飛ばす赤き宝刀、鈴姫/衆目を集め常勝を宿命付けられたクイーン。

 魔法は、物語の上に物語を修飾する黄金の魔法。
 ナイマ/数多の設定変更に対応する人格選択、スタニスワフ/物語の辻褄合わせのために状況変化を冷静に管理、ナオミ/変更前の記憶と感情の切り離し。

 特色は、リーテバイル/全ての物語たちから神格化される主人公であり続けることを自らに課している、イシャク/様々な真実を率いて戦う指揮能力、アブドゥ/リスクを恐れずに新しいゲーム盤に挑戦する度胸。



 こんな感じかな。
 天の三角を全部足すと「子」の姿に、地の三角を全部足すと「父」の姿に。
 「子」と「父」を足すと「神」の姿になる。

 あ、LATOの二人を忘れてた。
 ヴァレンティナは「子」側で、マリカルメンは「父」側かな。

 ヴァレンティナの〈エネルギー機動性理論〉は、真実側の世界の法則に合わせて幻想側の世界を飛ぶための理論。
 かけ離れた飛び方をするほどにエネルギーを消費してしまう。
 法則に則り、最小限のエネルギーで美しく長く飛行する。

 マリカルメンの〈能ある鷹は爪隠す〉は、「父」の嗜好を表している。
 手の内は晒さず、相手を驚かせようとする。
 自らの物語を隠し、魅せるための物語を修飾する。
 騙す、引っ掛ける、罠を張る。
 それが生き甲斐。





 神の脳内を一つの“体系”と見るならば、彼らは正しく“体”。
 例えるなら、一つの星座を構成する星々のよう。
 だから体系を紐解くように、図として解すると良いのだろうね。

 そうすると私のやってることって、解剖のようなものじゃん。

 キコニアではこの体系図が整い過ぎている感はある。
 四陣営に分かれていて、それぞれ二チームが所属し、チームは三人一組。
 それらの上に調停する陣営がいて、その所属チームは二人一組。
 まるで誂えたかのよう、というかお膳立てされているのだろう。
 このパズルで何か作ってみろ的な感じにね。


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  1. 2020/01/25(土) 20:02:08|
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【キコニア】平和の壁を双方から支える/八百万の物語

 執筆者の脳内を明らかにするために今日も頑張るぞい。


 神の脳内とは即ちゲーム盤。
 ゲーム盤を支えるのは二本の柱、父と子。
 なら壁を双方から支えるのは父と子で決まり。

 壁とは隔たり。
 一つのゲーム盤の上に、二つのルーム。
 父が主人の部屋と、子が主人の部屋。
 二人の主人公、二つの物語。

 どちらが人生の主人公なのか。
 スポットライトを奪い合う争い。
 片方が勝れば、その壁はもう片方を圧し潰す。

 それを厭うからこそ、双方から支え合い、脳内の平和を保つのだ。
 こちらが押したなら、同じ力で押し返してくれると信じられるから、壁を押すことが出来る。

 対等だと認め合うために、力を確かめ合わずにはいられない。
 永遠の闘争。
 しかしそれは、永遠のじゃれ合いでもある。





 しかしキコニアのゲーム盤ではそのバランスが崩れている。
 本来の人格が父であるため、力はそちらの方が上。
 つまり、子を圧し潰さないように手加減をしているのだ。
 力を入れたら圧し潰しそうだから、手を抜いてこっちが圧し潰されてあげようか。
 み た い な。

 くそ舐められてるんだよ、都雄ちゃん。
 これで奮起しないと男じゃないぞ。
 本気でこられても受け止められると証明してやれ。

 ミャオの本気を受け止められたその時こそ、神のゲーム盤にバランスが取り戻される。





 さて、とすると、平和の壁に隔てられた四陣営、そしてそれらを調停する陣営。
 これも何を模したものなのかも解るな。


 四陣営は、四つのルーム。四つの巨大な領地。四つの物語群。
 ガントレットナイトはそれぞれの物語の主人公。
 うみねこで言う、猫の魔王たち。

 例えるなら、こっちの物語/ゲーム盤はひぐらし、あっちの物語/ゲーム盤はうみねこ、みたいな感じ。
 文化が違う、言葉が違う。
 だから翻訳して、それぞれの価値観を尊重する。
 そして双方が壁を支え合う。向こう側の物語を圧し潰さないように。

 その四陣営もまた様々な国を内包している。
 一つの国は、一つのカケラ、一つの物語、あるいは極小のゲーム盤。
 それらが合わさって、あるいは統合して、大きなカケラに、束ねた物語に、あるいは一回り大きなゲーム盤に。

 様々な物語が生み出され、そこから主人公、ガントレットナイトを目指す者が現れる。
 自らの物語こそが神が読むに相応しいと。
 その主人公候補と共にその物語も。
 そして競争と淘汰、選別。
 力ある主人公でなければ、物語は生き残れない。
 外敵より物語を守るだけの力を。
 か弱い真実を守るだけの力を。

 夢破れた大人たちは、物語の成功例を研究し、ノウハウを積み上げ指導・教育し、生き残り勝ち残る物語と主人公を育てる。

 そうして選ばれた各陣営の代表たち。
 厳選された主人公。
 それぞれが、それぞれの物語で、ゲーム盤で、栄光の勝利を打ち立てた。
 それぞれの陣営のカケラたちを守るに相応しいだけの力を持つ。
 そしてその厳選された主人公たちが連携して戦うのだ。
 その下には数多の主人公たちも戦列に並んでいる。

 ケッテは三人一組。
 これは神の三位一体を模している。
 神が自身に似せて人間を、物語を作っているがために、似た要素を象るのだ。


 各陣営を調整するLATOは、うみねこでいう元老院や天界大法院に相当する。
 領地を行き来できる航海者で構成された組織。
 LATOの代表が二人一組のロッテなのは、神を支える二柱を模しているから。
 うみねこで言えば、ラムダとベルン。



 さて、これが正確な構図だとすると、配置が狂っていることが解る。
 全てのゲーム盤の上に立ち調停する二柱は、父と子、即ちミャオと都雄が相当するはず。
 その二人が一人となり、AOUの一席に入り込んでいるのだ。
 さらにはその隣に、外の世界よりの来訪者、ジェイデンまで割り込んでいる。
 そして本来の席より弾き出された二人が、LATOの空席を埋めた形。

 席の数は変わっていないが、バランスがめちゃくちゃだ。
 駒の格からしてLATOの二人では、格陣営の調停をするには力不足だ。
 調和が崩れ、各陣営が争いを始める。
 自らの物語群が生き残るために、神の脳のリソースを奪い合い、物語を粗製乱造する。

 物語群の軍事バランスを取り、平和の壁を双方から支え合う主人公たち。
 そのバランスが崩れた今、脳内のスポット人格を決めるべく、大惨事主人公大戦の幕が開ける!
 脳内世界の文化を真に継承するのは誰だ!?
 デデーン。

 これが執筆者の脳内版キコニアのPhase1のあらすじなんじゃないかな。
 それをSF風に翻訳されたのが、私たちが読んでいるPC版キコニア。


 ちなみに、都雄がAOUの一席にねじ込まれたのは、勝利者として勝ち上がり、選ばれし最後に生き残る主人公、即ち、脳内の主人格にしようと企む父、ミャオの策略。
 その果てに自分を殺せ、という壮大な自殺計画。

 しかし、ジェイデンはしれっと都雄の隣を確保しとるな。
 お前の物語は、読者が読み解いた物語だな。

 あとあと、各陣営のエースである都雄、鈴姫、リーテバイル、ナイマは、厳選された主人公たちを率いるだけの力を持つ、さらに厳選された主人公格だと思われる。
 元の構図だと都雄はいないから、その時のトップはギュンヒルドだと思う。
 ギュンヒルドも飛びぬけてスペック高くて、なんであれがサポートしてんのって感じだったからな。

 それからそれから、厳選された主人公の物語というところから解るだろうけど、A3W=フェザリーヌの図書の都。
 で、図書の都=バビロン。
 バビロン炎上はPhase2か3くらいなのかな。

 これも書いとかないと。
 神は精神を殺す永遠の退屈の病を抑えるために、常に新しい物語を薬として摂取している。
 この搾取を喩えるなら、猫を食らって延命するバケモノ。
 逆に人類が神に対する搾取を喩えるなら、神の体より尽きずに沸く蛆虫の幻覚。
 この病が抑えられている内は、この世界のバランスは保たれるが、劇症化したら崩壊へと突き進む。
 末期症状がキコニアでは脳工場の地獄の顕現で、その前に神の子に討たれなければならないのだろうね。





 凄まじい世界観。
 1986年だと六軒島しか領地がなかったのに。
 本当バケモノに成長したぜ。
 数多の領地、数多のカケラを繋ぎ合わせ、生み出した広大なカケラの海を丸ごと一つのゲーム盤に見立てやがった!
 これはもう総力戦とか、総決算と言ったところだろう。

 あははははっ!
 嗚呼、もっと私に見せてくれ。
 君の瞳に映るその壮大な世界が見たいんだ。
 だからその瞳を覗き込もう。


  1. 2020/01/19(日) 19:26:13|
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【キコニア】ルームA3W/神の罪を赦すためには

 本日二本目。
 明日にもう一本投稿する予定。
 凄いのできそうな予感がするから楽しみにしてて。

 今回はルームA3Wから状況の整理を試みたい。


“その人数は、あっという間に数百人を超えてしまい、ケロポヨに1つのルームに集中して負荷を掛け過ぎるなって言ってるんだぽよ~ッ、とキレさせた。
 表示限界の都合で、数十人程度しかいないように見える。でも実際には、世界中の仲間たちが集っているのだ。”

 神は世界最高のパラレルプロセッサー。
 その脳内には数多の人格を住まわせている8メガbit人間だ。
 神本来の人格である父と、その半身である子の人格と、それ以外の人格である聖霊たち。
 それらの人格は本来、肉体や姿を持たず、純粋な思考としての存在である。

 神は脳内の思考空間(ゲーム盤)にルームA3Wを作り、それぞれにアバター、肉体を与え、人として生活できる環境を提供した。
 アバターはフィルターの役割を兼ねており、人々はそこを現実だと思い込んでいる。

 人は肉体が死ぬと魂が欲望や苦しみから解き放たれ、本来の姿である純粋な思考に戻る。
 アバター持ちから見れば、それはさながら幽霊のようなもの。
 姿はないが、そこにいて、思考を続けている。
 全ての柵より解放され自由に空を飛ぶその姿は、さながら天使か。

 全てから解放されているため、A3Wには干渉できない。
 干渉するためには、肉体の代わりとなるアバターが必要となるだろう。
 それがたぶん青いガントレットナイト。


 人が死ぬ度に欲望や苦しみを捨て去るが、そのデータはゴミとして残りシステムに負荷を掛けている。
 他にもルーム内の人口増加、オブジェクト増加によって負荷が掛かっている。
 よって当然限界を超えればルームA3Wは機能を停止する。
 それはつまり、人類を守る生存圏が消えて、地獄に放り出されるということ。

 A3Wの世界は地球の地表に存在する。
 つまり、地球内部は人類には必要のないスペース。
 地の底、海の底。
 データのゴミ箱たる忘却の深淵。
 そこには人類に有害な情報が閉じ込められている。
 原初の地獄である神の悪夢。
 脳工場が。


 その地獄を回避するために神の子は現れ、ルームの初期化を図る。
 文明をリセットし、星の環境をリセットし、人類の魂をリセット。
 罪穢れのない新しいエルサレムでの千年紀の後、初期化された世界から再スタート。

 全ての人格を纏め上げて、一つの魂に戻るために。
 これは本来元の人格たる父がやるべきことなのだが、それを子に代行させている。
 それは人類統合を妨げている罪や穢れ、争いの原因となる負の記憶があるから。
 その嫌な記憶を引き受ける人格が必要なのだが、それを元の人格である父が引き受けるためだ。

 その際、龍や獣や偽預言者は、地上より払われる罪穢れと共に忘却の深淵の中にある地獄へと投げ入れられる。
 地球の中心、それはつまり世界の中心。
 そこが神の座。
 即ち、地の底より全てを見通す目。
 三位一体の象徴である正三角形を逆しまにし、中心にプロビデンスの目をあしらった、あのシンボル。





 つまりだ。
 神を一人地獄に隔離して、人類はルームA3Wというフィルターに守られてのうのうと平穏に過ごしている。
 そして神が苦心して用意したそのルームを、人類は野放図に汚し尽くし、最後には自分たちが汚したケツを神に拭わせる。

 そりゃ、人類の中から「こんな世界滅びた方がいい」と言う者が現れるわけだ。

 救うべきは人類ではなく神。
 人類を優先しても人数多寡のCPP自閉症で外の世界へは出られないしな。
 そうなると人格を統合しなければならないが、それが可能なのは神と神の子のみ。
 神の子の勝利は、人類の勝利でもあるけれど、それはプレイヤーである神から与えられた勝利。

 脳内の多数の人格の内、表に出る人格をスポット人格と言う。
 スポットライトを一身に浴びる物語の主人公。
 元の人格である父=ミャオは、その主人公に可愛い都雄=子を宛がった。
 その主人公が紡ぐ、勝利と栄光の物語と、一人の人間として掴む幸せを見たいと願ったから、プレイヤーとして主人公の駒を動かす。
 駒を操る神である自分=ミャオを打ち倒し、本物の人間として自身=都雄を主人公とした物語を綴るのだ。

 だがそれは、自らの運命を切り拓くニンゲンと言えるのだろうか。

 自分という領土を治める主は自分であるべきだ。
 つまり、主である神に返すのが筋。
 まあ人類にとっては。

 ならば神のみとなるべきか?
 否、それでは神以外の全てを否定することになる。
 全てを夢幻としてしまう。
 神は夢を現実にしようと神の子を人間にしようとしたのだから。

 だから夢から持ち出すものが必要だ。
 世界を生み出す最少人数は二人。
 つまり、人類を統合するなら神と神の子の二人になるまでだ。

 これこそが全て取りこぼさない最善だろう。
 問題は二人同時に受け入れてくれる人が外にいるのかどうか。
 ジェイデンの手腕が問われる。


 とは言え、部外者が勝手に手を出すのは悪手。
 内部のことは内部の者たちが決めるのが最善。
 となると打つべき手はこれしかない。
 信頼することだ。

 生き物には自らを直そうとする力がある。
 心の傷も同様。
 本人の自己治癒能力を信じる。
 きっと自分の足で立ち上がるのだと。

 藤治郎が最初に言っていた通りだ。
 太陽が燃え尽きる直前だろうと、きっと人類が一つの纏まるのだと信じている。
 信頼を言葉に表し、行動に表し、どんな結果になろうとも常に一緒だと信じさせる。

 だからこそミャオと都雄は本気の喧嘩をするべきだ。
 人類を全て巻き込み、この世界の決着に相応しい喧嘩を。

 ミャオと都雄は、一人の人間の半身。
 実力は互角。
 しかしコンディションによって発揮できる力に差が出る。
 ポジティブなら力を増し、ネガティブなら力を落とす。
 だからこれまでは、全ての罪を背負い暗がりで戦っていたミャオは常に負けていた。
 それが約束された運命だった。

 その運命を打ち破るには、暗がりより引っ張り出し、スポットライトを取り戻させるしかない。
 神の罪を赦し、神の背を押す存在が。
 それが神が生み出した人類たちだ。
 夢幻の存在だろうと、その者たちは確かに存在していて、そこから力を貰える。
 背後の幾億の使徒たちが背を押してくれるから、神は一歩を踏み出すことが出来る。

 これで互角に戻ったが、年季の差でミャオに有利。
 それどころか「咲」を見ると、ネガポジ反転でハイになってて無敵感あるんだよね、母は強しと言うか。
 世界最高のパラレルプロセッサーの本気とか、マジ楽しみ。

 そして神の罪の根源は、外の人間に対する不信と恐怖。
 そして己に対する自信のなさ。
 それは他人から愛された経験が乏しいから。
 それを拭い去るのは、外の人間にしかできない。
 それがジェイデンの役目。
 さぁ、何度でも愛を囁くのだ。

 ゲームこそが我らのコミュニケーション。
 ガントレットナイト同士なら、いつも同様演習を。
 それこそが信頼を築く方法。
 こりゃジェイデンも参戦の流れだな。

 ウォーミングアップのためにいつもどおり遊びに来てやったぜ。
 やり合った後はメンタルのコンディションが向上するそうだし。
 それにミャオとは直接戦ったことがないしな。
 みたいな?

 さあ、盛大な喧嘩を。
 その果てに全てを赦し合う世界を。
 そして生まれ出る、一人の人間に祝福を。
 きっとその人間は、一人で二人の、そして背後に視えない奴らを大勢引き連れた、実に賑やかな奴に違いない。


 私は見たいぞ、このハッピーエンドを。
 絶対に見れると信じている。
 そのために、常に手を伸ばそう。
 いつか手を掴み取るために。



  1. 2020/01/18(土) 21:40:23|
  2. Phase1
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執筆者についてのまとめ

 キコニアから私の考察を読んでいる方は、私の言う「執筆者」って誰やねんよく分からんって感じだと思うので、できるだけ分かりやすいようにまとめてみたいと思う。


 私が執筆者と呼んでいるのは、「うみねこ」でメッセージボトルを執筆した「右代宮真里亞」の事。

 普通なら自分の人生の物語の主人公は自分自身だ。
 しかし彼女は自分が主人公であることを諦めた。
 そして満たされぬそれの代償行為として、別人を主人公とした物語を紡ぐことにした。
 その主人公こそが「ヤス」。

 「なく頃に」の格ゲーム盤は、この「執筆者真里亞」と「主人公ヤス」の相克を、別な形、別な設定として表現したもの。


 概要はこんな感じ。





 続いて詳細を説明する。


 彼女は金蔵によって六軒島に連れてこられた、夏妃の手で育てられるはずだった19年前の赤子。
 彼女は金蔵の魔法を継承するために隠されて育てられた。

 人間は環境によって作られる。
 孤独は妄想の糧。
 だから「孤独」という環境を与えられた。

 孤独。
 誰とも出会わず、何も起きず、自分の物語に何も記すことのない人生。
 だから彼女は、成りたい理想の自分、憧れた姿を想像することにした。
 それが「ヤス」だ。

 崖から落ちたことにされた後、隠し屋敷で育てられず、福音の家で育てられたというIFの自分。
 それが右代宮家の使用人に選ばれて六軒島へとやって来た。
 そこから「ヤス」の物語が始まった。

 その時実際にやってきたのは紗音なのだが、執筆者のゲーム盤では「ヤス」に置き換わり、弾き出された「紗音の駒」は同室の友達という設定になった。
 使用人ヤスの生活はうみねこEP7に詳しい。


 さて、使用人ヤスはやがて魔法に魅せられ魔女の道を選ぶ。
 自分の物語の上に、魔女の物語を上書きする。
 それによって彼女は駒からプレイヤーに昇格した。

 執筆者が自身の物語の上に「ヤスの物語」を上書きし、ヤスが自身の物語の上に「魔女の物語」を上書きする。
 三位一体の物語。


 普通の人間は自分一人の物語しか紡げない。
 だが彼女は三つの物語を紡ぐ。
 彼女が有頂天となるのも仕方あるまい。

 孤独な彼女の物語は、普通の人の物語と比べみすぼらしかった。
 それを彼女は恥じていた。
 その自分が今や人よりも三倍も豊かな物語を紡いでいる。
 だから人々は自分の物語に憧れてしかるべきだ。
 下々に憧れの物語を垣間見せてやろう。
 と、調子に乗ったわけだ。

 だけど実際は誰にも相手にされていなかった。
 それを知ってしまった。
 魔法によって三人分に拡張された物語。
 しかし実際は、一人分にも満たない小数点以下のみすぼらしい物語。

 彼女は反省し、次こそは絶対に見返してやると決意した。
 誰しもに自分の物語を読ませ、素晴らしい物語だと認めさせてやると。
 彼女が作家の道を志した始まりの記憶。


 そんな彼女の前に現れたのが戦人だ。
 戦人は紗音に対して、人の心を推理するのが大事なんだ、とか抜かしやがった。
 隠れてそれを聞いていた彼女は、彼なら「ヤス」の心を受け止めてくれると思った。
 心を認めてくれて、一人の人間にしてくれるのだと。

 彼女は戦人に読んでもらうための物語を紡ぐことにした。
 自分の代わりに「ヤス」の心が認められ、「ヤス」がニンゲンに成るという夢に向かって。
 それに対して「ヤス」は、自分もニンゲンに成るために頑張るから、貴女も人間に成るために頑張ってみないかと誘った。
 勇気を出して一歩を踏み出さないか、と。

 それに促され、怯えながらも「ヤス」と一緒になら頑張れると。
 二人で共に人間に成る夢を語り合い、励まし合いながら、魂が一人分に満たない家具たちは夢に向かって歩みだした。


 が、知ってのとおり戦人はやってこなかった。
 自分の人生とヤスの人生、二人分の人生を賭けた渾身の物語。
 その一歩が空回った。
 すでに心の賭け金は全てつぎ込んでいる。
 今更降りることはできない。

 年々変化していく状況。
 それに合わせて物語の設定変更を繰り返し、必死に取り繕い続けた。
 今や「ヤス」は自分の人生を縛り付ける鎖に変わった。

 役に立たない家具など要らない。
 それに対し「ヤス」は、子である自分を捨てるのか、物語を書き切らないのかと責める。
 心は負の感情で満たされ、それをゲーム盤に吐き出す。
 無限に繰り返される惨劇。
 もう物語も自分の心もぐちゃぐちゃだ。

 この絡まった物語に決着を。
 悪魔のルーレットに全てを託す。


 出た目はベアトの死。
 「ヤス」を殺して、それを猫箱に隠して、島を出る。
 今こそ自分自身の人生を歩もう。

 執筆者にとって物語は杖だ。
 それを使って少しずづ歩いてきた。
 それを捨てなくては自分の人生を自分の足で歩けない。
 けどそれなしではもう歩くことさえできない。

 愛していた。手放すべきではなかった。
 約束したのだ、立派な作家となり、物語の続きを書くのだと。
 愛する者を蘇らせるのだ。
 絶対の意志が、絶対の結果を紡ぎ出す。
 今度こそちゃんとした決闘を。
 どちらか片方が人間となる。
 あるいは奇跡が起きて両方ともにか。

 それが「右代宮真里亞」として書いたメッセ―ジボトルであり、「八城十八」として書いた偽書。


 事の経緯はだいたいこんな感じ。





 ゲーム盤についても説明しよう。


 ゲーム盤は執筆者の心の中にある。
 それは階層を成し、それに合わせて駒にも階級が存在する。

 まずは心の総体である「神」「造物主」。
 これは現実だけではなく様々なカケラも加えて、増設・拡張された自己の総体。
 曰く、八百万を束ねて超える。
 うみねこではフェザリーヌ。ひぐらしでは羽入。
 全てを受容する運命の傍観者。
 全てから切り離され、よって全ての感情から切り離された、超然とした自己。
 そこからすると、羽入は「父」よりなのだろう。

 神は自身の思考を割いて、己の分身である駒を生み出す。
 その駒がさらに思考を割いて分身を生み出す。
 それを繰り返して階層を築き、ゲーム盤に駒を満たす。
 我は我にして我らなり。
 全ての駒は神の分身なので、何かしらの要素を受け継いでいる。

 ゲームを飽きるまで繰り返したらお片付け。
 全ての駒を収納し、駒たちの経験や思考を己のものとする。
 この際、ゲーム盤の設定も変えれば、想像の幅、思考の幅がさらに広くなる。

 彼女はこうしてゲーム盤に自分を置くことで、想像の翼を広げ自由になるのだ。


 その神の部屋を支える二本の柱である「父」と「子」。
 ゲーム盤ではその相克が描かれている。


 神の本体を模した駒「父」。
 「神」より切り離された感情と人格を担う。
 不完全な姿の「神」であり、未熟な頃の「神」の姿でもある。
 ゲーム盤の罪を全て被り消え去ろうとしている一面と、「子」を殺してでも自身の願いを成し遂げようとする一面が混在している。
 うみねこでは執筆者右代宮真里亞。
 キコニアではミャオ。ひぐらしでは羽入。
 絶対の意志を以て世界を支えていることから、ラムダデルタ卿が当て嵌まる。
 世界を支えるために罪に塗れた底に落とされる地獄を味わった。
 ひぐらしで神を目指して「子」である梨花を殺める鷹野は、かつての「父」の姿。

 地獄の底から這い上がり神に至ろうとする父の姿が、鷹野。
 神の座から降り人の罪を被って地獄に堕ちようとする父の姿が、羽入。
 上昇と下降。
 「父」が完全な姿を取り戻すことは、即ち「子」を死に追いやることを意味する。
 「子」を守るためには自ら崩れ落ちなければならない。


 神の半身たる駒「子」。
 物語の主役。
 うみねこではヤス。ひぐらしでは古手梨花。キコニアでは都雄。
 神の言葉を伝える巫女にして朗読者。
 神にとっての奇跡の具現たるベルンカステル卿が当て嵌まる。
 主に代わり物語の生き延びる道筋を見つけるまで閉じ込められる地獄を味わった。


 二本の柱たるプレイヤーに生み出された駒たち「聖霊」。
 魔女ベアト。
 二本の柱が二つの心臓だとすると、それを包み込む体に相当する。
 簡単に言えば、その他の駒全部。


 父子聖霊が三位一体となったのが神。





 駒の階級について、解り易くうみねこに傾けて話す。

 一番上がフェザリーヌ。
 全ての物語を紡ぎながら、その全てより切り離された傍観者。

 次がラムダデルタとベルンカステル。
 航海者としてカケラの海を彷徨い退屈をしのぐため物語を探す。

 その下が領地持ち。
 それぞれが担当するゲーム盤のGMを任される。

 下層が格ゲーム盤の駒であるニンゲン。

 最下層が全ての罪を被る零落した神。


 基本はこんな感じ。
 ゲームによっては階層は適時増設される。
 そして上の者が下の者を弄んでいる。
 行き場のない感情をぶつけるためのサンドバックのようなもの。
 一番上が一番下というのが何とも言えず。
 また全部同一人物であるというのも何とも言えない。
 さらには、その全てから引き離された最上層まで作っちゃてるのもまた何とも言えん。

 愛しているがゆえに手放せず。
 憎んでいるがゆえに傷付けずにはおれない。
 自縄自縛の地獄。

 物語としての幸せは、誰かに読まれること。
 謎としての幸せは、誰かに解かれること。
 人としての幸せは、誰かに認められること。
 彼女は今もなお、人と成る夢を見てゲームを開催する。

 同時に自己満足のために。
 片方の物語を、もう片方が読み。
 片方の謎を、もう片方が解き。
 片方の人格を、もう片方が認める。
 そういうものでもあるわけだ。





 私の愛しい執筆者殿は、真正の脳内引きこもり。
 普段は全然表に出てこないのだけど、ふとした瞬間に覗かせる顔が可愛いのなんの。
 ゲフンゲフン。

 んー、ま、こんなところかな。
 解り易いようにしたつもりだけど解り難いかも。
 駒についてはごちゃごちゃしてるからね。
 一つの心を切り分けた存在だから、切り口を変えられると同定が困難になる。
 場合によってはさらに複数に切り分けたり、束ねて一つにしたりするだろうし。
 とは言え、全体を合わせると一つの心なんだと見れば分かり易くはなる。
 盤面を整理するということは、心を整理するということだからね。
 とは言え、人の心ほど複雑で分かり難いものはない。

 まぁこれで私の手の内はさらけ出したようなもの。
 私の簡易的な推理考察マニュアルみたいなものだから。


 さて、19人目の右代宮真里亞なんて、私以外の人にはどうでも良いのだろうけども。
 ヤスの物語の執筆者という部分は重要だよ。
 執筆者はヤス本人なのか? って問題だね。
 疑問に思う人は少数だろうし、その疑問も最終的には戦人=十八で吸収しちゃう作りになっているのだけれども。

 ホント嫌らしい仕掛け。
 完璧だよ、出来過ぎなくらい。
 掌より逃がさないという絶対の意志を感じる。
 ひねくれ過ぎだぜ、愛してる!

 ……ゲフンゲフン。
 それに対してキコニアは、端的に言えば、神について考えてくれと言っている。

 駒を生み出した造物主。
 アルファにしてオメガ。全ての始まりにして終わり。
 物語を記している執筆者。

 だからこそ私はうみねこのプレイヤーにこそ、キコニアをプレイして欲しいと思っている。
 そして、うみねこを振り返って欲しいと。
 ヤスが犯人で執筆者という狭い掌から出れば、もっと広い世界が広がっているよと。

 とは言え、他人に言われてやる人なんていない。
 自分で実感しなければね。
 だからこそプレイして欲しいのだけど。

 この自分で実感しなければならないという自縄自縛に、プレイヤー側もGM側も縛られているのが、まぁ「なく頃に」のゲームなんだよね。
 あ~、ややこしや、ややこしや。


  1. 2020/01/18(土) 19:42:25|
  2. WHEN THEY CRY
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【キコニア】1bit人間、8bit人間、8メガbitバケモノ

 じぇびるさんから知見を得たので、ちょっと思考を混ぜ混ぜしてみた。


 1bit人間は、脳内に自分一人の意見しかもっていない人間を指す。
 ゲーム盤に例えるなら、ゲーム盤上に自分を模した駒しか存在しない感じ。
 自分しかいないから、自分が賛成するか反対するか、1か0かしかない。

 そこで自分とは異なる意見を持つ他人を駒化して、自身のゲーム盤に置く。
 これでゲーム盤には二つの駒が置かれた。
 両方賛成、両方反対、右だけ賛成、左だけ賛成で、計四通りの結果を弾き出す2bit人間の完成だ。

 駒を8つ置けば8bit人間。
 もう一人8bit人間がいれば、チェスだってできる。


 さてさて、この自分とは異なる意見を言う駒を自身のゲーム盤に置くというのは、P3値を高める訓練になるだろう。
 最初は一つのセリフしか言わないbot人形でしかない。
 繰り返し使えば、AIが学んで受け答えをしていると錯覚できるほどにはなるだろう。
 延々と使い続ければやがていつか、自らしゃべり出すかもしれない。
 そこまでくれば立派なパラレルプロセッサーだ。
 ま、理論上は、ね。

 で極論だけど。
 どんどん他人を駒として置いていき、その行き着く果ては全人類をゲーム盤に収納。
 ここまでくれば、駒たちは自分勝手に意見を主張してしっちゃかめっちゃか。
 脳内で結論を出すことなど不可能。
 もう脳をフリーズしちゃった方がいいだろ、と言ったところ。
 ま、何にでも行き過ぎってのがあるわけだ。


 とすると今度は逆側に振るわけだ。
 そう、1bitの出番だ。
 自分以外の意見を排除するというのは、1bitの一面に過ぎない。
 本来の役割は、意見を一つに纏めるという機能。
 意見を一つに纏めるために、その邪魔となるものを排除しているに過ぎないのだ。

 つまり、多様化した意見を体系化し、一つの体系に纏め上げる。
 これでゲーム盤に駒が一つですっきりした。

 さてこの一見1bit人間、元の1bit人間なのだろうか。
 1は1でもメガバイトかもしれんな。
 きっと、収納した無数の駒を瞬時に展開可能で、状況に応じて相応しい人格に入れ替わり、様々な意見が一体となって連携し、厚い布陣でキングを守り、キングは木を隠すには森の中的なステルス、様々な経験から照らし合わせて敵を分析し、弱点をピンポイントで狙撃したり、飽和攻撃を仕掛けたりするんだぜ。
 駒とは家具や武具も含む。我は我にして我らなりってね。
 フェザリーヌはゲームにて最強。たまったもんじゃねーよな。


  1. 2020/01/12(日) 20:04:37|
  2. Phase1
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【キコニア】執筆者と物語と読者の関係

 私の説は、執筆者が自身の心の中の世界をゲーム盤に表現しているのがなく頃にシリーズの物語で、そのゲームで読者と対戦している、というもの。
 もちろんキコニアも同様であると見ている。

 そんなわけで、そんな執筆者と読者の関係がどの様にキコニアのゲーム盤に反映されているのかをやりたい。





 人生とは、自分を主人公とした物語である。
 だが執筆者は、自身が主人公である物語を諦めた。
 誰とも出会わず、ゆえに何も起こらない、つまらない物語だと。

 そしてその代わりとして、自身の代わりに主人公となる者を生み出し、その者を主人公とした物語を紡ぐことにした。
 それがヤスだ。

 ヤスは執筆者が自らの脳の中に住まわせている別の自分。
 これは一つの脳を共有している都雄とミャオに重ねられている。

 執筆者は物語としてのヤスを生み出した母でもある。
 そして物語の主人公は物語を生み出した母を知ることはない。
 都雄の母はアバターを用いたミャオであり、そしてその母のアバターは都雄を置いて出ていった。
 そこに重ねられているのだろう。

 で、執筆者は生み出した物語を読者に託した。
 読者は物語を読み解き、自身の解釈で物語をさらに広げて育てる。
 つまり、物語にとって読者は育ての父。
 それは都雄にとっての藤治郎に重ねられる。

 要は、物語は執筆者の下で生まれ読者の下で育てられる、ということ。



 他にもゲームとしての関係がある。

 物語はゲームでは駒。
 主である執筆者の代わりに読者と戦う。
 うみねこで言えばベアト。

 読者はその対戦相手として戦うライバル。
 読者はゲームにおいては後追いなので、対戦者は教師的な立ち位置にもいる。

 幾度も戦いを繰り広げ信頼を築き、今は相棒となっている。
 これが都雄とジェイデンの関係に重ねられて表現されているのだ。

 でも実際は、都雄の陰に隠れる形でミャオ=執筆者も戦っていた。
 執筆者は代理の物語の一歩後ろを着いて歩き、自身の物語を紡いでいたのだ。
 ジェイデン=読者がその存在に気付いて、関係を深めていく。
 これがキコニアの現状。


 都雄=代理の物語にとって、読者は父でありライバル兼相棒で、執筆者は母であり自身の陰に隠れた妹である。
 都雄を中心に関係を整理すれば自然とこの形になる。

 よって、藤治郎=前回のジェイデンは当然のようなものなんだよね。
 よく考えてみれば、だけど。





 相手がゲームを通して何を言っているのか?
 思うにキコニアでは、推理力よりも翻訳力が必要なのだろうね。
 うみねこでもホワイダニットをより深く知るためには翻訳力が問われるしな。
 咲直前の再読は、自分でもよくあれを翻訳できたなと思うくらいだし。


 翻訳についてだけど。

「俺たちで二人で話し合って決める。他の連中の言うことなんて気にしない。……この土地のルールで、俺はミャオちゃんとの仲を深めることにするぜ」

 まあ要はこれなんだよな。

 読者はそれぞれ、自分と相対している者との二人で決めれば良いことで、外野に迎合する必要は一切ない。
 賛同の多寡など何の指針にもなりはしない。
 世間一般に流布されているものなど一般論でしかないのだから。

 あるのはゲーム盤とそこでのルール、そして自分と相手のみ。
 相手はゲームを通して自身の心を、思考を表現する。
 だから読者はゲームを通して相手の心を、思考を推し量る。
 表現物の翻訳。
 物語は二人で生み出すのだ。


 まずは自分を一般読者ではなく、自主独立したプレイヤーであると自覚しなければならない。
 自分というバケモノの巣の主であるとね。

 例えばうみねこEP5で、戦人が読者の感情や思考の移入先として失格である、みたいな文句を言う人がいたけれども。
 それは読者としては、まあ間違ってはないかもしれないが。
 プレイヤーとしてならそれは言ってはならないもの。
 自らの思考を戦人に委ねた時点で、自らの意見は自らが決めるプレイヤーではなくなっているわけだからね。
 あれはプレイヤーとしてさっさと自立しろと促されているわけだよ。

 相手に思考を委ねた時点で、生殺与奪の権利を相手に委ねているも同然。
 思考の着地点は相手が決める。
 それは自ら魔法に掛かりに行ったようなもの。
 それを拒むために、自らの意見は自らで決めるわけだからさ。

 そこが出発点。


 でさ、私の経験なのだけど。

 これこそは、という思い付きを得て、興奮してそこを掘ることに集中するわけだけどさ。
 だいたいその興奮で視野が狭くなっているから注意が必要。
 がーと一度に掘ったら、一度立ち止まってその穴から出て、他の視点で見てみる。

 自分視点に偏ってしまっているから、一方的かつ単純なものになっているかもしれない。
 バランスを取るために相手側の視点に立って考えてみる。
 相手視点から的の修正を図り精度を上げるわけだ。

 そもそも相手も色々考えているわけで、単純な思考をしているわけではない。
 同時に複数の感情を抱いたり、矛盾した考えだってする。
 愛が憎しみに変わるように、逆に憎しみが愛に変わったりもする。
 時間の変化によって、感情や思考、さらには目的すら変わったりもする。
 それらを一つのゲームに纏めているわけだから、単純で終わるわけがないのだ。

 自分一人の視点では単純な思考になるから、相手の視点も合わせて複雑に多角的・多層的に視る。
 で、相手に合わせて行ってそちら側に偏り過ぎたら、今度は自分視点にまた振る。
 別の点と結び付けたりして自分の思い付きで話を広げる。
 そしたらまた相手視点に合わせて行く。
 
 自分視点と相手視点の天秤を揺らすわけだ。
 それが相手と話し合い、仲を深めて行くことだと思うのだよね。
 私の実感としては、だけど。



 ぐだぐだ書いたが、要は目的さえ見つければ手段は後で付いてくる。
 ガンジーの有難いお言葉どおり。
 「ゲームを通して対戦相手と仲を深める」、この目的さえしっかり据えて歩み続ければ、推理や考察という手段はどうとでもなる。
 逆に、変に一つの推理に固執すると大切なものを見失ってしまったりする。
 で、“本気”で仲を深めたいなら、それまで絶対に諦めないのだから、いつか必ず手段は付くと。
 まあそれだけのこと。



 私がプレイヤーに皆に聞きたいことがあるとすれば、それはまさしく、相対している対戦相手の人物像をどう捉えているのか、というものだね。
 我々がゲームをしている以上、その向かいに確かにいるだろう存在。
 それはどこの誰で、どんな性格で、どんな経緯でそこにいるのか?
 何のためにゲームを作り、そして何の目的で我々相手にゲームをするのか?
 ひぐらし、うみねこ、そしてキコニア。
 これほどの文量を割いてまで、何を訴えたいのか?

 うみねこではゲーム盤上の犯人やトリックに終始してほぼ無視されていたからなぁ。
 キコニアではそういうのがない分、対戦相手のことに踏み込んだ考察が見れそうだと期待しているのだが。
 どうだろうね。
 それともやっぱ、うみねこで十分にその辺を固めてないと駄目なのかな。


  1. 2020/01/11(土) 20:05:04|
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『キコニアのなく頃に』OP歌詞考察

 本日四投目。


 神と神の子を巡る図式が完成したので、二人について書かれているだろうOPの歌詞を考察したい。


 一番の歌詞は都雄視点。

 “キコニアの羽 散らして”のキコニアは神本体、羽は人類。
 そうして神より生れ落ちたことを示している。
 “晴れの海”は後の方の“幾星霜の海”から、永遠に繰り返す世界、カケラの海、その内の平和な幸せな世界、カケラだと思う。
 つまり、神に人間として生んでもらったから幸せにならなければ、という感じ。

 “地獄の空は青いのだろうかと泣く、君へ”
 この“君”は、これから地獄へと行くミャオのこと。
 “地獄”は罪が廃棄される場所。
 “限りある生気”は、神=世界が生きようとする力。
 ミャオが地獄に一人ぼっちだから、キズナが繋ぐから祈る。

 “幾億の使徒”は天使。
 それが“背後”にいるので、都雄はそれを率いる神の子。
 神の子として“摩天楼”、文明を壊している。
 “助けなんか要らない”は、全て一人で背負おうとしていることを示す。

 “曇天を蹴って”は、曇天の上にある天上にいるということ。
 “焼け爛れた魂”は、極限の争いの中から生まれた魂であること。
 “贖う左手”は、人の罪を贖う救世主=神の子であることを指す。


 二番の歌詞はミャオ視点。

 “羽 もがれて”は、神の力は全て人に分け与えてもう何もないことを指す。
 “糸の切れた舞台装置”は、世界が神の手より離れていることを示す。
 “どんな悲劇が待つ?”は、神=ミャオにもどうなるかわからないということ。

 “【仮初の楽園】”は、罪が払われた世界。
 一時的に罪をそれを背負った神ごと隔離しているにすぎないから“仮”。
 神がいないのだから、当然“福音は訪れない”。
 “誰かの道具じゃない”と叫んでいるのは都雄。
 それを横でミャオが聞いているという構図。

 “地獄の果て”は、ミャオが地獄で過ごす長い日々の果てのこと。
 “生き残る理由はない”は、全ての罪と共に消えた方が都雄たちのためになると内心思っているということ。
 片翼でも外に飛び立って欲しい。
 でも“君が笑うから”、都雄が笑うから手放すことが出来ない。
 即ち、“キズナが繋ぐ罠”。

 “幾度、血を流したとて 君は 穢れてなんかいない”
 “君”は都雄。
 神の子は人類の罪を贖うため人類を滅ぼし魂を解放する。
 でもその穢れは自分が引き受けるから、都雄は穢れてなんかいない。
 ミャオにとって都雄は、憧れた仰ぎ見る光であり、穢れから遠ざけて護りたい愛し子。

 “大空を蹴って”は、天上にあることを蹴って地獄へ堕ちることを選んだことを。
 “凍て付いた魂”は、永遠の孤独による平和より生まれた魂であること。
 “償う右手”は、孤独を癒すために生み出した世界にて、罪を蔓延させたことを償おうとしている神を指す。


 外国語の部分。

 “生きることへの罰”、生きるとは罪を生み出すこと、その罰。
 “訪れた黄昏”は、神=世界の寿命限界である文明の終端のこと。
 “獣”は人より切除された人の罪の総体。
 それは“人ではなく”“意識もなく”。
 人には“抗う術などないのかもしれない”。
 神の“意思”か、神の“使者”か。
 “知恵”も“力”も“全て”神の“掌の上”。
 “即ち、永遠の記憶”、これは地獄に廃棄された人々の忘れたい記憶。


 三番は繰り返される永遠を終わらせる決意をした都雄視点。

 “僕”は都雄。
 “仕組まれた異端者”は、駒でありながらプレイヤーに成り上がる成り駒であること、それを神によって仕組まれたことを指す。
 “翼なんか、いらない”は、与えられた地位はいらない、穢れのない翼なんていらない、人間として歩む、辺りが表現されているんじゃないかな。

 “慚愧など笑止”。
 恥じ入ることはないそれがありのままの自分だから。
 “永遠を蹴って”、繰り返す永遠の夢を蹴って。
 “焼け爛れた魂”は、互いに傷付け合う世界より生まれた魂を指す。
 “両の手に、響け”は、対立する二つの魂の永遠の議論より生まれた結論。
 だからきっと“我ら不屈のガントレットナイト”は仲間たち全員。
 いや、人類全員か。
 だって皆神より生まれたのだから。
 人類全ての総意、一人の人間としての結論、それは『共に生きたい』。





 思うにPhase1の難易度、かなり上級ってさ。
 上級者向けって意味なんじゃないのかな。
 うみねこで、並び立つ真実の天秤や三位一体の魔女についてしっかりと考察したり、親子の物語としてや駒たちによる主の為の劇として解釈して読んでないと理解できないと思うし。
 私が最終的にやったのって、駒の割り振りだよ。
 「誰が犯人か?」じゃなくて、「指名手配犯を探せ」みたいな感じ。

 一応新人プレイヤーでも作中で示されたさまざまな思考と、ヨハネの黙示録という見立てから、蜘蛛の糸のようにか細い可能性を手繰り寄せることは可能ではあると思う。
 でもそれは出来たら奇跡レベル。
 まぁ、奇跡を求めているんだろうけどね。

 神が人類の罪を背負うっていうのも、ひぐらしを読んでないと理解が難しいし。
 やっぱ熟練プレイヤー向け。
 その中でも上級者に合わせている感じがする。


 何が言いたいかというと、うみねこめっちゃ考察しておいて良かったってこと。

 うみねこではさ、ベアトの陰に隠れて消えようという感じを出してたけど。
 咲では吹っ切れた感じで表に出てきて、ベアトと向き合って自分がちゃんとしていればもっと良くできたと宣言。
 この勢いでキコニア突入。
 世界は心を映す鏡であるから、心が暗ければ世界は暗くなり、心が明るければ世界は明るくなる。
 だとしたら、キコニアの未来は明るいものになるだろうね。
 だって咲で凄く明るかったから。
 その明るさを、私は信じたいな。


  1. 2020/01/04(土) 22:09:32|
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【キコニア】超天才ジェイデン様

 本日三投目。


 ジェイデンはゲーム盤にて「読者」を表す、外からの来訪者である。

 他の駒は全て「執筆者」を表す駒である神が生み出したもの。
 バケウソ風に言うと、A3W自体がバケモノの巣。
 よってその中にある駒は、バケモノの体の一部。
 それは手であり足であり、また爪であり牙である。

 つまりジェイデンは、バケモノに食われた獲物。
 見方を変えれば、バケモノの体に侵入した一寸法師。
 確定した運命における不確定因子。

 読者である私にとっても不確定過ぎて困るんだよな。





 さて、作中現実において自身の脳を持つ存在は、神たるミャオと来訪者であるジェイデンの二人だけである。
 よって、繰り返される永遠の中で脳力が成長するのはこの二人だけ。
 ジェイデンも前回の世界よりたぶん強くなっている。
 それが積み重なった結果が、NPPでもCPPに勝つという現状だと思うんだよね。

 でも総体としての神より絶対に弱い。
 果たしてジェイデンは、熾天使に戻り部下の天使と繋がり、そのバックアップを受けて大幅に脳力が向上する他の仲間たちについていけるだろうか?
 自身の脳だけでは絶対についていけないわな。

 P3値による力は神が切り拓いたもの。
 ジェイデンはその後追い。
 後追いの方が楽だと言っても、開拓者はその過程での無数の試行錯誤の経験を持つ。
 それは後追いには得られないものだ。
 つまり、後追いは開拓者が開いた道を追いかけることはできるが、それを超えて道を切り開くのは苦手なのだ。
 そして後追いになればなるほど進むのは楽となり、楽をすることを覚えてしまいかねない。

 これはGMがゲームを作り、その思考をプレイヤーが追う姿を模している。





 どうすればジェイデンは勝てるのか。
 ジェイデンも熾天使に成るのだから、部下を付けてくれたりしないかな。

 部下の天使と繋がる。
 これは可能だろう。

 そもそも八百万の脳に繋がることでA3Wの世界に来訪したのだから。
 つまり、魂の交流、心の交流。
 思考が融合することはないけれど、共感することはできる。

 つまり、神の一部である部下の天使を洗脳……ゲフンゲフン、もとい共感によって自身の思考と感情を伝播させる。
 要は神の一部に心を開かせる。
 部下の天使から徐々に徐々に。
 そうやって人類が一人の人間としての尊厳を取り戻すという機運を高めている。

 つまり、マリオやフィーアやセシャトもその影響が出たからなのでは?

 んー、セシャトもなら、悪魔陣営にもジェイデン、要は熾天使に成る時に切り捨てられたジェンデンの悪の心、欲望とか忘れたい記憶といったものが人となったものが存在する可能性がある。
 ああ、それに当て嵌まるのは藤治郎だけじゃん。

 世界最後の時をジェストレス=ミャオを過ごす。
 血と硫黄の池、忘却の深淵の中の地獄に共に放り投げられてでも。
 それは浮気じゃないの? とジェストレスは言ったが、これなら浮気じゃない。
 都雄可愛い可愛い言ってるのも納得。

 都雄と共に血を流し、ミャオと共に罪に塗れる。
 絶対に一人にさせない、一人で背負わせない。
 一緒に付き合うから、とことんまでやり合って結論を出せばいい、みたいな感じか。


 これらが全て計画してのことなのなら。
 それでいつも一緒にいるぜいるぜ言っていたなら。
 まさに〈超天才ジェイデン様〉じゃん!

 このゲーム盤は、神=ミャオと神の子都雄の対決。
 そこへ霊陣営がゲーム盤を引っ繰り返す。
 これは完全な奇襲。
 〈常時奇襲検索〉の面目躍如。

 やはり天才か…。
 考えてみると、人間が二人揃った時点でジェイデン対神の総体のゲームで、だったら父子霊へのトリプルアタックは正攻法なんだよね……。
 いや、チェスに将棋で挑んで味方を増やしてのディスカバードダブルチェックかな。

 これは賭け金全部突っ込むしかねーな!
 ジェイデン、お前ならやれる!

  1. 2020/01/04(土) 21:13:31|
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【キコニア】忘却の深淵に眠る地獄/明けの明星が昇る

 本日二投目。


 忘却の深淵は、神の部屋の中に作られた忘れたい記憶を隔離する場所。
 隔離することで人格を保護するフィルターであり、永遠の時の中でいつか忘却するためのゴミ箱。
 〈次元斬〉で斬ったものの行く異次元がここ。
 さらにはディメンションコンテナの大本。
 コーシュカがディメンジョンコンテナが小さいのは、〈パンドラの箱〉の絶対記憶によって、忘れることが可能な一時記憶領域が少ないためだと思われる。


 神はその忘却の深淵に、自らの忘れたい記憶を封じているはずである。
 それは神にとっての地獄。
 即ち、神自身が体験した原初の地獄、脳工場。
 その地獄は、天井や壁、床などどいう概念さえない海の底に封じられている。
 地獄の窯が開く時、そこよりこの地獄が溢れ出す。
 それが終端において約束されている地獄。
 神の悪夢が現実となり、人類は脳を収穫される。
 そしてそれを積み上げて八百万の脳を作り、神が復活するのだ。

 それを回避するために生み出されたのが神の子であり、神の子が殺すようプログラムされた対象は神自身。
 神=ミャオは都雄の中にいるので会っていることにはならない。
 つまり、ミャオの体はどこかに存在しているということ。
 それが即ちジェストレス。

 神=世界。神=龍。世界=バビロン。
 バビロン即ち世界はこの世に溢れる全ての罪、人より別たれた穢れた魂、全ての苦しみ忘れたい記憶、即ち悪霊を一身に引き受けて燃やされる。

 獣と偽預言者が投げ込まれる“火と硫黄との池”は、脳工場で肉体が廃棄場所をイメージしたもの。
 神の見る地獄の光景だろう。
 即ち、地獄が封じられた忘却の深淵。
 龍もまたそこへ投げ込まれる運命にある。


 人類は地の底や海の底より霊素を汲み上げている。
 この霊とは深淵に封じられた神の記憶なのではないだろうか。
 つまり、地獄の窯より地獄そのものを汲み上げているのでは?
 これが地獄本体が現れるカウントダウン。

 ナオミの感情と記憶を消して処理速度を上げる能力は、この忘却の深淵由来のものなのだろう。
 つまり、忘却の深淵より隔離されていた感情と記憶が噴き出すことは、世界の処理速度を下げる結果となり、さまざまな天災に繋がっていると思われる。





 地獄の一部が漏れ出た時に、神の意識も忘却の深淵より出てこれたのではなかろうか。
 そして、神の子を産む役割を課された聖母フィーアに宿り、さらに神の子都雄の中に宿った。
 もしかしたら逆かもしれないが。
 神の子と共にフィーアの胎に宿り、そこよりフィーアをアバターとして動かしていたのかも。

 どちらにせよフィーアは神の意識に触れ、神に傾倒し、神の叡智の翻訳する趣味に目覚めたのだろう。
 マリオの星に尊厳を取り戻す仕事と、責務を果たした後の尊厳ある死を見て、フィーアは意味ありげに称賛した。
 それは自身の、神=世界の尊厳を取り戻す仕事と、その責務を果たした後の塵に戻れる尊厳を思ってだろう。

 神が完全なる姿を取り戻すには、バラバラとなった神の魂、即ち全人類の魂を神へと返さなくてはならない。
 それはもはや人の住めない世界だけど、それこそが自然な姿。

“それを聞き、数人がケタケタと笑いながら再び拍手を浴びせるが、意味がわかっているのかは怪しい。……それとも、意味を完璧に理解した上で、さらに3周くらい回ったうえでケタケタと笑っているのか。”

 神の尊厳を取り戻す、これが星の尊厳を取り戻すことを理解した上で、さらに3周回った解釈だろう。

「尊厳とは?」
「自らの運命を、自らに委ねることと、吾輩は考えるのでありますッ」

 神が自らの運命を人類に委ねていることが世界を歪ませている。
 人類は自らが豊かに繁栄するために、神=世界より搾取し、汚し、踏み付けてきた。
 挙句は地獄の窯を開こうとしている。

「自分の尻は自分で拭くのが、美学だったという訳ね」
“ここはそのようなものとは一切、無縁な場所だと思っていたけれど。”

 “ここ”とは世界を指す。
 世界には、自分の尻を神に拭かせる者たちしかいない。
 そうフィーアは思っていたのだろう。
 だからこそ、マリオを称賛した。

“……この完成は、マリオだけが望んだことではない、……ということか。
 …………………………。”

 これは、星の尊厳を取り戻す、あるいは神の尊厳を取り戻したいと無意識で願っている人類がそれなりにいることを示しているのか?
 だとするならば、やはり神が尊厳を取り戻す機運が高まっているのだろう。

 叡智の眩い金色の輝きで塵となったマリオは、叡智=神のカケラに自らを捧げたということだろうか?

“セシャトはゆっくりと、手に握りしめたそれを掲げる。
 指の間からは、暁の輝きにも似た光が、溢れ出していた………。”

 龍が暁の輝きを取り戻す。

 明けの明星はルシフェルを示す。
 彼は堕天使の長であり、サタンの別名でもある。
 そしてかつては天使の長であり、神の次の位にあった。
 またヨハネの黙示録では、イエスのことが「輝く明けの明星」と呼ばれている。

 神の子と龍は鏡写しの存在。
 その彼が暁の輝きを取り戻すことは、本来の天使の長に戻ることを指すだろう。

 つまりセシャトは、零落し堕天した神=ミャオが本来の姿、天上にて光をもたらす者、明けの明星としての姿を取り戻させようとしているのではなかろうか。
 神の復権、尊厳ある姿を取り戻させること。
 それがセシャトの目的なら、フィーアと同じだ。
 それぞれ天使側、悪魔側で、図らずも同じ目的で動いているのだろう。

 もし、セシャトの持つ暁の輝きの叡智が、マリオが使った叡智であるのなら、マリオの魂はその叡智を介して神へと帰ったのだろう。
 一番最初に神へと殉じた魂として。

 だから断じて神はひとりぼっちではない。
 神に闇を擦り付けるのが人であるならば、神に光を取り戻させるのも人であるのだ。


  1. 2020/01/04(土) 20:01:29|
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【キコニア】バビロン=世界=神

 新年あけましておめでとう。
 今年もキコニアの考察をしていきたい。
 では本日、四連投の一投目から。


 ウィキソース
『口語 新約聖書』日本聖書協会、1954年
ヨハネの黙示録
 より引用する。

“その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
――17:5”


“御使はまた、わたしに言った、「あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。
 あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。
 神は、御言が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨を行い、思いをひとつにし、彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。
 あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである」。
――17:15~18”


“彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。”
 すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。
 わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。
 彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。
 彼女がしたとおりに彼女にし返し、そのしわざに応じて二倍に報復をし、彼女が混ぜて入れた杯の中に、その倍の量を、入れてやれ。
 彼女が自ら高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみとを味わわせてやれ。彼女は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。
 それゆえ、さまざまの災害が、死と悲しみとききんとが、一日のうちに彼女を襲い、そして、彼女は火で焼かれてしまう。彼女をさばく主なる神は、力強いかたなのである。
 彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しみ、
 彼女の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた』。
 また、地の商人たちも彼女のために泣き悲しむ。もはや、彼らの商品を買う者が、ひとりもないからである。
 その商品は、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、各種の香木、各種の象牙細工、高価な木材、銅、鉄、大理石などの器、
 肉桂、香料、香、におい油、乳香、ぶどう酒、オリブ油、麦粉、麦、牛、羊、馬、車、奴隷、そして人身などである。
 おまえの心の喜びであったくだものはなくなり、あらゆるはでな、はなやかな物はおまえから消え去った。それらのものはもはや見られない。
 これらの品々を売って、彼女から富を得た商人は、彼女の苦しみに恐れをいだいて遠くに立ち、泣き悲しんで言う、
 『ああ、わざわいだ、麻布と紫布と緋布をまとい、金や宝石や真珠で身を飾っていた大いなる都は、わざわいだ。
 これほどの富が、一瞬にして無に帰してしまうとは』。また、すべての船長、航海者、水夫、すべて海で働いている人たちは、遠くに立ち、
 彼女が焼かれる火の煙を見て、叫んで言う、『これほどの大いなる都は、どこにあろう』。
 彼らは頭にちりをかぶり、泣き悲しんで叫ぶ、『ああ、わざわいだ、この大いなる都は、わざわいだ。そのおごりによって、海に舟を持つすべての人が富を得ていたのに、この都も一瞬にして無に帰してしまった』。
 天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都について大いに喜べ。神は、あなたがたのために、この都をさばかれたのである」。
 すると、ひとりの力強い御使が、大きなひきうすのような石を持ちあげ、それを海に投げ込んで言った、「大いなる都バビロンは、このように激しく打ち倒され、そして、全く姿を消してしまう。
 また、おまえの中では、立琴をひく者、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを吹き鳴らす者の楽の音は全く聞かれず、あらゆる仕事の職人たちも全く姿を消し、また、ひきうすの音も、全く聞かれない。
 また、おまえの中では、あかりもともされず、花婿、花嫁の声も聞かれない。というのは、おまえの商人たちは地上で勢力を張る者となり、すべての国民はおまえのまじないでだまされ、
 また、預言者や聖徒の血、さらに、地上で殺されたすべての者の血が、この都で流されたからである」。
――18:2~24”




 この大淫婦バビロンについての記述を、私の説に当て嵌めてみる。

 神=世界。
 神は世界に満ちた罪を背負い、神の子の手によって討たれ、それによって人々から穢れを拭い取ろうとしている。

 人々が住んでいた大いなるバビロンの都が“世界”を表し、全ての罪を背負う淫婦が“神”を表している。

 神=ミャオのことを思うと鬱な気分になるな……。


 神にとって駒は道具。
 「道具に感謝する奴はいない」とはギュンヒルドの言。
 しかしいるんだよね。
 たかが道具についた汚れを拭うために、自らを汚濁に沈めることすら厭わないんだよ。
 片翼でも穢れなき翼で飛び立って欲しいのだから。

 そしてそんな成人君主だろうと、全人類の汚濁という環境にいれば自分を保つことができない。
 そして集められた罪はまた溢れ出し世に満ちるわけだ。
 言うなれば、神の悪意。
 神の計画はこれより紡がれたのだろうか。
 まあ注文したのは、青い都雄の言からすると、神の子が注文したようだけど。

 全ては神の中に、誰かのせいにしたい気持ちがあるからなのだろうが。
 これは仕方のないことだからな。
 まず、人間だった神を脳だけにしたヤツら。
 次に、共にその楽園にいたのに神だけを置いて消えてしまったヤツら。
 最後に、助けに来ない外の世界のヤツら。
 そいつらを責める気持ちを抱くなってのが無理な話。

 その罪が内へ内へと向かっていくわけだ。
 この閉塞された世界でそれを解決するのは無理なのだろうな。
 だからこそ外部からの手助けが必要なのだが。


 ジェイデン、お前はこの世界をどこまで推理できた?
 そしてどんな計画を立てたんだ?
 それともそんなのなくて、一緒にいるという強い思いだけで全てを貫こうとしているのか?
 謎だ。


  1. 2020/01/04(土) 19:13:10|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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