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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


無限の運命における絶対と奇跡

 ルーレットはベアトの望みによって作られた以上、ルーレットに刻まれた結果は全てベアトが望んだもの。
 碑文が解かれ生存者を出そうとも、それは想定されたことで、つまりは望んだこと。
 そしてそれは、それ以外の人間を想定どおりに殺すことが、ベアトの望みであるということ。
 ルーレットを回しても、犯人を特定して犯行を止めることができずに惨劇が完遂するという結果しかでないと信じているということ。

 そこからベアトの負けとは、碑文の謎を解いて隠し通路を見つけるというものではなく、碑文に見立てた事件の謎を解かれることだと考える。


 ベアトは絶対の意志でルーレットに従う。
 ベアトの作ったルーレットには、碑文の事件の謎が解かれるという結果は刻まれていない。
 ルーレットはベアトが想定した全ての結果を刻んだもの。

 である以上、謎が解かれずに時間切れで終わるのは絶対である。
 それが悪魔のルーレットが生み出す絶対の運命。

 逆を言えば、ルーレットに刻まれていない、謎が解かれるという結果は、ベアトの想定していた運命の中にはない「奇跡」であると言える。


 ベアトの最高の望みは、謎が解かれることである。
 なのに、絶対の意志でなしていたのはその反対。
 これは矛盾だ。

 だが、人間の感情は矛盾に満ち、相反する願いを抱くこともままある。
 異なる望みがあるならば、異なる自分を作ればいい。
 謎が解かれれば望みは叶い、解かれなければ未練を断ち切れる。
 どちらも望むところなのだろう。

 それは天国と地獄に分かれるということ。
 そして、それらに分かたれることがないことが煉獄の苦しみだということなのだろう。

 つまり、どっちつかずの苦しみを終わらせるための惨劇だったのだ。




 話を戻そう。

 謎が解かれることが「奇跡」で、謎が解かれないことが「絶対」。
 たったひとつの「奇跡」のために、「絶対」の意志で「無限」に繰り返す。

 これに似たものに金蔵のタロット占いがある。

『自分の望む結果が完全に出るまで、延々とタロットを繰り返すその手間と信念、心の気持ちが祈祷に通じ、それが天に届いた時、結果となって昇華されるという、金蔵の独自の魔法解釈だ。』

 つまり、「奇跡」を出すためには、「絶対」の意志で「無限」に繰り返すことこそが肝要。
 それを「信念」とした魔法なのだ。


 信じることが魔法なら、信じる力が魔力であると言えるだろう。
 ルーレットによって魂を分かたれたベアトは、それぞれが惨劇を完遂して、自身の絶対の意志の証とする。
 そして、ベアトAの絶対の意志を、ベアトBの絶対の意志を……と、絶対の意志を無限に積み重ねたら、無限の魔力を得られる。
 そういう理屈なのだろう、この魔法理論は。




 ファンタジーな動機で、ミステリーな事件を起こし、アンチミステリーな物語に仕上げるとか。
 マジかんべん。


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  1. 2013/12/29(日) 03:21:41|
  2. 無限の魔法
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無限の真実

 今回はメッセージボトルから並行世界を見てみようと思う。
 結論ありきで適当に組み上げたおまけなので適当に読んで欲しい。


 警察の見解によると、メッセージボトルは事件が起こる前に書き記されていたという。

 メッセージボトルは、六軒島で起きた事件の内容とその事件の真相を解いて欲しいと訴えるもの。
 真相を解かせようとしているなら、その前に事件の内容が真実であると主張していることになる。

 ではそれが唯一の真実だと主張しているのかと言えばそうではない。
 メッセージボトルは2つあり、それぞれ事件の内容が異なるからだ。
 そのまま取れば、真実は複数存在すると主張していることになる。

 では現実の事件がこの内容であると主張しているのだろうか。
 これも否である。
 現実において絵羽が生存している以上、絵羽が殺されているメッセージボトルの内容を現実に起こったことだと思い込ませることは不可能だ。
 そう思わせたかったのであれば、現実においてなんとしても生存者を出してはならなかった。
 そう、「絶対」に。

 だが犯人は、九羽鳥庵に通じる隠し通路をそのままにしておいたり、解けば秘密の通路に辿り着く碑文の謎を提示してしまっている。
 それは絵羽が生存する可能性を許容しているということだ。

 いや、それどころか絵羽が生存した方が都合が良かったりするやもしれない。
 絵羽が生存していれば、生存していないメッセージボトルの真実は、現実における真実ではないという主張になるからだ。

 現実における真実ではないが、それでも真実であるのだと。
 現実においては起こっていないが、それでも真実である事件なのだと。
 要するに、起こり得た事件であると。
 現実ではひとつの事件しか起きないが、本当なら幾つもの事件を起こせたのだと主張しているのだ。

 そして犯人は、現実に起こった事件を推理しろと言っているのではない。
 現実には起こらなかったが、起こり得た事件を推理して欲しいと言っているのだ。

 それらの事件は犯人の心の中にしかないのだが、だからこそ心を推理して欲しいと言っているのだろう。
 そして、その心の中にしかない事件を見える形にして書き出したのがメッセージボトルなのだ。



 ちなみに、絵羽生存が都合が良かったのならば、メッセージボトルは絵羽生存が確定した後に海へと放り投げられた可能性が出てくる。


  1. 2013/12/29(日) 01:21:07|
  2. 無限の魔法
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無限の魔女

 今回からはベアトのもうひとつの魔法、「無限の魔法」についての考察となる。
 第7のゲームで説明されているので、これは不要なのかもしれないが、この後の前置きなので我慢していただきたい。


 第1のゲームにおいて、ベアトについてのヒントをベルンカステルからもらっている。
 曰く、「一人を百殺すのが無限の魔女」
 またそれに対比するために、「一人を必ず殺すのが絶対の魔女」とも言っていた。

 絶対の魔女の魔法は、絶対の意志が絶対の結果を紡ぎ出す絶対の魔法であるので、百を殺すとはベアトの意志が百の結果を紡ぎ出すことだと推察できる。

 そしてベルンカステルはこうも言っている。

『全ての目が、貴女の掌を出ない』
『サイコロが何の目を見せようとも“必ず”貴女は満足する』


 それらも加味するとこうなる。
 ベアトの意志が生み出した百の結果の内のどれが紡ぎ出されようとも満足する、と。
 そして、ベアトの掌からはみ出る目は存在しない、と。

 つまり、ルーレットが出す百の結果はベアトが作ったもので、全ての結果はルーレットの内に納まる。
 島の人間がどう思いどう行動しようが、全ては想定の内。
 全ての可能性は、無限の魔女の掌から出ることはないのだと。
 そう豪語しているのだ。
 そして豪語する以上、信じるに足るだけの根拠を自分なりに積み上げた上で創造したのだろう。

 無論これはベアトの意志が紡ぎだした想像、想定、予測、計画でしかない。
 必ずしもそれが現実になるとは限らない。
 しかし、ベアトは信じている。
 信じることが魔法であり、魔法を叶えるのが魔女なのだから。

 犯人が魔法を基盤に行動を起こすなら、犯人にとってはそれが真実。
 そして、犯人の信じる真実を解き明かすことがこのゲームの趣旨である以上、それが解くべき「真実」となるのだ。



 現実に存在する人間を写した駒を惨劇に閉じ込めた悪魔のルーレット。
 出た目に合わせて、ゲーム盤が選ばれ、惨劇が実行される。
 それぞれの目に刻まれた惨劇がベアトの叶えるべき目標。叶えるべき夢。

 だが、人一人を殺すのは一度しか行えない。
 人一人が一度に叶えられる夢は一つだけ。

 目標が異なれば、行動も異なる。
 異なる行動を起こす自分は、もはや別人と言っていい。
 だからベアトは魂を分けたのだ。
 異なる夢を同時に叶えるために、異なる自分を生み出した。
 そのためのルーレット。

 1の出目なら、ベアトAが第1のゲーム盤を。
 2の出目なら、ベアトBが第2のゲーム盤を。
 3の出目なら~、
 4の~、
 …………

 それこそが、無限の願いが無限の結果を紡ぎ出す、無限の魔法。
 有体に言えば、並行世界を生み出す魔法である。

 そして、全てのベアトの集合体こそが、無限の魔女ベアトリーチェ。


  1. 2013/12/28(土) 23:18:43|
  2. 無限の魔法
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「黄金の魔法」の補足

 「黄金の魔法」については今回でおしまい。
 今回は、「黄金の真実」について私が抱いている諸々のことをちょびっと紹介してみようと思う。
 「黄金の真実」での事件のトリックについては、同一説でさんざん他の方が推理していると思うので省略。



●箱の中にいるのは重なり合った猫

 「黄金の真実」は、過程を修飾する魔法の一種。
 ゲームマスターは、「本当の真実」の上に過程(ロジック)を修飾(構築)しなければならない。
 ロジックを構築できなければ、アンチミステリーとならずロジックエラー。
 アンチミステリーのロジックは修飾されたものであるために、ロジックの変更は比較的容易である。
 ちなみに「本当の真実」は変更不可。

 「本当の真実」と「黄金の真実」の関係は一枚のカードの表と裏。
 片目だけで見る場合、片方を見れば、もう片方は見ることはできない。
 それは恋の決闘を見ての通り。
 だがどちらも真実の一面でしかなく、両目で見て両方を知ることでやっと全体を把握できる。

 そんな感じで、真実というものは相補性を持っているのではないかと思う。


 とは言え、核の部分は「本当の真実」なので、「本当の真実」における犯人の動きには、「黄金の真実」を修飾しようとする無駄な動きが混じってしまっていることだろう。
 その無駄な部分が、ベアトの遊びでの部分であり、隙であるとも言える。



●タネも仕掛けもあるんだよ

 アンチファンタジーvsファンタジーに注目させ、影でミステリーvsアンチミステリーにタネを仕込む。
 ――ミスディレクション

 「黄金の真実」を選ばせるために、それ以外を赤き真実で切り捨てることで、読者が自ら選び取る形にさせる。
 ――マジシャンズセレクト

 過去の真実は、未来に出される真実で覆される可能性がある。それを転じて、未来で出された真実こそが正しいという先入観を与え、過去に遡って都合のいい情報のみを取り出させて補強させる。
 ――確証バイアス

 主なのはこんなところか。
 まだ他にもあるかもしれないので探すと面白いかもしれない。
 ……というか、そういうのを聞いてみたい。



●いわゆるライバル探偵ポジが陥るもの

 黄金の魔法とは、つまるところミステリーで言うところの、探偵の推理を組み込んだトリックである。

 探偵が推理し、推理された犯人がいる。
 その上に、それらを想定した上位の犯人がいた。
 そんなメタ構造のトリック。

 下位世界で戦人が推理している。
 その上位世界でゲーム盤を挟んで戦人が推理している。
 その上位でメッセージボトルを見た読者が推理をしている。

 そのメタ構造そのものが、このトリックを暗に示していたと言える。
 そして、メタ構造を利用した探偵、古戸ヱリカという駒もまたヒントだったのだろう。


●思うところ

 普通の推理小説ならライバル探偵と主人公探偵の推理が並び立っても、ライバル探偵の推理が間違っている証拠が出てくるところなのに、「うみねこ」では出てこずに並び立ってしまう。
 それにもかかわらず、どっちかを選べと迫るという無茶振り。
 お陰でハウダニットやフーダニットよりもホワイダニットが重要に。
 解る者には解る、解らない者には解らない。というのは、だいたいこの魔法のせいなのではなかろうか。

 私は、これはベアトの怒りの発露なのだと思っている。
 第3のゲームであった「怒りと悲しみの物語」の、怒りの部分。
 悲しみが謎を解いてくれないことに対してのものであるなら、怒りは謎が解けない者に対してではないか。
 感情によるところであるがために、ある意味ベアトの動機が最も顕著に出ていると思う。


 それにしても、ミスリードなんてだいたいはその場しのぎでしかないと思うのだが、それがひとつの物語になっているのには驚愕するしかない。
 黄金の魔法が紡がれていくところは、ある意味、真相が暴かれていくのを描くよりも良かったかもしれない、と個人的には思う。うみねこっぽさが出ていて。


  1. 2013/12/28(土) 20:16:00|
  2. 黄金の魔法
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黄金の魔法の実現

 続いて「黄金の真実」の生み出し方でも。



 第6のゲームにおいて行われた恋の決闘。
 これについての解釈は、紗音・嘉音・ベアトが同一であるということで、大方一致しているのではないかと思う。

 となると、それ故に、その解釈は『黄金の真実』であると言える。
 さらに、並び立つ真実として、もうひとつ解釈が成り立たなければならない。
 それがアンチミステリーの読み解き方になる。


 では、恋の決闘とは何を表しているのかいえば、今回のタイトルそのものずばり、黄金の魔法が成就する過程である。

 嘉音と紗音が父親について言及していた。
 さて「親」の定義だが、作中では実の親以外にも、「駒」の生みの親という意味で使われている。
 それも恋の決闘と同様に、第6のゲームで。

 この2つの方向性の内、実の親の方は「同一説」の方に繋がるので、もう一方の「駒」の親へ進む。
 そうなると紗音と嘉音は「親」に生み出された「駒」ということになる。
 無論ベアトリーチェも同様だろう。

 その「駒」たちが生み出された目的はと言えば、愛し愛されるためで間違いないだろう。
 ベアトリーチェという「駒」は、戦人に愛し愛されるために生み出されたのだと明言されているのだから。

 では愛されるとは何か。
 考えるまでもなく「愛がなければ視えない」のことだろう。
 さらには第5のゲームで、「推理小説の読者と作者の関係は恋愛に似ている」とも。

 推理することで視えてくる「駒」。
 それは即ち、「犯人」のことだ。


 つまり、恋の決闘における紗音・嘉音・ベアトは「犯人」であり、「犯人」として愛し愛されることを争っていたことになる。

 紗音が「犯人」という真実。
 嘉音が「犯人」という真実。
 ベアトが「犯人」だという真実。

 まだ「同一説」という『黄金の真実』が生まれる前、紗音が犯人でも嘉音が犯人でも説明可能で、どちらの可能性も同時に存在した。
 そして、ベアト即ち「真犯人」が犯人である可能性もまた……

 だが異なる「犯人」を同時に愛することはできない。
 同時に愛せば、それは一人分の「愛」に満たない。
 それでは一人分の「魂」に満たない「家具」でしかない。
 推理どおりに殺人を犯してみせ、破綻すれば打ち捨てられるだけの「駒」。
 だから一人分の「魂」を得るためにあの決闘をしなければならなかった。

 そして、ミステリーを志向する読者は、愛する「犯人」を一人に絞らなければならない。
 愛し合う2人で「世界」を生み出すために。



 ……さて、それでは以上を前提に黄金の魔法が実現する経緯を説明しよう。

 「犯人」は3人。それらを愛する「読者」も3人。

 紗音を犯人だと考える自分。
 嘉音を犯人だと考える自分。
 ベアトを犯人だと考える自分。

 その内、ベアトを犯人だと考える自分は不在である。
 故に決闘を行うのは紗音と嘉音の2人となる。
 あとは、自分が考える「犯人」を信じるだけ。

 そして、ロジックエラーの密室において、嘉音の可能性が否定され、「同一説」によって残った紗音が「犯人」として残った。 

 「幻想」は「真実」に昇華され、黄金の魔法は成就した。
 あとはこの「種」に水をやり、肥料をやり、決して倒れることのない大樹にまで育てれば良いのだが、それはまた別のお話……


  1. 2013/12/22(日) 01:14:54|
  2. 黄金の魔法
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3つの物語

 前回の「ゲームの勝利条件」の「続きを読む」の続き。
 『黄金の真実』についての根拠を一つあげてみようと思う。



 第八のゲームにおいて最後に出された問い。

【魔女は、そっと左手を差し出し、
(なんやかんやあって)
魔女はゆっくりと、その右手の拳を開く】

 手には何も握られていなかったのに、次に握られていた手を開いた時には無かったはずのものが出てきた。
 これは『魔法』なのか『手品』なのか?


 ミステリーvsファンタジーで見るならば、

 魔法は人間には不可能なこと。
 記述そのままでは人間に可能な以上、紫発言は嘘であることになる。
 
 手品は人間には可能なこと。
 記述そのままで人間には可能なので、紫発言は真実である。

 ……という感じになるだろう。


 だがそれでは不十分だ。
 『魔法』か『手品』かを問われたことで、猫箱に入っている真実が2つしかないと思い込んでしまっている。
 選択肢よりも、まずは問いを見るべきだろう。

 注目するのは紫発言だ。
 あれは、真である可能性と嘘である可能性の両方が重なり合った猫箱だ。
 一箇所につき二通りの真実を生み出す。
 故に要点は、紫発言が何箇所使われたのか、だ。

 紫発言は二箇所で使われている。
 よって、 二通り × 二通り で、合計四通りの真実が生まれていることになる。

①、左手(真) → 右手(真)
②、左手(真) → 左手(嘘)
③、右手(嘘) → 右手(真)
④、右手(嘘) → 左手(嘘)

 この内、②の真・嘘と③の嘘・真の2つは、人間には不可能=ファンタジーでひとつにまとめられる。

 残りの2つ、①の真・真と④の嘘・嘘が、人間に可能なトリック、並び立つ真実となる。

 そのようなわけでこの問いは、実質三択。
 つまるところ、これこそがベアトの作り出した3つの物語というわけだ。


 あとはどれが本当の真実なのかだが、①の真・真に誘導しようとする意図が丸見えなので、④の嘘・嘘が、本当の真実であると判断できる。

 さらには、問いに記述されている、右手左手は『黄金の真実』であり、それを信じさせるための黄金の魔法なので、答えは『魔法』であるということになる。

 ちなみに黄金の『魔法』を選んだ以上、その後の展開は『黄金の真実』に塗れているが、それについてはまた追々。


  1. 2013/12/21(土) 20:48:45|
  2. 黄金の魔法
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ゲームの勝利条件

 そもそも戦人は最初ミステリーで事件を解くつもりだった。
 犯人は人間であり、答えはひとつであると。
 でもそれが何だか解らないから、とりあえず色々と可能性をあげてみることから始めようといった感じだったと思う。

 だが、そこにベアトが現れてファンタジーであると主張した。
 それによって、戦人をファンタジーの反対、アンチファンタジーの立場にまで引き釣り出した。

 ファンタジーの立場は、犯人は人間ではないというもの。故にアンチファンタジーとは極論すれば、犯人が人間であれば答えは何でも構わないというものになる。
 人間説の答えがない(ファンタジー)も、答えはなんでもいい(アンチファンタジー)も、答えはひとつ(ミステリー)でない以上、どちらもミステリーではない(アンチミステリー)。
 ミステリーの立場からすれば、アンチファンタジーの立場に移行した時点で負けである。
 そのためにベアトはあえてファンタジーの立場を取ったのだろう。

 そのようなわけで、ミステリーの立場から真実を見つけ出すことが戦人の真の勝利条件であるのは間違いないと思われる。



 さて、戦人の勝利条件も解ったので、あとはミステリーの立場から魔法(ファンタジー)を暴けば解決となる。


































(その解決に不足を感じるのなら、続きを読むをクリック。) 続きを読む
  1. 2013/12/15(日) 23:36:10|
  2. 黄金の魔法
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はじめに

 某公式サイトにて別名で投稿していた推理を簡潔にまとめてみようと思い立って早3年。
 というかもう3年経つので、そろそろどうにかしようと開設してみた次第。
 とりあえずは、ぼちぼちとまとめてみようと思う。



 まず始めは「何」を推理するのか、からやりますか。


 「うみねこ」で一番使われたフレーズと言えば『愛』。
 ベアトリーチェによれば、それは世界を構成する一なる元素だと言う。

 だがしかし、世界は愛がなくとも存在する。
 客観的な真実は、『愛』の有無には左右されない。
 しからば、ベアトリーチェの言う『愛』によって構成された世界とは主観的なものということになる。

 そんなわけで、推理すべきは事件の「客観的な真実」ではなく、犯人の「主観的な真実」と考える。

 そして、『殺人』は『殺意』によって起こる。
 『原因』より出で『過程』を経て『結果』に至る。
 どんな『目的』で世界を作ったのか。
 それが重要だと考える。

 故に、ベアトリーチェの『愛』によって構成された『ゲーム盤』。
 それを使った『ゲームの目的』や『思惑』を推理したいと思う。


  1. 2013/12/15(日) 23:35:46|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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