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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


二つを得るために、一つを生贄に捧げよ

 魔女が存在するためには、謎という猫箱が必要。
 謎を生み出すには、真実を殺さなくてはならない。
 だから六軒島の人々は死ななければならない。
 真犯人自身の真実諸共に。

 己の真実を殺すこと、それこそが魔女への愛を証明している。
 もはや誰も魔女を否定できない。
 なぜなら魔女を殺すことができる真実は、猫箱という密室の中で、真犯人が殺してあるのだから。

 猫箱の中には、生きた猫と死んだ猫が入っている。
 片方を生かすなら、もう片方は死ななければならない。


 というわけで、何かを得るために生贄に捧げる、というのはどこかで見た覚えがある、取り合えず当て嵌めてみようと試みることにする。


『以下に掲げる三つの内。
 二つを得るために、一つを生贄に捧げよ。

 一.自分の命
 二.愛する者の命
 三.それ以外の全員の命

 何れも選ばねば、上記の全てを失う。』


 推理とは愛であり、作者と読者は謎を通して愛し合う。
 世界を作り出す最少人数は2人。
 駒に対する関心を失えば、駒は死ぬ。
 ゲームに対する興味を失えば、プレイヤーも死ぬ。

 命を真実と解釈すれば。
 作者にとって、一は自身の真実。
 二は愛する真実。三はそれ以外の人が信じる真実。

 作者は一を犠牲にしてゲーム盤を作成し、それを公開することで三を集い、その果てにて二を

共有しようとした。

 こういう解釈もありだろう。
 とすると、猫箱という密室内で犯人が殺したのは真実だった、と言える。


 とはいえこれはテストなのだから、我々読者に対して問われたものであると受け取るべきだろ

う。

 一は、推理して出した自身が信じる真実。
 二は、愛する作者が辿り着かせたい真実。
 三は、それ以外の人たちが信じる真実。

 普通に考えれば、最も優先すべきは自身の真実。
 次に愛する者の真実。
 よって生贄に捧げるのは、それ以外の人たちの真実となる。

 これは読者が真に相対すべきは作者であり、同じ境遇の読者ではない、ということ。

 この選択の意義的には、真実は一つであらなければならないとする一般論の排除。
 即ち、並び立つ2つの真実があることを選ぶということにある。


 次は二を生贄に選んだ場合。
 これは喩えるなら、愛より友情を選んだようなもの。
 真実は解らないのだから、筋の通る仮説は全て可能性を否定できない。
 作者に対して一線を引き、深く踏み込まないでおこうというもの。


 最後に一を生贄に選んだ場合。
 作者と同じ選択肢であり、推理的には自殺に等しい。
 つまり、後追い自殺であり心中だ。
 EP8の戦人とベアトの六軒島脱出の結末が重なる。
 猫箱から出られるのは二だけ、猫箱の外にあれるのは二と三。

 意義的には、推理するプレイヤーとしての死。
 これからは作者と同じく、出題者側のプレイヤーとして生まれ変わる、ということだろう。


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  1. 2018/05/12(土) 20:13:55|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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