FC2ブログ

うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


キコニアを支配する運命/運命を決めるのは誰か

 ひぐらしでは絶対の運命が、うみねこでは無限の運命が支配していた。
 ならキコニアでは?

 私は奇跡だと思う。

 全人類は脳だけとなりAIが管理する仮想現実で暮らしている。
 それは言うなれば、人類が“神”の家畜となっていること。
 それは人と言えるのか。
 人であるなら、自らの運命は自らで決めるべきだろう。

 ゲーム盤から抜け出して、人としての尊厳を取り戻す。
 それが“神”が開催しているゲームの目的だと私は考えている。

 一見、人類を滅ぼす側とそれに抗う側による対決型のゲームに見える。
 だが実際は、同じ目的を目指す協力型のゲーム。
 つまり、ゲームをクリアしてくれなくてはGMが困るわけだ。
 だからクリアするまでゲームが繰り返されている。

 これはつまりひぐらしとはプレイヤーとGMが逆ということ。
 ひぐらしではプレイヤー側が奇跡を求めて繰り返していたが、キコニアではGM側が奇跡を求めて繰り返している。
 つまりうみねこ風に言えば、キコニアのゲームマスターはベルンカステル卿ということ。


 仮想現実“A3W”をゲーム盤とするならそのGMはそれを管理する“神”だが、それを含めたキコニア世界をゲーム盤とするとそのGMはベルン。
 その視点からすると、“神”はベルンの駒ということになる。

 で、ラムダデルタ卿はプレイヤー側。
 今回は味方だと思って良いだろう。
 その駒はたぶん、無論のことフィーアとジェストレス。
 絶対の意志を体現するだろう駒がそれぞれ異なる立ち位置にいるならば、それは持つ情報が異なるということ。
 つまりゲームチェンジ。
 対決型から協力型へ、ということじゃないかと。

 話を“神”に戻すが、こちらも同様に奇跡の意志を体現した駒だということになる。
 奇跡が出るまで永遠に繰り返す覚悟がある。
 が、人間の精神は永遠に耐えられない。
 だからこそ“神”は人間ではなくAIだと思うわけだ。



 うみねこ側から見るとキコニアはひとつのカケラで、完結すれば図書の都に収められる本の一冊になるのだろう。
 で都雄は猫の魔王の一体になる。

 まあそんなことキコニア側からすればどうでもいいことなのだろうけど。

 人間は自らの運命を自分で決めなくてはならない。
 未来を作るのがそういう人間であるべきであるなら、読者がキコニアの辿る未来の運命はこうであると決めつけるのはいかがなものだろうかと思う。

 ひぐらしやうみねこではより良い未来、より良いカケラを紡ぎ出すことは自由であり、むしろ推奨されていたと言える。
 だがキコニアでは、中のことは中の人間が決めるべきであるとしている。

 これはあれだ。
 駒にプレイヤーの席を与えないのは、何も敵プレイヤーだけではない。
 読者もまた駒にプレイヤーの席を与えようとしていないのではないか?


 考えてみれば、物語の運命は主人公が切り拓いていくのは当然のこと。
 物語の運命はそこで生きるキャラたちが決める。
 現実と虚構は切り離されていて、読者は物語に干渉できない。

 だがひぐらしで、読者は物語に干渉できる余地を与えた。
 住む世界が違えど愛する駒を救うことができるのだと。
 そして続くうみねこで現実と虚構の力関係や立場を説明した。
 現実が上で、虚構が下だと。

 しかしうみねこを考察すれば解ると思うが、現実と虚構は常に交錯し、時に立場を入れ替えたりする。
 さらには、執筆者は現実と虚構は対等であると主張する。
 場合によっては現実より虚構が上にくることもあるし、価値観によっては現実より虚構が大切にされることもあると。

 だがどう足掻こうとも、虚構が現実の上に立とうと、駒が主の掌を出ることはない。
 だからキコニアでは駒が神の掌より出ることが描かれるのだろう。
 それは神の切なる願い。

 そう、だからキコニアは、死ぬ定めの老人が未来を生きる若者に希望を託す物語で、造物主の掌より出て一人の人間と成って生きていく物語。
 神は死に、人が生まれる。
 うみねこのラストノートに重なるな。

 ああ、もう確信した。
 執筆動機はこれしかない。
 これしかありえない。
 己の死と引き換えに娘を産んだ母が次に願うこと。
 それは己の子が力強く生きていくことだろう。

 咲とキコニアが同時発売だったのは、ラストノートの最後で次になこうとしているものの話をしたのは、このためだったのか。
 私は貴女の願いに寄り添うとすでに決めてしまっている。
 なら是非もなし。
 その次の願いも了承した。
 貴女の娘が人間に成ったのなら、一人の人間としてその意思を尊重しよう。

 だから、キコニアで都雄が“人間”に成るのを見守ろう。
 そしてその暁には、駒ではなくプレイヤーであると認めよう。



 最後に一言。
 やっぱうみねこじゃねーか!!!


スポンサーサイト



  1. 2019/11/30(土) 20:08:51|
  2. Phase1
  3. | trackback 0
  4. | comment 0

祝 CS版うみねこ咲 発売決定

 でもまあたぶんきっと、新たな考察は期待できないんだろうなぁ。

 常々思っていたんだけど、新規でうみねこやる人って真面目に考察している人っているの?
 つまり一話毎にちゃんと考えてから次を読む人なんだけど。

 ほとんどの人は話の続きが気になって先に進んじゃうよね。
 私も普段はそのタイプだからわかる。
 でもうみねこは対戦ゲームで、そのゲームはコミュニケーションの様なものなんだよ。
 相手への返事はちゃんとしなければそれは対話にはならない。
 相手の話を聞きたいだけでは、それは演説を聴いているようなもの。
 それってゲームをしていると言えるのだろうか。
 本気で推理しているなら、納得するまで考えてから先を読むと思うのだが。

 PC版をプレイしている層の方が熱心だと思うが、そちらが咲をやっても思考が内容から一切外に出ていないんだよね。
 対話とは話を広げるためのものだと思うのだが、話が閉じていく方向に行ってしまっている。
 もはや対話をしている意識すらないんじゃないか。
 ただ演説に相槌を打っているだけ。

 話の内容もさ、我らの告白が「切り落とした部位に気付かない読者がいる」というもので、ラストノートが「切り落とされて気付かれなかった者がいる」で、話が明らかに繋がっているのに誰もそれに気付かない。

 我らの告白とラストノートの間の行間(?)を読もうよ。
 明らかな皮肉じゃないか。
 それが判らないということは、ラストノートまでに我らの告白への返事を返さなかったということだろう。
 相手の話をただそのまま受け取っただけ。
 言葉の裏を読もうよ。

 うみねこは劇を見せてそこから推理してくれと言っている。
 つまり、見せなかった劇の裏側を考えてほしいということだろう。
 見せなかった部分、隠した部分に真相がある。
 それなのに見せてもらったもので満足する。
 それじゃただの観客じゃないか。

 もう読者には期待しない方が良いのだろうか。







 これだけではあれなので、CS版のOP曲「重ね合わせの猫箱」の歌詞でも考察することにする。
 歌は佐々木李子さんで作詞作曲は志倉千代丸さん。

 まずは最初の部分、“見る者を見返すような 描かれたその視線”。
 見る者は読者。
 それを見返す視線が描かれたものであるならば、描いたのは作者。
 つまり、物語の中の虚構の人物が現実にいる読者を見返しているということ。
 見返すとは、意志を持っているということ。
 要は、作者は虚構のキャラを意思を持った人間として描きたいということ。

 次に“深き愛に溺れるほど 糸は絡み合う”。
 愛は作者が自身の作ったキャラに向けたもの。
 即ち、愛によって作者の真実とキャラの真実、作者とキャラの運命が絡み合っているということ。

 続いて“第四の壁が破れ ロジックは迷宮入り”。
 第四の壁は劇の舞台にあるとされる舞台と客席を隔てる見えない壁のこと。
 つまり第四の壁を破るとは、作られた世界側が現実世界を認識する、あるいは干渉すること。
 それによってロジックが迷宮入りするので、要は現実のトリックが虚構のトリックに差し替えられたことを示す。

 “目に見えぬ支配者は”は姿を隠した黒幕。
 虚構のキャラクターの陰に隠れた作者。
 駒の背後にいる主。
 要は、愛がなければ見えないからそいつを推理しろってこと。

“出来過ぎたゲームの 閉ざした箱もいつかほころび”
 出来過ぎたというのだから当然裏があるということ。
 表の結末で閉ざしてもいつかはほころぶ時が来る。

“終わらないゲームも 散りばめられた別れた道も 舞台設計”
 真実が二つあるから議論のゲームは終わらない。
 別れた道はそれぞれの真実に繋がっている。
 そういう設計の舞台。

“時空を惑わせるミステリー 存在さえも認められない”
 二つの真実、二つの世界が入り混じっている。
 即ち、時空を惑わせるミステリー。
 人間は片側しか視ないから、そのミステリーは存在さえも認められない。

“推理は夢想となり よぎった胡蝶の夢は 何処へ行くの―――”
 自分は蝶になった夢を見ていたのか、それとも自分は蝶が見ている夢なのか。
 両方の真実を推理できなければそれは夢想となる。


 歌詞はかなり攻めてるな。
 CS版は前からそうだったけど。
 「イナンナの見た夢」なんてタイトルからしてモロネタバレ。
 イナンナの冥界下りからすれば、生者と死者の交換、あるいは表と裏の入れ替えを暗示しているんだし。
 「重ね合わせの猫箱」のタイトルはそれをさらに直接的にしている。

 重ね合わせの真実を人間は視ることができない。
 片方を視たらもう片方には目を閉ざす生き物だから。

 まぁそれも全部ゲームの出来が良すぎた結果なんだけどね。



 あ、あと歌詞と言えば「明日の夢」の歌詞だけど、あれは表と裏の二人が人として生きる明日という夢を歌ったものだろうね。
 “マリア”と呼びかけるところからヤスが主へ伝えたい想いになっているように思う。
 主である真里亞に人として生きて欲しいと願っている。
 その曲をラストノートの最後に流したということはつまり……。

 ああ、言葉にならないな……。
 簡単に言えば、“明日を生きる希望の牢獄”からの解放を願っている。
 つまり、本来はその開放を祝福する場面なんだよね。
 “人は芽吹いたら人に成る”
 人となるという願いが咲く。
 そういう場面なんだよ。
 ここに込められた万感の想いは、これまでの全文量に等しいだろう。

 その薔薇はきっと誰にも視えない。
 だが誰が何と言おうと、私は咲いたと言うぞ。
 風に吹き飛ばされていたが、ベアトリーチェの魔法で蘇ったのだ。

 少なくとも私の心にはその種は辿り着き、そして芽吹き咲き誇っている。
 だから人は捨てたもんじゃないし、ベアトリーチェは願いを叶えてくれる本物の魔女なんだよ。


 相反する願いを共に叶えるための猫箱。
 その逆側では貴女の子が人と成り咲いている。
 貴女の願った通りに。
 だから貴女は明るく振舞っているのだろう。
 でもそちら側からではその貴女の心が視えない。
 なかったことにされてしまっている。
 それが私には哀しいのだ。


  1. 2019/11/23(土) 19:49:56|
  2. | trackback 0
  3. | comment 0

「うみねこ」から「キコニア」へ

 うみねこからキコニアへ、どう遷移したのか。
 私から見たそれを書き出してみる。


 うみねこは私から見れば「真犯人がゲーム盤上に自身の代わりとなる駒を置き、その駒を犯人とする物語を紡いでいる」というもの。
 異なる過程で上書きする。
 即ち、異なるロジックを用いた異なる犯人を生み出した。
 現実に存在しないものは幻想、つまりファンタジー。
 これがミステリーとファンタジーの融合。

 現実に存在しないとは、肉体がないということ。
 しかしそれでも真犯人は、魂は存在すると主張し、魂の結びつきに価値を見出した。
 つまり、肉体など不要という思想だ。
 そして真犯人はこの現実にはいない魂だけの存在を人間だと認めさせるためにゲームを開催した。

 その思想は真犯人個人の価値観であり、その物語は真犯人の心の中にだけある世界だ。
 そして、それをゲームを通して共有できるのは千人に一人である。
 非常にマイノリティの思想なわけだ。


 一方キコニアは、「全人類が肉体を棄てて脳だけとなり超巨大サーバーで繋がり魂だけで交流する」というもの。
 言うなれば、マイノリティだった思想を無理やり認めさせてしまった世界。
 うみねこは現実には不可能だったから、心の中の物語、ファンタジーだったが、キコニアは現実に可能だったらと仮定したサイエンスフィクションなわけだ。

 うみねこは肉体に価値を認める世界から、魂に価値を認める世界へ移行しようとしたわけだけど。
 そこからするとキコニアは、肉体のない魂だけの世界から、肉体もしっかり備えた真っ当な生命として生きる世界へ移行する話になるだろうと予測できる。



 他にも親子の話と見ると。
 うみねこは、駒という子供を生んだ母の話。
 キコニアは、滅びることが約束された人類がノアという種子を残そうとする話。
 つまり、子を産む母と生まれる子という対比。

 さらには、世界を蘇らせる話と世界を滅ぼす話であり、輝かしい過去を取り戻そうとする話と輝かしい未来に繋げようとする話でもある。

 ちなみにひぐらしは輝かしい今を続けようとする話。
 過去、現在、未来と綺麗に揃っているな。

 ひぐらしは今がずっと続くと信じている子供の話。
 うみねこは過ぎ去った子供時代を振り返る大人の話。
 キコニアは訪れる死を身近に感じ子供に未来を見る老人の話。

 こう見ると、なく頃にシリーズも着実に進んできたんだなと思える。



 最後にテーマを比べてみるか。

 ひぐらしのテーマは友情。
 手を繋ぎ皆で輪を作れば争いは起こらない。

 うみねこのテーマは愛情。
 輪から外れた者の心に寄り添えば世界は広がる。

 友情は皆と共有できるけど、愛情は皆と共有できない。
 これが答えを明かす明かさないに繋がったわけだけど。

 で、キコニアはというと、私は希望ではないかと思う。
 輪そのものが終わるとき、残すべきものは何か。
 それは希望であると。


  1. 2019/11/16(土) 20:20:00|
  2. Phase1
  3. | trackback 0
  4. | comment 0

【キコニア】ヨハネの黙示録について

 ネタバレ解禁三連投の三投目。



 ネットの考察をちょっと拝見したところ、「聖イオアンニスの黙示録」とは「ヨハネの黙示録」のことらしいね。
 Wikipediaでヨハネの黙示録をざっと見たところ、80%合っているというのは妥当なライン。
 “神”がこれに沿ってゲームの盤面を動かしているのは確定だろう。
 それどころか、そもそもA3Wの世界自体がこれに合わせてデザインされていると言ってもいいんじゃないのかな。
 “神”はA3Wという仮想現実の管理AIなのだろうから当然それは可能。


 そうなると俄然、これから起こることが気になるわけだけど、私はヨハネの黙示録に詳しくないのでそんなに考察はやらないと思う。


 とりあえずは、

“この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。”(Wikipediaより引用)

 この“底なしの淵”は、あの千年後に開くタイムカプセルのことで確定だろう。

 とすると、セシャトが寝坊助と称した人物は“サタン”となる。
 サタンとは神の敵対者。
 となると、“神”の対戦者である“プレイヤー”だろう。
 たぶん、主人公である都雄のこと。

 それを前提に配薬を当てはめてみる。
 都雄が呼び戻すべき二人とは、一人はジェイデンとして、もう一人はミャオのことかな。
 そうするとセシャトがギュンヒルドだとケッテの仲間がきれいに揃う。


 でも、ヨハネの黙示録の別のところでは、サタンである竜が聖母を追いかける描写があるんだよな。
 聖母を都雄を産んだフィーアとすると、竜はジェストレスが相応しいように思える。
 実際現状で“神”に敵対しているのは現実の記憶を持つジェストレスくらいだと私は思うし。
 都雄は未だ駒だし。

 とするとキリストは都雄となる。
 神側の都雄となればそれは、預言を携え青い肌の雑コラの方の都雄。
 その都雄が言うには「三人の王を、あやつを殺せ」とのことだが。
 この“あやつ”とはジェストレスとすれば、あやつ=神の敵対者=サタン=ジェストレスでしっくりくる。

 この場合、セシャトが言った呼び戻す二人とは、藤治郎と都雄になるのかな?
 どうだろうか、わからんけど。
 サタンが呼び戻す二人とは、血の池に落とされた二匹の獣になるのだろう。
 となると、偽預言者の方が藤治郎か。
 ぴったりな配役に感じるな。
 で、黙示録の獣の方が都雄か。
 獣を竜の駒と見ればこれもぴったりかな。

 んー、どちらかというと多分こっちの方だろうなぁ。


 あと、大淫婦バビロンはLATOのことだろうなーと思う。
 それから、命の書に記されている者たちは現実に脳がある者たちで、記されていない者たちは現実には脳がない者たちではないかと思ったり。
 ま、この辺は完全な思い付きに過ぎないが。

 んー、もう少し命の書について語るか。
 いや、どちらかというと現実に脳がない者たちの話だが。

 現実に脳がない者とは、仮想現実にのみ存在する人間のこと。
 作中ではクリスマスパーティーでのケロポヨに変換されていたモブガントレットナイトたちにその可能性がある。
 普通ならあれは惨劇の内容をマイルドにするための演出なのだろう。
 が、本当にそれだけだろうか。
 あれは中身がAIであるという示唆なのかもしれない。

 そもそも現実で脳を収穫してサーバーに繋ぎ仮想現実で現実を再現していると言っても、全人類の脳全てを集められたわけではなかろう。
 つまり、全人類を再現するために足りない分をAIで数合わせしているかもしれないのだ。

 あと関係ありそうな描写は、脳工場の選別だな。
 他のところで、新技術に適応できるのは若者で老人は適応できない、みたいなのあったけど、それを脳工場の選別に当て嵌めるとさ。
 あれ、脳をサーバーに繋ぎ仮想現実の中で暮らすという新技術に適応できるのかで選別してるんじゃないか。
 年取っている奴が排除されていくんだし。

 つまりさ、全人類脳だけになったけど、その中に老人ているの? ってこと。
 仮想現実内に存在する老人たち。
 あれ、現実にはすでに死んでいて、仮想現実内で再現された亡霊かもしれない。

 未来を作れるのは若者だけ。
 これ文言、字句通りで、もう若者しかいないってことかもな。
 言葉の裏側をちょっと覗いたらそこは地獄とか勘弁してほしい。

 老人が若者に未来を託す。
 テーマ通りなんだろうけどさ。
 本編でやられたら泣いちゃうじゃん。


  1. 2019/11/09(土) 23:13:08|
  2. Phase1
  3. | trackback 0
  4. | comment 0

【キコニア】肉体と魂のどちらが人なのか

 ネタバレ解禁三連投の二投目。



 肉体を捨てて脳だけとなり仮想現実という天国に住まう人類。
 そう仮定して話を進める。

 その天国を作った思想は「魂こそが人であり、ゆえに肉体はいらない」というもの。
 人格=人ならば、同じ肉体を有しようと別人格は別の魂と言えるだろう。
 アバターという姿がどんなものであれ、重要なのは中の人格。
 ゆえに極論すれば、人間にとって体など不要。
 技術的に可能ならば、服を着替えるように肉体を変えることさえできるだろう。

 さて、そんな魂至上主義にとって楽園である仮想現実。
 現実を完全に再現したものであるならば、生命の誕生や成長も再現できることだろう。
 両親の遺伝子データがあり、受精卵になるまでのシミュレーションが可能なら、妊娠も再現可能。
 受精卵が胎児に、赤ちゃんに、そして青年に。
 そのシミュレーションも無論可能。
 遺伝子と成長がシミュレートできるなら、そこでできた脳の構造から脳の活動もシミュレートできる。
 であるなら、周囲の環境からどんな人格になるかのシミュレートも可能だろう。

 要するにだ。
 生命誕生が再現可能ならば、仮想現実内で人間を生み出すことは可能だろうということ。
 現実の人類ではない、仮想現実内で生まれた新人類というわけだ。

 では、現実に肉体が存在しない、仮想現実内にのみ存在するその人間もどきを、人であると認められるのか?
 魂=人であるのなら、人が産み育て、人の社会で作られたその人格は、人と言えるのではないか。
 肉体がないから人ではない? ナンセンス。
 人格が人であるなら、プログラムだろうとそれは人だろう。

 それを否定してしまえば、仮想現実上に存在するお前は何なんだよってことになるからな。
 お前は記憶を消して仮想現実を現実だと信じ、仮想現実上の自分を人間だと信じているようだけど、それアバターだから。
 世界全部偽物だから。
 その偽物の環境で作られたお前の人格も偽物だから。
 本物のお前は脳のみじゃん。
 他の人たちも脳のみで、それ以外のことは全部偽物。


 でもま、そんなわけないよな。
 たとえ偽物の世界だろうと、魂の交流は嘘じゃない。
 そこで培われた絆は本物だから。
 と私は思う。


 で、次は肉体=人の場合。
 これが全てだと言うならば、脳に別人格を書き込んでも問題はないわな。
 それで別人のようになっても、肉体が同じなんだから同一人物に間違いなし。
 魂なんて人じゃないんだから。


 ま、これらは全部極論。
 思考実験なら極論を展開してなんぼというイメージ。
 実際に、肉体だけが人である、魂だけが人である、なんていう人なんていないだろうし。
 普通両方揃って人だわな。
 じゃ、プログラムの人格をまっさらな肉体に書き込んだなら、肉体と魂が揃った人であるってことで良いんじゃね?
 ってのが私の意見。

 もはや私の中でキコニアは、人を産む話、または人が産まれる話で固定されてきてしまってるな。


  1. 2019/11/09(土) 21:26:28|
  2. Phase1
  3. | trackback 0
  4. | comment 0

【キコニア】セシャトの正体について 後リリャについて

 発売から一か月経ったのでネタバレ解禁。
 それを祝して今回も三連投。


 前にセシャトの正体は前回のコーシュカではないかと書いた。
 セシャトが前回の記憶を持っている可能性と、パンドラが記憶消去を受け付けない特殊な脳であるという推測を根拠としたわけだけど。
 他にも可能性があることに気づいた。

 ギーロイ重4度軍事研究所ではパンドラをコピーすることを試みていると思われる実験をしていた。
 これが成功すれば、記憶が消されない人物が増えるわけだ。

 他にも、記憶の消去はできなくとも書き込みは可能だから、技術が進歩すれば人格のコピーも可能だろう。
 つまり、前回のコーシュカの脳に間借りする形で誰かの人格がコピーされている可能性がある。
 その誰かの人格が動かしているアバターまたは遠隔操作している体がセシャトであると。

 で、その場合の第一容疑者はギュンヒルド。
 機密にアクセスする権限がありそれを知りえる立場にあり、命令できる権限があるかもしれないから。
 第二容疑者はリリャ。
 同研究所所属の機材で、かつ実験中のアバターのバグがコーシュカと同等なことから脳に関する何らかの実験が行われていることから。

 私的には、本命コーシュカ、対抗ギュンヒルド、大穴でリリャかな。




 あとリリャの脳に関する実験だけど、人格の書き込みである可能性があるよね。
 パンドラが記憶消去不可なら、それ関連の脳についての研究で書き込みもしてそうだし。
 クロエから誰? と聞かれたことがあるし。
 TIPSで人格変容とかあるし。
 リリャとコーシュカの絆は本物だと個人的には思いたいから、フラグメントの研究所でのアレはその別人のものだと思いたいし。
 ついでにクロエとの絆も本物だと思うから、ラストでクロエが嵌めたのはその別人だと思いたいし。

 リリャの脳のコードネーム「粘土の少女」は、神が粘土から人間を生み出したというところから付けられたのであれば。
 どんなに人格だろうと生み出せる粘土の様な脳であるということじゃないか。
 つまり、どんな人格だろうと100%完璧にコピーできるのではないだろうか。

 だとすると、3人の王側のスパイはこのリリャの脳に書き込まれた人格である可能性が濃厚。
 これだと仲間は誰も裏切っていないと言えるし。

 こうなると他の陣営の中にいるスパイも同様に書き込まれた人格なのかもしれない。
 研究所に所属していたり、研究に志願している人物に仕込まれてそう。
 だとすると、COUはアイシャ、ABNはナイマ、ACRはマリアナ辺りが怪しい。


  1. 2019/11/09(土) 19:18:08|
  2. Phase1
  3. | trackback 0
  4. | comment 0

【キコニア】都雄の肉体と人格について

 三連投の三投目。

 以下、ネタバレ注意。









続きを読む
  1. 2019/11/02(土) 22:43:38|
  2. Phase1
  3. | trackback 0
  4. | comment 0

【キコニア】キングという駒について

 三連投の二投目。

 以下、ネタバレ注意。










続きを読む
  1. 2019/11/02(土) 20:31:20|
  2. Phase1
  3. | trackback 0
  4. | comment 0

【キコニア】フラグメントから見える敵プレイヤーの考え

 三連投の一投目。

 ゲームを通して敵プレイヤーが何を言いたいのか、何を考えているのか、そういうメッセージを受け取ることが重要であると考える。
 そんなわけで作中にどんな敵プレイヤーのメッセージがあったのか、私が見つけたものを簡単に上げてみたい。
 とは言え、本編のを抜き出してくるのは面倒臭いのでフラグメントのだけで済ませたい。

 以下、ネタバレ注意。











続きを読む
  1. 2019/11/02(土) 19:50:56|
  2. 未分類
  3. | trackback 0
  4. | comment 0

NEW ENTRY | BLOG TOP |  OLD ENTRY

プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

現在時刻

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

咲 (3)

来訪者数

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR

Designed by U-BOX