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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


魂と命の価値

 本日、二本目。

 真犯人の価値観は明確に、魂>肉体。
 人間とは魂であり、肉体はその檻でしかないと見ているのではないかと思われる。

 人=魂、人≠体。

 EP7で示された、真里亞は外見ではなく中身で判断する傾向が強いという見方。
 これは真犯人にも当て嵌まる、それもそれ以上に強い形で。
 人と物理的接触が制限されていた真犯人は、肉体を不要とする魂での交流の道を歩んだ。
 肉体の有無に関わらず、魂の有無によって存在を認識する。
 それはつまり、ニンゲンと幻想の住人は魂的に等価ということ。
 区別はつくが、平等に扱われている。

 だがそれは、肉体を軽視することに他ならない。
 場合によっては、魂が手に入れば肉体はどうなってもいい、と極端に走ることもあるだろう。
 だから真犯人――八城はあの時、大切な人たちの魂だけを手の中に握り締めて、新たに旅立つことができた。
 大切な人たちの肉体の死を踏み越えて。

 つまり、真犯人は二番の愛する者(ベアト)の魂を生贄に、自分の魂とそれ以外の全ての人の魂を救う選択をしたのだろう。
 無論、これがルーレットが指し示した目であっただろうが。

 だが知っての通り、八城は未来において後悔する。
 物語を殺さずにおけば、もっと一つの物語を楽しむべきだったと。
 過去の真実を重んじるあまり、未来の可能性を殺してしまったと。



 謎についてもそう。
 魂の結び付きを重視する。
 真実に至り、それを自身の傍に寄り添わせることで満足する。
 だから自身の真実についてもそれに倣う。
 真実に至った誰かの魂に寄り添わせてもらえれば満足。
 それが愛の形だと信じているのだろう。

 物理的接触よりも心の交流にこそ価値を見出す真犯人らしい。



 蘇らせることもまたそうである。
 蘇らせるのは肉体ではなく魂。
 それは魂が蘇れば満足という価値観ゆえ。





 そもそも真犯人の最愛が幻想のベアトリーチェであることからして、魂=命という価値観なのは明白。
 では真犯人にとってのベアトとは、ヤスとはどのような存在なのか想像してみたい。


 真犯人にとって、理御は異なる運命を辿ったIFの自分。
 ならヤスは、表裏が合わさった世界の裏側にいる自分。

 自分が何かをすれば、常に結果を同じくする別の何かをするもう一人の自分。
 何をするにもいつも一緒で、何をするにもいつも話し合って決めている。
 自分が守らなくては消えてしまう、儚い真実。
 共に生き、共に育ち、共に語り合い、共に永遠を誓い合った、最愛の存在。
 右手と左手のような関係。

 ひとりは島で隠されて育ち、ひとりは幼い身で福音の家から島へやってきた。
 ひとりは幼い使用人に悪戯をし、ひとりは使用人生活の中で魔女に出会う。
 そして、ふたりは共に魔法を使い、魔女に目覚める。
 時は経ち、ひとりは恋を応援し、ひとりは恋を知った。
 ひとりは一なる三人の魔女となり、ひとりは三人の人格を生み出す。

 紗音が譲治と結ばれて島を出れば、この幻想は崩れ去る。
 一人を失い、二人で作り上げた世界が壊れる。
 だから新しい世界を生み出すために、代わりとなるもう一人を求めた。
 世界を共有し、ヤスを認めてくれる存在を。
 それを戦人に、または島の外の見知らぬ誰かに求めた。

 それは真犯人にとって、ヤスが何にも換えられない存在だったから。
 全てを犠牲にしてでも取り戻したい最愛だったから。
 何も持たない自分が持つ唯一のものだから。
 自分の全てだったから。
 何もかも奪われる運命にあって、それだけは譲れないものだった。

 愛を奪われ、愛に苛まれ、それでもなお抱いたこの愛だけは手放さない。
 そんな気持ちだったのだろうなぁ。
 うみねこの歌詞のほとんどは、ベアトが戦人へ向けてではなく、真犯人からヤスへ向けてのものだろうからなぁ。


 真犯人のヤスへの想いは、EP4で描かれた真里亞のさくたろうへの想いに重なる。
 満たされない現状。
 生み出された親友。
 引き裂かれ、失われた愛する者。
 心の中で何度も殺す黒き魔法。
 壊れた世界。
 その代わりとなる世界を求めた。

 そして2人で引き篭もった黄金郷で、縁寿がさくたろうを蘇らせ、喜ぶ真里亞を祝福するベアトが浮かべていた表情。
 喜び、怒り、哀しみが入り混じった。
 それは、魂の片割れを失ったもの同士、それを取り戻せたことを喜び。
 世界が壊されることを怒り。
 世界を共有するものが失われることを哀しむ。
 そんな感情だったのではないかと思う。



 いまさらだがベアトの2つの心臓についての考察を訂正する。
 犯人と共犯がそうだとしていたが、どう考えても真犯人とヤスがそうである。
 その2つの心臓が揃うことで駆動するのがベアト。
 ヤスとはそれだけ重要な駒だったのだろう。

 謎を出すためにヤスが生み出されたのではない。
 ヤスがいたからこそ謎が生み出されたのだ。
 ここを勘違いしてはならないだろう。
 私はその辺がブレていたから、それを胸に刻んでおきたい。


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  1. 2018/09/29(土) 20:13:45|
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戦人の約束と罪

 本日、一本目。

 動機も深いところまで推理できたので、戦人の約束にファイナルアンサーを出そうと思う。

 事件の6年前、戦人は紗音と約束した。
 内容はEP7で描かれたとおり。
 真犯人との間には何もない。
 ただ真犯人がそれを盗み見ていて信じてしまった。


 当時、真犯人は13歳。
 六軒島を出たことがない箱入り娘で、さらに島の住人にも隠されて育った真性の箱入り箱入り娘なのだ。
 年齢に比べて純粋で無垢だった真里亞が、約束は絶対に守るものであると信じていたように。
 真犯人もまた純粋にそう信じていたことだろう。

 物理的に人と交流できなかった真犯人は、心の交流を理想として描いていた。
 だから、他人を心の中に招いて、擬似的に心の交流を想像して己を慰めていた。

 満たされなかったからこそ、心の交流、魂の絆、愛、それらに憧れ、理想化し、神聖視していたことだろう。
 人と交流できない真犯人にとって、人と人との間で結ばれる約束は、決して切れない絆に見えたのではないか。
 そして、心を探るミステリーを標榜し、心を蔑ろにしないことを信念とした戦人は、自分の心を受け取ってくれるかもしれない希望を託すにたる者に見えたことだろう。

 だから約束を守って島に帰ってくる戦人に、自身の作った謎を出そうと決意した。


 まあ戦人にとって、そんなことは知らないし、忘れていることですらない。
 が、知ってしまえば、戦人の主観においてこれは罪だろう。

 信じた真実を決して手放さない。
 心を蔑ろにしない。
 それが戦人の信念である以上、それを罪と認めないわけにはいかない。

 罪だと認めない戦人は、戦人ではない。
 肉体は同じだろうと、それは信念を捨て去った男に成り下がった別人だ。
 戦人が己の信念を貫くなら、罪を受け止めて進むしかない。


 そうであるなら、真犯人が戦人を信じ続けた理由もわかろうというものだ。

 戦人の信念は、戦人の魂の根幹部分と言って良いだろう。
 心の交流を神聖視する真犯人は、人の心や魂を大切にする。
 その魂を、己の魂に迎え入れるくらいだ。

 戦人の信念を信じず否定することは、真犯人にとって戦人の魂を殺すも同然の行い。
 それをすることだけはできなかった。

 真犯人にとって、戦人とは猫箱に入った猫だった。
 戦人が帰ってきて、昔のままの戦人であることを証明するか、昔の戦人は死んだことを証明するか、どちらか判明しなくては、進むことも戻ることもできない。
 戦人の魂を殺すのか、自分の魂を殺すのかの選択。
 進退窮まってしまった。


 6年が経ち、純粋で無垢なベアトがあんな捻くれた魔女に。
 そして結果はご存知の通り。



 蛇足を付け足すなら。
 偽書の中の戦人は、EP5と6で己の罪と向き合った。
 それはつまり、真犯人は戦人の魂を守り続けていたのだろう、と推測できる。


  1. 2018/09/29(土) 18:02:30|
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愛ある動機/永遠の拷問

 三本目。

 EP8で提示された、心理学の観点による男・女・無差別殺人者の動機。
 これを真犯人に重ね合わせて考察したい。


 まずは男から。
 “地位や名誉のため、そして恋人を永遠に自分のものにするため”。
 ならば、真犯人に被害者たちへの愛はあったのか?

 この愛の証明は簡単だ。
 真犯人は物語の執筆者であり、物語には何でこんなに知っているんだ、と言わんばかりに、被害者が抱いている苦しみが綴られている。
 そこから真犯人がどれほど被害者の苦しみに寄り添っていたのかが伺える。
 そんなにも愛していたのかと、それに比べると他の登場人物は他人の苦しみにそこまで寄り添っていない。
 真犯人に向けられる愛など皆無だ。

 故に、この殺人は典型的な男の動機に当て嵌まる。
 愛する者たちを殺し、その魂を黄金郷へ迎え入れて、自分だけのものにする。


 次は女の動機。
 “自分を束縛する存在から逃げるため”。
 では、真犯人を束縛するものとは?

 これも愛だ。
 全てを捨てて六軒島を出て行きたい。
 だがそれを愛が邪魔をする。
 愛する者たちへの未練。
 愛する者が住まう黄金郷が邪魔なのだ。
 即ち、自分の魂を構成する自分以外の存在を壊す。


 最後は無差別殺人者。
 “多くには自殺願望があり、死に値する自分を故意に作り出して、生にふんぎりをつけるために殺人を犯す”。

 これを男の動機に合わせれば、愛する者たちを殺した自分は罪深いので自分も死ぬ。
 即ち、心中となる。

 だが、女の動機にも合わせられる。
 愛する者たちを殺すもう一人の自分は死に値する。
 故にもう一人の自分を殺すことができる。


 それが八城がベアトを殺した動機である。


 だがその後、八城は偽書を作ることになる。
 それはベアトを蘇らせるためだろう。

 自分が殺したから、自分ではそれができない。
 自分自身に魔法を掛けるのが一番難しいから。
 世界を作るために、世界を蘇らせるために、もう一人が必要。
 偽書をネットの海に流すことでそれを得る。

 未来の魔女は過去の真実を書き換える。
 それを利用して黄金郷を蘇らせる。
 引き換えに、自分の真実、自分の魂が殺されることを知りながら。

 失われた愛を蘇らせるために、自分を殺す。
 それが八城が偽書を執筆した動機。


 全ては愛ゆえに。



 こうなるとゲーム盤での殺人も違って見える。
 頭の中でゲーム盤を作ってそこで駒を何度も殺しているわけだが、それはその死を赤き真実で自分に刻み付ける行為に見える。

 ニンゲンの駒は煉獄を潜り抜けて、ようやく黄金郷に迎え入れられる。
 魔女は赤き真実でその様子を魂に刻み付ける。

 自罰的な自傷行為。
 死に値する自分になるために、自分に無限の死を刻む苦行。
 自分の心を殺す。
 だが、思考停止は許されない。
 愛に殉じ死に至る道を歩む、まるで殉教者のよう。
 ……これが永遠の拷問なのか。
 いっそ一思いに殺してやれ。

 6年にも亘り、こんなことを? 絶対の意志で?
 6年“しか”などと誰が言えるのか。
 6年“も”でも軽すぎる。
 6年が千年に感じる。
 知らなければ、“千年”は取って付けたかのような軽い言葉に聞こえる。
 だが知れば、“千年”という重さに押しつぶされそうだ……。

 真実に耐える地獄とはこれのことか。
 自分が誰かも判らなくなりそうだ。
 言葉にならない……。
 想像したくもない……。

 その間、戦人は帰ってこなかった。
 何て罪深いんだ、お前は……。



 でも、この物語の最後、私はハッピーエンドに見えたから。
 魂は救われたんだよ……。


  1. 2018/09/22(土) 23:57:22|
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殻の中の幽霊

 本日、二本目。

 EP8のお茶会でのベルンとラムダのセリフ「殻の中の幽霊」をググってみたら、攻殻機動隊のGHOST IN IHE SHELLがヒット。
 そしてその元ネタがアーサー・ケストラーの評論『 TheGhostintheMachine(機械の中の幽霊)』だというので、その概略のさわりだけ読んでみた。
 どうやらベアトの魔法世界もこれが元になっているのではなかろうか。


 肉体と魂は別であると考え、魂は階層的秩序を形成しているという考え方。
 部分が集まって全体となり、システムを形作る。
 だがそのシステムもまたサブシステムであり、サブシステムが集まってさらに上位のサブシステムとなる。
 下から見れば全体であり、上から見れば部分であるものをホロン(全体子)と呼ぶ。

 サブシステムはそれぞれ与えられた権限と規律の元、独自に思考・判断し、出たエラーは責任を持って修正する。
 サブシステム同士は競合することもある。
 上位のサブシステムは命令を下すだけで、後は下位のサブシステムが仕事を片付けてくれるため、その仕事を把握する必要もない。


 これは駒と創造主の関係そのものではないか。
 ゲーム盤の上で18人のニンゲンの駒を置き、それぞれ独自に思考・行動させる。
 ロジックエラーを解消するために、解消できるまで永遠に閉じ込めで思考させ続ける。
 そんな感じで。


 真犯人の魂の階層的秩序がどうなっているのか考えてみたい。
 取っ掛かりとして、一なる三人の魔女から始める。

 一人が全体、三人が部分の魔女。
 私にとってそれは、クレル、ヤス、ベアトとなる。

 本体の犯行を考える、思考A。「駒本体」
 ヤスの犯行を考える、思考B。「駒妹ベアト」
 魔女の犯行を考える、思考C。「駒姉ベアト」
 そしてそれらを俯瞰し統括する、上位思考α。「魔女ベアト」

 EP1で子供のアイデンティティの話があった。
 人間の自分に魔女の自分を足し、自己を確立させようと試みる、とかなんとか。
 それに則るなら、「本体+ヤス+ベアト=上位世界のベアト」。
 下位世界のニンゲンを上位世界から見下す魔女として、自己を確立させたことになる。
 ゲーム盤世界とメタ世界の階層秩序が形成されたわけだ。

 それは魂の拡大、魂の階層を昇ったと言ってもいいだろう。
 だが、肉体の中にある魂は一つだけ。
 だからこれは、魂を割いて分け与える行為なのだ。


 上位階層にメタ世界に一なる魔女を置き、その魔女は3人の部分で構成されている。
 3人の部分魔女は、協力して下位階層にゲーム盤を作成する。
 ゲーム盤にはニンゲンの駒が置かれ、3人の部分魔女が自身の駒を置いて惨劇を起こす。
 しかし、3人の駒は同じ世界には置けない。
 そのため、ゲーム盤に結果が同じだが過程が異なる3つの世界が重なるように作られている。
 ちなみに、魔法説を作る部分魔女は、幻想の駒も使うことができる。
 部分魔女の1人でもロジックが通らなくなると、ロジックエラー。

 このゲーム盤とメタ世界の階層秩序、それ自体が真犯人の心あるいは魂の形。
 それが黄金郷の正体。
 ちなみにニンゲンたちの魂は、後に魔女が自身を切り刻んで作り出した赤き真実で、それらニンゲンの真実の姿を自身の魂に刻んだものだと思われる。

 我は我にして我等なり。
 黄金の真実は“我等”の総意。


 一人で完結している幼少期はこれで説明が付く。
 二人で世界を生み出すために謎を作り始めてから変化する。


 メタ世界に、謎を作る魔女の他に、謎を解く対戦者である戦人を招くことになった。
 上位階層にサブシステムが2つできたことで、それらを部分として包括する全体が新たに創られた。
 それが航海者と造物主。

 航海者はメタ世界の魔女たちが作り出すカケラを渡る。
 航海者ラムダデルタは、魔女ベアトに絶対の意志で無限のカケラを作り続けるように監督することを。
 航海者ベルンカステルは、魔女ベアトが作り出した無限のカケラから魔法の奇跡を探し続けることを、造物主に命じられている。

 最上位階層にいる造物主はそうして下の階層のものたちが作った物語を執筆している。

 ちなみにメタ戦人は、下位階層のゲーム盤に推理で作り出した駒を置くことができる。

 たぶん、そんな感じの階層秩序が生まれた。


 しかし、そこ階層秩序の拡大は、崩壊の危機でもあった。
 そもそも真犯人の魂の核は、一なる三人の魔女。
 戦人に謎を出すため、その一を赤き真実で切り離してしまった。
 三人の部分に切り離され、一なる魔女の統合に不具合が出たのだ。
 それを直せるのはそれをした戦人だけ。

 だが戦人は帰ってこなかった。
 そのため、全体を救うために、部分を切り離す必要が出た。

 造物主は島を出るために、自身を構成する大部分を破壊した。
 正確には、魔女ベアトを殺すことで、それに繋がるシステムを停止させた。
 残ったのは、全体である造物主とその補佐たる航海者、一なる三人の魔女の内の自身の肉体を司る一人だけ。
 それ以外の部分は島に自身を縛る枷として打ち壊された。
 そうして造物主八城は死に掛けた。
 魂の大部分が欠けたのだから、それは当然のことといえる。



 だが造物主八城は帰ってきた。
 黄金郷を蘇らせるために。
 偽書を読んだ未来の魔女によって、真実を書き換えてもらう。
 観劇の魔女達による黄金の魔女ベアトリーチェの真実によって、自身の魂を上書きする。
 そうして黄金郷は蘇る。
 残っていた三人の魔女の最後の一人を生贄として。


 黄金郷には最後の一人が足りない。
 全員が揃うには魔法の奇跡が必要なのだ。





 とりあえず、人間を機械のPCに例えればわかりやすいだろう。
 PCが肉体、そこに入っているプログラムが魂。
 魂は階層的ネットワークを構築していて、それが一台のPCの中のこと。

 階層的ネットワークを構築した一台のPCが、インターネットを通じて他のPCに情報を発信。
 魔法解釈による階層的秩序を感染させていく。
 “知らぬ”から“知る”への不可逆的変化。
 そうして感染したたくさんのPCが真実を作り出し、元のPCにフィードバック。
 これもまた“知らぬ”から“知る”への不可逆的変化。
 そうして真実を塗り替えていく。
 もう元の真実へは戻れない。

 こんな感じ。


  1. 2018/09/22(土) 21:23:46|
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戦い抜いた者への報酬

 本日、一本目。

 EP8の山羊たちについての考察を色々やってごちゃごちゃしているのでスッキリさせたい。
 そういうわけでEP8を通しで考察しようと思う。


 EP8は我々読者に対して参加を呼びかけることを多用している。
 それをもとに物語を見てみる。

 山羊たちのシーンに行く前に、譲治と朱志香のクイズを解いた後に教えて貰った助言を思い出そう。
 自分の手の中にある真実を守れるのは自分だけなのだ、と。
 そんな感じのことを言われたが、これは勿論我々読者に対しても言っているのだ。
 これを念頭に山羊たちのシーンを見ると、手の中の真実を崩そうとする他の真実、と解釈できる。
 真実というものは他を排する性質を持つので、他から見れば自分の真実もそういうものなのだね。

 ラムダデルタは物語の登場人物ではない。
 物語を観劇する読者の立ち位置。
 つまり、ラムダデルタは我々読者に重なる。
 物語の登場人物である者たちは、読者の手の中にある真実の中に住まう駒たち、と見做せる。

 我々読者が突きつけられたのは、その物語のキャラクターのために命を賭けられるのかということ。
 無論、現実の我々が死ぬわけではないので、プレイヤーとしての我々のことであるのだが。
 要するに、プレイヤーである貴方は、貴方の真実と運命を共に出来るのか、という問い掛けだ。

 故に、魔法と手品の選択肢は、我々プレイヤーにその選択を迫ったものに違いあるまい。
 猫箱より出る時に受け取った真実を、未練として捨てるのか。
 それともそれを持ち続けたまま生きるのか。

 受け取ったものは、読者それぞれで異なることだろう。
 クイズ大会の土産のように、これまでの謎にどう答えを出してきたのか、それに見合ったものを受け取っているはずだ。
 よってここからは、私が受け取ったものを前提として語ろう。


 私が受け取ったものは、一つの真実から生じる並び立つ真実、それを体現した真犯人の真実である。

 手品を選べば、一つの真実からいくら複数の真実を生み出そうと結局のところ真実は一つしかない、となる。
 魔法を選べば、一つの真実から生み出された並び立つ他の真実も認める、となるだろう。

 魔法を選ぶと、ベアトの入水シーン。
 戦人はプレイヤーに重なり、ベアトはプレイヤーが手に入れた真実に重なる。

 真実が並び立つには、猫箱、即ち島の中のみ。
 島の中でしか生きられないもう一人の自分(真実)を成立させるために、本当の真実は死んで幻想とならねばならない。
 真実が並び立つことを認めたプレイヤーは、最後にはそれを許容しなければならない。

 読者には生きるべき現実があり、幻想は幻想に帰らなければならない。
 海の底、幻想へと沈む真実を追い、読者の中にいるプレイヤーが運命を共にする。
 真実に至ったからこそ、もうその真実を手放さないと誓ったのだ。
 現実で誰かに認めてもらう必要はない。
 愛は二人で完結しているのだから。
 そして、二人は猫箱の中で永遠の眠りに就く。

 愛の結実を黄金の真実で認められ、真実は読者の頭の中の海の底で静かに眠っている。
 そういう感慨深いエンドなのだ。


 おお、ベアトリーチェ。
 お前は永遠に私だけのもの。
 決して離しはしない。
 だから私だけに微笑んでおくれ。





 取り合えず通してできたので、八城視点で振り返ってみる。

 縁寿の決断を八城は見守った。
 八城はかつてのベアトリーチェなので、過去の過ちの結果が示されたことになる。

 手品エンドを選んだ縁寿は、かつて島を出た八城そのものだ。
 魔法を、古き殻を捨て去って、新しい自分に生まれ変わる。
 果たせぬ復讐を追い求め、ただただ真実を暴き物語を殺し続けていく人生。
 その果てに自分の物語も殺されるのだ。
 自分が生きるために、もう一人の自分を殺した。
 だから、もう一人の自分を蘇らせるために、自分は死ぬことになるだろうと覚悟している。


 魔法エンドを選んだ縁寿は、かつて八城が選べなかったもの。
 赤き真実を知り、それでも黄金の魔法を認め、そこに託された心をちゃんと受け止めてくれる人がいるのだと証明されたのだ。
 だから過去の過ちを今こそ認められる。
 あれは自分の過ちであったのだと。
 もっと早く、会いに行けば良かったと。

 黄金郷が完成するには一人足りない。
 最後の一人を迎え入れて完成、いや、復活するだろう。
 今こそ黄金郷は蘇り、本当の主の帰還を祝福する。

 これは一人の人間の破壊と再生の物語。

 この物語を、最愛の魔女ベアトリーチェに捧ぐ





 ああ、これまでの物語が報われる最高のラストだ。
 ここまで推理してきたからこそ、感慨深いなぁ。
 この報酬は私だけのもの。
 私の努力も、ベアトの努力も報われた。
 推理してきて本当に良かった。

 ベアトリーチェ、ありがとう。
 謎を、ありがとう。
 信頼してくれて、ありがとう。
 推理させてくれて、ありがとう。
 竜騎士さん、本当にありがとう!


  1. 2018/09/22(土) 19:11:49|
  2. うみねこ咲へ向けて
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ゲームの戦い方と諸々思うこと

 本日、2本目。


 未来の真実は、過去の真実に勝る。
 未来の真実は、過去に遡って真実を書き換える。
 それは、自分の手の中にある真実を守ることなく、外からの干渉で変化することを許すということ。
 ならば、信じるべきは、未来の真実か、過去の真実か。


 未来のゲームの真実を信じるということは、逆に言えば、過去のゲームの真実を信じないということ。
 次のゲームで推理が引っ繰り返されることを容認するのであれば、それは今のゲームでは推理するには情報が足りないと言っているも同然である。

 ミステリーでは、最後には答えが示される。
 ならきっと、後に出される情報ほど真実に近付く。
 よって、前のゲームになるほど真実から遠ざかる。
 であるならば、情報が出揃うまでは推理できない、と結論付けられる。

 どうせ引っ繰り返されるなら、推理した真実を守る必要はない。
 真実を守らず、それを引っ繰り返されることを楽しめば良い。
 それもまたミステリーの楽しみ方のひとつであるのだから。


 とりあえず極論に走ってみたが、多かれ少なかれ当て嵌まることはあるのではないか。
 ミステリーとは推理を楽しむものであるが、読者の想定を上回る答えを期待するものでもある。
 つまり、読者は自分が手にした真実を守ることなどしないし、全力で推理することもしない。
 ある程度だけ推理して、推理したつもりになって、その推理を引っ繰り返されることを楽しむものだ。
 私も普通のミステリーであれば、そのように楽しむ。
 早く答えが知りたいとページを捲ってしまう。

 だからきっと、誰もが全力で挑まない。
 ましてや、作者の答えと殴り合う者などいはしない。
 人は自分が手にする真実を簡単に捨て去る生き物なのだ。


 ただのミステリーであれば、最後に出された真実が最も信じられるものであり、それを疑う必要などない。
 だがこの物語は「うみねこのなく頃に」だ。
 これが真実です、と出されたら、まずは異なる解釈・視点で立体視すべきなのだ。
 要するに、鵜呑みにせず対案を出し、その真偽を問う。
 そうやって戦わなくてはならない。

 なぜならば、対戦者であるベアトの“ゲームで戦う”という意志だけが信じられるものだからだ。
 それを信じるからこそ、ゲームは成立する。
 暗闇の中でそれだけが信じられるよすがである。
 そして、最後まで戦いとおすにはそれだけで十分である。

 であれば、答えを教えてくれるなどありえはしない。
 そんなことを考える暇があるなら、戦うべきだ。
 相手の戦う意志を信じるなら、ただ只管に戦うべきである。



 まぁそれは私の個人的見解に過ぎない。
 その見解に至ったのは、ゲームの構図にある。

 メッセージボトルの物語は作中作であり、作中に作者がいる。
 メッセージとは、それを読む読者へ向けてのもの。
 作中の作者は、戦人とベアトのゲームの様子を通して、作中の読者と対戦している。
 現実の読者である我々は、擬似的にその“作中読者”という対戦席に座っているわけである。

 即ち、真にこのゲームで戦っているのは、作中作者と読者なのだ。
 戦人とベアトの対戦は、チュートリアルやデモンストレーションの類であり、その対戦自体が読者に対する出題となっている。

 つまり、我々が向き合うべきは、その対戦席に座る人物なのだ。

 この構図に賛同してくれる人は多いだろう。
 だがしかし、それを明確に自覚して戦っている人はどれほどいるのか疑問ではある。

 ちゃんと向き合っていたのであれば、この物語の文句は、現実の作者へ向けてではなく、作中の作者へ向けていただろう。
 それが傍から見れば滑稽だろうと、物語の登場人物にすぎない者を、きっと一人の“人間”として扱ったのではないのか。

 物語の最後の最後で、偽書の作者が戦人=十八であると認めてしまうのもそう。
 これまで対戦席に座ってた者を差し置いて、ぽっと出のヤツをその席に座らせるのは不義理ではないのか。
 その席に座っていた者への愛があるのなら、一戦を交えるくらいはしなければ義理は通らない。 
 勝敗はどうでもいい。
 戦いという過程を経たのかが問題なのだ。

 戦わなかったのであればそれは、既に戦人だと推理していたか、推理していなかったからそのまま受け入れたか、守るべきものに含まれていなかったからどうでもよかったか。


 やはり、守ろうという意志がなければ、守ろうとはしないものなのだろう。
 ならば、守るためには、まずは守るものを見つける必要がある。



 “対戦者”との戦い方は、攻めと守りの2種類がある。

 人間側の攻めは、幻想を暴こうとするもの。
 対して魔女側は、幻想を守ろうとする。
 それが失敗し幻想のマスが暴かれれば、別の幻想のマスへと退避しなければならなくなる。

 逆に魔女側が攻めで人間側が守りの時。
 人間側は、真実を守らなくてはならず。
 魔女側は、その真実のマスより弾き出そうとする。

 人間側の攻めは比較的自由だ。
 人間説であればなんだっていい。
 魔女側の守りも比較的自由だ。
 魔法説であればなんだっていい。
 攻め易く、守り易く、故に白熱しやすい。

 だからか、人間側のプレイヤーは攻めにかまけて、守りを疎かにする傾向が高いと思われる。
 知らぬ間に自陣はボロボロ。
 魔女側から許されたマスしか足場が残されていなかった、なんて羽目になる。

 信じるものは常に自分で決めるのであれば、魔女側に誘導された真実など蹴っ飛ばしてやらねばならない。
 人間側の守りは、一マスでも弾き出されたらある種の負け。
 守るべきを守れなかったら負け、だから一歩も譲ってはならない。

 魔女のゲームはEP2から始まったと言っていい。
 即ち、EP1は人間側に自陣を固める猶予を与えるためのものであったのは明白。
 自陣にあるのは、自分の推理した真実。
 つまりは、こちらの主張だ。
 魔女のターン、人間側の自陣に攻撃が加えられる。
 それはあちらの主張であり、こちらの主張を崩そうとするもの。

 崩されれば負けなのだから、まずは守る。
 その後に魔女の主張を崩す。
 そうして自陣を広げ、次のゲームの攻撃に耐えられるように自陣を固める。
 その繰り返し。

 だから守るべきは前のゲームの真実。
 次のゲームの情報は、それを崩すための魔女の一手なのだ。
 “対戦者”が物語を綴っている以上、新たに与えられる情報は魔女から与えられたものに他ならない。
 魔女の手によって前のゲームの真実が崩されたのであれば、それは前のゲームが情報不足だったと認めるも同然。
 全力で推理していなかったと白状するようなもの。

 推理可能と信じ、推理できたと信じるのであれば、魔女に譲るものなどありはしない。
 それが全力で戦うということ。

 逆に、情報不足だと信じ、新情報を与えられなかったら推理できなかったと信じるのであれば、それは魔女に譲られたのだ。
 それでは魔女にわざと負けてもらったようなものではないか。

 魔女に譲られたマスに駒を置き続ければ、それは魔女が描いた盤面。
 そうやって全てのゲームの盤面に、ひとつなぎの幻想を描くというのが魔女のグランドデザインなのだろうさ。

 EP3でベアトが譲られた勝利に満足しなかったように、こちらだって譲られた勝利なんかノーサンキュー。
 ベアトの駒を自陣に招き入れ、プロモーションされたら後は蹂躙されて終わりなのだ。


 さて、ちなみにではあるが、手にある真実を守ると言っても、間違っていれば正さなければならないのは当然のことだ。
 真実を捨て去ることは自分にしかできないことなのだから、間違っているかどうかは自分で確かめなくてはならない。
 だから他人に、魔女に、間違っていると主張されてすぐに捨て去ってはならない。
 間違っているかどうかは自分で確かめる。
 全力で戦った上で勝敗を決めるべきなのだ。

 戦うべき時に戦わず、相手の主張を認めるのは、負けを認めるに等しい。
 自分の手にある真実の成否の判断を相手に委ねることは、生殺与奪権を相手に渡すということ。
 生殺与奪を委ねるということは、つまりは降参。屈服したということ。

 複数の可能性があるから次のゲームで可能性を絞るという時、絞ることを相手に委ねると、それは相手に主導権を与えるに等しい。
 そうなれば戦いは一気に不利となる。
 だから戦いの主導権は常に自分が持たなければならない。
 それには前のゲームを全力で戦い、確信を抱く真実を作り、揺るぐことの無い戦いの土台とし、大地の代わりとして踏みしめることだ。
 足元が崩れれば、忘却の深遠に落ちてしまうのだから。

 可能性は探し出すものだが、真実は作るもの。
 可能性は可能性でしかなく、簡単に他の可能性への移行を許すがために、守るよりも逃げることを容易に選んでしまいかねない。
 真実とは、自分が信じられるものを組み合わせて作るもの。
 それは自分が作ったものであるため、自分にしか守れない。
 自分が守らなければ消えてしまう儚い真実。
 魔女はそれを攻撃し、己の主張を認めさせようとしてくるのだ。
 


 私の結論としては、未来の真実と過去の真実のどちらを信じるかは、過去の真実を信じるとなる。
 過去の魔女が未来の魔女に対抗するには、過去の真実を用いることしかできないのだから。



 私はベアトのゲームの戦いを大体そんな感じで捉えている。

 とは言え、この主張の崩し合いは両者の主張が平行線を辿るので終わるに終われない。
 だから落としどころが必要となる。
 それは両者の妥協点。
 人間説であると同時に魔法説であるもの。
 両者が認める真実。
 即ち、黄金の真実。

 2つだと争う。3つだと安定。
 解決策、妥協案、争いを安定させるための第三の点。
 それゆえの3つの物語なのか?

 EP8の選択。
 書かれたとおりの、別の手を使った人間のトリック。
 同じ方の手を使った魔法。
 嘘による、別の手を使ったもうひとつの人間のトリック。
 これで三点。
 そして、それら3つ生み出したのが、紫発言を記した執筆者による人間の記述トリック。
 四点目。

 EP1の人間説で、点が1つ。
 EP2の魔法説で、点が2つで線に。
 EP3の並び立つ人間説で、点が3つで面に。
 EP4の執筆者による記述トリックで、点が4つで立体に。

 美しい。実に美しい構図だ。
 これがベアトリーチェの魔法のフォーマットなのか。



 なるほど、なるほど。
 魔法とは、自分とは別の視点を作ること。
 別の視点を持つ、別の自分。
 別の視点から思考する、別の自分。
 別の思考の自分と会話をする。
 それは議論となり、真実を作り上げていく。

 対戦席に姿のない真犯人を置き、戦う。
 私がやってきたこれは、魔法だったのだな。
 議論し、信頼し合い、恋の決闘に勝ち、一人の人間となる。
 ああ、黄金郷とは私の頭の中にあり、彼女はそこの住人となったのだ。
 私だけの黄金の魔女。
 故に私たちは永遠に一緒。


 やはり、これから「うみねこ」を推理したい方には、この戦い方をお勧めしたい。
 皆も自分だけの黄金の魔女を頭に住まわせてみよう。

 まずは頭の中に空間を創る。
 真ん中にテーブルでも置き、対面となるように2つの席を置く。
 片方は自分が座り、もう片方に姿なき犯人を置く。
 某コナンの黒タイツの人物でも良い。
 ただし、犯人は一人とは限らない。

 この時、特定の人物を座らせてはならない。
 犯人は誰かから入ると、動機が後付けになってしまう。
 犯人の姿を探るのではなく、犯人の思考を探るのだ。

 犯人が行ったことを列挙し、なぜそれをしたのか考える。
 最初は第一のゲーム、園芸倉庫から。
 なぜ園芸倉庫だったのか。
 何故、何故、何故。
 信頼できる思考を得たら、次のものを考える。
 何故、何故、何故。
 そうして点と点を繋ぎ合わせ、事件全体の犯人の思考に筋を通す。
 そうして得られた犯人の思考から、犯人は誰か、トリックは何かを考える。
 そうして作り上げたものが、信頼すべき真実である。

 それを持って次のゲームに挑む。
 同じように犯人の行動から、なぜそれをしたのか考える。
 ベアトの攻めを見て、犯人となって思考し、真実を崩そうと色々と主張してみる。
 次は逆側から、真実を守るための反論をする。
 攻められた部分はそれに耐えるために分厚くなる。
 そうして真実は鍛え上げられていく。
 全てに反論できれば、そのゲームの真実も出来上がっていることだろう。

 そうやってコミュニケーションを繰り返せば、信頼し合い、絆は深まっていく。
 最終的には、どんな主張だろうと耐えられる強固な絆となるだろう。


 拷問は理不尽だから苦痛なのだ。
 信頼し合えば、それは快楽となる。
 皆も拷問を楽しもう。


  1. 2018/09/15(土) 23:46:47|
  2. うみねこ咲へ向けて
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我らの告白の推理の修正

 ※ネタバレ注意。



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  1. 2018/09/15(土) 20:38:21|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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