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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


犯人についての簡単なまとめと蛇足

 動機についてが書きなぐってきたが、いまいちまとまってないようなので、まとめてみようと思う。


 犯人は第一のゲームで肖像画の前に現れた、肖像画と同じ姿の人物。
 18人目のX。19年前の赤子である理御だった者。
 夏妃によって育てられなかったので、崖から落ちた形で死を偽装され、九羽鳥庵で隠されて育てられた。
 誰かに姿を見られることを、金蔵に禁止されている。
 だから姿を隠して、他の人間を観察するのが趣味。

 それらの境遇から、誰かに自分のことを知って欲しい、誰かと交流したいという思いが人一倍強い。
 だがそれが禁止されているので、他の誰か(選ばれたのは紗音)と共にいる自分の姿を想像して、自分を慰めていた。

 でもそれでは満足できず、姿を現さずに干渉する(チビ箒を隠す)ようになる。
 そして、それが他者から“魔女”の仕業だと捉えられることになった。
 “魔女”であるならば、それは“自分”ではない。
 “自分”には禁止されていることでも、“魔女”ならば許される。
 “魔女”を信じさせればさせるだけ、“魔女”としての行動範囲が広がる。
 “魔女”としてならば、他者と交流できる。
 こうして姉ベアトが生まれた。

 だが、“魔女”を知らしめるのは、“自分”を知って欲しいことの代償行為に過ぎない。
 愛されぬ自分の代わりに愛されて欲しいという。
 だから不満は解消されない。一時だけ忘れさせてくれるだけ。
 でもそれは仕方がない。
 登場していない人物が犯人であるなんて、ノックスでもヴァン・ダインでも禁止されているほどアンフェアなのだから。
 そうして、本当の願いを諦め、諦観した。
 “魔女”の生活に不満はないのだと、自分を騙した。

 だがそれを、諦観による心の防壁を、戦人の約束が壊した。
 絶対に解くという約束。
 それはもう諦めなくていいのだと思わせるに十分なもので。
 もう自分を騙して、不満を紛らわす必要はないのだと。後は待つだけでいいのだと。
 そう、思わせてしまった。

 戦人のために生まれたのが妹ベアト。
 戦人に解いてもらう謎、それはホワイダニット。戦人の好きなミステリー。
 ホワイダニットなら、“魔女”として現れても、“自分”の心を推理してくれるだろう。
 この人ならば、約束通り、絶対に解いてくれる。

 しかし、戦人は約束を守らなかった。
 せっかく謎を用意したのに、挑んでもくれなかった不満。
 さらには、長年、諦観によって押さえ込まれてきた、周囲の人間に対する不満も入り混じり、抑圧されてきた気持ちが爆発し、悪意へと変貌する。
 これまでの13年、そしてその後の6年の歳月を経て熟成されたそれは、殺意になったのだ。



 “18人目”の願いは、「自身の“本当の姿”を存在を認めて欲しい」というもの。
 でもそれが叶わないから、「代わりに“魔女”として、存在を認めて欲しい」で妥協した。
 これが我らの知るベアトリーチェ。“18人目”の悲しみから生まれた存在。
 魔女=不可能犯罪で、信じさせようとする。逆に、そう挑発することで、人間に可能だと、推理を促してもいる。


 そのベアトに隠れているのが、本来の“18人目”。
 第4のゲームで出てきた、もうひとりのベアト。
 魔女ベアトを自分の代わりに愛でてもらうために生み出した。


 そして、その2人の間にいるのが、“18人目”の怒りから生まれた者。
 それが真実の魔女であり、その魔女が生み出した黄金の真実である“ヤス”。
 推理することによって、“本当の姿”と並び立つ真実となるべく黄金の魔法によって生まれた。
 この“ヤス”もまた、“本来の姿”の代わりに愛でてもらうための存在。
 だが理由が異なる。
 これは「“ヤス”の存在を認めてもらい、本当の真実を抹消して欲しい」という願いゆえのもの。
 真実がこんなにも苦しいのなら、真実などいらない。
 誰もが真実などいらないなら、真実を殺す。
 そのために生み出した駒が“ヤス”。


 最後は傍観の魔女。
 フェザリーヌは愛と憎しみから距離を置き、その勝負を傍観する。
 幾子は願いも想いも全てベアトに託して、何もかも捨て去り身軽になった。
 ただひとつベアトから託された願いだけを持って。
 その願いこそがメッセージボトル。死したベアトリーチェに捧げる物語。
 そして、その物語の中で、3つの物語が恋の決闘を行っている。




 蛇足だが、思うに、ベアトの性質を表すのに相応しいのは、誠実と公平、であるのではないだろうか。
 相手に約束を守って欲しいから、自分も約束を守る。
 愛して考えて欲しいから、まずは自分から愛して考えて真実を得る。
 解いて欲しいから、解けるように作る。
 絶対の意志を持って欲しいから、自分も絶対の意志を持つ。

 無限の魔法自体もその考えに則っているように思う。
 別の自分に願いを託すから、その別の自分から託された願いを自分が叶える。
 相手が絶対に叶えると信じたから託し、相手から絶対に叶えると信じられたから託されている。
 自分の絶対を保証するのは、別の自分であるとも見れる。

 さらには、別の自分に託した願いは、もう自分は持たなくていいものである。
 選ばれなかった願いを叶えられない後悔を抱かなくて済む魔法であり、自分に託された願いを叶えるために過去を振り向かない決意でもある。

 そして極めつけは、奇跡が起きた時だ。
 その奇跡は別のベアト百人分の思いの結晶。
 ベアトにとって、その奇跡の価値は、百人分に匹敵する。
 もしも無限の魔法を使わずに、ただの偶然で得られたら、その価値は低い。
 もっと価値あるものを得れば、捨ててしまうかもしれない。
 だから百人分の価値のある奇跡は大切にされる。その価値ゆえに。

 私は、これらは相手と自分に対して誠実で公平であるがゆえのものであると思える。
 もっとも、それが引っ繰り返ったのが惨劇なのだが。


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  1. 2014/01/18(土) 21:26:47|
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真実の魔女の悪意

 “古戸ヱリカ”は“探偵”という設定。

 第4のゲームまでは、アンチファンタジーvsファンタジーなので、“ベアトリーチェ”という“魔女幻想”で自らの姿を覆い隠していたが、第5のゲームからはミステリーvsアンチミステリー。
 “古戸ヱリカ”という、仮に名付けるなら“探偵幻想”とでも言うべきもので自らの姿を隠している。
 真里亞が薔薇庭園で出会ったのはベアトではなくヱリカなのも、その配役ゆえである。

 登場にあたり、“プレジャーボートより転落、奇跡的に六軒島に流れ着いた”という設定を使用。
 源次に命じて、外と連絡を取って身元を確認した、と嘘を付かせて幻想を信じさせればいいだけの簡単な魔法。

 ヱリカは“探偵権限”を持っていて、自由に捜査ができるという設定。
 “これまで解決してきた事件”を語って聞かせ、“探偵”だと信じさせることにより、素人が事件を捜査するよりも玄人に任せるべきであるという幻想を作り上げた結果手に入れたもの。
 “探偵幻想”で現実を侵食することにより、“探偵”として振舞うことができる自由を手にしたのだ。

(ちなみに、“探偵”を“魔女”に置き換えれば、“魔女幻想”の出来上がり。
 魔女を信じるニンゲンの前にベアトの姿で現れれば、“魔女”として振舞う自由を手に入れられる。
 姿を現しても、それは“18人目のX”ではないのだ)

 “ヱリカ”は“探偵”として行動することで、ゲーム盤に謎を作り上げる役。



 さて、ここからヱリカの動機について。
 正確には、“ヱリカ”を演じた者の動機なのだが。
 お待たせしたのか、しなていないのかは解らないが、ここからは“悲しみ”に替わって“怒り”の時間だ。
 覚悟はいいだろうか。


 “ヱリカ”を演じていた“18人目”は“19年前の男”である。
 だから、第5のゲームにおいて夏妃が“19年前の男”の復讐であると己の罪を懺悔していた時、その目の前に“19年前の男”がいたことになる。
 これほど滑稽なことがあるだろうか。いいや、ない。

 夏妃を告発し、犯人であるという濡れ衣を着せた張本人。
 なのに、そいつが“19年前の男”だとは解らない。
 何故なら“ヱリカ”は女だからだ。使っている“体”も間違いないく女。
 なら何故に、そんな勘違いが起こったのか。

 それは19年前の赤子を、金蔵が言うがまま「男」だと信じたからだ。
 そしてそのまま育てることを拒否して、性別を確認すらしなかったからだ。
 己の苦しみしか見ず、憎しみだけでしか赤子を見ず、その赤子がどこの誰かであるかなどどうでもよかったからだ。
 だから簡単に魔法に掛かる。
 愛がないから真実が視えない。

 夏妃が犯人であるという結論、そんな幻想を信じる者たちも同様だ。
 愛がないから真実が視えない。だからそんなに簡単に魔法に掛かる。


『未来に冤罪が証明された時。
 その時こそ、この物語は遡って書き換えられるだろう……。
 ……私は、思う。
 真実など、儚い。
 死ぬまで良き人であったとしても。
 死後に心無い誰かが、私が良き人ではなかったと一言、記録書に書き記し、それを人々が共有すれば。
 ……私が生涯、良心を貫いたことさえ、易々と塗り替えられてしまうのだから。
 だから、私は思う。
 未来永劫、良き人として生きないと……。』



 右代宮家の連中の思考の中で弄ばれる“私”は、右代宮家の“家具”に過ぎない。
 一人分の魂を持った人間として扱われていない。

 猫箱は無限の解釈を許す。
 無限の幻想が、無限に真実を殺す。
 本当の姿も心も、放置されて忘れ去られ、或いは幻想に塗り潰され、その果てに存在しなかったことにされる。
 忘却の深淵。そんな地獄に“私”はいた。

 どうでもいいからと、思考停止する。
 考えても解らないからと、思考停止する。
 主の命だからと、思考停止する。
 魔女の仕業に違いないからと、思考停止する。
 きっとこの中に犯人がいるに決まっているからと、思考停止する。
 相応しい犯人が見つかったからと、思考停止する。

 ニンゲンの思考停止が“私”を殺す。
 だから“私”は思考停止が嫌いだ。
 だから“私”は思考を止めない。

 考えて、考えて、考えて、証拠を積み重ねて、赤き真実に昇華されるまで延々と。
 そこまで昇華させたから、“私”が作り出したゲーム盤の“駒”は現実の人物と変わらない動きをする。
 そこには現実という真実だけがあり、それゆえに残酷で救いがない。
 その真実に耐えたからこそ、真実の魔女なのだ。

 考えるゆえの魔女。
 “私”は右代宮家の連中の真の姿を知っている。
 苦しみも喜びも、何を愛し、何を望んでいるのかも。
 そして、真実など何も見ていないことも。
 自身の真実に拘泥し、他者の真実など省みない。
 そんなニンゲンなのだと。

 そして、考えぬニンゲンたちは“私”を殺す。
 地獄という密室に永遠に閉じ込めて、本当の“私”を滅ぼす。
 悪戯という形で“私”という謎を提示しても、決して思考しない、推理しない。幻想を信じ、真実から目を逸らす。
 何度も何度も何度も。
 手を変え品を変え、幾度繰り返そうとも。
 1986年の10月4日に至るその時まで、何も思考しなかったから訪れた今日。

 だから“私”は良い人にはならないと決めた。
 本当の真実に背を向けて、偽りの真実を構築しよう。
 本当の真実など、誰も必要としていないのだ。
 そんなに要らないのなら“私”が奪ってやろう。
 そんなに幻想が視たいのなら見せてやろう。
 幻想に惑い、真実を求めて得られぬ渇きの中で、もがいて死ね。

 傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲。
 罪に囚われ、目を曇らせた愚かなニンゲンを、七つの大罪の杭を以って、その罪を赦そう。
 そして、罪も真実も、全てを猫箱に閉じ込め、全てを滅ぼそう。
 誰も逃がさないし、逃げられない。

『真実を語れぬ、嘘吐きニンゲンどもめッ!! 赤き真実なきニンゲンに、愛も心も真実も語る資格なんてないんです!』

 猫箱は無限の解釈を許す。
 無限の幻想が、無限に真実を殺す。
 本当の姿も心も、放置されて忘れ去られ、或いは幻想に塗り潰され、その果てに存在しなかったことにされる。
 そんな地獄にお前たちも落としてやる。
 “私”がそうされたように、今度はお前たちが地獄に落ちる番だ。

 そうしてやっと“私”は、弄ばれる側から、弄ぶ側に回ることができるのだ。

 “私”の魂を無限に分かち、その数だけ殺す。
 それを黄金の魔法で過程を修飾し、同じ数だけ殺す。
 さらに魔女の語る魔法説で、同じ数だけ殺す。

 “私”が作り出した真実だけでは足りない。
 真実は観測する者の数だけ存在する。
 だから――――

 絵羽犯人説で、戦人犯人説で、遺産争いで、恋愛の縺れで、魔法の儀式で、医者の検死は嘘で、探偵が犯人で、犠牲者が犯人で、全員共犯で、登場していない人物がいて、秘密の通路があって、秘密の装置があれやこれや。
 親が子を、子が親を、恋人を、想い人を、伴侶を。誰もが犠牲者で、誰もが犯人。納得できるならどんな動機でも構わない。
 そうやって、観劇の魔女の数だけ殺す。

 幾度でも何度でも、無限に、永遠に、全てが滅びるまで、絶対の意志で。



 この地獄は、第8のゲームにおける、山羊たちによる黄金郷崩壊の図そのものだ。
 それこそが“怒り”が望んだこと。
 しかし、それを見て“悲しみ”は悲しんでいることだろう。
 そして、全てを蘇らせて…と願う。


  1. 2014/01/12(日) 03:45:09|
  2. ベアトの心臓
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隠された人間

 真犯人は存在しない“18人目のX”である。
 この点から各ゲームを見ると、それぞれの扱いはだいたい同じだ。
 その可能性を提示して、その後にその可能性を否定する。
 そして、実際には抜け道がある。
 判を押したようにその繰り返しだ。


 第1のゲームから見てみよう。


●第1のゲーム
 ベアトリーチェからの手紙で、19人目の可能性を提示。
 その後霧江が、19人目の仕業に見せかけたい18人目の仕業である、と否定した。
 19人目が存在を誇示したいなら、姿を現せばいいのだと。

 だがベアトのゲームは想定より成り立っている。
 よって、霧江の考えも想定されていたことになる。
 それを念頭にチェス盤を引っ繰り返せば、18人目の仕業に見せかけたい19人目の仕業である、となる。

 19人目がいる可能性の提示は、推理の余地を作り出すため。
 19人目がいる可能性の否定は、自身に対する疑いを逸らすため。

 ちなみに19人目は肖像画の前で、肖像画と同じ姿で登場している。
 それを否定するには、19人目がいないことを証明しなければならない。


●第2のゲーム
 来客として現れて、19人目の可能性を提示。
 密室殺人により、使用人以外の可能性を否定。それを三度も繰り返す。

 それは何が何でも使用人が犯人であると思わせたい意図があるということ。
 チェス盤を引っ繰り返せば、故に使用人以外の犯行である、となる。
 さらに付け加えるならば、来客ベアトは格好のスケープゴート要員であるはずだ。
 が、何故か来客ベアトに疑いを向けさせないで、使用人に疑いを向けさせている。
 このことから来客ベアトに疑いを向けさせたくない意図を感じることができる。


●第3のゲーム
 隠し屋敷九羽鳥庵の存在を明かし、19人目が隠れ住まうことができる可能性を提示。
 過去のベアトの死を確定に加え、人数制限の赤き真実により19人目を否定。

 事件前に金蔵が死んでいる可能性により、19人目は18人目に成り得るというロジック。
 これは第4のゲームで追認された。
 それが第4のゲームにおける、19人目もとい18人目の可能性の提示になる。


●第4のゲーム
 可能性の提示は上のとおり。
 ゲーム開始前の金蔵の死の確定、さらなる人数制限により18人目の可能性の否定。

 これは前の記事の「私は、だぁれ?」の通り。
 付け加えるなら、“魔女ベアト”は「存在しない」。
 そして“18人目のX”は“魔女ベアト”として認識されているから、“18人目のX”も「存在しない」。



 すでに解っているよってことを何度もくどいくらいに繰り返すということは、そこを考えてくれということだと思う。



 さて、いよいよ今回の本題である第5、6のゲームの出番。

●第5のゲーム
 18人目の来訪者である古戸ヱリカによって、18人目の可能性を提示。
 ヱリカに関する赤き真実で、それを否定。

●第6のゲーム
 18人目のヱリカが犯人でると赤き真実で確定、18人目の可能性を提示。
 ヱリカに関する赤き真実、及び同一説の提示により、18人目の可能性を否定。


 第6のゲームの犯人は明言されている。
ヱリカ『私が殺した5人全員は、……私が殺す瞬間まで、ちゃんと生きていました。

 よって、犯人は“古戸ヱリカ”である。


ノックス第1条。犯人は物語当初の登場人物以外を禁ズ

 犯人であるヱリカは、物語の当初である第1のゲームに登場していなくてはならない。
(尤も、物語当初とは第6のゲームの当初であると解釈すれば抜けられるが、これは「黄金の真実」用。)

 そもそもベアトのゲーム盤は全て、ベアトの“想定”によって成り立っている。
(尤も、第5のゲーム以降は、ベアトのゲーム盤ではない、という解釈もありだが、「黄金の真実」用)

 つまり、ヱリカが現れることは想定されていたことになる。
 さらには、そんなヱリカが殺人を犯すことも想定されていた。
 ヱリカが本当に奇跡的な偶然によって島に辿り着いたのであれば、それを想定することなど人間には不可能だ。
 よって、ベアトは“ヱリカ”が島にいることを知っていた。


 第5のゲームの赤き真実。
古戸ヱリカは、これまでのベアトのゲームに影響を与えない。
 これまでの世界には存在しないし、影響も与えないわ。


 これは第4のゲームまでヱリカが存在せずに、ヱリカの肉体だけが存在していれば抜けられるだろう。
 つまり、“ヱリカ”を演じている者は、第5と第6のゲームにおいてだけ“ヱリカ”を演じているということ。


ノックス第10条、手掛かりなき他の登場人物への変装を禁ズ

 想定された人物しか存在しないゲーム盤に、存在していなかった人物が現れたこと自体が、登場人物の誰かが変装していることの手掛かりとなっている。


 第5のゲームの赤き真実。
古戸ヱリカが1人増えただけ。
 それ以外の在島者の人数は、これまでのゲームとまったく同じ。

 つまり、今、この客間にいる人数が、在島者全ての人数、ってことになるわね。

 「在島者」とは即ち「島に“存在する”者」。
 “ヱリカ”はこれまでのゲームにおける「島に“存在する”者」の誰でもない。


 第6のゲームの赤き真実。
我こそは来訪者ッ、六軒島の18人目の人間ッ!!!
そなたを迎えても、』『17人だ。

 「17人をそのまま解釈しなければならないのならば、18人目を再解釈しなければならない」の対偶は、「18人目を再解釈してはならないのならば、17人をそのまま解釈してはならなない」。
 「17人」とは「在島者」の数。「存在しない人間」は数に含まない。
 “探偵古戸ヱリカ”は真犯人が演じている役。
 よって、“古戸ヱリカ”は「存在しない」。
 さらには、目の前にいる人物を“古戸ヱリカ”と認識しているために、“18人目のX”は「存在しない」。

 故に、18人目の人間である古戸ヱリカは「存在しない」ままに島にいることができる。


  1. 2014/01/12(日) 02:41:58|
  2. ベアトの心臓
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私は、だぁれ……?

 誰かが信じる幻想の中にしか存在できないのに、その幻想を暴いて欲しいと願う。
 それが端的に表れたのは、第6のゲームでの夜の屋敷の悪戯だ。

『深夜。戸締りの確認をして回る使用人たちの後を付け、彼らがちゃんと施錠したはずの鍵を、開けて回っているのだ。』

『……本来、この島に我らはいない。さらに言おう。“今、この廊下には、誰もいないのだ”。なのに、こうして鍵が開き、……窓が、開く。』


 誰もいないのに、そこに誰かが存在していたという証。

 “魔女”を信じて欲しいと言っているのか、“誰か”を信じて欲しいと言っているのか。

 皆が信じなければ“魔女”は存在できない。
 そういう虚構の存在なのだ、とは第1のゲームの戦人の言。
 ならば、ニンゲンである“誰か”も皆が信じなければ存在できない。
 そんな虚構の存在だとでも言うのだろうか。

 悪魔の証明。魔女の証明。人間の証明。
 姿を現さずとも、謎を問い掛けた“誰か”は確かに存在するのだ。


『私は、だぁれ……?』


 全てはそこに集約される。


右代宮戦人。今から私が、あなたを殺します。
 そしてたった今。この島にはあなた以外誰もいません。この島で生きているのは、あなただけです。島の外の存在は一切干渉できません。
 この島にあなたはたった一人。そしてもちろん、私はあなたではない。なのに私は今、ここにいて、これからあなたを殺します。


「犯行が可能な人間がいないのであれば、“私”は人間ではない。爆弾である」
 だがこれは「黄金の真実」だ。
 出題編最後の問いは、ベアトの心臓について。
 戦人に殺してと“約束”を交わしてまで解いて欲しいもの。
 それは犯人の正体であり、犯人の動機だ。

『幻は、幻に。……約束された死神は、魔女の意思を問わずに、物語に幕を下ろす。』

 魔女の意志を問う問い掛けに、魔女の意志を問わずと返すのは如何なものか。
 “土は、土に”なら真実。“幻は、幻に”なら虚構。真実と虚構を斬って分ける。
 『幻は、幻に。』即ち、『約束された死神は、魔女の意思を問わずに、物語に幕を下ろす』は虚構である。
 黄金の真実である。


 ここからはヘンペルのカラスの出番。
 「犯行が可能な人間がいないのであれば、“私”は人間ではない」の対偶は「“私”が人間であるならば、犯行が可能な人間が誰かいる」。

 さらに行こう。
 「犯人が存在する人間であれば、犯行は不可能」であるなら、その対偶は「犯行可能ならば、犯人は存在する人間ではない」

 よって、“私”は「存在しない人間」である。
 「存在しない」ことが即ち犯行が不可能である、とは限らない。


戦人『俺の6年前に、ベアトリーチェなどという人物は存在しないのだ。

 ベアトリーチェという人物は「存在しない」。
 ただの「6年前」ではなく、「“戦人の”6年前」に。
 ベアトリーチェという人物は、“戦人の認識する世界”には存在しない。
 知らないのならば、それは「存在しない」ことと同義だからだ。
 戦人が知っているのは、ベアトリーチェという名の“魔女”の話だけなのだ。

 認識上の他にも、
 例えば、『名』と『体』が一致しない場合、その『名』の本来の人物が死亡しているなら、その『名』の人物は『存在しない』にも関わらず、その『名』を名乗る『体』は存在することになる。
 あるいは、『体』が生きているにも関わらず、『体』本来の『名』が死亡したと誤認されそれが受理されたままゲームが開始された場合、その『名』の人物は『存在しない』にも関わらず、『体』は生きていることになる。
 どちらの場合であろうと、『体』が持つ『名』の内、『存在しない名』を持つ人間は『存在しない』というカテゴリに分けられる可能性がある。

この島には18人以上の人間は存在しない!!以上とはつまり18人目を含めるぞ。つまり、18人目のXは存在しないッ!! これは全ゲームに共通することである!!!

 18人以上の人間は存在しない。
 つまり、18人目より上の人間は、『存在しない』と定義される人間である。
 故に、犯行可能な『存在しない』18人目のXこそが、この事件の真犯人である。


右代宮戦人。今から私が、あなたを殺します。
 そしてたった今。この島にはあなた以外誰もいません。この島で生きているのは、あなただけです。島の外の存在は一切干渉できません。
 この島にあなたはたった一人。そしてもちろん、私はあなたではない。なのに私は今、ここにいて、これからあなたを殺します。

『私は、だぁれ……?』

 いないのに、ここにいる“私”は、だぁれ……?
 これはフーダニットというより、ホワイダニットであるように思う。



 私には、誰にも見つけてもらえなくて泣いている“誰か”の姿が視える。


  1. 2014/01/12(日) 01:20:05|
  2. ベアトの心臓
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ヤスから視える風景

 “ヤス”は右代宮家の使用人である。
 紗音と同じ部屋で寝泊りしている。

 だが、紗音は部屋を一人で使っているのが現実。
 そして“ヤス”が紗音であるというのは「黄金の真実」。
 よって、“ヤス”は紗音以外の“誰か”が作り出した幻想である。


 その“誰か”は紗音が使用人として働いている姿を覗いていた。
 そして、紗音の隣に“ヤス”という幻想の駒を置いた。
 それは紗音の隣にいたいという願望の表れだろう。
 紗音と3歳違いのその“誰か”は、近しい年齢の紗音に親近感を覚えたのかもしれない。
 だから、“ヤス”に紗音の親友という設定を与えた。

 “ヤス”は使用人なのだから、当然、福音の家出身の孤児であるという設定だ。
 紗音と同じ部屋を与えられ、紗音と共に使用人の仕事をこなす毎日。
 使用人としての振る舞いは、紗音を手本としている。
 現実では“ヤス”は存在していないので、“ヤス”の失敗は、実際は紗音の失敗。
 しかし、その失敗は“ヤス”の失敗という設定にしたので、“紗音”は失敗していない設定になる。
 だから“紗音”は失敗をしない完璧な使用人。
 “紗音”は“ヤス”の理想の使用人像なのだ。
 紗音は“誰か”の憧れなのだ。


 だが、見ているだけでは物足りなくなる。
 やがて“誰か”は紗音のチビ箒を隠すようになった。
 紗音の体験は、“ヤス”の体験。
 “ヤス”はそれを“魔女ベアトリーチェ”の仕業だと考えるようになる。
 そして、チビ箒を隠すことは、“ヤス”と“魔女”のコミュニケーションとなった。

 勿論、それは“ヤス”の設定であり、“誰か”の願望に過ぎない。
 だがそれは、紗音に信じさせることができれば、それが真実になりえるのだ。



 ――時が経ち、新たな使用人がやって来た。
 紗音を蔑ろにする年上の後輩たちだ。
 “親友”である紗音が受けた仕打ちに“誰か”は怒り、仕返しを企む。

 ある部屋のベッドの下に隠れ、部屋を掃除している全員が背を向けた隙に、いつも通りにベッドに放り投げてある鍵束と、その部屋の鍵だけ抜き取った鍵束を交換した。
 抜き取った鍵は事前にロッカーの中に。

 初めての謎。初めてのミステリー。初めての魔女幻想。
 もう紗音だけの“魔女”じゃあない。他の使用人たちにも“魔女”を信じる者が現れた。
 もう紗音だけの親友というだけでは物足りない。
 “ヤス”がいくら使用人として働いても、誰も認めてくれない。
 幻想なのだから。

『使用人ごっこは、もうやめる。……世界を、変更。』

 使用人に対する憧れを捨て、魔女になることに憧れた。
 “使用人”から“魔女”へ。
 “六軒島を支配する魔女”として、他の者たちにも自身の存在が許される幻想を広めよう。
 幻想が現実を侵食した分、“魔女”がいてもいい世界は広がる。
 全ては“魔女”の仕業だから、“誰か”の仕業ではない。
 “誰か”は“魔女”という分身を介して、夜の屋敷の中を自由に闊歩する。



 ――また時が経ち、かつての“親友”である紗音が戦人に恋をしたらしい。
 紗音が恋した戦人とはどんな奴なのか。
 恋とはどんなものなのか。
 興味の赴くままに戦人を着け回す。
 戦人はミステリーが好きで、その中でもホワイダニットを題材にしたものが好き。
 それは“誰か”の求めていたタイプのニンゲン。
 益々興味を持ったかもしれない。
 そして、いつものように悪戯を装った謎を仕掛けたのだろう。

 それに対して戦人がどう反応したのか。
 確か当時は魔女を怖がっていたとか。
 だから怖がりながらも、このような啖呵を切ったことだろう。

「魔女なんかいねぇ。全ては人間の仕業だ。絶対に暴いてやる」

 ……とか何とか。推測に過ぎないが。
 これは戦人にとって、反射的に出た軽い気持ちの言葉だったことだろう。
 だが、“誰か”にとっては違った。

 幻想を信じさせ、そこに居場所を見出していたとしても、本当は謎を解いて欲しかった。
 幻想を暴き、自身の存在を見つけ出して欲しかった。
 そんな“誰か”にとって、その言葉は救いだ。

 誰もが思考停止し、謎を解こうともしない中、半ば諦めかけていた願いを叶えてくれるかもしれない男が現れたのだ。
 それは正に、地獄に仏。
 蜘蛛の糸を垂らされたが如く、一筋の希望。
 闇の中で見つけた、たった一つの小さな光。
 その男が自分の願いを叶える運命の男に思えたとしても仕方のないことかもしれない。

妾が今、そなたに思い出すことを要求している罪は、右代宮戦人とベアトリーチェの間のものではない。

 その約束は戦人とベアトの間に結ばれたものではない。
 戦人が一人で約束したものだ。
 だけれども、それを聞いた“誰か”にとってもそれは約束なのだ。

 願いを叶えるという“約束”があるのだから、もう諦める必要はない。
 戦人に相応しい“魔女”を設定し、戦人のために謎を作ろう。
 全ては戦人に解かれるためにある。


 だが、戦人は六軒島に戻ってこなかった。
 戦人に謎を解いてもらうには、戦人を待ち続けなければならない。
 待ち続ける間、誰も謎を解こうともしてくれない六軒島から出ることも叶わない。
 望みが叶うなら叶う。叶わないなら叶わない。
 それがはっきりせずには、一歩も前に進むことができない。

 解いてくれることを永遠に待つことしかできない。
 だから、もう待たない。
 目を背けることもできない“謎”を目の前に突きつけ、解けなければ出ることの叶わない猫箱に閉じ込めてしまおう。

 ……そういう考えに行き着いてしまったのかもしれない。


 戦人の罪は不用意に希望を持たせたこと。そしてそれを忘れ、放っておいたこと。
 知らぬことは罪だ。知ろうとしないことも罪だ。
 そして、罪を自覚せぬことが最も重い罪なのだ。





 ……ちなみに、紗音が恋を諦めた後にその恋を譲り受けたのは、“ヤス”が譲り受けたという設定にして「黄金の真実」に信憑性を増やすためである。


  1. 2014/01/12(日) 00:37:45|
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フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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