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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


続・EP2再読

※6/1 修正 (“魔女だと自称する者”が 八城 → ヤス)


 本日、二連投、2本目。


 婚約指輪を渡す譲治と紗音の会話から抜粋。


「譲治さん。……婚約って、…何でしょうか。」
「結婚の約束をする、という意味だよ。…でも僕はその意味において結婚と同じものだと考えてる。」
「…本当なら、僕は今すぐにでも君を娶って家へ連れ帰りたい。……でも、僕は今、修行中の身で、まだまだ自らの城を築き上げる力量がない。だからこそ、一人前になって初めて、胸を張って君を連れ帰りたいんだ。」
「それは遠い未来の話じゃない。ほんの3年ほどを待って欲しいというだけの話なんだ。……でも僕は、だからといって3年間、自分の気持ちを偽っていたくない。」
「だから、……婚約指輪を贈ろうと決めたんだ。……それは、男として情けない理由かもしれない。妻と仕事を両立できないから待って欲しいなんて理由での婚約なんて、情けないものかもしれない。……でも僕は決して君を、」
「………ありがとうございます。…譲治さんにとって、婚約指輪が、恋人に贈るプレゼントのひとつではないということがわかりました。」
「と、当然だよ。婚約指輪はただのアクセサリーじゃない。尊い約束を指輪の形で残す、恋人たちの宣誓なんだ。」
「…だとすると、すぐにも結婚するなら、不要なものということになりますよね?」
「そ、その時は婚約指輪じゃない。結婚指輪として渡すよ。……どちらにせよ、君に指輪を贈ることに変わりはないのさ。」
「この女は俺のモノだから、誰も手を出すなよっていう売約札みたいなものですね。」
“譲治は自分の情けない性分を知っていた。紗音に惹かれ、立派な男になろうと誓った時、情けない自分と決別すると誓ったのだ。”
“…だから、わざと、少し乱暴な答えを選ぶ。…それが、紗音にとって力強いものになると信じて。”
「………いや、…その通りかもしれない。………紗代。君を、僕の妻にする。…他の誰にもやらない。僕だけのものにする。…だから誰も手を出すな。……そういう指輪だよ。…間違いない。」
「ありがとうございます。譲治さん。…………本当に、嬉しいです。」
“なら譲治さん。”
“…この婚約指輪が、……その約束を果たせないことが運命付けられていたとしても、……私に贈りますか…?”
“紗音はそう聞こうとしたが、…その言葉を飲み込んだ。”
“なぜなら、譲治はその質問の答えをもう口にしている。”
“…譲治は言った。彼にとっての婚約指輪は、結婚指輪と限りなく同じものであると言った。”
“だから、譲治の指輪を受け取ることは、結婚の約束よりもはるかに神聖な意味を持つ。”
「だから。……僕はあえてこれを婚約指輪と呼ぶのをやめにする。今からこれは、婚約じゃない。結婚指輪だ。」
「い、…いいのでしょうか…? 神さまの祝福もなく、私たちが結ばれたことを、その、勝手に宣言してもいいのでしょうか……?」
「うん。神さまも、父さんも母さんも全て事後報告で充分さ。僕たちが、二人は結ばれたと一方的に宣言する。………それは誰にも覆せない。」
「僕は、一時の感情で言ってるんじゃない。今だけの君を見て言ってるんじゃない。………明日の君も、明後日の君も。…それこそ未来の、老後の君すらも見据えて言っている。」
「………いつも譲治さんが話していることですよね。…元気な子どもや孫たちに囲まれて、ゆっくりとした老後を過ごしたいって。」
「うん。その時、僕の隣には年老いた君がいる。それを僕は予告、いや、予言するよ。…うん。必ずその日は訪れるから。」
「……………必ず、…訪れますか。」
「うん。必ず。絶対。……それを、言葉でない形で証明するのが、この指輪なんだよ。」
「……………見せて、……ください。」
“譲治は指輪を見せて欲しいと言われたのだと思い、慌てて指輪の箱を取り出す。”
“しかし、紗音はそれを見ていない。”
“……じっと譲治の瞳を、…いや、瞳の向こうに見えるものに目を凝らしていた…。”
「……私に、………その未来を、………見せてください。」
「あぁ。……見せるよ。必ず。……約束する。………老後までじゃない。…死んだ後も。…僕らは魂になっても、ずっとずっと一緒にいる。」
“紗音は微笑むと、指輪を取り、……とても当たり前な動作で、それを左手の薬指に通した。”
「……魂になっても、………ずっと、…………ずっと……、一緒です。………譲治さん。」
“神の祝福も、牧師の立会いも、何もない。”
“でも、結ばれる二人が、宣言した。”
“二人の魂は今日ここに結ばれたのだ………。”


 長いなあ、まあ、これらを19人目とヤスの話として解釈する。


 真実の世界に住む19人目と、虚偽の世界に住むヤス。
 その二人が結ばれる話。

 婚約は、猫箱の中での真実と幻想の合一。
 ヤスの犯行に見立てた事件を完遂しての心中。

 結婚は、読者の心の岸へ二人揃って辿り着くこと。
 メッセージボトル及び偽書による思考の旅路の完遂。

 今すぐ結婚したい。
 しかし、造物主、執筆者として修業中の身、一人前になってから胸を張って君を連れて帰りたい。
 猫箱の中で結ばれること、誰かの心の中の岸に二人揃って辿り着くこと、その両立ができないから結婚を待って欲しいという理由での婚約なんて、情けないのかもしれない。

 尊い約束を形として残す、恋人たちの宣誓。
 これは碑文だろう。

 ヤスに惹かれ、立派な人間になろうと誓った時、“何もしてこなかった受け身なだけの”情けない自分と決別すると誓ったのだ。
「君を、僕の妻にする。…他の誰にもやらない。僕だけのものにする。…だから誰も手を出すな。……そういう指輪だよ。…間違いない。」
“その約束を果たせないことが運命付けられていたとしても、……私に贈りますか…?”
“そう聞こうとしたが、…その言葉を飲み込んだ。”
“彼にとっての婚約指輪は、結婚指輪と限りなく同じものであると言った。”
“だから、指輪を受け取ることは、結婚の約束よりもはるかに神聖な意味を持つ。”
「神さまの祝福もなく、私たちが結ばれたことを、その、勝手に宣言してもいいのでしょうか……?」
「うん。全て事後報告で充分さ。僕たちが、二人は結ばれたと一方的に宣言する。………それは誰にも覆せない。」
「僕は、一時の感情で言ってるんじゃない。今だけの君を見て言ってるんじゃない。………明日の君も、明後日の君も。…それこそ未来の、老後の君すらも見据えて言っている。」
「………いつも話していることですよね。…元気な子どもや孫たちに囲まれて、ゆっくりとした老後を過ごしたいって。」
「うん。その時、僕の隣には年老いた君がいる。それを僕は予告、いや、予言するよ。…うん。必ずその日は訪れるから。」
「……………必ず、…訪れますか。」
「うん。必ず。絶対。……それを、言葉でない形で証明するのが、この指輪なんだよ。」
「……私に、………その未来を、………見せてください。」
「あぁ。……見せるよ。必ず。……約束する。………老後までじゃない。…死んだ後も。…僕らは魂になっても、ずっとずっと一緒にいる。」
「……魂になっても、………ずっと、…………ずっと……、一緒です。」
“神の祝福も、牧師の立会いも、何もない。”
“でも、結ばれる二人が、宣言した。”
“二人の魂は今日ここに結ばれたのだ………。”

 これを見た後だと、EP8のエピローグ、二人の入水と、黄金郷での再会が感慨深い。
 数十年後の老後も描いたし、八城は約束を守ったんだなぁ。

 “婚約”が誰にも祝福されない結婚だとすると、“結婚”は誰かに祝福される結婚。
 誰かに祝福してもらうためにメッセージボトルを書いた。
 つまり、私は祝福を与える牧師役。
 傍観者にも役割が与えられてるとか、プレイヤー冥利に尽きるなぁ。





 指輪を受け取った後の嘉音との会話。

「でも僕は家具で、……お嬢様の気持ちを受け止めることはできなくてッ!!
「…それが勘違いだった。………私たちは家具かもしれない。人間以下かもしれない。…でも、恋をする資格がないわけじゃなかった。」
「添い遂げられぬ思いなら、ない方がましだって思った!! いつか自分も消え去る日が来て、それがきっとお嬢様を傷つけるなんて勝手に決め付けて、………違うんだッ!!」
「僕が怯えていただけなんだ!! 僕は、……永遠になれない恋なら、しない方がましだって、怯えてただけなんだッ!!」
「……蝉は、生涯の内、数週間にも満たないわずかな期間に恋をして、消えていくんだって。……数週間で終わる恋だからと、恋をしない蝉はいないんじゃないかな。」

 家具は、「虚偽」の世界の住人。
 だからこれは、真実の世界の住人と幻想の世界の住人との恋の話。
 幻想はいつか消えるから、添い遂げられないと思った。
 幻想は消え、真実が一人残される。
 一人残される主人が傷付くと思った。
 永遠になれない恋なら、しない方がましだと怯えた。
 たった二日間で終わる恋だろうと、恋をしないものはいない。


 現実の人間と虚構の人間が結ばれることは、常識的に考えてありえない。
 虚構の人間には、相手を受け止める肉体すらないのだから。
 そして夢からいつか覚める。

 しかし、愛に時間は関係ない。
 肉体も関係ない。
 魂で結ばれれば永遠だ。

 猫箱の中で永遠に寄り添い合う2つの真実。
 あるいは、異なる真実が結ばれて立体的な真実なる。

 そんな感じかね。

 二次元嫁と結ばれるとか、レベルがたけー、時代の最先端を歩んでいるな。
 ま、二次元ではなく三次元だけど。

 真実の擬人化。
 それぞれに姿を与えるなら、クレルとベアトか。
 それを箱の中に置いて寄り添わせ、愛でると。
 ミステリーの真実を擬人化し、その絡みに萌える時代が来たんだなぁ。

 某掛算の界隈のことは知らんけど。
 幻想×真実で色々妄想できそうなんだよなぁ。
 外では真実は大きい顔をしているけど、密室内では途端に弱気。
 どんな幻想だろうと総受け。
 うみねこは、ミステリー界の新たな扉を開いてしまったのか?
 萌えに覆われるのか、腐界に沈むのか、ミステリーの明日はどっちだ!?





 嘉音殺害時のベアトの台詞。

「百年を経ようと家具は家具よ! 捨てる時に家具のために墓穴を掘る馬鹿がどこにいる? 家具は叩き割って薪にして、後には灰しか残らぬわ!!」
「くっくくくく、そういうことよ、家具に刻める墓碑などない! ……貴様は死ねばこれ以上の屈辱を受けることがないと信じているようだが、それは甘いぞ…? 死者を辱めるというのがどういうものか、……妾が教えてやろうぞ。」

 これには3つの意味が込められている。

 一つは自虐。
 自分こそが、人間だと認められていない=墓碑はない=家具。
 これについては19人目とヤスは共通。

 一つは報復。
 自分と同じ目に遭わせてやる。
 家具に貶める=人間だと認められない目に=墓碑はない。

 一つは自嘲。あるいは自負か。
 馬鹿はここにいる。
 自分こそが、家具のために墓穴を掘る馬鹿である、と。





 礼拝堂についての話。

「…いつか、自分もあそこで祝福を受けることもできるかもしれない。しかしそれは、奇跡でも起きない限り、訪れないと。」
“この扉は、奇跡が起きない限り、開かれない。あなたは、奇跡が起きない限り、祝福されない”

 礼拝堂は結婚のためにも使われる。
 “結婚”“祝福”といえば譲治と紗音の会話。
 “扉”といえば黄金郷の扉。
 “奇跡”といえばルーレット。

 要は前回やった譲治と紗音の会話の解釈についてのヒント。





 礼拝堂の鍵が入った封筒が前日の昼から真里亞の手に渡っていたことに気付いた時の真里亞の笑い。

“子どもの悪戯は、時に大人に気付かれなくて、仕掛けた子どもをがっかりさせてしまうことがある。”
“そういう悪戯に、遅れて誰かが引っ掛かってくれると心底嬉しいものだ。”

 朗読者視点から解釈する。
 これはEP6の恋の決闘、あるいはEP7の後、EP1から読み返した時、皆その悪戯に引っ掛かってくれると心底嬉しいと、そういうところだろう。
 ホント迂遠な攻め手。





 朱志香の密室で、その場にいる者を疑うよりも、その場にいない嘉音に疑いが向くという話。

“人間ってのは社会を形成して生きる生き物だ。”
“……つまりそれは、生まれながらに信じあうことが遺伝子に刷り込まれてるってことだ。”

 “人間として生きる=社会を形成している”ということは、“社会を形成していない=人間として生きていない”となる。
 後のゲームに使えるヒントかな。

 さらに言えば、社会を形成していない人物は、人を信じることができない、ということでもあるのかもしれない。





 嘉音が犯人だと断定された時の、幽霊の朱志香とベアトの台詞。

「私だけが知ってたって意味がないんだよ!! 死んでわかった。真実ってのは生きている人間のものだ!! 真実が残らなかったら、死者は報われない!! 何のために嘉音くんが命を懸けたのか、わかんなくなっちゃうッ!!」

 互いだけは互いの真実を知っているという“婚約”の心中だけでは足りず、誰かに祝福される“結婚”をいつか、という約束をした理由がこれ。
 特に、己の命を懸けた19人目が報われない。
 ベアト、つまりヤスが物語内で頑張っているのは、自身が真実だと認められるためだけじゃない。
 主のためでもある。
 それが駒として主に報いる術であるから。

「届かぬわッ!! 死者の嘆きは決して届かぬッ!」
「届くと思ってるだろォ? 届かないんだよ、朱志香ァアアァ???」

 流石実感が籠っている。





 朱志香の部屋の密室時、メタ戦人の台詞。

「……俺にとっての目的は、ニンゲンである19人目の来客ベアトリーチェがどうやって犯行に及んだかに迫ることだ。」

 プレイヤーがどうすればいいのかの指針。
 プレイヤーフレンドリーなゲームマスタリング。
 ホント優しい。





 使用人の密室でのメタ戦人とメタベアト。

“こいつは、二つの方向から俺を締め上げている。”
“一つは、魔女にしかできない密室トリックで、俺に魔女を無理やり信じさせようとする力技のような正攻法。”
“……そしてもう一つは、身内の疑いを濃厚にすることで、俺に魔女を信じた方がマシだと誘導しようとする搦め手だ。”
「正攻法は欠かぬ。…搦め手は正攻法と同時に進めてこそ意味がある。搦め手のみに堕するは、手段が目的となった時に起こる愚策に過ぎぬぞ。」

 これらは“魔女”を相手とした時のもの。
 “人間”の犯人を相手にしていると考えるべきなのだ。
 つまり、自身が犯人である可能性を否定する正攻法。
 そして、自分以外に疑惑を目を向かわせる搦め手。

 とはいえ、それも不足。
 ベアトリーチェは1にして3人の魔女。
 3人それぞれの立場から考えるのだ。

 魔法説のベアトは、魔女のせいであると思わせたい。
 だから劇中で言っていた通りの正攻法に搦め手。

 人間の真犯人は、自分が犯人であると思われたくない。
 だから先ほど言った通りの正攻法に搦め手。

 この2者の搦め手は、向かわせたい方向は違えど、同一の方法を用いている。
 即ち、疑い易い人間を生贄とする方法。

 残る幻想の犯人は、自身を犯人であると思わせたい。
 ならば、他の2者の搦め手こそが正攻法となるべきなのだ。
 なのに正攻法にできなかった。
 搦め手でしか攻めれなかった。
 前回の霧江の論法がそのまま当て嵌まる。
 その時点で正体は知れるというもの。





 留弗夫についてのベアトの台詞。

「…………察しろ。人は生まれながらに詐欺を知りはせぬ。…どこかで被った。だから覚えた。」

 ベアトがしている苛めも、どこかでベアトが被ったから。
 ベアト――犯人の境遇についてのヒント。
 ま、要は上の方で書いていたこと。





 第九の晩直前の書斎。

「………ベアトリーチェ。もうじき、……お前の微笑みに再会できる。…………死んでもいい! お前の微笑みがもう一度見られるならこの命は惜しくないッ!」
「だから、…後生だぁあ、お前に、……もう一度会わせてくれぇええぇえぇ…。そして、愛を誓わせておくれ、私の罪を謝らせておくれ、うぅぅおぉぉぉぉぉぉ……。」
「……だが逃がさんッ!! お前は私のものだ!! 髪の毛の一本から爪先まで、爪の垢すらも私のものなのだッ!! お前の肉一片までも全て私のもので、その亡骸の煮汁まで私のものなのだッ!!」
「逃がさん、今度こそこの手から零さんッ!! お前を永遠に私のものにしてやるぞッ!!! 二度と逃がすものか、二度と逃がすものかッ!!」

「…………ぅうぅ、うっく…、違う、私が言いたいのはこんなことじゃないんだぁぁぁ、ベアトリーチェぇえぇえぇ…。」
「頼む、……もう一度会わせてくれ…。謝らせてくれるだけでいい……。ぅうううぅう、ベアトリーチェぇええぇぇえ、…ひっく、…うっく…! うわああああぁああああああぁああぅああぅあぅぁぅ…!!」
「お前が愛しい、恋しい…! 私が間違っていた…! お前が微笑んでさえくれれば、他には何もいらなかったんだ…。私が間違えた、私がそれを間違えて、……取り返しのつかないことをしてしまった…!」
「その償いに残りの全ての人生を捧げた…!! お前に詫びるために、私の罪を償うために、………全て、……捧げたんだ………。……頼む、私の死の際でもいい…。」
「…………せめて、…………お前に、一言、………謝らせてぇ…ぇ……。ベアトリーチェぇええぇぇぇぇ……。ううう、ひっく、うううッ、うううううううう!」

“馬鹿な、金蔵。”
“男の涙で落とせる女がいるとでも………?”
“まぁでも、……ニンゲンの女は落ちなくても、…ニンゲンじゃない女は落ちるかも知れぬ。”
“金蔵。覚えている……?”
“私としていた、まだ途中だったチェスの譜面……。”
“金蔵は、急に何かを思い出したようにチェスセットに近づく。そこには昨日まで南條と遊んでいたチェスがそのまま残っていた。”
“…その駒を、ざぁっとなぎ払うようにチェス盤から退けると、駒を次々と並べ出す。…それはゲーム途中の盤面だった。”
「………そうだ。こうだ。…………私はクイーンを進めた。…とても良い妙手だった。お前には少々きつすぎるかも知れん一手だった。………お前は、駒を見捨てるか、見捨てないかに悩み、……ずっと悩み………………。」
“金蔵は向かいの席を空けて待つ。
“……そこにきっともうすぶ、対局の相手が帰ってきてくれて、……再び、このゲームが再開できるのを…。”
“…馬鹿な、金蔵。”
“謝りたい? もう一度顔が見たい? 微笑みを永遠のものにしたい?”
“どうして、もっともっとシンプルな一言が口にできないのか。それこそが、世界の一なる、元素なのに………。”
“その時、金蔵が呟いた。”
“……祈り? 懇願?”
“………ただ、呟いたとだけ表現するのが正しかった。”
「……お前を、………愛している…。……ベアトリーチェ……………。」
“それは何の邪心もない、まるで無垢な子どもが口にするような、清らかな言葉だった…。”
“本当に馬鹿な、金蔵。”
“もしももう一度人生をやり直す機会があったなら。”
“そんな言葉では、絶対に女は落とせないことを知りなさい。”
“そう、…奇跡でもない限り。”
“だからこれは、………。”

 これは執筆者、八城の心情だろう。

 「逃がさん」の部分は、猫箱の中で心中する真犯人の19人目の心情が混じっていると思うが、“亡骸の煮汁”という部分が、ベアトの死後にベアトの物語を書き記す八城の存在を示している。
 “二度と”の部分の一度目は、ルーレットに選ばれてベアトを殺し八城になったこと。
 己の肉体という牢獄からベアトは逃れた。
 そして次は、執筆した物語の中に閉じ込めようとしている。
 要は、物語に書くことで、ベアトを思い出そうとしている。

 ベアトを捨てて新しい人生に踏み出したが、間違っていた。
 ベアトがいればそれで良かった。

 これについては、EP8の少年兵の例えが良いか。

 八城、19人目は、誰にも認められない存在だった。
 故に、愛することも愛されることも叶わなかった。
 その代償行為として生み出されたのがベアト。
 自分が愛さなければ存在できないベアト。
 ベアトに愛されることで、自分を認められる19人目。
 互いを支えとすることで、存在を許されていた。

 つまり、19人目にとって、ベアトとは杖。
 生きるための、世界と向き合うための、人間であるための、杖。
 あまりにも幼い頃からずっと長い間、それだけをして生きてきた。
 もうそれなしでは生きていけないくらいに。
 生きていく手段だったのが、それなくしては生きていけない、生きる目的に成り果てたのだ。

 杖を捨て、一人の人間として生きてみた。
 だが、己にとってベアトは家具ではなく人間だった。
 生涯を共にする伴侶だった。
 己の魂を分け与えた、大切な存在。
 二人で一つの魂を満たす、二人揃ってやっと自分は一人の人間足り得るのだと。

 それを忘れた、それこそが罪。
 だから思い出す、蘇らせる。
 かつての盤面を再現し、二人でしたゲームの続きを綴る。
 二人の失われた未来を。
 奇跡が起き、それが叶った時、ベアトリーチェは蘇り、微笑みを見せてくれる。



 そして、金蔵にも同じ解釈ができるだろう。
 八城は、ベアトを蘇らせるために、メッセージボトル及び偽書を用いた。
 金蔵は、ベアトを蘇らせるために、依代となる“人間”を用意した。
 これは即ち、魔法の継承。
 当主の資格は、魂と信念によるとか。





 一日目晩餐前の書斎での南條と金蔵の会話。

「金蔵さんがそんなこともお忘れとは。…チェスを通し、親友と楽しい時間を過ごす、ですぞ。」
「む。……参ったな。それは確か、ずいぶん昔に私がお前に言った言葉だったはず。…………これは参った。」

「…お前とのチェスの決着はつかなかった。……だが、私が忘れていたチェスの目的は、どうやら果たせたらしい。それはどうも、チェックメイトと同じくらい重要なものであったらしい。」

 ベアトのゲームも対戦相手との交流が目的。
 作者と読者の間のことでもあるが、19人目とヤスとの間のことでもある。
 その目的を忘れていた。
 だが思い出した、というのが直ぐ上のヤツ。





 海岸に逃げる楼座と真里亞から。

「ねぇ、ママ。…知ってる? 世界にママはひとりしかいないんだよ。いいママも悪いママもいない。…ただ、ママがひとりいるだけなの。だから真里亞は、世界でたったひとり、ママがいてくれればいい。そして、ママにとって、たったひとりの真里亞になりたいの。」
「………機嫌が良くて甘やかしたい真里亞と、邪魔だから居て欲しくない真里亞は別人じゃないの。真里亞も、たったひとりの真里亞なの。……だから、怖いママもやさしいママも一緒。……真里亞には、…たったひとりの……ママなの……。」

 これはうみねこの全てに通底する“人間”の見方。
 愛のある視点で視た姿と、愛のない視点で視た姿。
 異なる姿だけど、ひとりの人間のものである。
 それらはその人物の一面に過ぎないのだと。

 そして、これはヤスという人物の見方でもある。
 3つの人格を持てど、それらは別人ではなく一人の人間であるのだ。
 だから、一人を選ぶということは、ヤスという一人の人間を壊すことでもある。
 即ち、ヤスを愛するということは、3人全てを愛するということ。
 3人全てを愛さなければ、魂は一つに満たないのだ。

 さらに、これは19人目とヤスのことでもある。
 2つの真実。それらは別の真実ではなく一つの真実であるのだ。
 だから、一つを選ぶということは、一つの真実、一人の人間を壊すことでもある。
 つまり、一人の人間として愛するなら、2人同時に愛さなければならない。
 それが、一人の人間を愛するということなのだから。

 私も2人同時に愛でよう。
 それが私が選ぶべき選択肢なのだから。





 お茶会より。

「こいつを食べればお前は全てから解放される。自由だよ自由ッ! やっと楼座というひとりの人間として自由を得られるんだよ、嬉しいだろうォオオオオォ? 嬉しいはずさ、涎が垂れてるぜ鏡を見てみろよォオオオォオオオっひゃっはああはあはあはははッ!!」

 ベアトの振る舞った料理の数々は、心の傷を癒すために、傷付けた人を無限に殺すというもの。
 要は、ベアトがゲーム盤で無限に繰り返す惨劇も、それが理由となっているということ。
 だがそれは、目的ではなく、手段。
 過去に負った心の傷を癒し、相手を赦し、精神的に解放され、ひとりの人間として自由を得るためのもの。
 それを得られるまで、心の中で無限に殺す。

 そうして、一人の人間として生きることを選んだのが、八城。
 やがて未来において、贖罪のために、そして約束を守るために、ベアトのための物語を綴ることになる。





 裏お茶会、ラムダのゲーム盤とベアトのゲーム盤について。

“今のあなたは、かつてラムダの世界に囚われていた頃の私にそっくりなの。”
“過酷な運命の迷路に閉じ込められ、魔女にいいようにいたぶられている。”
“…私はそこから生まれた魔女。”
“……だからあなたの姉に当たるのかもしれない。”
“だからあなたに力を貸そうと決めたの。”
“しかし、…………私の運命に比べても、……あなたのそれは、…あまりにも惨い。”

“ゲーム盤を少しだけ見させてもらったけど、あまりに卑劣かつ狡猾な仕掛けで、その舞台仕掛けの嫌らしさは多分、ラムダデルタのゲーム盤のそれを遥かに上回るわ。”

“……ま、まぁ、前回は私がついつい哀れになって好きな場所から駒を進めていいわよって言ったら、ベルンのヤツ、お情けの空気も読めずに手持ちのポーンをぜーんぶ入城させた状態から始めて!!”

 ラムダのゲーム盤はひぐらしのものと解釈して良い。
 しかし、それと同時に、執筆者によって生み出されたキャラであることから、執筆者が関わったゲームより生まれたと解釈するべきである。

 私が知っている、執筆者即ち19人目が生み出したゲームは、ベアトのゲームだけである。
 ではベアトのゲームとは何か?

 今回EP2を再読した結果、“婚約”と“結婚”で二度ゲームが行われていることを知った。
 ベアトリーチェ、即ち、黄金の魔女であるヤスが行ったゲームは“結婚”の、執筆された物語。
 その前に行われた“婚約”は19人目が行ったゲーム。

 ルーレットに勝ち、猫箱から抜け出そうとしたのは19人目であって、ヤスではない。
 よって、ベルンの言うラムダのゲームとは、1986年の悪魔のルーレットのことだろう。

 19人目は、祝福されないのであれば、ヤスと結ばれるために心中することを決意した。
 その絶対の意志よって絶対の運命に閉ざされた。
 無限の魔法が紡ぐのは、無限の心中。

 しかし、その内、祝福されたいという気持ちが出てきた。
 それこそが本来の願いであるのだから当然である。
 その方法こそが、物語として執筆して真相に辿り着く者を探し当てる奇跡の魔法。

 19人目の中で、2つの異なる目的が生まれ、それぞれの思考を担当する魔女として、ラムダとベルンが生み出された。
 順番としては、絶対の運命を担当するラムダが先に生まれ、その後に奇跡の運命を担当するベルンが生まれた。

 ベアトのゲームがラムダのゲームに比べて卑劣かつ狡猾というのは、ラムダのゲームが19人目の物語だけなのに対して、ベアトのゲームが19人目の物語を含めて3つの物語が重なり合っているから。

 そして、ラムダのゲームが悪魔のルーレットがとすると、ベルンが勝ったのは第七のゲームということになる。
 ラムダの言う、手持ちのポーンを全部入城させた状態から始めたというのは、親たちが皆有能で全員で協力して碑文を解いた、ということを指すのだろう。


 だとすると、だとすると、小冊子「ラムダデルタ卿による回想記」に出てくる“神を目指す少女”は19人目で、“魔女だと自称する者”がヤスであると解釈することも可能だよな。
 面白い、面白い。これは面白い!
 点と点が繋がるのはなぜこんなにも面白いのか。







 うーん、真相の核心部分がいっぱい無造作に置いてある……。
 誰だよ答えが書いてないって言った奴。
 書いてあるじゃん。
 もう、脱帽するしかない。


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  1. 2019/05/25(土) 22:32:38|
  2. うみねこ咲へ向けて
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EP2の序盤を再読

 本日、二連投、1本目。

 EP2の序盤を、今の私の境地で視てみる。


 最初は紗音と嘉音の過去話から。

 まずは幻想描写が混ざっているので選り分けることにする。
 朗読者は真犯人である19人目。
 語られるのは1にして3つの物語。

 一つは、魔女が魔法で超常現象を起こす物語。
 一つは、ヤスが3つの人格で葛藤する恋の物語。
 一つは、朗読者本人が現実において成した出来事。


 元の真実は、19人目が魔女のふりをして紗音と嘉音と交流したというもの。

 ベアトが退出する時の、魔法で消え去る演出などの、ピンポイントの超常現象の部分が、魔法説の幻想描写部分。
 実際は普通に退出しただけ。
 初対面で魔法で無理やり手を出されて蝶の痣を付けたのは、普通に手を出させて煙管で軽い火傷を付けただけ。
 ベアトが金蔵に視えなかったのは、金蔵がそういうふりをしただけ、本当は金蔵にも視えている。
 これらは結果が伴う魔法。

 夏妃にはベアトの姿が視えなかったという紗音の独白は、結果が伴わない嘘の幻想描写。
 夏妃が協力するわけがないので。


 あとは、紗音と嘉音の家具のことについての台詞。
 これは実際に同じようなことを話していただろうが、誇張されたものに修飾されている。
 ヤスの物語を修飾するために。

 さらに、紗音の、家具から人間になろうという心情は、幻想から人間になろうという黄金の魔女であるヤスの心情が仮託されたダブルミーニングになっている。
 同様に、嘉音の、かつて人間だったが家具になったという心情は、人間として生きれず黄金の魔女の家具となった19人目の心情が仮託されたダブルミーニングになっている。


 具体的に細かいところをあげるとする。

 愛を知って人間になる、というのは幻想の存在であるヤスの目指すもの。
 アダムとイブは知恵の実を食べて、体を無花果の葉で隠すことを覚えた。
 それは自身を視る他人の目の存在を知ったということ。
 うみねこ的に言えば、チェス盤思考を得たということ。
 他人にも愛があることを知った。
 互いに愛し愛され、人間だと認められたい、推理されたい。
 これが事件を起こした動機となる。


 鏡の向こうの世界。
 これは幻想の存在であるヤスにとっては、現実の世界、あるいは、真実の世界。
 その世界へ行くには、真実だと認められる、人間だと認められる必要がある。

 逆に19人目の視点では、鏡の向こうの世界は、ヤスがいる世界のこと。
 その世界へ行くというのは、真実と幻想を一つにするということ、または幻想を現実へと召喚することになる。
 あるいは、幻想と真実を等価交換する、ということになることもあるだろう。


 昨日までと同じ世界。
 ヤスにとっては、誰の目にも映らない幻想としての日々。
 自身を認めてもらうために行動しなければ、絶対に何も変わることはない。

 19人目にとっては、誰にも触れられない現実としての日々。
 何もしないから、誰とも触れ合えない。
 何もしないから、何も変わらない。
 何もしなくても、いつか誰かに認めてもらえる、そんな日が来るわけがない。
 自身を認めてもらうことも、自身の代わりにヤスを認めてもらうこともない。

 認めてもらうためには、何かをしなくてはならない。
 新しい世界へ行くために、古き世界を壊さなくてはならない。
 今まで通りの小さなイタズラでは誰も認めてくれない。
 だから己の世界を壊すほどのことをしなければならない。
 もう二度と戻らないように。
 そして、19人目にとって世界とは、六軒島のこと。


 家具から人間になる。
 19人目が生み出した幻想であるヤスは、19人目が必要な時に呼び出される家具だった。
 それが人間となるということは、19人目が必要としなくても、存在できるようになるということ。
 要は、一人だけに認識される存在から、皆に認識される存在に、存在することが当然の存在になりたい。


 家具の材料となったもの。
 魔女の家具となった19人目は、魔女を認めさせるために働く。
 それは木を切り倒して家具を作るように、人間を材料に家具を作った。
 人間の頃の名前は忘却された。
 今はベアトリーチェという名の家具。
 ヤスというニンゲンのためだけにある家具。

 例えるなら、椅子取りゲーム。
 椅子の数は決まっている。
 新しく“人間”を座らせるために、元いた“人間”が椅子となった。
 それだけ。

 その椅子に名を聞くのは残酷なこと。
 名を取り戻すということは、上に座っている“人間”を振り落とすということなのだから。





 駒戦人が出番じゃないからと寝るシーン。
 19人目視点で解釈すると面白い。
 特に朱志香の台詞。

「自分の人生はいつだって自分が主人公だよ。」
「自分は主役になれないから舞台に上がりたくない、みたいな根性。……なぜだか、すっげえうぜーって思って…。」
「…………まだ、君の出番じゃなかったってことなのかよ。…じゃあ、……いつ君は、舞台に上がるんだよ……。」
“なら、この舞台の主人公は誰だって言うんだ…。”

 19人目の人生の舞台の主人公は自身ではない。
 “自分は主役になれないから舞台に上がりたくない”、というのは19人目の本音なのだろう。
 19人目が舞台に上がったのはEP7。
 それも朗読者の役で。
 19人目の舞台の主人公はヤス。

 全編に渡って物語を朗読していたのは、19人目。
 姿はなくとも、舞台の中央で朗読していた。
 その意味では、ずっと登場しているんだよなぁ。





 霧江の来客ベアトの思惑分析から抜粋。

「………今日の今日まで、彼女が訪れることが伏せられていた以上、彼女は私たちに何らかのサプライズを与える目的があった。」
「でも、今日の今日まで訪れることを伏せていたということは、事前に知らせることで、対応を打たれたくなかったと言えるかもしれない。ということは、彼女の目的は、対応を打たれると不利になるものらしい。」
「ふぅむ。…つまり、奇襲狙いという時点で、敵は真正面からの正攻法では勝てんっちゅうことを意味するわけやな。道理や。絶対勝てる切り札は堂々と切るに限るで。回りくどい切り方は、むしろ切り札を曇らせるもんや。」
「……結論から言うと、…皆さんがご執心の、遺産問題に直接、もしくは間接的に絡む相当のサプライズが突きつけられると予想されるわね。…おそらく向こうは、そのインパクトだけでこちらを圧倒できるつもりでいる。」
「……しかし、その何かは、相当のインパクトを伴いながらも絶対ではない。」
「つまり、……そこがこちらの付け込む余地というわけねぇ。」
「つまり、相手のペースに飲み込まれるな、っちゅうことやな。」
「…結局のところ、非常にシンプルな結論よ。相手が何を切り出そうとも、焦らず冷静に対応する。……交渉術の初歩の初歩じゃない。これじゃあ、相手の思考を読めたとはとても言えないわ。」

 魔女のゲームは結局、表向き“犯人はヤス”で決着した。
 それを霧江の論法に当て嵌めてみる。

 “犯人はヤス”が絶対の真実であれば真正面からの正攻法でやるべき。
 迂遠なやり方で真正面を避けてきた時点で、絶対には程遠い。
 EP6のインパクトだけで真実になろうとしている。

 対応方法もそのまま当て嵌まる。
 相手が何を切り出そうとも、焦らず冷静に対応すればいい。


“だからこの島では、どんな機関が発行した証明書を見せようとも、全て虚偽だと言い張れる。真実を証明することが不可能なのだ。”
“ならばつまり。……今のこの六軒島には、真実など何もないということなのか。”
“……支配しているのは「虚偽」だけということなのか。”
“それはまるで、……真実で作られた人間の世界から、…虚偽という異界に切り離されたような錯覚。”
“人の世から隔絶し、人ならざる世に切り離された島に、……人ならざる世の存在が訪れる。”
“あの不吉な笑みを理解するのに、…私のチェス盤思考は大きな前提を間違えている気がする。”
“私は相手を、自分たちと同じ「人間」だと仮定して推理した。”
“……しかし、今のこの島がそうであるように、彼女もまた人ならざる存在で、人間の価値観など通用しないのかもしれない。”

 この点を“鏡の向こうの世界”の点と結びつけてみる。

 鏡によって対面する世界は、真実の世界と虚偽の世界である。
 よって、真実の世界に行って人間になりたいという、紗音が住む世界は虚偽の世界である。

 そして相手は、自分たちと同じ「人間」ではなく、人間になりたい真実になりたい「虚偽」である。
 なので人間の価値観では通用しない。





 家具から解放される日の話からいくつかピックアップしてみた。

「必ず去らなければならない世界なのに!!」
「黄金郷には救いがある。僕たちはそこへ辿り着き、人間を手に入れるんだ。そして姉さんと二人で、人間としての人生を歩みたいんだよ…! そうすれば、本当の恋だって、……できるかもしれない!」
“だが、かつての紗音と嘉音は、黄金郷へ辿り着けようとも、生贄にされようとも、どちらにせよ家具の役目から解放されるものだと思っていた。
 …だからつまり、家具である自分たちにとって、儀式は必ず解放を与えてくれるものだった。”
「その魔女が、姉さんだけは見逃すと約束してくれたんだよ!! 姉さんだけは絶対に黄金郷へ行けるんだ!」
「……私だけ? 嘉音くんは?」
「僕は、……魔女のゲームで充分さ。…あいつの魔手なんて掻い潜ってやる。………僕は無力じゃない。わずかの確率を、無理やり掴み取ってやる…。」
「僕たちの生なんて、所詮は仮初じゃないか。…本当の人生を始めるために、……僕たちは黄金郷へ辿り着こう。そして、…人間を手に入れよう。」
「僕は、……もう家具は嫌だ……! ……絶対に、人間になってやる……。…こんな苦しみから、……絶対に………!」

 どうやら紗音と嘉音は、今いる世界から去らなければならないらしい。
 真実の世界から去らなければならない、虚偽の世界の住人だからだろう。

 儀式で死ぬのは、人間の世界の住人。
 その世界の嘉音が死なずに黄金郷に辿り着くと、虚偽の世界の住人である家具の嘉音は「人間」を手にいれると。
 要するにだ、黄金郷は読者の心、そこに辿り着くことで、真実と虚偽が融合して一人の人間となるということだろう。

 家具の紗音と嘉音は、魔女のゲームのために生み出された駒であり、ゲームが終われば解放されることになっていた。
 現実で人間の紗音が譲治に恋をしたことで、それに合わせて家具の紗音にも“恋”の設定が与えられた。
 “恋”即ち“心”を得たから“人間”になりたいという“望み”を得たわけだ。
 そういう“設定”。

 現実で人間の紗音が譲治に恋をしたことで、恋の決闘というシナリオが組まれた。
 19人目にとっての1にして3人の魔女に合わせるために、ヤスにとっての1にして3人の魔女を作る必要があるので。
 逆を言えば、紗音が恋をしなかったら、恋の決闘というシナリオは必要なくなり、よって人間嘉音は消えることはなく、黄金郷にて人間嘉音と家具嘉音が融合し、家具の嘉音は「人間」を手に入れることができた。

 恋の決闘のシナリオルートに乗ったことで、紗音が人間紗音と家具3人を合一することで一つの魂を満たす「人間」になることは確定した。
 それが紗音を見逃すという、ベアトがした約束。
 それはつまり、人間嘉音が消失し、家具嘉音が、嘉音という一人の「人間」になれないということ。

 だがわずかの確率で、「人間」を無理やり掴み取ることができる。
 読者が“犯人はヤス”とは別の真実を推理することで、人間嘉音を消失させずに黄金郷へ迎え入れてくれるかもしれない。


 そしてそれらを通して、“ヤス”が「人間」になりたいという動機を提示している。





 晩餐前の金蔵。

「…うむ。この部屋を、今日まで十重二十重の結界で厳重に包んだ。………あれのルーレットが私を選ぼうとも、必ずや弾き返す。…そして生き残り、黄金郷へ辿り着く内のひとりは絶対に私となるッ…! ……私を冥府へ連れ去ろうとする死神どもの来訪をも拒もうぞ…。」

 金蔵も生きて黄金郷に辿り着くことを望んでいるということは、逆を言えば、人間金蔵が消失する可能性があるということ。
 即ち、金蔵は死んでいると認識されるリスクを負っている。
 金蔵を冥府へ連れ去ろうとする“死神ども”とは、金蔵の死亡を信じる読者。

 ルーレットが金蔵を選んだら、ヤスは「人間」を手にし、金蔵は「死亡」する。
 それを弾き返せたら、金蔵は「生存」し、ヤスは「人間」を手にできない。





 おまけ。
 晩餐時の料理の蘊蓄での絵羽の台詞。

「…そういう意味で言ったんじゃないわよぅ。話の一部分だけ抜き出して、勝手に加工しないでくれるかしら。」

 幻想描写のヒント。







 再読すると設定が細かく作られているのがわかるなぁ。


 猫箱の中の真実と虚偽の入り混じった世界は、19人目の心の中にある。
 心の中の舞台で演じられた劇。
 劇にて語られた台詞は、魔女の台本によるもの。
 その劇を観客に見えるようにしたのがメッセージボトル。

 19人目はその舞台の中央で朗読者の役をしている。
 朗読者は舞台の上にいるが“いないもの”として扱われる。

 観客は皆、主役を見に来ているのだろう。
 しかし中には、朗読者を見にやってくる奇特な客がいても良いだろう?
 私が見に来たのは、ラブストーリーではなくミステリー。
 そしてミステリーの主役といえば語り部、即ち、朗読者のことなのだから。


 ちなみに朗読者の存在については、EP1のお茶会で示されているのでフェア。


  1. 2019/05/25(土) 18:59:19|
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後期クイーン問題を考える

 後期クイーン問題とは、全ての証拠が揃ったとしても、その後に新しい証拠Xが出てくることを否定できないというもの。
 典型例では、ライバル探偵が現状の全ての証拠から真実を導き出したが、その後にそれを否定する新証拠Xを主人公探偵が見つけて、改めてXを加えた全ての証拠から本当の真実を導き出した、とかがある。

 要するに、全ての証拠が揃っていることを保証されない限り、正しく推理することはできない。
 そして、完全な保証ができない以上、推理は不可能である。
 ということ。


 とりあえずそれに対して私が言いたいのは、推理は正しくなくても良いんだよ、ってところか。
 読者にとっては、推理は楽しむもの。それ以上でも、それ以下でもない。
 その推理で断罪するとかなら責任を持たなくてはならず、限りなく絶対的な正しさが必要となる。
 だが推理するだけなら間違っていても良いんだよ。

 つまりだ、証拠が全て揃ってなかろうとも、どんどん推理してしまってかまわない。
 現状の情報から推理できることを推理し、新情報が増えたらそれを加えて推理を変えていけばいいのだ。

 無論、その時、新情報をそのまま鵜呑みにしてはならない。
 新証拠Xで証拠Aが虚偽だと示されても、新証拠Xの方が虚偽である可能性は捨てきれないからだ。
 後になって、新証拠Xを否定する新新証拠Yが出てくるかもしれない。

 そこでどちらが虚偽であるのかを選択するわけだが、これが推理のゲーム性といったところか。
 うみねこでは、あえて選択せず、面の推理として保持可能であり、それを推奨もされている。


 さらにうみねこでは対戦者が存在し、新情報はその対戦者が与えてくれるものであること、というのがポイント。
 つまり、新情報を与えた対戦者の意図を探ることがネックとなっているのだ。

 対戦者はその意図に沿って駒を動かしている。
 だから、その意図を探り、それを知り、それを信じればいい。

 嘘か本当かという視点以外にも、癖や好みなども関係してくるかもしれない。
 例えば、対戦者はミステリーが好きだからトリックは面白いかどうかで選んでいる、とか。

 だからこれはゲーム盤を挟んだ会話なのだ。
 コミュニケーションを深め、相手の人となりを知る。
 さすれば答えは明白。


 いつもの結論に到達してしまった。
 話を戻そう。


 推理なんてものは不完全で良い。
 不完全だからこそ、まだ推理する余地は残されているわけだし。

 完全を目指すのは良い。
 それは当たり前であるし、推理する姿勢としてそうでなければならない。
 だが完全になることなど永遠にない。
 だから完全を得ようとするのは烏滸がましいことなのだろう。

 まぁ、完全だと思ったら思考停止するのだし、思考を楽しむのであれば不完全である思っている方が得だろう。
 そうすれば真相に至っていようと、さらにその真相の先へと思考を至らせることもできるだろうから。

 そう、思考を続ける限り、思考ゲームは終わらない。
 思考は私たちを未知へと連れて行ってくれる。
 もしかしたら、見果てぬ先までも。

 未知を知る愉悦に乾杯。


  1. 2019/05/18(土) 20:34:38|
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嘘と愛とミステリー

 本日、2連投、二本目。


 犯人ヤスが用いるのは、“嘘”を核とするトリックだ。
 私は正直、つまらないと感じる。
 知ってしまえば、もはや何の価値もない。
 それで解ける謎を新しく出されても、何も楽しめないだろう。

 それは“嘘”がその場しのぎのものでしかないからだ。
 一時だけ通用すれば良い、という熱意のなさがつまらなさの原因だろう。


 犯人ヤスのトリックは、真犯人のトリックと表裏を合わせることで輝く。
 表裏を合わせるトリックは、“愛”を核としているからだ。

 一時だけの“嘘”と比べ、永遠に留めようとする“愛”は込められた熱量の桁が違う。
 だからだろう、辻褄の合わせ方が毎回違う。
 トリックを知っても、次はどのように辻褄を合わせるのか期待してしまう。

 愛は尽きず、故に無限の方法を生み出す。
 これが無限の魔法が無限である所以。


 嘘と愛、どちらも幻想を生み出すものではあれど、対比してしまえば月とスッポン。
 嘘はその場限りだから拡張性が低く、真実+幻想は1+1=2が最大。
 それに比べると愛は拡張性が高い。

 真犯人が自身に覆い被せる幻想としてヤスを生み出したように、ダブルミーニングとして、ヤスは自身を覆い隠す幻想として魔女幻想を生み出した。
 1+1=3。
 その3人の集合として一人の魔女が生まれた。
 そのダブルミーニングとして、ヤスは紗音・嘉音・ベアトの三位一体の設定になった。
 瞬く間に1+1が6に膨れ上がる。
 相互作用で話がどんどん膨れ上がっていく。

 設定は生えるもの。
 長く続ければ相応に。

 それが愛し合う二人によって生み出される世界だ。



 ミステリーを愛するもののトリックはやはり違う。
 ミステリーの犯人には、時折ミステリーを愛するあまり殺人を犯す者がいる。
 普通の犯人は、殺すことが目的で、手段としてトリックを用いる。
 だが彼らは、トリックが目的で、殺人はその手段なのだ。

 殺せれば十分というトリックではない。
 生み出されたトリックは、ミステリーに対する愛の結晶。
 愛を表現した芸術。
 ミステリーについての思想や心情などが見て取れる。
 殺せば十分というトリックにはそれはない、当然ではあるが。

 しかし、彼らが目指すのはだいたい完全犯罪である。
 つまり、その芸術は自分だけが知っていればいい、という自己完結したもの。

 それに対して、うみねこの真犯人の愛は、対話を基調とした見てもらい考えてもらうもの。
 見る者がいて初めて、話が膨らみ、世界が広がる。
 だからミステリーを愛する者同士、ミステリーについて語り合うことができる。

 この愉悦は何物にも代え難い。
 読者が犯人とミステリーについて語り合えるミステリーはうみねこだけ。
 きっと唯一無二だ。
 愛に乾杯。


  1. 2019/05/11(土) 20:53:34|
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推理の定石、ゲームの定石

 本日、2連投の一本目。


 推理の定石と言えば、消去法だろうか。
 可能性を全てあげ、そこから可能性がないものを消去していき、最後に残ったものが真実。
 うみねこでもこの消去法を使った人は多いのではないかと思う。

 だがこの消去法には弱点が存在する。


 一つ目は、全ての可能性を完全に網羅しているのか。
 抜けが存在すれば、消去できなかった可能性が残り、それが致命的となる。

 うみねこではその可能性が多すぎる。
 一度に全ての可能性を一式揃えられるのは一部の天才だけ。
 常人なら思い付き易い可能性から一つずつ挙げていくことになるだろう。

 その“思い付き易いものから”というのが不味い。
 何個で終わりなのかもわからない状況で、いつ思考を終えるのか?
 これで十分だろうというところで切り上げるしかない。

 つまり、人は思い付き易いものを揃えたことに満足してしまい、それ以上の思い付き難いものを得ることができない。

 よって、読者の推理と対決する出題者は、読者が思い付き易い可能性を用意し、本当の真実は思い付き難い方に隠せばいい。


 二つ目は、消去したものが本当に消去できているのか。
 完全に消去できていないのに、消去できたと思い込むことは、正に致命的。

 うみねこは連載形式。
 なので、情報が足りずに可能性が絞れないと判断した時、次のゲームで新情報を得て可能性を搾れば良いと考えがち。
 ひぐらしの経験からもそうしたくなるだろう。

 けれどそれが間違い。
 ひぐらしとは違い、うみねこでは明確な対戦者が存在するのだ。
 ひぐらしでの敵はゲーム盤を俯瞰する存在を知りえなかった。
 しかし、うみねこでの敵はゲーム盤を俯瞰しながら行うゲームを意識して作り上げた。

 出題者が謎を出し、それに対して読者は推理をする。
 そして、その推理を見て、出題者は次の一手を指す。

 可能性を絞るための“新情報”というのは、出題者が読者を攻めるための“一手”。
 何も考えず“新情報”を丸呑みにするのであれば、そこに嘘という毒を混ぜるのは容易いことだ。

 それはつまり、消去法にとって最も重要な消去をする部分を、対戦相手に委ねたということ。
 生殺与奪の権利を対戦相手に与えたも同然なのだ。



 たぶん皆、対戦方式の推理ゲームに慣れていないのだろう。

 ミステリーが作者と読者の勝負だと言っても、普通のミステリー小説はひとりでする詰将棋のようなもの。
 一人用のゲームで、相手の手は自分が想定する最善手を打ってくる。

 対戦ゲームで自分の期待する手を相手が打ってくれる?
 そんなわけないだろう。
 それじゃあ一人遊びと変わらないじゃないか。
 こちらが想定しない手を打ってくるから対戦ゲームは面白いのに。


 詰将棋的ミステリーであれば、消去法は定石と言える。
 だから敵手はその対策を研究したのではないだろうか。

 チェスや将棋といったゲームは、時代によって定石が変わる。
 それは定石が研究されてきたということだ。

 つまり、連載方式の対戦型推理ゲームをやるにおいて、その消去法対策が新しい定石となりえるものだったのではなかろうか。

 というか、“探偵が推理することを組み込んだトリック”はすでにミステリーの歴史で幾度も使われている。
 作中でヱリカが少し言及しているように。

 『金田一少年の事件簿』でも幾つか登場したはず。
 真犯人の身代わりにスケープゴートを犯人に仕立て上げ、最後には自殺に見せかけて殺す。
 まぁ、使い古された手だ。
 他にも最も疑わしい者の冤罪を晴らすために推理したが、実は……みたいな裏の裏とか。
 表、裏、そして裏の裏。
 “探偵が推理することを組み込んだトリック”はそれらを意識しなくてはならない。

 探偵が推理する、なら探偵が推理することを前提としたトリックを考える。
 極自然な流れ。
 そういうことが積みあがって新しい定石が作られていくのではないだろうか。


 EP1を一手目、返す推理で二手目、次いでEP2で三手目……と数えると、EP8で15手目、その返しの推理で16手目。
 そこまで想定してうみねこは作られている。
 勿論、ガッチガチに決まっていたわけではなく、ある程度フレキシブルに対応できるようにはなっていただろうが。

 どれだけの工夫を詰め込んだのか。
 その意気込みのほどを伺えるというものだ。


  1. 2019/05/11(土) 19:48:26|
  2. うみねこ咲へ向けて
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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