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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


ベアトリーチェという駒の性能

 ベアトという駒がどの様な性能を持っているのか考察をまとめてみる。


1、目としての機能
 チェス盤思考は、相手の立場になって思考すること。
 自分の視点だけでは、世界の一面しか見えない。
 他人の視点からも見ることで、世界を立体視できる。

 人間は片目でしか見れない。
 そこでもう一つの目として機能する駒が必要となった。
 想像の翼を広げ、他人の世界へと羽ばたき、目を借りる存在。
 他人を頭に住まわせて、自分の代わりに思考させる駒。
 朗読者にして、巫女。

『そなたと対話をしているから、その思考に至るだけだ。……我が思考は八百万を束ねて超える。人の子には、まるでそう見えるだけに過ぎぬ。……されど、そなたがいなければ、思考する力さえない、か弱き病人に過ぎぬ…。』

 創造主は、駒を使って代わりに思考させる。
 即ち、エミュレーターとしての機能。

 八百万とは例によって、象徴的で大げさな数字であるが、数多の駒に思考させればそれに届くのだろう。
 ベアトのゲーム盤は、自分も合わせて19人の視点で立体視したもの、と言えばそのバケモノっぷりがわかる。


2、他人になる機能
 ベアトという駒を他人の目として機能させ、その思考を語らせるということは、他人になる機能と言い換えることができる。
 駒のプロモーションが、ベアトのデフォルトの機能なのである。
 現実の人間は勿論のこと、想像上の幻想だろうと設定さえ決まれば演じることが可能。


3、俯瞰視点となる機能
 自分がやることを駒に代わりにやらせる。
 結局は、自分がやっているのには変わりない。

 しかし、それは自分から、自分を遠ざける効果がある。
 それはあたかも、自分の視点が自分を離れて、自分を上から見下ろすかのよう。
 即ち、俯瞰視点。

 自分の代わりに駒を置くことで、自分をゲーム盤の外へと置く。
 これはゲームマスター視点を得たということ。


4、未来実現の機能
 ゲームマスターとしてゲーム盤を俯瞰し、ゲーム盤に19人の駒を置き、19人の視点で棋譜を構築。
 実現できる未来を創造できる。
 即ち、シミュレーターとしての機能。
 これで無限にゲーム盤を作ることができる。

 この時点で運命を作り出す魔女の階梯に昇ったと称してもいいのではないだろうか。


5、幻想修飾の機能
 ニンゲンの駒が見ていない所を、幻想で覆い隠すことができる。
 それはつまり、魔法説を主張することができるということ。

 魔女の闇はあらゆる可能性が主張できる。
 数多の駒に思考させる創造主は、無限の解釈を使いこなす。
 つまり、独壇場ということ。


6、平行世界構築機能
 犯人Aが置かれたゲーム盤と、犯人Bが置かれたゲーム盤。
 右手と左手を同時に動かして、2つのゲーム盤に同じ結果の盤面を描く。
 結果を同じくしながら過程が異なる、決して交わることのない世界。
 その平行世界を重なり合うように作り出すことができる。


7、ゲーム対戦予測の機能
 ゲームマスターの席に座るということは、その対戦者である人間側のプレイヤーの席を想定しているということ。
 即ち、人間側のプレイヤー視点を借りて、ゲームの対戦をシミュレーションができる。

 プレイヤーにどう推理させるのか自由にコントロール可能。
 そして、それをもとにゲーム盤を作成可能。
 1986年のゲーム盤では、戦人をその席に座らせた。



 ベアトのできるのはこの階層までだろう。
 この上は造物主や航海者の世界となる。


 ベアトを生み出した創造主は、かつてベアトと一つだった。
 それが分離することで、ベアトのゲーム盤の全てが閉じ込められた猫箱の外の視点を得た。
 ベアトのゲーム盤を物語として執筆し、それを読む読者を想定した視点。
 しかし、島に閉じ込められた身であり、島の外のニンゲンは知らない。
 だから、読者の席に座る人物が視えない。
 そういう意味で、造物主に成りかけていた、といった感じだろうか。


 ベアトを殺し島を出て、八城を名乗り、造物主の道を歩んだ未来において。
 フェザリーヌは、縁寿を2人目の巫女と語った。
 一人目の巫女はベルンカステル。
 何を朗読したのかは明白だ。
 それはベアトリーチェの物語。

 無限に生み出された物語を、意味ある順番になるように並べ、その結果、魔法の奇跡に至れるまで永遠と思考することを、代わりにさせられた。
 こういうのまで駒に思考させるのは、正に病気だな。
 まぁ、そうしなければ思考できない体なのだろうけど。

 というわけで、ベルンは奇跡を探すために生み出された駒。
 ラムダデルタは、ベアトのゲームが絶対の意志vs絶対の意志で拮抗、勝敗を5分5分で決まるように、難易度調整をさせるための駒だったと考えられる。

 2人の思考の結果、ベアトの物語は弄られて、フェザリーヌが最終稿を執筆、といった感じだったのではないかと。
 1986年には完成していて、後年、思い出しながら最終調整を済ませた。


 ヱリカの駒について。
 ベアトが他人になり思考するために、その前にその人物の真実を暴くために作られた駒。
 それがヱリカ。
 後、ベアトがファンタジーで真実を修飾するなら、ヱリカはミステリーで真実を修飾する役割が与えられている。
 たぶん、ベアトの機能の一部を分けて生み出されたのではないかと思う。
 あるいは、ベアトの駒の一面に過ぎないのか。

 六軒島の夜の屋敷を魔女が闊歩していたが、同時に変態探偵も闊歩していたと考えると笑ってしまう。
 島の皆はストーカーされていたのに気付きもしないなんて!
 源次や嘉音の気配を殺した歩き方をベアトは標準装備しているんだろうなぁ。



 ベアトの創造主だが、自分が思考する代わりに他人に思考させる、という発想の時点で人間離れしている。
 世の小説家、どんな文豪だろうと、頭の中に自分が生み出したキャラが生き生きと動いていようと、自分が思考すべき時にキャラに代わって考えさせている人などいないだろう。
 他人の物語、カケラを集めて、弄って、生み出して。
 人間離れした思考方法を続け、その道を究めようと務めて19年。
 ベアトの創造主は、思考のバケモノと呼べるモノだろう。


 まぁ、私が一番恐ろしいのは、その機能を持った家具を作り調整した金蔵なのだが。
 何も持たせず、退屈を紛らわすために他人の思考を取り込んで遊ぶ状況に追い込み、それを19年間も熟成させ、完成したのが至高の家具。
 人の魂や悪魔、果ては異界までその身に降ろすこの召喚特化の家具は、召喚師ゴールドスミスの最高傑作と言って良いだろう。


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  1. 2018/08/25(土) 20:32:00|
  2. うみねこ咲へ向けて
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愛なき世界

 本日2本目。

 Tips、クレルの項より抜粋。
『厳密には、ベアトとゲームを擬人化するための依り代である。
 よって、“彼女”という人格は存在しない。
 その意味においては、彼女は人ではなく、道具だと言えるだろう。』



 愛されることで、存在を認められる。
 愛されないということは、人の世に存在していないということ。
 人は愛に生きる。
 では、誰にも愛されない世界とはどんなものなのか?

 愛し愛されて世界を共有すれば、灰色の海さえも色鮮やかに見えるという。
 ならば愛なき世界とは、灰色の世界のことを言うのだろう。

 世界を彩る愛とは、愛ある解釈のこととすると。
 その愛がない世界とは、愛なくとも存在しえるもの。
 即ち、真実。

 フェザリーヌ曰く、真実とは本来中立であり、無味乾燥なもの、だとか。
 真実とは誰かを非難するものでも擁護するものでもない。
 ただそこにあるだけのものだ。
 それは灰色をしていないか?

 一説によれば、愛の反対は無関心だという。
 では広義の愛は、愛や憎しみをも含む、関心のこととなる。
 愛ある世界の外に追いやられたものたちは、誰にも関心を示されない世界に住まう。
 その世界はきっと灰色で、ただ真実だけがあるのだろう。

 愛なき世界の住人に愛を教える者はいない。
 人は教わって初めて、それを知る。
 楼座が兄や姉に悪意をぶつけられて、悪意を学んだように。
 だから愛を知らない。
 だから世界の彩りが見えない。


 そんな中、六軒島に小さな使用人がやって来る。
 彩りの世界に住まう近い年頃の他人。
 近いとは共感しやすいということ。
 想像の翼を羽ばたかせて、自分をその使用人に置き換える。

「世界を変更。“成りたい理想の自分”を使用人に設定。依り代は紗音。
 私は福音の家出身の新人使用人。これから右代宮家で働くことになった。
 私は誰にも知られていないのだから、その設定を引き継がせる。
 辻褄を合わせるために、病弱で隔離されていたことにしよう。
 名前は安田からとってヤス。
 あぶれた紗音は、使用人としてヤスの手本となる友人ということにしようか」

 そうして自分の代わりに使用人の生活をする駒として“ヤス”は生み出された。
 紗音は“ヤス”に使用人の生活を教えてくれる先輩と言えるだろう。
 “ヤス”を介して使用人の生活を味わい、さまざまな感情を知る。
 そうして他者の心を探り、世界の彩りを知った。
 退屈な灰色だけの世界が少し変化した気がする。
 想像している間だけは、自分が本来住む世界のことを忘れられる。

 だけどそれは所詮、一人遊び。
 真里亞のぬいぐるみ遊びと同じ。
 ただぬいぐるみが生きた人間に換わっただけ。
 一方的に相手の世界を知り、だけど紗音の世界には何の変化もない。
 それではもう満足できない。
 愛しているのだから、相手にも愛されたい。
 世界を共有したい。

『一つの物語を共有し共感することで連帯感が生まれる。すると共感は義務となり、それを受け容れることが、共同体に加わる通過儀礼のようになる。』

 だから物を隠した。
 置いてあったはずの物がなくなっている。
 それを紗音は魔女の仕業だと解釈し信じた。
 私もその物語を共有し共感しよう。

「設定追加。物がなくなるのは魔女の仕業。
 魔女はヤスを困らせてその姿を楽しむ。
 ヤスはそんな魔女に抗う。
 それが我等の遊戯である」

 紗音の世界は変化し、魔女という解釈を介して世界の一部を共有した。
 共有する世界の彩りの何と鮮やかなことか。
 通過儀礼は果たされ、いまこそ私たちは友人である。
 物を隠すのも友人の成長を願ってなのだ。
 隙を見せればまた物を隠してしまおうぞ。


 日々は流れ、紗音は熊沢との交流でミステリーを知る。
 友人ならば物語は共有すべきである。
 友人である魔女にも解釈させてみれば、ミステリーの何と面白きことか。
 これは新しい悪戯に使えるのでは?

『それにしても、我が友が親切に忠告しているというのに、耳を貸さぬとは不愉快なヤツらよ。我が友を蔑む言動の数々、妾に対するものと受け取らせてもらおうぞ…!』

 友を助けるために、トリックを使いそれを魔法で飾り立てる。
 あぁ、我は我にして我等なり。
 これは魔女の犯行であり、同時にヤスの犯行であり、……そして、私の犯行なのだ。
 ニンゲンには解くことのできないミステリー。
 一つの真実を土台に、複数の平行世界の創造。
 魔法があれば無限に世界を広げられる。
 これが魔女の悦楽なのか。
 想像の限りのトリックを試したい。

『使用人ごっこは、もうやめる。………世界を、変更。』

 紗音以外の世界に羽ばたき、世界を広げる。
 様々なことを知り、作り、遊んで、この魔法世界を成長させよう。
 そして、魔女を認めさせる。
 自分が生み出した世界は最高なのだ、それを認めさせよう。


 そして時は流れ。
 今こそ妾の魔法の世界は完成した。
 だから我が友である紗音に、この世界を共有し、もう一人の主にしてもいいのだぞ。

 だが紗音は島に訪れる子供たちと遊ぶことに夢中。
 同じように島の中しか知らなかった紗音が、知らぬ間に世界を広げていたのだ。

『我は、いつの間にか紗音がそのような新しい世界を生み出していたとは、知りもしなかった。』

 自分の生み出した世界より、他の世界に夢中になる紗音。
 ここからはEP6の東屋での譲治の昔話と重ね合わせて読み解くとわかりやすい。



『譲治はつまり、いくら自分が優秀であっても、魅力ある人間として認められていない、ただの電信柱扱いであることに、ようやく気付いたというわけだ…。』

 自分が生み出した魔法世界には全てがある。
 それは何よりも素晴らしい理想郷だから、皆もぜひ共有すべきだ。
 でもニンゲンには理解できないだろう。

 魔女だと認めるだけで、その世界の一端だけでも共有できる。
 皆、魔女を認め、怪談の話でもちきりだろう。
 だから、そなたもどうだ?

 そんな風に調子に乗っていたら、紗音たちは子供たちの世界に夢中。
 特に、戦人との世界に。
 そう、自分は、誰にも見向きもされない電信柱に過ぎなかったと気付いた。

 だから嫉妬した。
 紗音を夢中にさせる世界を。

『僕に魅力がないのは、(中略)………いつも一歩逃げている自分の臆病さにあったんだ。
 僕は、それを克服するために、生まれ変わる決意をしたよ。
 ……初めて自分の殻というものを理解し、それを打ち破ろうと誓ったんだ。
 その意志が挫けそうになる度に、……あの日のことを思い出してバネにした。……君たちが僕を忘れて楽しそうに遊んでいた、あの日。そして、僕に好意があると決め付けている君の瞳に、僕が映ってなかったことをね。
 ………誓ったんだよ。今度こそ、本当に君を振り向かせて、その瞳に僕を映してやりたいとね。……それが、実は君に恋をした、一番最初の感情。』

 お前を振り向かせて、お前の瞳に、自分の姿を映してやりたい。
 これまでのような魔女を認めさせるなんて遊びのゲームじゃない。
 本気のゲームで挑み、自分の全てを認めさせてみせる。

『自分の可能性の限界を確かめたい。その到達点の頂に、君と一緒に至りたいんだ。……そこからの眺めは、僕以外の誰にも見せられないものになる。』

 本気のゲームを作る。
 自分の可能性の限界まで。
 その到達点にお前と一緒に至りたいんだ。
 そこからの眺めは、自分以外の誰にも見せられないものになる。
 それだけの魔法世界を築き上げた。



 話を戻そう。
 紗音と戦人の恋。

『それは妾の知らぬ感情。持たぬ感情。
 如何なる望みをも叶えられる、我が魔法を以ってしても。
 如何なる望みをも叶えられる、我が理想郷を以ってしても。
 得ること叶わなき、……焼けるように熱く、………なのに狂おしいくらいに抱きしめていたい、理解できない感情。
 理解できるのは、妾がどんなに大魔女であっても、それを生み出せないこと。
 それは、誰かに与えられなくてはならないこと。』

 心の交流。
 二人で世界を共有し、共に世界を作る。
 ……そんな相手は、自分にはいない。
 得られない。与えられない。
 誰かに与えられたい。
 その感情をもっと知りたい。


『心だけが、人を殺せる。
 そして、人が殺されたなら、心を探らなければならないんだと。
 彼はそう言った。』

『ミステリーだけに、限らない。
 人は誰だって、何にだって、心で動いている。
 それを察することが、人との交流、……いや、心の交流なのだ。』

 そんなことを言うならば、自分こそを推理して欲しい。
 心を推理して欲しい。
 なら心を推理できるようにしなくては。

 それは自分の心と本気で向き合うということ。
 鏡に映った自分自身を直視し続けるということ。
 鏡に映った自分は嫌いなのにもかかわらず。
 それは自分を解体する作業。
 6年が千年に感じる、永遠の拷問。


 ストップ!
 ここが核心だと勘が告げている。
 しっかりじっくり考察せねば……!




 よし、やろう。

 人は誰にだって心がある。
 逆を言えば、心こそが、人であるということ。
 それはつまり、異なる犯人の真実を生み出したら、それぞれの心が別である、ということか?

 我こそは我にして我等なり。
 我等は我であった。
 だが別人なのだ。
 心も、感情も、記憶も、別。


 真犯人――ここではクレルと呼ぼう。
 クレルは何も持っていなかった。
 何も知らなかった。
 そこで“成りたい理想の自分”を作り、それを他人に投影。
 想像の翼を広げて、他人の世界を知ろうとした。

 チェス盤思考、相手の立場に自分を置いて考える。
 鏡に自分を映すようなもの。
 だから相手の姿が“自分”に引きずられてしまう。
 しかし、クレルには自分というものが無いに等しい。
 だから相手の姿をそのままの姿を映し出した。
 と思われる。

 そして様々な世界に羽ばたき、色々なものを知り、感情を得て、共に成長してきた。
 ずっと大切にしてきたもう一人の自分。
 そうして19年間、自分というものを積み上げてきた。

 それが幻想と真実によって引き裂かれる。
 アイデンティティの崩壊。

 追加Tipsラムダデルタ卿による回想記を抜粋。
『運命に翻弄されるのがニンゲン。愚かで哀れで、何も生み出せない。
 ……しかし、足の下には踏みしめる大地がある。そしてその大地は決して裏切らず、生涯、奈落への墜落の恐怖に怯えることなく暮らすことが出来る。
 運命を生み出すのが、神々。そして造物主。全知で全能で、全てを生み出す。
 ……しかし、全てを生み出し、全ての制約から解放されているということは、足元に大地という制約すらないことを意味する。
 全ての制約を完全に失った存在は、……全てを手にする代わりに、それらの“意味”という制約すら失う。……生死の概念すらなくなり、存在の意味さえもなくなり、……ゼロの域に達する。あるいは、転落する。墜落する。崩壊する。雲散霧消する。』

 人間は、自分の経験や記憶を、自分のものだと疑う必要もない。
 自分という制約より自由となった場合、それらの経験や記憶は、何かの拍子に瓦解するものとなる。
 他人の視点で世界を見てきたがために、得てきたものは他人の経験、記憶、思考、価値観に過ぎない。
 今まで築き上げてきた“自分”の大部分を受け持つ、ヤス=ベアトが否定されるということは、“全てを持った自分”が“何も持たない自分”に転落する。墜落する。崩壊する。雲散霧消する。

 ベアトを殺して島を出た八城は、この造物主の道を歩んだ。
 自分を持たないが故に、他者の思考、解釈を思考の杖として使い、それを巫女と呼んでいる。

『……退屈から逃れるために、星の数の物語を食い尽くしてきた私は、そもそも初めから、物語を喰らってなどいないかったのだ。……ただ、殺していただけ。……結局は、それが私をも殺すのだ。』

 他者の世界、物語を食って成長した自分は、これまで自分が物語を殺してきたように、物語として殺される。
 これは正に、かつての八城の死因そのものであることだろう。


 EP8のラスト、十八こと戦人の台詞。
『私は、右代宮戦人の記憶を持っています。……ですが、それが自分のことと、思えないという、脳の病気なのです。』
『それは、自分が自分でなくなるという恐怖だった。
 頭の中に、見知らぬ男の記憶がいっぱいに広がり、自分を塗り潰しそうになるのだ。』
『辛く、恐ろしい日々でした。………自分が、知らぬ人間に頭の中を侵食されていくかのような…。………今日、明かりを消して眠ったら、自分という私は、もう二度と目覚めず、明日の朝からは、私の体を乗っ取った違う男が生活を始めるのではないか。……そんな恐怖が、数え切れぬほどの夜に、私を苛み続けました…。』
『ですが、駄目だった。……私は私、…八城十八なんです。……頭の中に、どれほど右代宮戦人の記憶が溢れようとも。……それは私には、他人の記憶なんです。………私には、右代宮戦人を受け容れることは、出来なかったんです………。』
『それでも、彼は戦ったのです。………自分の中に右代宮戦人がいる以上、あなたに会うのがその義務ではないか。そう想い8、彼は何度も、…二人の自分の狭間で戦ったのです。』
『あなたと会うことで、私は死ぬのではないか。……そう、怯えたのです。……しかし、私は今、ここにいて、あなたとこうして普通に会話をしています。……だから、後悔しているのです。………もっと、早く、…………私はあなたに、……会っておけば……。……あなたも、……私の中の右代宮戦人も、………こんなにも長い年月、苦しまなくて済んだだろうと思うと、……それが、……申し訳なくて………………ッ……ッ……。』

 これはそのまま、クレルとベアトの葛藤として読み解ける。

 かつて一つだった自分が、別人として引き裂かれる。
 愛を欲したがために、自分を殺さなくてはならなくなった。

『……そんな中にもわずかにあった、喜びの日々。
 それらが次々と蘇っては、………消えた。
 美しかった記憶の全ては、……もうベルンカステルの赤き真実で、……打ち砕かれてしまって、………粉々の破片になって散らばり、…ちくちくと両手いっぱいに刺さって、……悲しみの血で真っ赤に濡らす…。
 ………それが、悲しみと真実の、赤。』

 これはEP5の幻想法廷で犯人だと決定した時の夏妃。
 クレルの心境に重なる。

 本当の自分は何も持っていない。
 他人の経験や感情、思考や解釈を共有することで、自分もそれを得ていたと思い込んでいただけ。
 それはつまり、頭の中に他人を住まわせてきたということ。
 だがしかし、その者こそが過去の自分の全て。
 自分はいったい誰なのか。
 何も持たない空の器が自分なのか。
 その肉の器を満たしていた夢こそが自分なのか。

 どちらが生き残るべきなのか、わからない。
 そもそも自分とは何だったのか、かわらない。

『人に魔法を掛けるのは容易い。そして人の魔法を信じることも、そう難しくはない。もっとも難しいのは、自らに魔法を掛けることなのだ。』

 自分に掛けたは解けかけて、もう一度掛け直すもの難しい。
 それを掛けてくれる他人を。
 自分という猫箱を確定するための他人を求めた。
 かつては戦人に。
 今はメッセージボトルの読者に。

『さぁさ、思い出してご覧なさい。そなたがどんな姿をしていたのか。』

 戦人は間に合わず、運命をルーレットに委ねた。
 ベアトが選ばれれば、みすぼらしい自分の全てを生贄に捧げてベアトの顕現を目指す。
 自分が選ばれれば、ベアトを殺し未練となる全てを断ち切って島を出て行く。


『…………明日夢さんは気の毒だったが、……生まれてくる子を考えれば、これは偶然のタイミングだったかもしれんね。』
『まるで明日夢が、……それを知って、自分から舞台を降りたかのようだ。………俺が明日夢を殺したのか…? ………だとしたら俺は、……いつから殺してたんだろうな…。』

 この留弗夫と蔵臼が話していることは、ベアトリーチェと戦人に重なる。
 「明日夢」は、クレル。
 「生まれてくる子」は、ベアト。
 「俺」は、戦人。
 これが戦人の罪。


 EP8のラストの孤児院。
 十八から戦人が抜け出し黄金郷に迎え入れられるシーン。
 これもクレル(八城)とベアトを鏡写しとしたシーンだろう。

 即ち、ベアトリーチェとの別れである。

『この物語を、最愛の魔女ベアトリーチェに捧ぐ』





 うん、心を掴んだ手応えがある。
 よしよし。大収穫だ。
 久々の悦楽は堪らないな!
 変な笑いが込み上げてくる。





 話を戻そう。

 戦人と紗音の様子を見て、恋という感情を知りたくなった。
 紗音の心を探り、それをトレースし、自分のことかのように感じることで、その感情を知ろうとする。
 さらにそれを知るためにも、友人のためにも、恋の応援をした。
 戦人が来なくなったあとも。
 たぶん、紗音が寝ている間に枕元に立って慰めていたと思われる。
 今のは夢なのだ、起きたら覚えていないのだ、的な。

 そして時が経ち、紗音が戦人を信じることができなくなった。
 その傷を癒すために、新しい使用人嘉音を手配。
 まるで姉弟のような絆を育み、新しい世界を築いて欲しい。
 そして戦人への恋心を自分が預かる。
 戦人に己という謎を出すために。

 たぶんこの時は、謎を解いて自分に至ったのなら自分の恋が実り、紗音だと至ったら友人である紗音の恋が実る。
 そういうどちらの結果だろうと満足する、というだったものではないかと思う。
 もし恋心を忘れなかったら返す的なことを言っていたので。

 真里亞と交流を深めて、魔法世界を広げる。
 名を付けることでイメージを深めると教わった。
 ベアトの人間の姿に名を与え、具体的な設定を深めていく。
 己が身より引き剥がすかの作業。

 碑文を解いたという結果が同じであるならば、過程は虚飾されたもの。
 クレルが隠れていることを承知で、源次はヒントを与えた。
 金蔵が死んだのは幻想。
 碑文を解いた動機は、悪魔のルーレットが誰かに碑文が解かれることを選んだ時のため、その仕組みを知るため。
 あと黄金を自分の自由に使うため。

 というかそもそも碑文の最後の部分はクレルが作った気がしてならない。
 つまり、碑文を解く必要もなかった可能性。
 その場合、源次の洩らしたヒントは、その“結果”を残すためにそうしろと命じられたのだろう。
 幻想修飾、お疲れ様です的な。

 そして2年の空白。
 どんな葛藤があったのかはもう書いた。


 愛なき灰色の世界。
 その世界を色鮮やかにする魔法。
 愛を得んがための克己。
 真実を映す鏡に己を曝し、灰色の世界に苛まれる。
 愛は灰色の世界に住まう片翼の鳥を照らすことができるのだろうか?




 思えば「うみねこ」では愛についての描写に他に、克己の描写も繰り返し描かれていた。
 「うみねこ」の一つに“克己”であるのは間違いないだろう。
 この物語は、クレルの克己の姿を記した物語なのだ。

 これを受けて前々々回の考察を撤回。修正。
 戦人に己の全てを曝け出す謎を作る決意をする前は、気付いて欲しいと思っていたが逃げていた。
 誰にもわかるまいという傲慢は、そんな相手にはまともにぶつからないという逃げでしかない。
 人間として成長できない環境にあった、温められなかった卵だった。
 故に魔女として成長の道を辿ったわけであるが、そこで人間として成長する決意を抱かせてくれた男がいた。
 それが戦人である。
 戦人によって、自分の本当の願い、理想に気付いた。
 理想の相手、運命の王子とは、戦人の後に求めたものだ。
 戦人こそが理想の相手だと信じた。
 初恋だった。
 自分を変えた生涯忘れられない男だったことだろう。

 まぁ、それが本当の恋愛感情かはかわらないが。
 恋愛感情に限りなく近いものであったのは確かだろう。
 自分の姿、自分が生み出した世界の全てを晒す、精神的な交流の果てのプラトニックな愛。
 これは恋愛に含めていいのか。
 寧ろ恋愛に収まるものなのか。
 恋愛以上の何かではないのか。
 だがまあ、相手を強く求める感情は、恋と形容するほかないだろう。

 後、猫箱から取り出すのは、どちらか片方ではなく、一挙に両方である、で決定だろう。
 両方会わせて一つの魂であるのだから。



 「うみねこ」は真犯人の後ろ向きな感情から生まれた物語だという印象が強かったのだが、今回で見事に引っ繰り返った。
 前向きに生きていくという強い決意がなければ生み出されなかった物語。
 時間の経過と共に、後ろ向きが滲み出てくるが、前を向きたい、くらいになったが、やはりこれは前を向くための克己の物語であり、希望に向かうための物語だったのだ。


  1. 2018/08/18(土) 23:23:54|
  2. うみねこ咲へ向けて
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金蔵語録/存在しないということ

 EP4を少し見直してみたが、金蔵はやはり面白いことを言うなあ。

『これは何も、当主だけのことではない。カネについても言える! 金持ちというのは、カネを持っているヤツのことではない。自分よりカネを持っているヤツ全てを叩き潰し、そして誰よりもカネを掻き集められるヤツのことを言うのだ。』
『才能も同じ。天才とは才能に秀でたヤツのことではない! 自分より秀でたヤツ全てを叩き潰し! 自分を天才と全ての人間に呼ばせることを力とカリスマで強要できるヤツを指して言う!! お前はその全てにおいて勘違いしているのだよ。』

 その言に倣うなら、真実についても同様に言えるだろう。
 真実というのは、証明されなくても真実であるヤツのことではない。
 自分より真実だと信じられているヤツ全てを叩き潰し、そして何よりも信憑性を掻き集められるヤツのことを言うのだ。
 あるいは、力とカリスマで強要できるヤツを指して言う。
 魔女についても同様なのだろう。


『右代宮家など、あの震災の時にとっくに滅んでおるわ。今の右代宮家など、私が束の間だけ見ている黄金の幻想に過ぎぬのだ。……私が夢より覚めれば、終わる程度のもの。ふっふっふ! この世など全ては夢、幻。…生など、死という目覚めの前には白昼夢と同じよ。あぁ、そうだ、元よりそうだったのだ!! 私が死ぬ時に全てを失うのが、ベアトリーチェとの契約、そして呪い!』

 本当の金蔵は死亡している。
 今いる金蔵は、金蔵の幻想を被った「誰か」。
 本名は「嘉音」であるもよう。

 そこから解釈すると。

 “金蔵”が束の間見る黄金の幻想とは、自身が“金蔵”であるというもの。
 “金蔵”が存在したから“右代宮家”は震災の後も存続した。
 だから“金蔵”が幻想なら、今ある“右代宮家”も幻想。
 “金蔵”の生など、“金蔵”の死という“本当の自分”の目覚めの前には白昼夢と同じ。
 “金蔵”が死ぬ時に“金蔵”が持つ全てを失うのが、ベアトリーチェとの契約。


『この世の全てはカネとして結晶しているのだ。それが掴めぬということは、この世を掴んでおらぬということ! 魂がこの世をしっかり掴んでおらぬということは、生きるに値せぬということだッ!! 消えろ!! 我が生と現実から消え去ってしまえ!!』

 カネを愛と言い換えてみる。

 この世の全ては愛として結晶している。
 真実とは愛されることによって、その人の内面世界に存在することを許される。
 つまり、真実とは愛の結晶なのである。
 愛が掴めないということは、その世界を掴んでいないということ。
 魂がその世界をしっかり掴んでいないということは、生きるに値しないということ。

 つまり、その世界において、死に値するということ。
 即ち、“存在しない”。
 だから、その世界で生きるためには、魂を人ひとり分に満たさなければならない。


『私が稼ぎ上げた数百億という財産の代わりに、息子たちは1人ずつ孫を儲けたというわけか!!
 はっはははははははははは!! それは素晴らしい! つまりは百億を投じて命をひとつ生み出したと! そういうわけだ! これは面白い、錬金術的に考えて実に面白い例えではなかァ…?!』

 カネを投じることを、犠牲と言い換えよう。
 18人の命を数多の世界で犠牲に捧げ、命をひとつ生み出す。
 ベアトリーチェ復活の儀式とは、つまりそれを目的としたもの。

 錬金術的に考えて実に面白い。
 ……命の収支が全く合わないけど。
 ヤスは愛されて生まれてきたんだなぁ。
 そして、同様に真犯人19人目のXも復活できる。



 ん~、やはり動機もちゃんと出題編で推理できるように作られている。
 本当、うみねこは丁寧に作られているといつも感心してしまう。
 読み返すと愛が見つかるとか、仮にも殺人事件なのになぁ。



 続いてEP1の金蔵の台詞も見てみよう。

『………奇跡の成就が先か、愚か者どもが黄金を暴くのが先か。…実に見物ではないか。……愚か者どもが我が謎を解き明かしたなら、その時は私の全ての敗北だ。我が屍を骨の一欠けらまでしゃぶり尽くすがいい。愚か者どもの貪欲さが偉大なる魔法に奇跡を宿らせるのだ。……だがもし!!
 奇跡の成就が先だったなら…、先だったなら!
 ベアトリーチェは再び蘇る!! 私が半生をかけて追い求めたあの微笑が蘇るのだ…!』

 “奇跡の成就”を恋の決闘における“魔法の奇跡”の成就、“黄金”を真実の上に飾られる“黄金の真実”と読み解く。
 “我が謎”とは“儀式殺人の謎”。

 “黄金の真実”を暴き、“儀式殺人の謎”を解き明かしたなら、向こうの敗北。
 金蔵の真実をしゃぶり尽くせる。
 それより先に“魔法の奇跡”が成就し、“黄金の真実”が蘇る。


『………魔法とはつまりゲームなのだよ。優れている者が勝者になるのではない。勝者には魔法が与えられ優れるのだ。わかるか? 生命の奇跡が数億分の一という神々しい確立に勝利するからこそ与えられるようにな。』

 わかる。
 ゲームの勝者には魔法の奇跡が与えられ、錬金術的な生命の奇跡を得るのだ。


『無論だ。難解に作った。…だが、お前も挑め。それが我が魔法の奇跡を呼ぶ糧となる。誰もが挑み、誰にも至れなかったなら、その時はその時。だが、奇跡が集い魔法の力が生まれたなら、その時こそ! ベアトリーチェが蘇るのだ。だからお前も挑め。誰もが挑め。そして我が魔法に力を捧げるのだ!! わかるな?!』

 わかる!
 本当、このゲームは難解だった。
 謎を解こうとする者を集めるというリスクをとることで、奇跡が成就する時、その数多の者たちの“信じる力”、即ち“魔法の力”を集積し、結果一人の“ニンゲン”が誕生する。
 金蔵から見れば、それは復活。

 真実を求めるということは、信じるべきものを求めるということ。
 それを求める大勢の人たちがここにはいる。
 金バヤシ「この大勢の人の信じる力が魔法の奇跡を起こすんだよ!」
 Ω ΩΩ「「「な、なんだってー!」」」

 だからもし推理する人が誰もいなかったら、魔法の奇跡など起きなかった。


 EP1ですでにゲームの核心部分が書かれていたのだな。
 ゲームの目的。勝利条件。
 プレイヤーはゲームで何をやりとりしているのか。

 実に壮大なゲームだ。
 生命の奇跡を見ることになるとはなぁ。

「やつを追う前に言っておくッ!
 おれは今やつの魔法をほんのちょっぴりだが体験した
 い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが……

 あ…ありのまま今起こったことを話すぜ!

『おれは人が殺されるところを見ていたと
 思ったら人が生まれるところを見ていた』

 な…何を言っているのかわからねーと思うが
 おれも何をされたのかわからなかった…
 頭がどうにかなりそうだった…
 手品だとかトリックだとかそんなチャチなものじゃあ断じてねえ
 もっと恐ろしい魔法の片鱗を味わったぜ… 」

 おふざけはこれまでとして、ゲームの概要をEP1に書かれているので、このゲームはフェアだったのだろう。


 昔は無限の魔法を思考の杖として、全てを無限の魔法に結び付けようとしていたが、最近は黄金の魔法を思考の杖として使っているので、新鮮な解釈が飛び出てくるなぁ。

 と、これまでは前置き。




 今回は“存在しない”ことについて。
 駒についてやったので、その解釈でやってみようと思う。

 創造主は駒を生み出す。
 その駒は初め、創造主のゲーム盤にしか存在しない。
 他者に愛されることで、その者のゲーム盤に存在することが許される。
 駒は愛されなければ“存在しない”。

 つまり、愛されていないモノ、知られていないモノ、忘れられたモノは、ゲーム盤には“存在しない”。
 その条件に含まれているのなら、“人間”も同様だ。


 金蔵を例にする。
 本物の金蔵は死亡している。
 同じ特徴(他指症)の「嘉音」が右代宮の長老たちに認められ“金蔵”の名を継承。
 以降、“金蔵”として生きる。
 裏を返せば、「嘉音」としては死んでいる、ということ。

 六軒島にいる金蔵は“金蔵の幻想”を被った別人「嘉音」である。
 だが皆それを金蔵だと信じている。
 だから、皆のゲーム盤に“金蔵の駒”が“存在している”。
 魔法的に言えば、“金蔵を騙る人間”を依り代として“金蔵”は顕現している。

 肉体は“金蔵”の幻想によって覆い隠され、その中身である「嘉音」は“視えない”。
 よって、皆の世界に「嘉音」という人間は“存在しない”のだ。
 
 そこで赤き真実で“金蔵”の幻想を剥ぎ取る。
 すると残るのは“存在しない人間”となる。


 EP4の赤き真実。
俺の6年前に、ベアトリーチェなどという人物は存在しないのだ。

 これにより“存在しない”の定義が確認できる。
 “存在しない”のは、戦人の認識する世界においてだと。
 まぁ、他のところで使用される場合、“戦人の”とは限らないが。

 この手掛かりによって、EP4以降の謎にこの定義を使用した推理が許される。


 真犯人もまた“存在しない”人間である。
 六軒島に隠れ住む“19人目のX”。
 それは皆の内面世界であるゲーム盤には“存在しない”。
 主観に生きる人間は、決して客観を見ることはできない。
 だから真犯人の真実もまた“ヤス”同様、真犯人の内面世界にだけ存在している。
 そういう意味で、真犯人とヤスは同等の存在。
 人間以下の駒であったと言える。
 故に、駒同様、一人分の魂を取り戻し、人間になりたいと望んだ。

 人は人に認められて人になる。
 魔女が、魔女だと認めてくれる誰かを求めるように。
 人も、人だと認めてくれる誰かを欲するのだ。

 だから、そんな理想の人を待ち望んだ。
 待つために、誰にも見られない密室に閉じこもり続けた。
 内面世界を密室に見立て、視えない心を見つけ、貴方の世界に連れ出して欲しい、と。

 だから、自らの行動にルールを課し、そのルールで密室を作る。
 その密室は“真実”を閉じ込め、ゆえに“真実の姿”を晒すことはできない。
 その密室に閉じ込められているがゆえに、その外へは何も干渉できない。
 この時の心境は、EP6の薄暗い部屋に閉じ込められた何者かの心境として描かれた。

 真実の姿で皆の中に入り込むことはできない。
 自分ができないなら、代わりにやってもらえばいい。
 この密室を抜けるのは魔女の魔法だけ。
 即ち、姉ベアトだ。
 “魔女”の仕業だと信じられれば、“真実の自分”の仕業だと“見られない”。
 魔女を信じる者には“魔女の姿”が“見える”。
 故に、“真実の姿”は“視えない”。

 しかしそこは幻想が描かれた箱の中の密室。
 やはり密室は抜け出せない。
 抜け出すには“救出者”が必要だ。
 ホワイダニット。“見えない”心を推理してくれる人が。
 密室である内面世界より心を見つけ、外の世界に連れ出して欲しい。
 そして戦人に“救出者”の資質を見出した。

 “真実の姿”を見られずに殺人を行うには、駒に殺人を行ってもらう必要がある。
 ファンタジーにはファンタジーの駒を用意したように、ミステリーにはミステリー用の駒が必須。
 “真実の姿”を密室に閉じ込める幻想として“ヤス”は生み出された。
 “ヤス”は真犯人にとって、世界を膨らませるための“翼”だった。

 しかし“ヤス”も、ゲーム盤にしか存在しない。
 “ヤス”もまた推理されなければ“視えない”。
 “ヤス”もまた密室に閉じ込められている。
 “ヤス”を覆い隠すさらなる幻想が必要。
 そのために妹ベアトを姉ベアトと合体させた。
 そうして、ベアトリーチェという密室にヤスと真犯人は閉じ込められた。

 やるのは正攻法の悪魔の証明。
 姿を現さずして、その存在を証明させること。
 その証明は主観的なもので良い。
 “救出者”の内面世界に存在できれば良いだけなので。

 魔女がそうやって魔女を認めさせたいように。
 人間もまたそうやって人間だと認めさせたいのだ。
 これはもはや、悪魔の証明ではなく、人間の証明である。
 密室にいる二人の内、どちらかが密室を抜け出し、人間となるための儀式。


  1. 2018/08/18(土) 19:20:16|
  2. うみねこ咲へ向けて
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魔女の家具/犯人の駒

 本日2本目。
 犯人という駒というのをもう少し掘り下げたい。
 イコール妹ベアトなのでEP6を振り返ってみる。



『真里亞における、さくたろうが、その駒の最たるものであっただろう。』

『お姉ちゃんの内面世界という名のゲーム盤では、確かにさくたろうは存在していて、お姉ちゃんと常に寄り添っている駒だった。
 現実の世界では、ただの布と綿のぬいぐるみであっても、お姉ちゃんのゲーム盤では、それは他の駒と何の区別もない、立派な1つの駒なのだ。』

 駒は内面世界に存在していて、他人には基本的には見えない。
 内面世界であるゲーム盤に顕現するには依り代が必要。


『……世界でたった一つのぬいぐるみという依り代が失われたからだ。だから、駒の存在条件が崩れ、真里亞のゲーム盤では復活することが出来なかった。……そなたが、その存在条件を再び満たしてやったからこそ、さくたろうはゲーム盤に蘇ることが出来たのではないか。』

『そう。依り代が無事である限り、何度でも蘇ることが出来る。それが駒の命というものだ…。』

 駒は依り代、即ち存在条件を満たなければ死に、満たせば蘇る。


『私の可愛い、ベアトリーチェ………。
 誰にもあなたの姿は見えないけれど。
 でも私にだけはあなたが見えるよ。
 そしてあなたも色々な人に愛されれば。
 きっとみんなにも姿が見えるようになっていく。』

 妹ベアトは“お母様”によって生み出された駒。
 よって、“お母様”の内面世界に存在していて、他の人には見えない。
 しかし愛されれば他の人にも見えるようになる。


『お兄ちゃんが好きなら、慕うのも尽くすのも、自分自身でするべきだわ。
 それをどうして、……“彼女という駒”を生み出し、自分以外の存在にやらせるの……?』

 妹ベアトは“お母様”の代わりに、戦人を愛し、戦人に愛されるために生み出された。
 愛がなければ真実は視えない。
 ならば、妹ベアトとは「真実」の擬人化ではないのか。
 そして、その「真実」は“お母様”の代わりに愛されるべく生み出されたことになる。


『例えるなら、“自分の代わりに食事をしてくれる駒”くらい、無意味な存在。』

『でも、恋と食事だけは、他人に代わらせる意味など、絶対にない。』

 だがミステリーにはある。
 犯人は自分の代わりに殺人を行う「犯人」を欲するだろう。
 それが探偵が推理することを組み込んだトリックである。


『……観測者なき結果は、無限の過程を持ち得る。…それを、たった一つの可能性でしか捉えられないニンゲンには、何も想像することが出来ない。』
『しかし、魔女の可能性を信じられる者には、魔女のイタズラを想像することが出来る。』

 観測者なき結果は、無限の過程を持ち得る。
 その無限の可能性の中には、ある犯人――仮にAとしておこう――の可能性も存在する。
 “犯人A”の可能性を信じられる者には、“犯人Aの犯行”を想像することが出来る。
 さらに膨らませれば、“犯人Aの動機”まで想像できるだろう。


『ニンゲンが、自ら確率をゼロに閉ざす“諦め”を、魔法によってそこだけを取り除く。
 諦めないニンゲンには、どんなにわずかであっても、達する可能性がある。
 そしてそれは、確信すればするほど、高くなる。
 紗音が黄金蝶のブローチに強く願い、その効果を確信し、……譲治に気に入られるために、小さな努力を積み重ねただろうことは、想像に難くない。』
『信じる力が、魔法になる……。』
『そして、それを信じさせる者が、魔女だ。』

 黄金蝶のブローチの魔法を、
 恋→推理、紗音→妹ベアト、に変換し再解釈。

 本当の真実は、信じる者がいなくても真実として存在する。
 現実にいる人間もまた同様。
 だが幻想の中にいる人間は違う。
 信じる者がいないのなら、存在しない。
 信じてもらう努力をしなければ、信じてもらえる可能性はゼロ。
 諦めなければ、どんなわずかであっても、達する可能性がある。
 信じてくれると強く願い、戦人に気に入られるために、小さな努力を積み重ねた。
 信じる力が、魔法になる。
 だから信じて謎を作る。
 そして、自身の存在を信じさせる者である妹ベアトは魔女。
 

『紗音も嘉音も、駒である君ももちろん!!』
『あなたたちはみんな家具! 魂が一人分に満たないから人間以下ッ!!』

 駒である妹ベアトも家具。
 裏を返せば、これらの紗音と嘉音も駒であるということ。
 信じる者がいなければ存在しない幻想。
 だから人間以下。


『ゲーム盤の外の存在の死だ。さくたろうの話で続けるなら、この場合は、真里亞の死だ。』

『死だけではない。興味や関心の喪失でも同じだ。……真里亞がぬいぐるみ遊びを卒業すれば、ゲームのプレイヤーとしての真里亞は死ぬ。』

 駒はプレイヤーに愛されなくなると死ぬ。
 人間以下の駒を愛するのはプレイヤーということになる。

 つまり、
 “紗音という駒”を愛する「譲治」は、“紗音という駒を愛するプレイヤー”である。
 “嘉音という駒”を愛する「朱志香」は、“嘉音という駒を愛するプレイヤー”である。


『“二人の愛を貫くために、一人の命を自らの手で捧げよ”。』

 第一の恋の試練。
 プレイヤーとその駒の愛を貫くために、一人の命を自らの手で捧げよ。

 この時、人間側プレイヤー視点ならば、犯人である駒に被害者である駒を取らせる。
 即ち、犯行が可能であると推理する。
 まぁ、犯行可能か考えずに、印象だけで犯人を決め付ける方がいるので。

 またGM視点の場合。
 駒に犯行可能なようにゲームを作る。
 つまり、実際にゲーム盤で駒に殺人をさせるテストプレイ。
 GMを務める覚悟を問うているのだろう。


『“寄り添いし二人を、引き裂け”。』

 第二の恋の試練。
 それぞれのプレイヤーには、それぞれの愛する駒が寄り添っている。
 これを宇宙を生み出すために二人しなければならない。

 人間側では、愛する駒を一つに決める決闘。
 GM側では、プレイヤーに愛される駒を一つに決める決闘。

 “寄り添う二人”が推理したプレイヤーと推理された駒であるなら、“引き裂け”とはその推理が破綻することを指す。
 つまり、GMは嘉音をゲストハウスの密室に閉じ込めて、嘉音の駒の可能性を破綻させるということだ。


『いいえ、わかりなさい。これは、………本当に人を愛することが出来るニンゲンが、誕生する瞬間。』

『どちらが勝とうとも、……どうか祝福してあげて。……今、彼らの、………家具としての日々が、終わる。』

 プレイヤーから真に愛される“犯人”を生み出すために、他の全ての“犯人”を破綻させる。
 他全てが破綻することで、真にプレイヤーを愛する“犯人”が誕生する。

 愛されるためには、まずは愛さなければならない。
 真に愛されるには、まずは真に愛さなければならない。
 推理されるためには、まずは謎を作らなければならない。
 故に、GMは他の犯人の幻想の余地がない謎を作った。

 結果、一つの真実が生まれた。
 姉ベアトと妹ベアトが合わさり、一なる自分になるように。
 破綻した嘉音の犯行を吸収し、紗音を依り代としてヤスが誕生した。

 誰の目にも見える魔女が顕現。
 こうして召喚の儀式は成された。


『姉の一番の目的は、大きな魔力を得て、反魔法の毒に怯えなくてもいいほどの大魔女に復活すること。
 その為に彼女は、夜な夜な屋敷を徘徊しては、魔力を回復し、ニンゲンたちの反魔法力を軽減する努力を繰り返していた…。』

『ふっふっふ、これこそが大魔女へ至る道なのだ。千里の道も一歩から。その一歩は、解せぬ者の目には時にあまりにみすぼらしくも見えよう。しかし、これは偉大なる一歩なのだ…!』

『“今、この廊下には、誰もいないのだ”。なのに、こうして鍵が開き、……窓が、開く。……それが、どれほどの奇跡であり、魔法であり、……そして我らが存在する証であるか、……わかるか?』

 第6のゲームの恋の決闘で大魔女に至るなら、それまでのゲームはそのための準備というところ。
 そのためにこれまでのゲームで“誰もいない廊下で鍵を開けること”を繰り返した。

 紗音の死体を園芸倉庫の奥に置き、探偵である戦人の目に触れないことに賭け。
 戦人に嘉音の死体を目撃させないよう、ボイラー室で嘉音を即死させず。

 朱志香の部屋で嘉音の死体を消失させ。
 最後に密室の中で紗音が自殺したように見せ掛け。

 魔女の姿をした犯人に譲治が紗音を生き返らせるよう縋ることを覆い隠した描写で、紗音が生き返ったことを暗示させるストーリーに仕立て。

 再度、嘉音の消失と紗音の自殺がありえる形を作り出し。

 戦人は探偵でありその視点は信用できると確定させ。
 その上で探偵が見ていないことを利用したトリックでヱリカをやり込める。

 全てはヤスが存在する証を残すため。


『このゲームはフェアだ。
 魔法で起こしたと主張する不思議な事件を、魔法以外で説明するのが目的だ。
 それが出来ないなら、ゲームじゃない。
 即ち、ヱリカの言う通り“魔法以外で成し得なければならない殺人”というわけだ…。』

『“魔法は、自らの手で成し遂げられることしか、出来ない”、ということ…、か。』

『……このルールを見破られたら、魔女に勝ち目はなくなるわ。……だから、それを見破られる前に、相手を屈服させなくちゃいけない。……長引けば長引くほど、……そしてヒントを与えれば与えるほど、……魔女は圧倒的に不利になっていく…。』
『また堂々巡りの思考。
 ……どうしてベアトは、負けるまでゲームを長引かせたのか。』

 長引かせれば不利になり負ける。
 なのになぜ魔女はゲームを長引かせたのか。

 それは、長引かせるほどに魔法を信じる下地ができあがるから。
 そしてその魔法は、“魔法以外で成し得なければならない殺人”をクリアした魔法なのである。
 故に、“魔法以外で成し得なければならない殺人”に気付いた者にだけその魔法は掛かる。

 だから実際は、ゲームを長引かせるほどに、人間側が不利なのである。
 北風と太陽だ。
 強制的に屈服されるのではない。
 自ら推理するように仕向けて信じさせれば良いのだ。
 そうすればニンゲンは魔法に掛かっていることにすら気付けない。


『奇怪な何かが起これば、それは全て、黄金の魔女の仕業…。
 そういう“魔女の居得る環境”こそが、ベアトリーチェ自身。』

 妹ベアトが愛する資格を持つ一人の魂を満たす存在となることで、家具からヤスというニンゲンとなった。
 そして、事件が起これば、それは全てヤスの仕業。
 そういう“ヤスの居得る環境”が成立し、それを依り代として容易く顕現できるようになった。


『ゲームは、消えるだろうな。……だが、俺はもう、魔法を完全に理解している。……だからお前を、ゲーム盤の外へ連れ出せる。………それが、お前の望みだったはずだ。』

 作者のゲーム盤にいた“ベアト”はそのゲーム盤を飛び出し、プレイヤーのゲーム盤で、プレイヤーに寄り添う駒となる。






 ふむ、取り合えず、今回の考察で恋の決闘周りの考察を修正せねば。

 恋の決闘の部分の妹ベアトは、隠された“本当の真実”の表れだと思っていたが、妹ベアト自体は“代わりに愛される真実”であり、さらにEP6を通したテーマもそれで統一されているだろうし、恋の決闘の所も“代わりに愛される真実”で決定。
 妹ベアト自体が“隠された本当の真実”を仄めかしているので、“本当の真実”を表す駒をおく必要はない。
 恋の決闘は“本当の真実”を殺し、真に愛される“代わりの真実”の誕生を描いている。

 だとすると、EP4の最後のベアトの台詞である「私を殺して」の解釈も変わるな。
 「私は誰?」は、“19人目のX”。
 「私を殺して」の“私”も“19人目のX”。
 つまり、“本当の真実”を殺すことを求めている。
 よって、“代わりに愛される真実”を愛してほしいメッセージは出題編ですでに出ていたというわけだ。

 これは凄まじいな。
 ということは、得意気に真実を暴いていた私は大失敗じゃないか。
 確かに私はミスリードさせようとする意図には気付いていた。
 けれどミスリードというのは普通、真実を隠すための手段でしかない。
 だからそれが目的だったと本気で思うわけがない。
 それに気付いたのはEP6になってから。
 だが、それが本気であるとEP4ではっきりと示されていたとは……。
 これは完敗だ。
 新作前に気付いて良かった。


 そして、サブタイ「悪魔の結婚式」の途中。ロジックエラーの密室について。

『………いいえ。……考えて欲しいのです。読み手の、あなたにも。』

『あなたなりの、意見が。……推理が欲しいのです。……それを先に私に話してくれたら、……この続きの原稿をお渡ししましょう。』

 本気で“代わりの真実”を作り上げると信じることができたなら、この時点でやろうとしているトリックに見当をつけることができたのだろう。
 あ~、もったいないことをしたなぁ。
 私は当時、それ以外の全員から金蔵抜かれたし金蔵で行ける行ける簡単じゃん、と余裕ぶっこいてたんだよな……。




 あともう少しやろう。

 恋の決闘の譲治と朱志香がプレイヤーを暗示しているとすると。
 事前からプロポーズをして愛を貫き世界を敵に回す決意を固めていた譲治は、信じるべき真実に出会いそれを全力で守る決意をしているプレイヤーを表している。
 対して朱志香は、決着の時が来てやっと決意を固めたプレイヤーを表している。


 譲治vs絵羽の戦いや格言はベアトのゲームのことと解釈。
 全ては絵羽(出題者)に学ばせて(推理させて)もらっていた。
 譲治(読者)は絵羽(出題者)の掌から出ることは叶わない。
 という主張と、その支配より自立しようとすることを描いていた。

『馬を水場に連れて行くことは出来るが、水を飲ますことはできない』
 プレイヤー(読者)を対戦席に連れて行っても、推理させることはできない。
『子に釣竿を買うな。一緒に釣りに行け』
 謎だけを与えるな、一緒にゲームをしろ。
 これは戦人とベアトの対戦を見せて、読者も出題者とゲームをしよう、と誘うこと。
『学問に時間を費やし過ぎることは、怠惰に過ぎない。全ての木に一撃ずつ加えても、一本の木も切り倒せはしない』
 言われたことを推理しているだけでは怠惰に過ぎない。
 最低、一本切り倒してこそ推理したと言える。


『しかし朱志香が信じぬというなら、破綻の最後だけ語ろう。……嘉音は使用人を辞め、この島を去る、永遠にな。』
『君は島を出て想い人を探す旅に出るだろうね、しかしそれは決して報われない!』

『想い人を失ったあなたはその時、気付くわ。想いを遂げる試練を逃げた、あの時の自分が憎いって!』

 これは“犯人嘉音”がゲーム盤から永遠に去ること。
 そしてその時、“犯人嘉音”を愛するプレイヤーは、戦わずに失ったことを後悔する。
 もはやそれ以上“犯人嘉音”を推理することはできないのだから。
 失う前にもっと確り推理していれば良かったと。


『でも私が勝ったら。……君と島を忘れて、ここを永遠に出て行く。』

 “犯人紗音の駒”が勝てば“犯人嘉音の駒”のことは忘れられる。
 そして島を出る、つまり“お母様”のゲーム盤を飛び出し、愛してくれたプレイヤーのゲーム盤に住まう。


『何しろあのベアトリーチェは、戦人に尽くしたい、好かれたいという感情から生まれたらしいじゃないですか。そんな魔女が生み出した世界で私が、……戦人を、娶り、穢すッ、辱しめるッ!! くすくすくす、くっくくくくくくくくくく!! あぁ、わかります。恋焦がれる人を奪われる苦しみ、よぉくわかります!! 私はついに、それを与える側に回れたのですね…!!』

 これはヱリカのセリフ。
 ヱリカはベアトと創造主を同じくするだろう駒。
 ベアトが愛し愛されるために生み出された駒なら、ヱリカは憎み憎まれるために生み出された駒だろう。
 罪なき人物の真実を暴いて冤罪を着せる駒。

 ベアトとヱリカは同じ“本当の真実”を覆い隠す“代わりの真実”を生み出すための駒。
 しかし、その動機が異なる。
 ベアトは愛で、ヱリカは悪意。
 即ち、白き魔法と黒き魔法。
 それぞれ“お母様”から託されたのだろう。

 もしヱリカが領主となったら、作られるゲーム盤は悪意と憎しみに満ち溢れたものになっていたことだろう。


  1. 2018/08/11(土) 23:55:53|
  2. うみねこ咲へ向けて
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恋愛のような推理

 咲に向けて、犯人であるクレル(19人目のX)と金蔵について何本か書こうと思う。
 これまで何度も書いたこととほぼ同じ内容になると思うが、自己満なので。
 というわけで早速。


 少し疑問に思ったのだが、真犯人は本当に戦人に恋心を抱いているのだろうか?

 表の犯人であるヤスは、確かに戦人に恋心を抱いている。
 ミステリーを用いて恋愛成就しようとしていたくらいだ。

 しかし裏の真犯人は、恋愛のような推理を求めていただけだ。
 読者と作者の対決は、互いを信じあえなければ成立しない、という様を恋愛に喩えただけであって、それはイコール「恋愛感情を抱いている」になるわけではない。

 だが私はなんだかんだ言っても、真犯人は戦人に恋心を抱いていると思っていた。
 戦人とベアトはそれだけお似合いだったからだ。
 しかしそれは恋心を証明するものではないし、保証するものでもない。
 ただ私がそういうのが好みであるというだけなのだ。


 推理して得られるのは真実であるべきだ。
 推理という冒険を経て、真実というお宝を得る。
 だが、そのついでに女も得てどうするのだ。
 いやまあ、それが冒険活劇の王道ではあるのだが……。
 ミステリーとして純粋であるのであれば、不純は必要ではない。

 魔女は肉欲を批判した。
 それは純粋な愛を求めたからだろう。
 肉体を介さず出会い、肉体を介さず交流し、肉体を介さず結ばれる。
 即ち、紙面上のやりとり。
 メッセージボトルが生みに流され、はたまたネットの海に流されたのもそのため。


 EP7の描写を振り返ろう。
 紗音の戦人への恋心は、ベアトリーチェが預かった。
 その時、「我」が世界を再変更。
 ベアトリーチェを「あなた」と呼び、「あなた」に語りかける。

『これであなたはようやく、痛みと引き換えに、恋を知ります。
 さぁ、これが、新しい世界の設定。』

 この台詞は、痛みを押し付ける罪悪感よりも、成長を喜ぶものかのよう。
 自らの代わりに愛されるための駒が、立派な犯人に成長するために「戦人への恋心」という設定を欲したのだ。
 設定に深みが増すほどに、その駒の人間味が増す。
 TRPGで言うところの「設定が生える」というヤツだ。

 自らの代わりに愛される駒に必要な要素は3つ。
 フーダニット、ハウダニット、ホワイダニット。
 それぞれの裏表を合わせなくてはならない。
 動機である「恋愛のような推理」を引っ繰り返して「推理を用いる恋愛」。
 それを仕掛けるために、ぜひともその「設定」が良かった。
 関係のない点と点を繋げて意味を作り出す。
 それは正に運命的なものだったのだろう。

 しかし、その設定が仕えない状況に陥ったら、異なる設定が用いられたはずだ。
 ヤスの依り代は、「ヤスが居ても良い環境」。
 それが崩れればヤスという駒を使うことはできない。
 異なる動機、異なる犯人、異なるトリック。
 それらを用いたゲームとなったことだろう。

 例としてはコミックの『うみねこ紫』。
 ベアトが用意したゲーム盤であるにもかかわらす、“犯人ヤス”の駒が置かれてもいない。
 それでもゲームは可能。
 “駒のベアト”は別の犯人の姿にプロモーションすれば良いので。
 このようにヤスの駒は必要ない。

 なぜならば、ゲームを介してコミュニケーションを取ることが「目的」だからだ。
 「駒」はそのための手段でしかない。
 使用可能な条件下でしか「駒」は必要とされない。
 それが「駒」というもの。
 どれほど愛着がある駒だろうと、使われない時は使われないのだ。

 “ヤス”は戦人のために生み出した駒。
 つまり、それ以外の駒による殺人は、戦人以外に向けたものであるということ。
 戦人への恋はベアトに託し、捨て去った後のことだろう。
 そして、メッセージボトルを海へと流し、運命の王子を待った。

 “運命の王子”=“理想の相手”。
 これは俗に言う、恋に恋した状態だろう。
 そしてそれは、推理で“私”の存在に気付き信じてくれる人のことだろう。
 六軒島に来る人物の中で、その条件に近いのが戦人だった。

 つまり、恋した相手は“運命の王子”であり、その条件として“謎を推理して真実に至る”ことを課し、目を付けられたのが戦人だった。

 こういう経緯だったとすると、場合によって戦人でなくても良かったということになる。
 無論、結果として戦人を選んだし、その思いは何年にも亘って熟成されたのであるが。
 だが、その“運命の王子”というのは、恋の相手というより、推理の相手なのだ。
 相手は異性に限ってはいないだろう。

 まぁ、恋愛の形は千差万別、そういう特殊な恋愛観だったのかもしれない。
 そういう精神の触れ合いが至高の恋愛である、とか。
 恋人や伴侶……、肉体的に結ばれるのではなく、魂で結ばれるので、魂の恋人、魂の伴侶というべきか。
 それらを求めたのだろうが、別に魂の友や魂の好敵手でも良いのでは? とも思う。


 あ~、要するに、確かな絆を結びたかった。
 その絆に何と名を付けるべきか。
 恋愛とか友情とか他の何かか。
 まぁ、複雑だな。
 あえて名を付けないのもありだね。

 私にはこんな結論しか出せない(汗)
 恋愛には疎いのだ勘弁してくれ……。


  1. 2018/08/11(土) 18:31:31|
  2. うみねこ咲へ向けて
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ゲームに対する本気度

 どうやらなく頃にシリーズ新作とうみねこの新エピソード追加が決まったようで大歓喜!
 新情報を待ちつつ、この勢いにまかせて何か一本書きたい。
 とりあえず、読者側のゲームに対するスタンスはどんなのがあるのか。
 そんなことをてきとーにやろうと思う。


 まず赤き真実を信じるかどうかで読者のスタンスが分かれる。
 魔女のゲームにおいて赤き真実は根幹と言って良いだろう。
 ゲームにはルールが必要であり、赤き真実こそがそれである。
 即ち、赤き真実で嘘を吐いたらルール違反で魔女の負けだ。
 よって、魔女がゲームで勝負がしたいのであれば赤き真実は絶対であるし、魔女がゲームで勝負しないのであれば赤き真実は嘘である。
 つまり、読者が出題者をどう視るかの問題でしかない。
 そこからすれば、赤き真実の絶対性の証明だとか保証だとか自己言及うんぬんとかは瑣末なことである。
 そのせいで「信じなければゲームは始まらない派」と「信じる根拠がないから信じられない派」では話はかみ合わないのだ。

 前者からすれば、赤き真実が嘘の場合は何もしなくても勝ちだから思考停止して良し、赤き真実が本当ならば挑まなくては勝てない。
 後者からすれば、騙されれば負け、嘘の可能性がある以上信じない、という感じだろうか。
 勝ちたいから勝つ可能性に賭け、負けたくないから負ける可能性を避ける。
 端的にいえば、「勝ちたい」か「負けたくない」かの違いと言えるかもしれない。

 とはいえ喩えるなら、崖から飛ぶか、一線を引き踏み込まないかなので、立ち位置は崖下と崖上ほど違う。
 見える景色も大分変わるだろう。

 そして大概はその自分の姿を魔女相手にも投影しているはずだ。
 つまり、魔女は自分が提示したゲームに本気かそうじゃないか。
 ここが違って見えているのだから、ずいぶん違う魔女の姿が見えているのだろう。
 もし自分が崖下に飛び降りたのに、魔女が崖上から見下す姿が見えてしまったら、たまったものじゃないだろう。


 続いてゲームに対する姿勢の違い。
 言うなれば、フェアかアンフェアか。

 禁止されていないからやる。
 ルールの隙間を抜けるようなやり方。
 まともに勝負しない方法はアンフェアである。
 具体的にいえば、「書かれていない」ことを根拠とする答え。
 要するに、「手掛かりなき推理」のことである。

 逆にフェアは「書かれている」ことを根拠とするもの。
 手掛かりをもとに「ミステリー」として戦うか、それとは関係なく「アンチファンタジー」として戦うか。

 これらを対戦相手に投影するなら、真っ向勝負を仕掛けてきているのか、それともまともには戦わないのか、と言ったところか。
 相手がまともに戦おうとしないのに、こちらがまともに戦おうとするのは馬鹿馬鹿しい。
 だが、相手がまともに戦うつもりならば、ことらがまともに戦わない場合は正しい攻略ルートを辿ることはできない。


 さて、これらからわかるのは、魔女のゲームに対する本気度によって読者の対応が変わるということだ。
 だから相手の中に自分の姿を探すのではなく、相手を確りと見据えなければならない。

 まあもっともその本気度は、文章量と労力と意気込みを考えれば一目瞭然だと個人的には思うのだが。
 とはいえ、理想は全てのスタンスを並列的にかつ全て本気で進めていくやり方なのだろう。
 それができればいいが、できるのは超人だ。
 凡人は本気で当たれるのはどれか一つくらいだろう。



 最後に、本気度を突き詰めれば、相手が最後まで勝つ気があったのかどうかで分かれる。
 ベアトは解いて欲しかった、つまり負けたかった。
 それはいい。問題は勝つ気があったのか。
 絶対勝てるゲームがゲームになっていないように、絶対に負けるゲームもゲームをなしていない。
 勝つ可能性も負ける可能性も同時になくてはゲームにならない。
 だから、本気で勝つつもりでゲームを作ったのか、それが問われるのだ。

 ないのであれば、手抜きの余地があったということ。
 解く者に絶対の意志を求めるなら、出題者は手抜かりのないよう絶対の意志で謎を作らなければならない。
 要は、嘘偽りなく本気の勝負だったのか、だ。

 解かれるという結果が大事なのであれば、その結果が得れらればそれで満足だろう。
 だが、結果に至るまでの過程こそを重視しているのであれば、勝敗を問わず満足できるだろう。
 そして手抜きされることほど、勝負で興ざめすることはない。

 私はベアトが本気の勝負を挑んできたと信じる。
 本気の勝負だからこそ、最高のゲームになる。
 結果に至る過程こそが勝負の醍醐味だ。
 恋愛に喩えるなら、結ばれるという結果に至るまでの過程は、互いを知るためのコミュニケーションといえるだろう。

 そう、ゲームを介した本気のコミュニケーション。
 本気の勝負だからこそできるミステリー談義。
 それがしたいのだ。
 それを求めているのだ。
 それに恋焦がれているのだ。
 命を賭すほどに。

 それが私が見たベアトリーチェである。



 自分の姿勢は相手の姿を写し取ったものなのか。
 相手の姿は自分の姿勢を写し取っているのではないか。
 不明瞭を解消するためのコミュニケーション。
 まるで恋愛のような推理ゲーム。
 推理はロジック。
 しかして恋愛は感性。
 恋愛に本気になるきっかけは人によって異なる。
 どんなきっかけで、何に向かっていくのか。
 互いの相性が良ければ、案外すんなりいくのかもしれない。


  1. 2018/08/04(土) 21:03:46|
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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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