FC2ブログ

うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


メッセージボトル及び偽書

 EP1の最後にメッセージボトルが流れ着いたという記述がある。
 それはEP1の内容がメッセージボトルに記されていたことを示唆するものだ。
 ではEP1のどれほどの部分がメッセージボトルに記されていたのだろうか?

 常識的に考えれば、流れ着いたメッセージボトルを拾った、という記述はそれが起きた後でなければ記すことができない。

 だが常識的というだけで決め付けるのは早い。
 全ての記述は、メッセージボトル及び偽書に描かれていると解釈している私から見れば、容易に引っ繰り返せる。

 流れ着いたメッセージボトルに、メッセージボトルが流れ着いたという記述
することは可能だ。
 なぜなら記されている事件自体が、事件が起こる前に記述されたものだからだ。

 “漁師がメッセージボトルを拾った”と記述した後に、漁師にメッセージボトルを拾わせれば辻褄合わせは完了。
 結果が出てから記述をしたのではなく、記述をしてからそれに合わせて結果に導いた。
 結果に至る過程を具体的に思い描きそれを実現するというのが、TIPS「」で示されたベアトの無限の魔法の基本。 


 さて、これで“全部記述解釈”、EP1クリア。



 次はEP4をやろう。


『2つのワインボトルの中には、ノート片が何枚もぎっしり詰められていた。
 それは、右代宮真里亞を名乗る本人以外の何者かによる、事故前日から当日を日記風に記した膨大な手記だった。』

 この記述が正しければ、戦人視点ややメタ世界はメッセージボトルに記されてなさそうである。
 では記述が正しいかというと、そう決まっているわけではない。

 EP4における縁寿がいる未来の記述には幻想描写が混ざっている。
 煉獄の七姉妹に関する描写だ。
 よって、未来の記述は観測者による私見を交えても良いゲーム盤、カケラ世界であると解る。
 メッセージボトルは、正にその幻想描写が許された階層に存在するのだ。

 魔女は真実を魔法説によって解釈し、その私見を記述する。
 その記述を基に魔法があると主張し、ファンタジーだと認めさせようとする。
 未来についての記述だから全て真実とすると、ファンタジーになってしまう。
 なので人間側は、人間に可能なものであると解釈し直す必要がある。

 幻想描写が施された階層の描写は、人間の創造主によって記述された内容である。
 人間の手によってファンタジーを記述することが可能なので、全ては人間の仕業である。
 それが人間説の主張となる。


 これで、現実のメッセージボトルにメタ世界が描かれている可能性が生まれた。


 では仮に、現実のメッセージボトルにメタ世界が記述されているとしよう。
 その時、魔法説を唱える魔女はどうするだろうか?

 人間のいる世界が魔女のいる世界より上層であると認めることは、人間にとって魔女という存在は虚構であると認めることだ。
 故に魔女は、人間の世界が魔女の世界より上層にあることを否定し、人間の世界こそが魔女の世界の下層にあるとだと認めさせなければならない。
 そして、人間に可能であると説明されたら魔法説の負け。

 つまり、メッセージボトルにメタ世界が記述されていたら即座に魔法説の負け。
 上層から下層を観測することは可能、下層から上層を観測することは不可能。
 そして、魔女のいる世界は、人間のいる世界より上層にあるという“設定”になっている。
 “魔法世界”を維持するには“メッセージボトルにメタ世界が描かれてはならない”のだ。
 その“設定”に合わせてゲーム盤に幻想が施されたわけである。

 魔法説で説明される世界では、人間説の主張であるメタ世界が記されたメッセージボトルを許容できない。
 しかし、人間説で説明される世界では、現実とは異なるメタ世界が記されていないメッセージボトルについての記述を、魔法説の主張であるとして許容できる。
 私は真実が並び立つ猫箱的には、後者の方が都合が良いだろうと思う。



 続いてEP6の偽書。

 人間説は、全てを人間に可能なことで説明しなければならない。
 正確には、うみねこ世界の現実の人間に可能なことだが。
 よって、うみねこ世界の現実で、全ての記述が

 私たちが見ているゲーム「Dawn」の記述の全てが、うみねこの現実にある偽書「Dawn」にもそっくりそのまま記述されているのなら、うみねこの現実に存在する人間にとって、偽書「Dawn」の中に偽書「Dawn」が登場するという入れ子構造になっていることになる。

 さらに、偽書の内容と偽書の中の偽書の内容が全て同じである場合、色々と矛盾が発生する。
 が、どちらにせよ前と同じ手で返すことが可能だ。

 魔法説の主張、魔女は人間の世界の上にいるという“設定”のために、人間が魔女の駒となっている世界、ゲーム盤世界では上層にあるメタ世界を知覚し記述することができない“設定”になっている。


 まず、作中に偽書が登場した、縁寿と天草が八城と会っている場面。
 縁寿がありえない記憶を持っていたり、読んだ量に対して短すぎる経過時間などありえないことが起こっている。
 これを認めるとファンタジーになるので、幻想描写が許されたゲーム盤世界だと解る。
 ゲーム盤世界のメッセージボトルや偽書には、メタ世界や未来世界についてかかれていないのだろう。

 続いて、偽書を読んでる場面では縁寿と天草と八城の3人がいるのに、メタ世界では縁寿とフェザリーヌの2人しかいないこと。
 これは天草がメタ世界を知覚できないゲーム盤世界の人間であることを示している。
 逆に、メタ世界を知覚できる縁寿は、メタ世界の住人かその上層の現実の人間世界の住人であることになる。
 縁寿が「Dawn」を読んで“朗読”したという主張に沿って人間説で解釈すれば、現実の人間世界で縁寿が「Dawn」を読み自身の意見を八城に話している、となる。

 さて、縁寿が“朗読”、つまり私見を交えたのであれば、EP6の事件のゲーム盤は縁寿の推理が反映された描写になっていなければならない。
 が、メタ世界の縁寿は、ゲーム盤の幻想描写で主張されていることが理解できていなかった。
 よって、あのゲーム盤世界で私見を交えていた観測者は縁寿ではない。
 創造主である八城、あるいはフェザリーヌが創った偽書である。
 縁寿の私見は、未来のメタ世界で話していたものだけ。


 まとめてみよう。

 ゲーム盤世界は、縁寿と八城といる現実の世界を幻想修飾したもの。
 その中で登場した偽書には、EP6の事件のみで、メタ世界および未来世界についての記述はない。

 現実の世界で縁寿が読んだ偽書には、未来世界については記述さていない。
 八城は、縁寿との意見交換を加え、その様子を幻想修飾して、偽書を完成させた。

 うみねこの現実世界の読者が読めるのはその完成版。
 その完成版が、私たち本当の現実の読者が見た内容と完全一致する。




 おまけ。

 人間説と魔法説の争いは、簡単に言えば、“うみねこ世界”における“最上層争い”と言える。
 その争いの模様をEP順に辿ってみよう。


 EP1で、事件の内容がメッセージボトルに記されていることが描写された。
 EP2で幻想描写が登場。
 魔法殺人は“現実”に起こったことである、というのが魔法説の主張。
 それに対して、人間説は、幻想描写は人間の手で記述されたもの、メッセージボトルこそがその根拠である、と主張。
(EP1の事件以外の描写は、記事の冒頭でやったとおり、入れ子構造にすれば全て記述可能である)

 魔法説は、魔女のいるメタ世界が最上層にある“現実”であると主張しなければならない。
 そのためには、人間説が主張するメタ世界の上にある“人間の創造主がいる世界”を否定しなければならない。

 EP3の最後で未来にいる縁寿が登場。
 過去に書かれたメッセージボトルには、未来の縁寿を登場させることは不可能である、と人間説に対して反論。
 縁寿のいる未来世界もメタ世界の下層にあり、
 さらにEP4で未来世界ではメッセージボトルにメタ世界はと示唆することで、人間にはメタ世界は知覚できない

 そこで私の反論。

 未来世界では幻想描写が許されている。
 よって、その“未来世界”は“現実の未来世界”を基に魔女が生み出した“未来世界のゲーム盤”となる。
 その“未来世界のゲーム盤”に登場したメッセージボトルは、“現実のメッセージボトル”ではなく魔女がゲーム盤に置いた“駒のメッセージボトル”だ。
 魔女の駒が魔法説の主張のためにあるのは当然のことと言える。

 そして幻想描写を人間説で説明するのは簡単だ。
 以前と同じ論法を用いれば良い。
 未来世界を記述する人間の創造主がいれば、人間に可能なことなのだから。

 魔法説が魔女のいるメタ世界が最上層であると主張したら、そのさらに上に人間の世界を載せるだけの簡単なお仕事。


 さて、EP6では魔法説と創作説の最上層争いが勃発する。
 即ち、創造主は人間なのか魔女なのか?

 魔法説における創造主は、魔女フェザリーヌだ。
 そのフェザリーヌの人間界の姿が八城十八である。
 要するに、人間の創造主である八城十八の上層に魔女の創造主であるフェザリーヌがいるという主張しているのだ。
 人間の創造主では知りえぬことでも、魔女の創造主であれば知ることができるのだと。

 人間説の返しはこれまで同様、魔女の下にいるのはゲーム盤の駒で、人間は魔女の上にいるのだと。
 知りえないことは、事件の真相だとかヱリカの殺人だとかなどだけど、それらは前にも書いたと思うので省略。


スポンサーサイト



  1. 2015/06/14(日) 01:05:05|
  2. 創造主
  3. | trackback 0
  4. | comment 0

推理は可能か不可能か

 EP1本編で、魔女を目の前に出されたら証明終了と言われ、最後まで魔女は現れなかった。
 しかし、EP1のお茶会にベアトが現れて魔法を見せた。
 戦人はそれを、皆が信じなければ存在できないものであると看破した。


 ゲーム盤の現実では、悪魔は姿を現さないから猫箱は猫箱足りえる。
 メタ世界で「魔女」と「魔法」が目に見える形で現れても、それはブラウン管裁判により、目に見える形で示された主張にすぎない。
 では誰の主張なのかと言えば、それはメタ世界の上にいる「創造主」のものになる。
 その傍証がEP1で示されたボトルメール。

 創造主は自身の主張を目に見える形、即ち「作品」にして世に出した。
 極論すれば、作品の全描写が創造主の「主張」である。

 作品の描写には「真実」と「嘘」が入り混じっているが、「嘘」もまた創造主の心から生み出されたもの。
 だからそれを遡れば心を探ることができる。
 なぜ嘘を吐いたのか、その意図は、なぜそのような形の嘘にしたのか、どんなことを主張しているのかなどなど。
 作品内の真実も嘘も幻想も全部、創造主の「愛」に立脚していて、「愛」がなければ存在できない。
 故に問うのだ。創造主の愛は、心とは何ぞや、と。


 創造主が心を推理させたいと考えているのであれば、嘘にも意味があり、幻想にも意味がある。
 存在しないものだから意味がない、ということはない。
 全ての描写には意味がある。

 後は読み手の判断で真偽を分ければ、推理可能だろう。



 とりあえず、私の判断を説明してみよう。

 推理は可能か不可能か。
 いつから推理は可能なのか。
 推理可能だと保証されなければ推理不可能なのか。


 後期クイーン問題において、前に出された結論は、後に出されるかもしれない情報によって引っ繰り返されることを否定できない。
 よって、情報の全てが出されなければ推理できない。
 だから最後に出された情報こそ信じる。

 そのような考えだと、最後とされたもののさらに後に出されるかもしれない情報によって引っ繰り返される可能性を否定できない。
 それでは何も定まらない。

 逆に考えるべきだろう。
 後で出される情報によって引っ繰り返されるのであれば、引っ繰り返されないような強固な推理に仕上げれば良いのだと。

 後から出される情報がないと推理できないなら、それは当初の情報では推理不可能ということ。
 それではアンフェアだ。
 フェアであるならば、当初の情報、要するに1ゲーム毎に推理可能でなくてはならない。

 魔女のゲームは守りが肝心。
 EP1の事件の真実はEP1までの情報で解けるし、EP2の事件の真実はEP2までの情報で解ける。
 前のゲームの推理を以って、次のゲームの情報の真偽を判断すれば良い。
 後から出される情報を待って判断すれば良いという考えでは、魔女の手を防ぐ強固な真実を構築することは不可能なのだ。

 魔女もまた、人間側が守りを固めていることを前提に次の手を打つことになる。
 必然それは、人間側がした推理を攻撃するものになる。
 だからそれに耐えうる守りを固めなくてはならないのだ。



 全ての描写の真偽が不確かな中で、赤き真実だけは絶対であると保証された。
 それは推理を可能とするためだ。
 逆を言えば、赤き真実があるからこそ、それ以外の描写が不確かであることが許されていると言えるだろう。

 であるならば、赤き真実が登場する前であるEP1は、真偽が確かな描写でなければならないことになる。
 赤き真実がなくても推理可能でなければならないからだ。


 EP1において、全てはボトルメールに書かれたものであることが示唆された。
 それは、全ての記述が神の視点によるものではなく、私見を交える観測者の手による描写であるということ。
 要するに幻想描写が許されている。

 しかし、どれが幻想かそうでないか判断できないのであれば推理不可能。
 推理可能であるのなら、判断可能なようになっていなければならない。

 EP1で幻想であると明らかな描写は、黄金の蝶である。
 黄金の蝶によって、描写の真偽を明確にしていると考えられる。

 黄金の蝶の幻想で覆い隠しているのは犯人についての描写。
 犯人の姿を覆い隠す手法は、俗に言う「黒タイツの男」などの形で他作品でも多用されている。
 それが許されるのは、犯人の正体や殺害の様子を隠さなくては、謎は謎でなくなってしまうからだ。

 それ以外の描写は真実。
 夏妃は生きている金蔵に会ったし、使用人たちはチェーンによる密室を目撃した。
 真偽が明確になれば推理は可能となる。


 その視点に立てば、後から出される情報は真実を引っ繰り返そうと次々と繰り出されてきた指し手となる。

 EP2では、赤き真実を登場させ全ての描写の真偽を不確かなものに貶め、使用人を疑わせることで使用人のみが登場したシーンを疑わしいものにした。

 EP3の南條殺しでは、検死と金蔵の生を疑わせた。

 そしてEP4では、第1~3のゲームを推理させたところに、後出しの情報でそれを攻撃した。

 全ては前の推理を否定し、その否定の「主張」を認めさせようとするものだ。


 さて、最初の一手、魔女の手番が先か後かを考えるなら、最後の一手も気にするべきだろう。

 EP8の最後で、十八が戦人であったと主張され引っ繰り返された。
 誰もが驚いたことだろう。
 最後に真実が引っ繰り返り隠されていたものが明らかにされるというのはミステリーの醍醐味だ。
 ミステリーを読む誰もがそれを期待することだろう。

 だがそれでいいのだろうか。
 読者が推理した以上の真実、それは未知だ。
 だがそれでは、真実を解き明かすという意志が絶対ではなかった、ということになりかねないのではないだろうか?

 読者が作者に対して期待する未知、その期待に作者が応えた“物語”。
 それが“ミステリー”であると定義するのなら、作者が全てを既知とする絶対の推理を期待した“物語”は“アンチミステリー”と言えるかもしれない。


 読者が期待する未知を出して引っ繰り返して終わりなら、その展開は作者にとって既知の展開である。
 作者は読者を掌で踊らせて、読者は作者の掌で踊って楽しむ。
 それは作者から読者に未知を送るという一方的な関係だ。

 しかし、「うみねこ」は対等なゲームである。
 読者が愛して欲しいのであれば、作者もまた愛して欲しい。
 そうであるように、読者が未知を期待するのであれば、作者の方も未知を期待していてもおかしくはない。

 最後のチェックメイトを決めてゲームを終えるのは、作者なのか読者なのか。
 作者が読者をしのぐのか、読者が作者をしのぐのか。
 実際にしのいだのかは置いといて、しのぐという意志の有無がそこに表れているのではないか?
 私は自身の手で最後の一手を打ちたい。
 それがベアトが期待していたことだと信じるからだ。
 さらには、魔女の最後の一手を防ぐというゲームの姿勢を完遂するためでもある。


 よって私は、推理は可能か不可能かと聞かれたら、「推理は最初から可能であり、最後まで可能である。そう創造主が創ったと信じている」と答えるだろう。





 作者が用意した幻想を読者が暴くということは、ファンタジーに対してアンチファンタジーで挑むということ。
 アンチファンタジーは、ニンゲンに可能ならそれで十分。
 なので、否定されれば別の説に変えるだけ。
 壁を避けることを方針とすれば、水が高木から低きに流れるが如く、着地点まで導かれてしまうことだろう。
 間違っていたら修正することは正しいことだが、そもそも間違っているかの判断は自分で下すものであり、誰かの主張によって左右されるものではない。
 それが作者の主張・解釈であっても。

 否定の主張に屈することのない強固に信じる推理ができたなら、ゲームは別の様相をみせるようになる。
 読者が用意した推理を作者が覆そうとする、ミステリーとアンチミステリーの対決に。


 これが私の「うみねこ」ゲーム観。

 前者の対決でゲームをするなら、後になればなるほど情報は多くなったり、真実に近い情報が手に入るので、後のEPからゲームを始めるほどに有利に始められることになる。

 後者なら、後からゲームを始めるほどに不利に。
 つまり、最初から手が抜けない対決を楽しめる。

 私としては、簡単に手に入ったものは簡単に捨てることができると思っているので、戦って守ることで価値が高まる後者をお勧めしたいところだけど。
 ま、各自好きなようにゲームすればいいかな、と思う。

 戦いの評価は、結果ではなく、過程。
 何を手に入れたのかではなく、手に入れるために何をしたのか。
 誰とも共有できない個人の体験こそが、手に入れた真実の価値を決めるのだろうと信じているからだ。


  1. 2015/06/13(土) 20:44:09|
  2. 創造主
  3. | trackback 0
  4. | comment 0

いつから創造主の考察ができるのか?

 創造主のトリックの補足。
 EP6以前にできる創造主についての考察をちょいあげてみる。



 八城を登場させ、最上層の視点を提供し、未来の下位世界で幻想描写。
 そうすることで、最上層の視点を持った創造主が最下層であるゲーム盤に置かれた駒として存在している可能性を示唆している。

 それに当て嵌まるのがヱリカ。

 ニンゲンが死亡確認する方法は脈を測るなどすればいい。
 赤き真実にするために殺し直したというのは、メタ世界にいる魔女の都合。
 他の動機を提示できなければ、魔女の世界の動機によってニンゲン世界は左右され得ることを認めなければならない。

 それを認めることは、上位世界のメタ世界を認めることであり、メタ世界からの介入を認めること。
 それは人間には不可能であると認めることに等しい。


 これを回避するには、ニンゲンにとって上位世界であるはずのメタ世界を、下位世界に落とせばいい。
 創造主にとってメタ世界は、己の都合によって動かすことが可能な下位世界に過ぎない。
 赤き真実を得るために殺し直したというのは、創造主の都合であり動機。

 よって、そんな動機を持ち得たヱリカは創造主であると考えられる。


 ニンゲン世界の殺人は、魔女世界のゲームのためにある。
 そして、魔女世界のゲームは、創造主の世界において読者に見せるためにある。
 要するに、ヱリカは読者に見せるために殺した。

 さらに、自身で可能なことのみ魔法修飾できる、というのも考え合わせれば、1986年の時点でヱリカは、1998年に八城が書くことを知りえることが可能だったということになる。

 同時に、それを八城も知っていなければ、可能なものとして記述することができないということでもある。


 犯人(ヱリカ)が創造主の視点を持っているのなら創造主(八城)こそが犯人である、というのは安直ではあるが王道でもある推理だ。



 EP5でラムダが動かした戦人は、ドラノールと戦っていたことからメタ戦人。
 それが本来の戦人はゲーム終盤まで参加できず俯瞰していたことから、その時メタ世界は上下二層に分かれていたことになる。
 これは最上層を示唆するヒントであったと思われる。


 EP5で登場した探偵権限も同じようなもの。
『探偵権限。……探偵は全ての現場を検証する権利を持つ。そこを退きなさい、右代宮戦人。これはニンゲン側に認められた、ゲームの正当な権利よ。』
 “ニンゲン側”というのはメタ世界でゲームを行っているニンゲン側のプレイヤーのこと。
 探偵であるヱリカは、ゲーム盤のヱリカとメタ世界のヱリカで分けられる。
 ノックス第2条「探偵方法に超自然能力の使用を禁ず」は、探偵が超常能力を使って事件を解決しないと同時に、犯人にも超常能力を用いた犯行を禁じるもの。
 GMが、超常能力を用いない犯行であるのに、それを超常能力を用いた犯行であると修飾できるように、ニンゲン側のプレイヤーは、超常能力を用いない探偵方法を、超常能力を用いた探偵方法であると修飾できることが可能。
 そして、なぜニンゲン側のヱリカが幻想描写を用いているのかを考えていけば、メタ世界もまた創造主が動かしている劇であるという考えに行き着く。

 ま、主にはヱリカが幻想描写を必要とする犯人側であるというヒントなのだが……



 EP4では未来世界で幻想描写が挿入されたことで、その上に創造主がいること、即ち作者によって記述されたものであると推理できる。
 TIPSで創造主についてヒントがあったことだし。

 問題は、作者はどこの誰なのか?
 単純に考えれば、時間軸的には二択。
 未来世界の縁寿のことを知ることができるのは、同じく未来世界の人間のみ。
 オリジナルのメッセージボトルと同様に過去世界でなら、想像と予測により作られた。

 とりあえず過去に作られたものは、実際の未来との差異が出た時点で陳腐化する可能性が高く、読んで考えてもらうという目的からすれば悪手が過ぎる気がする。

 それに比べて未来で書かれたなら、現状に合わせて記述が可能。
 作中で示されたオリジナルのメッセージボトルは2つ。
 未来世界の縁寿が登場したEPは3と4。
 過去に書かれたのがEP1と2で、未来に書かれたのが3と4となる。
 全て過去に書かれていたのなら、この辺は記さない方が良いだろう。

 さらには、未来に絵羽が生き残ったから、それに合わせて絵羽が生き残るEP3を公開したと考える方が自然だ。

 よって、創造主は未来にいると考える方が妥当と言えるだろう。


 さて、未来に創造主がいるとして、未来はどうなっているのか。

 六軒島を猫箱に閉じ込めることで幻想描写が可能としたのなら、同じく幻想描写をされた縁寿の状況もまた猫箱の中であると考えられる。
 即ち、未来世界において、世間からは縁寿の行方は掴めていない可能性がある。
 少なくとも会って真実を確かめることは不可能だろう。

 さらに言えば、創造主だけはその真実を知りえる立場にいることは間違いないはず。
 創造主の目的が謎を解かせようとしているのであれば、創造主は謎の真実を知っていなければならない。
 そうでなければ謎として提示してはならない。
 少なくとも、あからさまな形で幻想描写により覆い隠した真実は。

 よって、幻想描写された後の時点で、創造主と縁寿が会っていなければならない。

 結論としては、縁寿は世間的には行方不明となっていて、実際のところは創造主と所に匿われている、というところまで推理可能に作られていたと思う。



 ちなみにEP6までの情報を合わせれば、
 縁寿が六軒島に行く前に偽書作家伊藤幾九郎のことを知っていたことから、EP3の内容は六軒島に行く前に知っていたことになる。
 しかし、EP3の最後、縁寿が登場するところは、縁寿が飛び降りたところが描写されていることから、飛び降りた後に書かれたことになる。
 が、まあEP3がネット公開されたことを考えれば、分割で公開されたのだと考えるのが妥当だろう。

 つまり、縁寿登場前までを縁寿が飛び降りる前にアップし、最後の部分だけを縁寿が飛び降りた後に追加した。


  1. 2015/06/13(土) 19:53:20|
  2. 創造主
  3. | trackback 0
  4. | comment 0

NEW ENTRY | BLOG TOP |  OLD ENTRY

プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

現在時刻

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

咲 (3)

来訪者数

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR

Designed by U-BOX