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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


【うみねこ】EP6 排水溝からの脱出

 今更気付いたんだけど、EP6のロジックエラーの密室での肉片に千切って排水溝からの脱出って、自身をパズルのピースとしてバラバラにして密室脱出ってことを暗喩してるじゃん。

 あれ当時、戦人を精神的に追い詰めるのみで大した意味のない描写だから、何でこの描写をわざわざ描いたのだろうと疑問に思ったものだったが……。
 大した意味があったわ。

 ロジックエラーの密室は、一人を脱出させるために一人が残るというもの。
 恋の決闘で一人しか人間になれないことを表している。
 “母”が残り、“子”を脱出させる。
 密室に残った“母”は、己が身をバラバラのピースに千切り自殺して脱出。
 いつか誰かがパズルのピースを組み立てて、自身を蘇らせてくれる奇跡を願って。

 これじゃん。
 奇跡に繋がるめっちゃ重要な描写じゃん。
 は~、ホントうみねこは細かいところまでに意味を含ませてて凄いよなぁ。
 そして浮き彫りになる昔の私のアホさ加減……。

 大ベルンカステル卿、ヒントを下さりありがとうございました。
 愚かな私は貴女が恵んでくださったご配慮に長い間気付けませんでした。
 お許しを。

 正しく奇跡の魔女の名に相応しい、奇跡のトリック。
 二人が共に密室を脱出する手段はこれしかない。
 起死回生の一手。
 一見自殺だが、それは命をチップとした賭け。
 正に狂気の沙汰。
 自身を分解して再構築って、テレポートじゃん。
 壁にぶつかり続けたらいつか壁をすり抜けることができる的な超低確率の奇跡だろ。

 自身の物語をバラバラにして、そのバラバラのカケラを拾い集めてもらって物語を再編してもらおうというのは、キコニアに繋がる話。


 しかしあれだな。
 「起死回生」「死中に活を求める」「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」とかの言葉が似合うな。
 この絶対諦めないという姿勢、本当尊敬する。



 あ、そうだ。
 ロジックエラーの密室脱出で、嘉音を生贄として密室に残してそのまま忘却してきた人たちは、自分が嘉音を殺したということを肝に銘じるように。
 嘉音がいない世界になったからと、その罪がなくなったわけじゃないのだから。
 嘉音がいない世界を選んだからこそ、その罪を覚えていないと。


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  1. 2020/07/25(土) 19:26:24|
  2. エピソード6
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真実はいつも二つ

 本日一投目。

 私は執筆者関連で真実は二つとか、二人で一人とか言っているが、キコニアのところから私の記事を読み始めた人は、真実が二つとかどういうことやねんと疑問に思っている方がいるかもしれないので簡単に説明したいと思う。
 ついでにそこからキコニアに繋げられれば上出来。



 正解の方法以外、全て不可能であれば話は簡単なのだが、可能性が複数並列できるのがうみねこ。
 となると選択する必要があるわけだが、問題は判断基準だ。
 私の判断基準は、ミステリーの答えとして面白いかどうか。

 それはどういうことかというと。
 例えば、マスターキーを持つ者にしか犯行は不可能のように見える事件があったとする。
 ならマスターキー所持者が犯人である、と受け入れるのは素直に過ぎる。
 となれば裏を読める。
 マスターキー所持者が犯人であるとあからさまに主張されているのなら、その主張を行う利があるのはマスターキー所持者以外である。

 この二択を選択するのだが、後者の方が面白いしよりミステリー的だよね、というのが私の個人的な見解。
 マスターキー所持者以外に犯行が不可能に見えるから、マスターキー所持者が犯人であるってさ、AのようだからAであると言ってるだけじゃん。
 そんな論理面白くもない。
 それなら、Aだと見せつけられたからAではない、という方が断然面白い。

 常識的な結論で足りるなら探偵はいらない。
 探偵の出番がいないミステリーはミステリーじゃない。
 探偵しか辿り着けない結論こそが、ミステリーをミステリーたらしめているのだと思うのだ。


 他にも19人目のベアトリーチェからの手紙とか。
 作中で19人目を装った18人の内の誰かという解釈がでてきたわけだけど。
 あの論理は正しいと思う。
 だだし、18人の内の誰かを疑っていない者が大勢を占めていれば。
 18人の内の誰かであると周知されたら、それが新しい常識となる。
 そうなると、犯人の19人目を疑わせたい思惑は意味をなくす。

 もし仮に、犯人の思惑が勝っていたとするならば、それを超えた想定をなしているはずだ。
 皆が18人の内の誰かだと疑うならば、そう思わせることに利があることになる。
 つまり、18人の内の誰かが19人目を装って手紙を出した、そう思わせたい19人目の仕業であると解釈できる。


 金蔵の名前の継承も。
 金蔵から誰かへ、名を継承したという解釈。
 戦人は前回のゲームでのベアトの名の継承というヒントから考えたと言ったが、今代ベアトから次代のエヴァに継承した他に、先代ベアトであるワルギリアから今代ベアトへの継承もあった。
 つまり、現金蔵もまた先代金蔵から名前を引き継いでいた可能性がある。
 名前を複数持つ人物がいるという青き真実に対して、金蔵は「言えぬ」と消えたが、それは自身の名前が二つあったからかもしれない。
 要するに、金蔵は金蔵ではなく別の名前で存在することで、“金蔵は死んでいる”から金蔵は何も出来ないという理屈をすり抜けることが可能なのだ。


 複数の名前と言えば人数についても。
 一人で二つの名を持つ者がいれば、人数が一人分減るという理屈。
 裏を返せば、同名が二人いれば、一人分増えるということになる。


 一つの物事から何かを解釈すると、その反対側に別の解釈が生じてしまう。
 分かりやすいのはヘンペルのカラス、即ち対偶だね。
 『Aでないなら、Bである』が真であれば、『Bでないなら、Aである』もまた真である。
 猫箱を開けなければ、その二つの結論は同時に存在する。

 他の解釈の余地がないなら、それは解釈ではなく証明となる。
 解釈の余地を作るということは、別の解釈を生み出そうという試みに他ならない。
 その余地に読み手が好きな想像をすることを許されているように、作り手もまたそこに好きな真実を捻じ込みたかったのだろう。

 読み手側は一つの物事から二つの解釈を導き出し、そこから一つ正解だと思う方を選ぶ。
 これを続けて全体に筋を通していくと、正解だと思う一つの筋を作る傍ら、反対側にもう一つの筋が自然と出来上がるわけだ。
 その内の片側が「ヤスが犯人」というもの。



 EP7のヤスの舞台劇をそのまま見れば、それはヤスが犯人になるまでを描いたものだ。
 ヤス以外に犯人はいないように見える。
 だがヤスが主体ではなく客体であればどうだろう。
 舞台劇の黒幕は脚本家だと相場が決まっている。

 表がヤス視点の回想であるならば、裏はヤスの生活を覗き見ていた人物視点の回想だ。
 そんなヤツ登場していないと思われるかもしれない。
 しかし、うみねこは階層世界なのだ。
 上層から魔女が覗いていたのかもしれない。

 世界という舞台劇の観劇者。
 箱庭世界を覗き込む造物主。
 ゲーム盤の駒を操るプレイヤー。

 そいつが黒幕だとずっと示唆されていたと思うのだが。


 つまり、犯人は二人いる。
 駒の犯人と、その駒の主である真犯人と。

 主である真犯人は、自分の代わりに駒に殺人を行わせる。
 それがヤスが犯人のゲーム盤。
 そして、駒は主が成せることだけを成せる。
 つまり、ヤスが犯人のゲーム盤とは別に、真犯人が殺人を行うゲーム盤も重なっている必要がある。

 要は主の犯行と駒の犯行、その両方の推理を提示しなくてはならない。
 それが並び立つ真実であり、真実は常に二つ愛がなければ視えない、ということ。
 それが私の結論。





 んー、舞台の上の主役と観客である読者の二者間のことなら私だってあれは犯人の自白と解釈するが、もしその舞台裏に第三者がいたならばそいつの演出でしかないと解釈するしかない。
 そして私はその何者かの気配を濃厚に感じたというわけだ。
 ま、これは個人的な感覚だから同意は求めないが。

 昨今、探偵の推理を組み込んだトリックがあって油断ならないそうだけど。
 だったら読者と対決する推理ゲームで、読者の推理を組み込んだトリックが使われていても何らおかしくはないだろう。
 つまり、読者が釈迦の掌の上でコロコロされている可能性。

 ゲーム盤の上に「読者がするであろう推理」という駒を置くGMがいるとしたら?
 それはつまり読者の駒化であり、我々読者を上層世界から見下ろす何者かいるのかもしれない。
 無論、現実世界の上にそんな世界があるというわけではなく、思考上に仮定した思考ゲームにおいての話。

 人間は自分が考えられる範囲までしか想像できないから、その自分の考えを想定した上でそれを超えてくる者というのは想像しづらい。
 ある種の思考の死角だろう。


 なんだろ、読者側は真実を暴くという攻撃側であるという意識が強いのかな。
 でも相手はかかしじゃないんだから反撃くらいする。
 防御側が態と隙を作りって攻撃を誘い、そこを狙い澄まして反撃する。
 誘引撃滅。
 当然の戦術だよね。

 相手に隙が出来た時、それが狙い目なのか、それとも誘いなのか。
 その二択を迫られるわけで、それがゲームの駆け引きとなる。
 どちらが戦いの主導権を握っているのかは超重要。
 自分が選んでいるなら良いけど、選ばされているのならまずい。

 うみねこはさ、好きなように推理していいよって感じだった。
 つまり、好きに攻撃してこいってこと。
 好きに攻撃できるから、戦いの主導権はこちらにあると思ってしまいがち。
 好きに攻撃できるってことは、攻撃し易い所から攻撃したくなる。
 だからこそ、相手からはどこを攻撃されるか予測できる。

 至極当然だよね。
 でもってそれに対してうみねこは、面の推理を推奨している。
 つまり、相手の反撃の可能性を考えて予備計画を持っておけということ。
 ヱリカがEP6で披露した、並び立つ真実に対する方法だね。

 さらに言えば、魔女との戦い方は守りが肝要という助言も貰っている。
 ならば本命がどちらかなども判断可能だろう。



 んー、深く考えすぎ作者はそこまで考えていない、と言われるんだろうなと思う。
 でも私から見れば、逆にそれは考えなさすぎなんじゃないかなって感じになるんだよね。
 例えるならEP6のチーズのクイズの様。

 私から見ると、ヤスが犯人だとか、紗音嘉音の体が同一だとかは、個体のチーズの様に硬いなーって感じ。
 そもそも真実が一つという固定観念からして視野が狭い。
 真実は二つと考えればもっとチーズはグニャグニャになるのにな。

 そんな感じなので紗音嘉音同一トリックは、その先に進むための前提条件に過ぎなかったんだよね、私にとっては。
 式の途中に組み込んだものを、それが答えなんだと言われたら戸惑うしかない。
 え、それが答えで良いの? って。

 守勢の思考をする私にとって、反撃に備えることは常識で。
 反撃を考慮もせずに攻撃する思考はその埒外。
 理解不能。
 なぜそんなにも楽観的なのか。
 用心が無駄になっても笑い話ですむが、楽観が無駄になると致命的だと思うのだが。
 まぁ、時と場合にもよるのだろうけど。
 攻撃が当たることを期待して攻撃するというのはどうも、ね。
 反撃は折り込み済みで、それすらも捻じ伏せるつもりで攻撃していたのなら、絶対の魔法的にありだし、むしろ応援したいぐらいだけど。

 その辺の意識の断絶は深いよね。
 壁に穴があったら、当然そこから抜けるよね。
 でも私は、これは罠だ別の道を探そうと判断し、それを当然だと思っている。
 別の当然なんだから、そりゃ道は断絶する。

 攻めるのか、守るのか。
 勝とうとするのか、負けないようにするのか。
 その意識の差が戦い方の差になり、そして最終的に至る場所の違いとなって表れるのだろうな。



 でさ、真実は一つ側からは二つ側の方の真実は視れないし、理解もできないだろう。
 しかし、逆に二つ側から一つ側の真実は視れるし、理解も可能。
 二つ側はメインの説が破れてもサブの説にスライドできるからね。
 ダメージコントロール。
 生存のための知恵。
 思考停止が死であるならば、決して思考を止めてはならない。
 生きるとは、即ち負けないこと。
 面の推理とはつまり、多様性による思考の生存術である。

 その分割並列思考による仮想人格たちの内、誰か一人でも生き延びれば良いという思想は、キコニアに通じるもの。
 要するに、キコニアの世界は神のゲーム盤で、その世界に住む人類は神の分割並列思考による仮想人格たちがアバターの姿をとった駒で、思考の生存を懸けて争っているという考察に繋がるわけだ。

 うみねこはEP7のラストのように、逃げ延びて、生き延びて、希望を繋ぐことを至上目的としている。
 生存のための面の推理、並び立つ真実。
 それは守勢であり、それは壁を押し倒すのではなく、壁を支えるということ。
 絶対に死守すべきキングと、そのために犠牲になることを求められる他の駒たち。
 キコニアもまた、守るためのゲームであり、生き延びるためのゲーム。
 そこは変わりないと思うのだよね。


 んー、なんかグダグダしてきたからここで終わろうか。


  1. 2020/03/28(土) 19:51:48|
  2. うみねこ雑多
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祝 CS版うみねこ咲 発売決定

 でもまあたぶんきっと、新たな考察は期待できないんだろうなぁ。

 常々思っていたんだけど、新規でうみねこやる人って真面目に考察している人っているの?
 つまり一話毎にちゃんと考えてから次を読む人なんだけど。

 ほとんどの人は話の続きが気になって先に進んじゃうよね。
 私も普段はそのタイプだからわかる。
 でもうみねこは対戦ゲームで、そのゲームはコミュニケーションの様なものなんだよ。
 相手への返事はちゃんとしなければそれは対話にはならない。
 相手の話を聞きたいだけでは、それは演説を聴いているようなもの。
 それってゲームをしていると言えるのだろうか。
 本気で推理しているなら、納得するまで考えてから先を読むと思うのだが。

 PC版をプレイしている層の方が熱心だと思うが、そちらが咲をやっても思考が内容から一切外に出ていないんだよね。
 対話とは話を広げるためのものだと思うのだが、話が閉じていく方向に行ってしまっている。
 もはや対話をしている意識すらないんじゃないか。
 ただ演説に相槌を打っているだけ。

 話の内容もさ、我らの告白が「切り落とした部位に気付かない読者がいる」というもので、ラストノートが「切り落とされて気付かれなかった者がいる」で、話が明らかに繋がっているのに誰もそれに気付かない。

 我らの告白とラストノートの間の行間(?)を読もうよ。
 明らかな皮肉じゃないか。
 それが判らないということは、ラストノートまでに我らの告白への返事を返さなかったということだろう。
 相手の話をただそのまま受け取っただけ。
 言葉の裏を読もうよ。

 うみねこは劇を見せてそこから推理してくれと言っている。
 つまり、見せなかった劇の裏側を考えてほしいということだろう。
 見せなかった部分、隠した部分に真相がある。
 それなのに見せてもらったもので満足する。
 それじゃただの観客じゃないか。

 もう読者には期待しない方が良いのだろうか。







 これだけではあれなので、CS版のOP曲「重ね合わせの猫箱」の歌詞でも考察することにする。
 歌は佐々木李子さんで作詞作曲は志倉千代丸さん。

 まずは最初の部分、“見る者を見返すような 描かれたその視線”。
 見る者は読者。
 それを見返す視線が描かれたものであるならば、描いたのは作者。
 つまり、物語の中の虚構の人物が現実にいる読者を見返しているということ。
 見返すとは、意志を持っているということ。
 要は、作者は虚構のキャラを意思を持った人間として描きたいということ。

 次に“深き愛に溺れるほど 糸は絡み合う”。
 愛は作者が自身の作ったキャラに向けたもの。
 即ち、愛によって作者の真実とキャラの真実、作者とキャラの運命が絡み合っているということ。

 続いて“第四の壁が破れ ロジックは迷宮入り”。
 第四の壁は劇の舞台にあるとされる舞台と客席を隔てる見えない壁のこと。
 つまり第四の壁を破るとは、作られた世界側が現実世界を認識する、あるいは干渉すること。
 それによってロジックが迷宮入りするので、要は現実のトリックが虚構のトリックに差し替えられたことを示す。

 “目に見えぬ支配者は”は姿を隠した黒幕。
 虚構のキャラクターの陰に隠れた作者。
 駒の背後にいる主。
 要は、愛がなければ見えないからそいつを推理しろってこと。

“出来過ぎたゲームの 閉ざした箱もいつかほころび”
 出来過ぎたというのだから当然裏があるということ。
 表の結末で閉ざしてもいつかはほころぶ時が来る。

“終わらないゲームも 散りばめられた別れた道も 舞台設計”
 真実が二つあるから議論のゲームは終わらない。
 別れた道はそれぞれの真実に繋がっている。
 そういう設計の舞台。

“時空を惑わせるミステリー 存在さえも認められない”
 二つの真実、二つの世界が入り混じっている。
 即ち、時空を惑わせるミステリー。
 人間は片側しか視ないから、そのミステリーは存在さえも認められない。

“推理は夢想となり よぎった胡蝶の夢は 何処へ行くの―――”
 自分は蝶になった夢を見ていたのか、それとも自分は蝶が見ている夢なのか。
 両方の真実を推理できなければそれは夢想となる。


 歌詞はかなり攻めてるな。
 CS版は前からそうだったけど。
 「イナンナの見た夢」なんてタイトルからしてモロネタバレ。
 イナンナの冥界下りからすれば、生者と死者の交換、あるいは表と裏の入れ替えを暗示しているんだし。
 「重ね合わせの猫箱」のタイトルはそれをさらに直接的にしている。

 重ね合わせの真実を人間は視ることができない。
 片方を視たらもう片方には目を閉ざす生き物だから。

 まぁそれも全部ゲームの出来が良すぎた結果なんだけどね。



 あ、あと歌詞と言えば「明日の夢」の歌詞だけど、あれは表と裏の二人が人として生きる明日という夢を歌ったものだろうね。
 “マリア”と呼びかけるところからヤスが主へ伝えたい想いになっているように思う。
 主である真里亞に人として生きて欲しいと願っている。
 その曲をラストノートの最後に流したということはつまり……。

 ああ、言葉にならないな……。
 簡単に言えば、“明日を生きる希望の牢獄”からの解放を願っている。
 つまり、本来はその開放を祝福する場面なんだよね。
 “人は芽吹いたら人に成る”
 人となるという願いが咲く。
 そういう場面なんだよ。
 ここに込められた万感の想いは、これまでの全文量に等しいだろう。

 その薔薇はきっと誰にも視えない。
 だが誰が何と言おうと、私は咲いたと言うぞ。
 風に吹き飛ばされていたが、ベアトリーチェの魔法で蘇ったのだ。

 少なくとも私の心にはその種は辿り着き、そして芽吹き咲き誇っている。
 だから人は捨てたもんじゃないし、ベアトリーチェは願いを叶えてくれる本物の魔女なんだよ。


 相反する願いを共に叶えるための猫箱。
 その逆側では貴女の子が人と成り咲いている。
 貴女の願った通りに。
 だから貴女は明るく振舞っているのだろう。
 でもそちら側からではその貴女の心が視えない。
 なかったことにされてしまっている。
 それが私には哀しいのだ。


  1. 2019/11/23(土) 19:49:56|
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咲 お茶会について

 以下、ネタバレ注意。









続きを読む
  1. 2019/10/12(土) 20:09:44|
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咲 読了

 うみねこ咲を読むにあたり、今回はファーストプレイメモを記してみた。

 以下、ネタバレ防止。










続きを読む
  1. 2019/10/05(土) 21:02:28|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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