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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


コミック版EP8 7~9巻辺りの考察

 コミック版EP8最終巻読破したので、コミック版の最後の方の追加と改変について考察してみた。


 結果が同じで過程が異なるという魔法の原理に当て嵌めれば、原作とコミックのどちらにおいても作中現実は同じということになる。
 基点となる現実は変えられないが幻想なら変えられる。
 だとすれば、変更された部分は「幻想の過程」だと判断できる。
 コミック版は、新たに答を明かしたというよりも、異なる解法を明かしより上手く辻褄を合わせてきたと言ったところなのだろう。

 原作では未来に帰った縁寿はビルを飛び降りていないのにコミックでは飛び降りてネットに受け止められていた。
 よって、縁寿が辿ったその結末は幻想。
 それを裏付けるものとしハロウィンパーティーの景品がある。
 現実に存在しえない物は幻想。
 幻想描写があるのなら、そのシーンは結果ではなく過程ということになる。
 そしてそれは、解くべき謎だ。
 シーン内に、右代宮縁寿は『1998年に死ぬ』とその辻褄合わせの『右代宮縁寿はさっきここから落ちて死んだわ』があることから、縁寿の本当の死因と現状及びその辻褄の合わせの仕方を問われているのだろう。

(ちなみに、存在しないはずの景品。
 それを解釈するなら、幻とは目には見えない真実、即ち心を受け取ったといいうことを表している、となる。)

 原作とは異なり問いであることを露骨に表したのは、コミック版は表向き真実を明かしたという体裁だからではないか。
 真実が明かされた、で終わらせたくはなかったのだろう。

 逆に、最後の物語をベアトリーチェに捧げるが削られたのは、そのシーンが追加されたシーンの直接の未来だからであろう。
 幻想描写が追加された下位世界の未来にあたり、最後に十八から戦人が離れて皆に再会するという幻想描写で終わっているので、これが物語であると強調する必要がなくなったのだろう。


 他に削られたのは、縁寿が扉を選ぶ際のベアトの手品の紫発言。
 これは答えが3つあると示し、魔法が削られたベルンのゲームの答えが2つあることを示唆していたと考えられる。
 それが必要なくなったということは、コミック版では他の部分でそれを示唆しているのだろう。

 目に付くのは、繰り返された「戦人は犯人ではない」というところ。
 繰り返された描写とは、即ち、思考しろと言われているのに等しい。
 手法としては、EP5で繰り返し強調された「金蔵は死んでいる」と同様のものだろう。
 金蔵のは、「金蔵の死」を前提とした上でそれを何度も繰り返し示すことで前提を疑わせるというもの。
 戦人のも同様に、繰り返すことで前提を疑わせたいのだろう。
 つまり、ベルンのゲームの犯人が戦人であるということを。
 繰り返したのは婉曲的にそれを否定するためだろう。


 ま、要するに、謎の難易度のバランス調整だと思われる。
 他に書くべきものがあるとすれば、戦人とベアトの入水自殺後の追加シーンくらいか。


 入水自殺の私の解釈は変えない。
 読者視点、プレイヤーとして自分の推理と共に猫箱に入り、正解不正解が定まらぬ状態を受け入れる、という結末。
 ベアト視点、プレイヤーはそこまでしないだろうと諦めている、一度追ってきてくれただけで十分であると、つまり、プレイヤーがそこまでしてくれることこそが本当に望んだ結末。

 その後の追加部分、ベアトが望んだ猫箱の世界に戦人(読者のプレイヤー)を連れてきてしまった、は入水自殺の解釈と繋がっていると見て良いだろう。
 問題は、戦人(プレイヤー)が何も覚えてなくて、ベアトがEP1のゲームを始めるところに巻き戻っていること。

 物語の結末と始まりが同居している。
 結末を描いたのは作者であり、それを読んだのは読者だ。
 それは、1998年以降。
 始めたのはベアト。
 それは、ゲーム始める、即ち、メッセージボトルを海に投げ入れた時。

 その時に結末は決まっていた。
 どうなるかは解らないが、プレイヤーが共に猫箱の世界に入ってくれるという結末が。
 それを望んで作ったゲームなのだから。

 即ちこれは、ラムダを倒した際のフェザリーヌの手法と同じだ。
 望んだ結末をまず決め、逆行して書くが、その部分はまだ決めていない。
 フェザリーヌ曰く、良いアイディアがあったら聞かせて欲しい。
 ベアト曰く、

「わたしたちに相応しい結末をあなたが紡ぎ出してくれますように」

 ベアトはゲームを作り、それを海に流した。
 ベアトができるのはそこまでで、メッセージボトルが誰の目に触れ、誰がゲームの対戦相手になってくれるか、そのゲームの結末がどうなるかまでは関与できない。
 それを表しているのが、記憶がない戦人。
 記憶は失われたのではなく、最初からなかったということ。

 逆に、プレイヤー視点、ゲーム開始時にはベアトの中身が定かではなかった。
 結末に辿り着くことで、各プレイヤー毎のベアトが定まる。
 それらのベアトは皆のベアトではないけれども、戦人のように「お前は俺だけの黄金の魔女だ」と言える自分だけ黄金の魔女。
 皆が皆違うベアトを見出し、そうして辿り着いた猫箱の中に、ゲームを開始するベアトに出会えた。

 そここそがベアトが待つ煉獄山の山頂。
 1986年、ベアトはゲームを開始して死ぬ。
 プレイヤーはメッセージボトルをもとに思考の道を歩き、その果てに辿り着いたものこそが、ベアトが死の際に抱いていた想い。
 ゲームを開始するベアトの決意を知ることができる。

 時を越えて終わりと始まりが重なる。
 出会うはずのない2人が出会う刹那の時間。
 そんな幻想を閉じ込めた永遠の密室。
 そういう場面だったのだろうね、あれは。
 個人的には、これだけでもコミック版は成功だと思う。
 絶賛したいくらい。


 とりあえず、以上。


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  1. 2015/09/19(土) 20:11:16|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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