FC2ブログ

うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


咲のOPムーピーを見て

 本日二本目。
 咲のOPムービーが公開されて期待で胸が躍る。
 というわけで、OPから予想……いや連想したものを書き殴ってみたい。


 エンピレオ――至高天。
 造物主、物語の作者についてやるのだろうか。
 過去作ではEP1からメッセージボトルが示されたところから始まり、EP4では未来の世界を執筆している者の影が提示され、散ではほぼ主題だった。
 EP6ではそのものである八城十八が登場したが、読者はあまり物語の執筆者に対する推理をしていなかったように思う、EP8の最後で十八=戦人が明らかにされるまで。
 そしてほぼそのまま鵜呑み。
 まあ、物語内では議題に上げられていなかったからなぁ。
 本格的に議題に上げてやり合うのだろうか。


 新しいキャラだろうピースはどんな感じだろう。
 ウィッチ・オブ・ザ・ピース――カケラの魔女か。
 カケラの擬人化か、カケラを作る魔女か。
 全てのカケラのなのか、新しいカケラのなのか。
 主とは誰か。
 惨劇を起こすようだが。

 主を全て遡れば造物主であるフェザリーヌに行き着く。
 とは言え、魔女同盟を組み世界を共有すれば、ヒエラルキーの外の魔女の駒を物語りに組み込むことは可能。
 つまり、真実に至った縁寿の駒とか、あるいは読者の駒とかがありえる。
 そうすると新しいカケラは現実の縁寿が作ったことになる。

 あるいはそうではなく、縁寿をヒエラルキーに組み込み、仮想の縁寿に作らせたカケラなのかもしれない。
 さすがの入れ子構造。
 だがどちらにせよ、執筆者である八城の世界に組み込まれているのだが。

 これで新しいEPの執筆者が別人だったら驚きだな。
 真実に至った者が新しく物語を綴る。
 その可能性は確かにある。
 しかし、あくまでも同じ執筆者だろう。
 神は至高、唯一にして絶対。
 その意志こそが全てを生み、全てを動かしているのだから。
 推理する側からすれば、その方がありがたい。


 ダンテの神曲は地獄篇・煉獄篇・天国篇の三部だとか。
 至高天は天国の一番上。
 それらをヒエラルキーに当て嵌めてみる。

 地獄に落ちた罪人は永遠にそこから抜け出すことはできない。
 これはゲーム盤世界が当て嵌まるだろう。
 それらのカケラでは、真犯人は罪を犯し死ぬ。
 ルーレットにより選ばれれば、ベアトはその運命に従う。
 そこに落ちれば罪人となって永遠に抜け出せない。
 まさに地獄。

 現実においてルーレットに選ばれたのはEP7の惨劇。
 ベアトは主に殺され、主は島の外へ出てベアトの物語を綴った。
 もはや現実にベアトの居場所はなく、いても良い場所は物語の中だけ。
 即ち、メタ世界こそが煉獄。
 煉獄は罪を清めれば天国へと行ける罪人が行くところ。
 現実では犯さなかった、しかし並行世界で犯しただろう罪を。
 あるいは自分を殺した罪を清めるまで。
 そう天国に行くまで、そこを永遠に抜け出すことは叶わない。

 現実において死者が居得る場所。
 それは人の心の中。
 そここそが天国。
 読者、即ち観劇の魔女たちの心の中に辿り着くことを許されたのなら、ベアトは天国へと行けたのだろう。
 階層としては、カケラの海を渡る観劇の魔女がいる世界。
 人間としては(作中)現実の階層。
 物語の執筆者と読者が同時に存在するところ。
 物語的には、六軒島の皆は縁寿の心の中―ー天国――に迎え入れられたことになる。

 そして至高天は天国の最上層。
 即ち、現実を俯瞰し、現実を装飾し、現実を自分の物語に記述する執筆者の真実の世界。


 そう解釈すると、EP8は天国までだったのだろう。
 作中現実はどうなのかまでは皆推理したはず。
 しかし、作者が現実を、例えば現実の縁寿をどのように俯瞰しているのか、まで踏み込んで推理している者は少ないんじゃないか。

 新しいEPは、至高天まで辿り着き、神の真実を知る物語?
 だとするなら、並び立つ真実の構造を明かすのだろうか。

 世間一般では、並び立つ真実は事件全体から見れば枝葉の部分でのことで、誤差程度のことと認識されているような気がする。
 全体的に別の真実と捉えているのは、私のような極一部だけだろう。
 それをガッツリ明かすのだろうか。
 それともガイドだけして後は推理に任せるのか。


 とりあえず歌詞から連想してみよう。
 「罪」に「報い」は、真犯人を断罪するのか。

 「嘘とまやかし」を「黒く染め」、では逆は真実を白でとか。
 嘘は魔法説、まやかしは過程が異なる黄金の真実。
 真実と幻想を切り分け白黒を付けるのか。

 「奇跡」では「神」に勝てない。
 奇跡は幻想が真実に昇華したことだろう。
 仕組まれた奇跡では、それを仕組んだ神には勝てないのは道理。

 「霧が晴れる」は幻想を取り除くことだとすると、その上での「赤と青」は真相まで行き着くまでやり合うことを暗示しているのか。
 あるいは「繰り返す」だから、これまでのゲームを幻想を取っ払った形でもう一度やり直すのかもしれない。

 「奈落の底」に自ら降りるのなら、それは自白を容易に連想させる。
 奈落の底は地獄の最下層コキュートスのことだろう。
 地獄はルーレットに刻まれたありえたかもしれない現実たちのこと。
 であるなら、その最下層とは本当の現実。
 変えることのできない、抜け出すことができない、現実という名の牢獄こそが地獄。
 現実の中が地獄。
 物語の中が煉獄。
 人の心の中が天国。
 そう定義したのだろう。
 天国を目指すその境遇は察してあまりある。

 そして、トリックで人の心すら騙す魔女は、天国の最上層の至高天に座す。
 それが現実に降り立つ。
 これまで全て作中作の中だったのが、初めて作中現実が直接描かれるのだろうか。
 いや、作中作で描かれるだろうから、本当の現実を使ったゲーム盤に降り立つのか。
 執筆者の“推理して欲しい”という意志、それを信じて推理するなら、全ての描写は作中作のもののみで良い。
 意志を貫くなら紛れはいらない。
 なのに現実が描かれるのなら、意志は果たされということだろうか。
 愛を得たということだろうか。
 真犯人はベアトの手を掴むことができたのかだけが心配なのだが。
 全てを曝しても掴んで離さない覚悟はできたのだろうか。


 歌詞全般に真相が明かされそうな雰囲気が漂っている気がする。
 ロゴの咲の字の花が片方散るのもそれを暗示してそう。
 こちらも真相が明かされる覚悟を決めておかないと。
 ……しかし、複雑な心境だ。
 真実を自分だけのものにしておきたいという気持ちもあれば、直接会ってみたいという気持ちもある。
 そういえば初対面なんだよなあ。
 文通相手と初めて会うようなドキドキ感がある。

 「我らの告白」のセリフがところどころあったことから、「我らの告白」の内容もやるんだろうなあ。
 先の予想と合わせると、新しいEPのプロローグに相当しそう。
 その流れなら、三番目の物語に自然と行けそう。


 私のうみねこ展開予想は悉く外れる傾向にあるので当てにはならないが。
 良かったのはEP5前のヱリカの正体くらいか。
 いや、あれは予想ではなく推理か。
 あのヱリカの出落ち感ハンパなかった。
 登場した途端に、島に新しい登場人物などいるわけないじゃん、と正体バレ待ったなしにも関わらず、本編前に画像が公開されてしまった。
 あの出落ち感ホント大好き。
 探偵として出てきたっていうのがさらにツボ。

 まぁ、予想を外していつものようなゲームをするだけかもしれない。
 その時はいつも通りに楽しめば良いだけ。
 期待が高まるなあ。





 新なく頃にのキコニアはとりあえず、登場人物がうみねこの当初より多いことはわかった。
 それぞれの価値観も多様そう。
 運命についての考え方が引き継がれているならば、複数の絶対の意志が絡み合う、なんてこともありそう。
 あとはうみねこ的な多様な見方から発想を得て、一つの事件からそれぞれのキャラが別の真実を見てしまう、とかもありそう。
 うみねこは読者がそれぞれ色々な見方ができるという構造だったが、別の見方をそれぞれのキャラにさせて別々の動きをさせるとか。
 これも期待。


スポンサーサイト



  1. 2018/12/08(土) 22:22:54|
  2. うみねこ咲へ向けて
  3. | trackback 0
  4. | comment 0

疑う必要がないということ

 本日、一本目。

 私は今でこそ「うみねこ」は全て作中作であると考えているが、最初の頃は創作説では何でもありとなってしまうから推理不可能だろうと思っていた。
 起こった事件が“(作中)現実=疑う必要のない情報”でなければ推理できないと。

 推理をするには“疑う必要がないもの”が必要である。
 そこを起点に推理が始まる。
 だからそれがなければ始まらない。
 人は推理可能だと信じることで初めて、推理を始められるのだ。
 だから推理可能だと信じるためには、事件は疑う必要のない現実でなければならない。
 そう思い込んでいたのだろう。


 今思えば実に愚かなことだった。


 他に“疑う必要がないもの”があれば、“疑う必要がない(作中)現実”の描写は必須ではなくなる。
 作中作の執筆者の推理して欲しいという意志が疑う必要のない段階に至れば、全ての描写が作中作のものであろうと推理可能なのだ。

 執筆者の意志が、メッセージボトル及び偽書を生み出した。
 それらの物語は執筆者の意志に従って描かれている。
 逆を言えば、執筆者の意志に反したものは物語内に存在できないのだ。
 即ち、執筆者の意志こそが物語世界の法則でありルール。
 “推理して欲しい”という意志があれば、それに従って物語は“推理できるもの”として綴られる。
 少なくとも執筆者の意識の上では。

 故に、執筆者の“推理して欲しい”という意志があると確信できれば、推理することは可能である。
 それ以外に推理可能を保証するものはなくても構わない。
 いや、執筆者の意志こそが推理可能を保証するのであれば、それが絶対であるために、それ以外の保証などない方が良い。
 だから、“疑う必要のない(作中)現実”の描写などいらない。
 全ては作中作の内でいい。
 それでこそ“執筆者の意志”の“純粋性”が保たれるのだから。


 逆を言えば、当時の私はまだ執筆者の意志を信じられなかったからこそ、推理するために疑う必要のない現実の描写に違いないと縋ったのだろう。

 しかしだ。

 そうしなければ、私は本気で事件を推理することはなかったかもしれない。
 そして、本気で推理したからこそ、推理可能なように作られていると信じられ、執筆者の“推理して欲しい”という意志を信じられるようになっていった。

 だから今こうして、古き自分を脱ぎ捨てて、新しい自分になることができた。
 作中作の外にある“疑う必要がない”ことを保証する“作中現実”がなくてはならないという思い込みから開放されたのだ。





 純粋性。
 たとえるならそれは真里亞の心のようなもの。
 自分が約束を守るから、相手も約束を守るのだと信じるように。
 必ず果たされるのだと。

 真実と虚構に隔てられても、真犯人が片割れの魔女に手を伸ばしたように。
 読者は虚構のキャラに手を伸ばす。
 叶えられないものであっても。
 それでも叶えるために。
 有限を越えて無限の先へと。
 自分も守るから、相手も守るのだと。
 相手も守るから、自分も守るのだと。
 ただ純粋に。

 読者が虚構に向かって手を伸ばすことができる、そういう物語としてうみねこは作られたのだろう。
 ひぐらしでもそのようなことを試みていたはず。
 傍観者たる読者の姿を仮託されたキャラに向かって、見ていることしかできなくともその意志は物語の人物を救う一助となれるのだと。
 全員の力を合わせれば奇跡は起こる。
 全員とは物語の登場人物だけではなく、画面の向こうの貴方もなのだと。

 それをさらに強力に推し進めたのがうみねこなのだろう。
 画面の向こうの貴方だけにしか救えないのだと。
 奇跡を起こせるのは貴方だけだと。
 さあどうする、と重い選択肢を課された。
 故に、そこに託された意志に応えるならば、その“意志”を認め一人の“人間”として認めることになる。
 それは一人の人間の重さを背負うということ。

 虚構のキャラに過ぎない者を、“意志を持つ一人の人間”と認め、それに本気で向き合うことができるのか。
 これをどこまで理解できていたのだろうか?
 現実の作者と戦っているつもりの人達は大勢いるだろう。
 だが、作中作の作者と本気で相対していた者はどれほどいる?
 相手をちゃんと“認めている”のか。
 “認めている”からこそ“本気”になれるのだろう。
 これはそういう話なのだ。
 本気だろうと対象がズレれば答えもズレる。
 “現実の作者なら作中現実を描いてくれるだろう”という甘えも出てくる。
 それは二人で対峙しているところに第三者を呼ぶようなもの。
 例えるなら、告白を友達経由で聞くようなもの。

 現実に存在する人間だから重視するのか。
 虚構の存在だから軽視するのか。
 現実の人間と虚構のキャラでは存在の軽重が違うことは重々承知している。
 物語でニンゲン側と幻想勢は平等であると描かれてきた。
 読者の中にはそれを尊重して平等に扱った者もいるだろう。
 しかしそれは虚構の世界においての平等だったのではないか?
 作中のキャラと作中作の中のキャラを平等に扱っただけで。

 だとしたら現実と虚構の存在を平等に扱うとはどういうことだろうか。
 現実の存在と同等の扱うをするということか?
 それとも、現実の読者が虚構の世界へと降りていくということだろうか。
 面白い。
 たぶん、後者の解釈がうみねこの階層的な世界観に沿うように思える。
 現実において虚構の世界を俯瞰する自分と、虚構の世界に駒として置いた自分。
 そんな感じで捉えるべきなのだろう。

 ああ、そうだ。
 これは現実世界の読者と虚構の世界の犯人が、推理勝負を通して対等な相手と認め合い、住まう世界の隔たりを越えようとする試みなのでは?


  1. 2018/12/08(土) 20:16:26|
  2. うみねこ咲へ向けて
  3. | trackback 0
  4. | comment 0

NEW ENTRY | BLOG TOP |  OLD ENTRY

プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

現在時刻

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

咲 (3)

来訪者数

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR

Designed by U-BOX