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うみねこのなく頃に 考察 境界より視やる

PCゲーム「うみねこのなく頃に」の個人的な考察ブログ。「キコニアのなく頃に」についてもガッツリやっている。


幾子と十八

 縁寿が六軒島に向かい一人生き延びたというのが現実なので、その過程を修飾したものを描いたep4は、幾子が縁寿を拾った後に執筆されたと思われる。
 つまり、その前に幾子はep3を公表していたことになる。

 そのep3は絵羽も生前に見たことだろう。
 自身が生き延びるという、一見現実の状況に一致しているように思わせようとする物語なのだから。
 そして、その物語の中にありえないものを見ることになった。

『07151129』

 その数字を知る者は、遺族に送られた手紙を読んだ者。要は遺族。
 しかし遺族なら、家族の死を弄ぶような物語を書くことなどできないだろう。
 なら残るは、隠されていた秘密の部屋にてベアトリーチェからあの数字を教えられた時にその場にいた面々のみ。

 つまり、自身は生きているというメッセージの代わりだったということ。
 少なくとも、そう疑わせるには十分なものだったことだろう。

 絵羽は、ep3を書いた偽書作家伊藤幾九郎が八城十八であることを突き止め、そして八城にあった瞬間わかったことだろう。
 親族の誰でもない八城は、あの時に出会ったベアトリーチェその人であることに。

 誰も殺していないベアトのことは恨んでいなかったことだろう。
 いや、あるいは事件のきっかけを作ったという意味では恨んでいたかもしれないが、だからどうこうしようという気はなかったのではないかと思う。
 それどころかもしかしたら、事件の秘密を共有する唯一の人物として、ある意味信頼していた部分があったのではないか。

 だからこそ幾子は、絵羽が書いた『一なる真実の書』を所持していたのではないだろうか。
 真実を求める縁寿のために、自身が死んだ後のことを絵羽は幾子に頼んだのではないか。
 そのために『一なる真実の書』とそれを開ける鍵を託したのではないか。


 一応、傍証として『一なる真実の書』とその鍵が一緒にあることをあげよう。
 誰にも見せたくなければ、本と鍵は一緒にするはずがない。
 本だけが人手に渡ったのであれば、セットになる鍵がどれなのかなど判別は不可能だ。
 試しに鍵を開けてみればいいが、それは不可能。

一なる真実の書を、封印が解けて一番最初に読むのはあなた、縁寿よ。

 縁寿以外の人物が鍵を開けて確かめることはないと、絶対の意志で保証している。
 確かめることもせずに、その鍵が『一なる真実の書』の鍵であると知ることができるのは、絵羽から直接そのことを教えられた者しかいない。



 『一なる真実の書』を読み、縁寿は苦しんだと思うが、なんやかんやあって、真相に辿り着いたと思われる。

 ベアトは、真実に辿り着くことを妨害するために絶対の意志で『黄金の真実』を修飾していた。
 だからこそ、その絶対の意志を破って真実に辿り着いたことは『奇跡』。

 奇跡を待つのが、奇跡の魔女たるベルンカステル。
 フェザリーヌは、己が巫女たるベルンにその役割を課した。
 さらには、フェザリーヌは縁寿に巫女の役割を課した。
 結果から見ると、その役割は奇跡を待つことではなく、奇跡を起こすこと。

 縁寿は奇跡を起こすことができることを証明した。
 そして、幾子は『奇跡』を願う魔法が、成就することを知った。
 未知ならばそれは猫箱だが、既知となれば別だ。

 猫箱の中には、奇跡が起こる結果と起こらない結果が同時に存在していた。
 奇跡を起こす戦人と、そうじゃない方。
 魂が一人分に満たないから彼は家具に過ぎない。
 故に、奇跡のカケラを生み出すには、魂を一人分に満たさなくてはならない。
 つまりこれは、ベアトと戦人が結ばれるための恋の決闘。

 奇跡が起これば、半信半疑から、確信に至る。
 不安などが混ざらない絶対の意志に。
 自身に魔法を信じさせることが一番難しいのだ。

 だから、自身に魔法を信じさせてくれる別の魔女の存在を必要としていた。
 世界を生み出す最低人数は二人。
 奇跡のカケラを紡ぎ出すために、片翼を探すためのゲームでもあったのかもしれない。

 そして二人はベアトのゲーム盤より奇跡のカケラを紡ぎ出した。
 無限の魔法で、戦人が死んでいない並行世界の可能性を創造。
 黄金の魔法で、自分たちの現在の状況が入った猫箱の中の過程を修飾。
 二人の願いをどちらも叶えた奇跡のカケラを以って、ベアトリーチェへのメッセージに代えた。

 ――ベアトリーチェから託された願いを叶え、結果、私はもうひとつの片翼を手に入れた。
 だから貴女の方ももうひとつの片翼を手に入れ、空を飛んでいることだろう。
 私が託した願いはきっと叶ったのだろう。
 そういう未来がありえた。それだけで救いになるのだ。
 だから、私はもう振り返らない――



 ……そう私は解釈した。


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  1. 2014/01/11(土) 21:56:29|
  2. 1998年の猫箱
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八城と縁寿

 前回でベアトリーチェを殺した人物を特定したので、ここからは「1998年」の話に移ろうと思う。


 ベアトリーチェを殺して猫箱と化した六軒島から抜け出したのは八城幾子。
 目的は、自身が殺したベアトリーチェのために物語を書くこと。
 ベアトリーチェの起こす事件の謎を解ける者を探し出すこと。
 ベアトリーチェと同一人物なので、ベアトのゲームの真実を知っているが故に赤き真実を書き記すことができる。
 赤き真実の絶対性は、ベアトの絶対の意志によるもの。
 そして、そのベアトの意志を穢すことができない、幾子の意志によるもの。

 それらを前提に1998年に修飾された過程を暴く。


 以前、『魔法』と『手品』の選択で、『魔法』を選んだ。
 故に、その後は黄金の真実で飾られていると解釈した。

 どこまでが修飾されたのかと言えば、最後の一文『この物語を、最愛の魔女ベアトリーチェに捧ぐ』の直前までだ。
 最後の一文が結果として確定している部分。
 前提どおり、ベアトが死んでいて幾子が物語を書いているということ。
 さらには、縁寿が『魔法』を選んだ故の結末なのでそれもまた。

 つまり、その「物語」は幾子と縁寿の2人によって紡がれたものであると言える。
 よって、幾子と縁寿が出会うというのが結果。

 「出会う」という結果に至る過程が修飾されているので、そこを考察する。


 まずは、十八こと戦人が存在するかどうか。
 未来に戦人が存在するのならば、ベアトの叶えたかった奇跡が叶い、縁寿の叶えたかった奇跡も叶っていることになる。

 そうなると、ベアトの代わりに物語を書いて、真相に辿り着くと者を探すという奇跡を求める魔女の存在を否定することになる。

 その魔女がこの物語を生み出したとするのが私の推理の根幹なので、それを認めることはできない。
 奇跡がまだ起きていないからこそ、奇跡を求めて物語を書いているはずだ。
 よってこの解釈では、戦人(の肉体)が生きているというものは、修飾された幻想である。


 他に描かれた過程は全て六軒島に向かったもの。
 その中で「出会い」があったのは、第6のゲームにおいて。
 縁寿が六軒島に向かう前に幾子と出会うことができている。

 だが、その縁寿が幾子と共に、戦人が生きているという奇跡を修飾した物語を作っておきながら、その後六軒島に向かうとは思えない。
 奇跡を起こすということは、本当の真実に至ったということと同義だ。
 幾子がそれを認めなければ、その物語を描くことはないだろう。

 よって、第6のゲームの出会いも修飾された幻想。
 作中で縁寿が感じたようにそれは『ありえない記憶』。
 縁寿と「出会った」幾子が、縁寿に見せた物語。
 そういう可能性もあったのだと示したのだ。

 そしてそれは、幾子がep6を公表する前に縁寿と「出会って」いたということだ。
 もっと言えば、縁寿に「出会って」からep6を執筆したということ。
 他にも、六軒島に向かう前に会っていないなら、六軒島に向かった後に「出会った」ということでもある。


 残りの過程は2つ。どちらも六軒島に向かっている。
 ep4の六軒島についたものと、『手品』の直前で止めたもの。
 どちらも世間では縁寿が「行方不明」になっていることだろう。
 つまり、この「行方不明」も決定した結果と言えるだろう。
 『魔法』の未来も、ep6もどちらも「行方不明」であることに違いはないからだ。

 ならば、縁寿以外の人物もまた同じ結果でなければならないだろう。
 『手品』では天草と川畑船長が。
 ep4では霞とその手下が。
 共に「行方不明」。

 『手品』では霞たちが「行方不明」になる手掛かりが存在しない。
 よって、ep4こそが現実に起こったことであると考える。


 そのようなわけで、縁寿と幾子がであったのは、六軒島で霞とその手下、天草と川畑船長が死亡した後の出来事であると考える。
 命を狙われている縁寿は、自身が行方不明のままにするために、そして素性を隠すために記憶喪失のふりをした。
 幾子は縁寿だと判っていてそのふりに乗った。

 要するに、縁寿は十八である。
 十八が戦人というのは、それを覆い隠すための修飾。


  1. 2014/01/04(土) 23:26:52|
  2. 1998年の猫箱
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ベアトリーチェ殺人事件

 ベアトリーチェを殺せるのは、ベアトリーチェを生み出し演じたたものだけ。
 これを前提に推理する。

ヴァンダイン二十則、第7則。死体なき事件であることを禁ず。

 事件である以上、ベアトリーチェは死んでいなければならない。
 では、いつ、どこで死んだのか。

 それについては第7のゲームにおいて、ベアトリーチェを演じていた者が独白している。
 そのシーンは、親たちが碑文を解いて黄金を見つけた直後。

『……もはや、ベアトリーチェは死んでいる。
 彼らが殺したのではない。
 運命に従い、……私が私で、殺したのだ。』


 この独白によって、これがベアトリーチェ殺人事件であることが確定する。

 さらにベアトを演じた者は、『私の望んだルーレットの結果の一つ。』とも言っている。
 それはつまり、ベアトが想定するルーレットの中に、ベアトが殺される結果が存在していたということ。


 動機を探るために、第6のゲームでの独白も引用しよう。

『あなたは今日より、私ではなくなります。
 私は今日より、あなたではなくなります。
 私たちは一つの魂を割いて、分け合おう。
 それは一つの魂には当然満たないけれど。
 きっと人より多くの夢を見させてくれる。』


 無論、魂を割いて多くの夢を見る魔法は、無限の魔法のことだ。
 ベアトリーチェは夢を託された。
 無限に惨劇を起こし、ルーレットにない奇跡を探し出すという願いを。
 六軒島にいる人間に……戦人に謎を解いてもらうという願いを。

 そのベアトリーチェを殺したということは、その夢を、願いを殺したということだ。

 そして、その願いを殺すということは、別の願いを叶えようとしているということでもある。


 六軒島にいる人間たちに事件の謎を解いてもらうという願いを断ち切ることで叶えたい願いが、ベアトリーチェを生み出した者にはあった。

 それは、島の外にいる人間に謎を解いてもらうという願い。

 島の中にいる人間には無関係であるメッセージボトルの存在こそが、それを証明している。
 「謎を解く者として選んだのは島の中の人間ならば、メッセージボトルを海に流さない」の対偶は「メッセージボトルを流したのならば、謎を解く者として選んだのは島の中の人間以外である」。

 そう、ベアトリーチェを生み出した者は、猫箱の中に閉じ込められた六軒島をベアトリーチェに託して、自身は猫箱の外に出ることにしたのだ。
 謎を解く者を探し出すために。



 これで十分だと思うが、ついでだからもうひとつ。



 「奇跡」の目が刻まれていないルーレットは、さしずめ『スタートとゴールがつながった、ドーナツみないな、壊れたすごろく』と言えるかもしれない。
 どうやればゴールに辿り着けるか描けなかった。
 そんなゲームを作ったゲームマスターは、自らが生み出した駒に任せた。

 “無限の猿の定理”
『猿が、無限の時間の中でデタラメにタイプライターを打ち続ければ。……いつか偶然にも文字列が、ハムレットとまったく文章になるかもしれないという理論、いえ、暴論ですね。』

 ゲームマスターは、自分さえ思いつかないゴールをベルンに作らせようとしたのだという。

 奇跡の魔女を生み出した彼女の主であるゲームマスターこそ、尊厳なる観劇と戯曲と傍観の魔女フェザリーヌ・アウグストゥス・アウローラ。
 この二人の関係は、ベアトリーチェと彼女を生み出した母親のものとそっくりだ。
 違いは、ベアトはルーレットを作る係りで、ベルンはルーレットを回す係りということくらいだ。



 ……さあ、もう解ったことだろう。私が指摘しようとしている犯人が誰なのか。



 無限の惨劇を作り、それを自身の代わりに実行する駒を生み出し、自身の苦悩と願いをその駒に託して別の道に進んだ魔女。
 駒が演じるための戯曲を書き、そのゲームを観劇し、勝負の行く末を傍観する魔女。
 1986年の未来にて、幾つもの偽書を書いてはネットの海に流している八城幾子こそが、無限の魔女ベアトリーチェを殺害した犯人である。



 八城はベアトリーチェを殺し、殺したベアトリーチェのために物語を書いた。
 故に、八城はベアトリーチェが殺される第7のゲームの未来にしか存在しない。
 よって、八城が願いを叶えるために存在するメッセージボトルは、第7のゲーム以外の未来では海に流されなかったのではないかと思う。

 意志、思惑、動機を推理させるこのゲームにおいて、真犯人の絶対の意志こそが、このゲームをゲーム足らしめているもの。
 故に、ベアトにはそれを裏切ることはできないはず。
 ベアトが絶対の意志で惨劇を起こしているのに、同じカケラで同時にメッセージボトルで島の外の人間に願いを託すのは不純ではないかと思う。
 ……思うだけだが。

  1. 2014/01/04(土) 21:22:29|
  2. 無限の魔法
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無限の運命における絶対と奇跡

 ルーレットはベアトの望みによって作られた以上、ルーレットに刻まれた結果は全てベアトが望んだもの。
 碑文が解かれ生存者を出そうとも、それは想定されたことで、つまりは望んだこと。
 そしてそれは、それ以外の人間を想定どおりに殺すことが、ベアトの望みであるということ。
 ルーレットを回しても、犯人を特定して犯行を止めることができずに惨劇が完遂するという結果しかでないと信じているということ。

 そこからベアトの負けとは、碑文の謎を解いて隠し通路を見つけるというものではなく、碑文に見立てた事件の謎を解かれることだと考える。


 ベアトは絶対の意志でルーレットに従う。
 ベアトの作ったルーレットには、碑文の事件の謎が解かれるという結果は刻まれていない。
 ルーレットはベアトが想定した全ての結果を刻んだもの。

 である以上、謎が解かれずに時間切れで終わるのは絶対である。
 それが悪魔のルーレットが生み出す絶対の運命。

 逆を言えば、ルーレットに刻まれていない、謎が解かれるという結果は、ベアトの想定していた運命の中にはない「奇跡」であると言える。


 ベアトの最高の望みは、謎が解かれることである。
 なのに、絶対の意志でなしていたのはその反対。
 これは矛盾だ。

 だが、人間の感情は矛盾に満ち、相反する願いを抱くこともままある。
 異なる望みがあるならば、異なる自分を作ればいい。
 謎が解かれれば望みは叶い、解かれなければ未練を断ち切れる。
 どちらも望むところなのだろう。

 それは天国と地獄に分かれるということ。
 そして、それらに分かたれることがないことが煉獄の苦しみだということなのだろう。

 つまり、どっちつかずの苦しみを終わらせるための惨劇だったのだ。




 話を戻そう。

 謎が解かれることが「奇跡」で、謎が解かれないことが「絶対」。
 たったひとつの「奇跡」のために、「絶対」の意志で「無限」に繰り返す。

 これに似たものに金蔵のタロット占いがある。

『自分の望む結果が完全に出るまで、延々とタロットを繰り返すその手間と信念、心の気持ちが祈祷に通じ、それが天に届いた時、結果となって昇華されるという、金蔵の独自の魔法解釈だ。』

 つまり、「奇跡」を出すためには、「絶対」の意志で「無限」に繰り返すことこそが肝要。
 それを「信念」とした魔法なのだ。


 信じることが魔法なら、信じる力が魔力であると言えるだろう。
 ルーレットによって魂を分かたれたベアトは、それぞれが惨劇を完遂して、自身の絶対の意志の証とする。
 そして、ベアトAの絶対の意志を、ベアトBの絶対の意志を……と、絶対の意志を無限に積み重ねたら、無限の魔力を得られる。
 そういう理屈なのだろう、この魔法理論は。




 ファンタジーな動機で、ミステリーな事件を起こし、アンチミステリーな物語に仕上げるとか。
 マジかんべん。


  1. 2013/12/29(日) 03:21:41|
  2. 無限の魔法
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無限の真実

 今回はメッセージボトルから並行世界を見てみようと思う。
 結論ありきで適当に組み上げたおまけなので適当に読んで欲しい。


 警察の見解によると、メッセージボトルは事件が起こる前に書き記されていたという。

 メッセージボトルは、六軒島で起きた事件の内容とその事件の真相を解いて欲しいと訴えるもの。
 真相を解かせようとしているなら、その前に事件の内容が真実であると主張していることになる。

 ではそれが唯一の真実だと主張しているのかと言えばそうではない。
 メッセージボトルは2つあり、それぞれ事件の内容が異なるからだ。
 そのまま取れば、真実は複数存在すると主張していることになる。

 では現実の事件がこの内容であると主張しているのだろうか。
 これも否である。
 現実において絵羽が生存している以上、絵羽が殺されているメッセージボトルの内容を現実に起こったことだと思い込ませることは不可能だ。
 そう思わせたかったのであれば、現実においてなんとしても生存者を出してはならなかった。
 そう、「絶対」に。

 だが犯人は、九羽鳥庵に通じる隠し通路をそのままにしておいたり、解けば秘密の通路に辿り着く碑文の謎を提示してしまっている。
 それは絵羽が生存する可能性を許容しているということだ。

 いや、それどころか絵羽が生存した方が都合が良かったりするやもしれない。
 絵羽が生存していれば、生存していないメッセージボトルの真実は、現実における真実ではないという主張になるからだ。

 現実における真実ではないが、それでも真実であるのだと。
 現実においては起こっていないが、それでも真実である事件なのだと。
 要するに、起こり得た事件であると。
 現実ではひとつの事件しか起きないが、本当なら幾つもの事件を起こせたのだと主張しているのだ。

 そして犯人は、現実に起こった事件を推理しろと言っているのではない。
 現実には起こらなかったが、起こり得た事件を推理して欲しいと言っているのだ。

 それらの事件は犯人の心の中にしかないのだが、だからこそ心を推理して欲しいと言っているのだろう。
 そして、その心の中にしかない事件を見える形にして書き出したのがメッセージボトルなのだ。



 ちなみに、絵羽生存が都合が良かったのならば、メッセージボトルは絵羽生存が確定した後に海へと放り投げられた可能性が出てくる。


  1. 2013/12/29(日) 01:21:07|
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プロフィール

フラット・ホームズ

Author:フラット・ホームズ
「うみねこのなく頃に」の某公式サイトで推理を投稿していた。
その時使っていた名前は察してください。
スタイルは、アンチミステリーをチェス盤で引っ繰り返す、というもの。
キコニアでは、世界を箱庭に見立て、そこにどんな駒を置いたのか、それらを動かして最終的にどういう形に持って行くのか、的な感じのを主にやっている。

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